61.艦橋指令部ブリッジをロックせよ!
相手の男はロッドなど持ち合わせていない。なにも持たない状態で心優を見据えている。
「それなりの選手だったと聞いているが、所詮、軍隊の中ではか弱い女の子だ」
相手がにやっと笑う。心優の額に汗が滲んできた。自分でも分かる。相手は百戦錬磨の戦闘員に違いない。秘密潜入を任される極秘隊員に選ばれた時点で、軍から信頼を得て実力も認められているのだから。
シドにだってなかなか勝てないのに。シドをやりこめられる上官の男に心優が勝てる?
ここで教えられた判断をするのならば、応援を呼ぶということ。しかしシーバーに喋りかけた時点、その隙を狙われる気がしてハーヴェイ少佐から目を離すことも身動きすることもできない。
「どうした応援を呼ばないと、女の子ひとりでは俺には勝てないだろう?」
できればあちらから仕掛けてきて欲しい。でも相手もそれをしないということは、心優から踏み込んできてその姿勢から弱点を読みとって動こうとしているのがわかる。
彼が栗色の口ひげをにやっと曲げて楽しんでいるのがわかる。前回、殺気を振りまいていた不審者とは違う。だからこそ行けない。
「どうしたのですか。わたしを突破しないと、管制室には行けませんよ」
こちらからも仕掛けてみる。
少佐は腕時計をちらっとみた。
「まだ、大丈夫だな」
そういう隙ができるから、心優はシーバーに手を出せなかった。でもこの男は心優から一瞬でも目を離した。今だ! 攻撃ではない、シーバーの無線ボタンを押す。
「こちら園田! 管制室付近通路に不審者を確認。フランク大尉が負傷……」
言えたのはそこまで。
「無駄なことを。どうせ間に合わないだろう」
シドを飛び越え、ハーヴェイ少佐が向かってきた。
でもナイフは腰にサックに収まっている。素手で勝負する気のよう。だが心優はロッドを握ったまま。父のことを一瞬思い出している。
――『心優。おまえはロッドの使い方をまだわかっていない』
振りまわす棒だけではない使い方を覚えろ。
最後に集中的に教えてくれたお父さんの……!
父ほどではないが心優より大きな体格の男が弾丸のように突っ込んでくる。心優の鳩尾を狙っているとわかる。男の力で拳をつっこめば、そこで大抵の女は息が出来ないような苦しさに見まわれ倒れることだろう。
案の定、拳を構えたのを確認。
心優、相手の拳を追うな。拳が飛んできたら相手の腹を警棒で押さえろ。
お父さん! 心優は父の声を側に一歩踏み出す。
ハーヴェイ少佐の拳を真っ正面、それをなんとか横にすり抜け彼の腹部にロッドを縦に差し込み前進を止める。心優の手はそこで止まらない、腹部から男の脇にロッドを差し込みそのまま少佐の肘を跳ね上げる。彼の腕が上へ跳ね上がると下に空間ができる。そこをくぐり抜けるようにして身体を反転、勢いある鉄拳をすり抜けかわすことができた。
いま心優に見えるのは少佐の背中。そしてお互いの位置が入れ替わったので、先ほどハーヴェイ少佐が立っていた位置へ、心優はシドの側まで来ることができた。
「シド……!」
すぐに跪いて様子を見てあげたいが、その姿勢は目の前いるハーヴェイ少佐に隙を突かれる体勢になってしまう。だから肩越しに振り返って声を掛けることしかできない。
小さく呻く声が聞こえるだけ。表情を歪め、荒い息づかいで横たわっているだけ。
そしてハーヴェイ少佐がまた心優に向かって構えた。
「へえ、ロッドの使い方知ってるんだな」
余裕で微笑んでいた男が、もう笑っていなかった。
「誰に教わった。警棒術……」
心優は答えない。一切の情報もアイツに与えたくなかったから。
その時だった。ハーヴェイ少佐の背後に人影。この通路の入口に人が現れた。
「み、心優さん!」
光太だった。
ハーヴェイ少佐と光太の目が合う。光太の目線はすぐに心優の足下、シドへと視線が向いた。その瞬間をハーヴェイ少佐に捕らわれたのがわかった!
「海曹! ブリッジに不審者進入! マニュアルどおりにして」
心優の叫び声で一瞬呆然としていた光太がはっと我に返った。ハーヴェイ少佐の気も若輩とわかる光太ではなく、心優へと警戒の気を戻してくれた。
光太もなにも考えずにすぐに元来た通路へと走り去っていった。
『こちらブリッジ、吉岡。不審者を確認。指令室、艦長室、管制室、ロックをお願いします!』
光太の無線通信が心優の肩にあるシーバーにも聞こえた。
ブリッジに不審者が現れた場合は、この中枢指揮機関を内側から封鎖する決まりになっていた。不審者に侵入されないため。
指令室にはコナー少佐と福留少佐が待機している。二人が指令室と続きになっている艦長室も内側からロックをしてさらに中央管制センターに報告をしてくれる。
管制室ももちろん。きっと御園大佐がロックをしてくれたはず。
これでひとまず、この男が『味方のふりをして、御園艦長がいる管制室への何食わぬ顔での侵入』は防げた。
ただし。この時点で外に出たもの、居た者は中にはもう入れない。
光太は報告するために中に戻っただろうけれど、心優はもう中には入れない。
一瞬……。雅臣の心配する顔が浮かんだ。『心優、なんで一人で残ったんだ。どうして戻ってこなかった』。はらはらして空の指揮の集中力の妨げにならないか、今度は心優は心配になる。
まだ空には大陸国の戦闘機が八機、撤退もせずに飛行を続けていた。空の対戦もまだ終わっていない。
「おや、なにか心配事でもありそうな顔だな。いいね、わかりやすい女の子は俺も好きだよ」
しまった。隙を突かれる。あちらからまた飛んでくるように間合いを狭めてきた!
しかし心優もあちこちに痣を作るほどに今回は訓練をしてきた。ロッドを構えたまま迎え撃つ。
勇ましい海兵隊である少佐の拳が再度向かってくる。今度は心優を試すための一発ではない。心優を制圧させるための本気の拳の応酬!
繰り出される鉄拳に蹴り上げてくる膝に足、パンチにキックと繰り返してくる。だが心優はそれをことごとくロッドを巧みに盾にし、自分も蹴りを入れて全て阻止することができた。
男の顔がまた変わる。歯を食いしばって心優を睨む目になった。女の子女の子と余裕ぶっていたものがなくなったと心優は感じ取る。
ハーヴェイ少佐からすっと下がった。心優と間合いができる。心優もすっと下がって、構えを整えた。
彼との攻防をしている間に、シドが倒れていた場所から遠ざかってしまった。しかもハーヴェイ少佐の背後にシドがという位置に入れ替わっている。
シドはもう動かない。それだけで心優の心が乱れそうになる。
バカ! 気を抜くな! 俺なんかに構うな!
彼はぴくりとも動かないのに、心優の頭の中にはそんな声が聞こえてきてきた。
シドのその気持ち、裏切りたくない! ずっとずっと彼と訓練を積んできた、鍛えてきた! だから心優はそのままハーヴェイ少佐の目を見据えたまま、息切れる呼吸を整える。
あちらも心優を警戒する態勢になった。簡単に沈められる相手ではないと認めてくれたのか……。だがハーヴェイ少佐も心優を見たまま口を動かし始める。
「管制室侵入は失敗し、ブリッジの指令各所は封鎖された。だが、ここに艦長の護衛官が一人いる。艦長のお気に入りだ。捕らえたら使えるだろう」
彼の口元にはりついていたマイクにそう話しかけている。
誰と? 心優は不安になる。いや、もうわかっている。あの迫ってくる大型漁船にいる引き入れた他国の仲間に報せているんだって!
「前回もあなたが? あなたが引き入れたの」
「ああ。そこにいるシドも前回は俺のことをすっかり信用してくれていたんだけれどな。でも気に入らなかったよ。俺には報せない『トラップ』をブリッジに仕掛けていたなんてな」
「そういう用心ができる男だと艦長が信頼しているだけあるってことでしょう」
シドは前回も信頼している先輩とは思っても、決して全面的に心を許していなかったのだろう。きっとそういう教育をされてきたんだと心優は思う。
だからこそ心優や雅臣を全面的に信じてくれるから、シドはあんなに人懐っこく甘えてきたり、子供っぽくつっかかってきたり、時々わざと切り捨てて離れようとする。
シド……。心優は脇腹を押さえて荒く息だけして倒れている彼を遠く見る。涙が滲みそうになる。
待っていて。絶対に、絶対に助けてあげる。そして、一緒に小笠原に帰還するのよ!
ロッドを握りしめ、再度、少佐を睨んだ。
「もう既に数人、引き入れている。今頃、警備隊を足止めしていることだろうよ。ということは、中尉を援護するための金原と諸星は来ないって事だ」
獰猛に輝いた目が心優を射ぬく。
「一対一、俺と女の子の中尉。いまはなんとかかわせても、経験と力が違う。あんたを捕らえて艦長を引きずり出す餌にするよ」
心優も歯を食いしばり腹をくくる。金原隊長と諸星少佐が確かに来ない。この男が言うとおりに、引き入れた不審者と遭遇してブリッジに入らないよう戦っているのだろう。
彼がまた向かってきた! 再度、心優はロッドを構える!
先ほどと同じ。父に仕込まれた警棒術で男の拳を制して、心優からも蹴りの攻撃をする。だがあちらも戦闘慣れしている男。空手家である心優の的確な蹴りを受けても、父と同じように的確に阻止する。
拳とロッドの攻防と、蹴りと蹴りの応酬とお互いの的確な阻止。互角の抗戦が繰り返される中、ついに二人は資料室前の入り組んだ通路から指令室前の通路に移動してしまう。つまり、心優は攻防はできているが、ハーヴェイ少佐は心優という『壁』と対しながらも『思うところへ移動している』ということに!
「ほうら! 管制室目の前だ!!」
「あっ!」
指令室前の通路まで移動してしまった一瞬の焦りを読みとられたのか、心優の手にあったロッドを少佐に蹴られ手放してしまった!
素手のみになった心優のふところを狙って少佐が突っ込んでくる! だが心優も同じところ狙う!
お互いの胸元にがっしりと腕と腕が交差する。ハーヴェイ少佐が上から、心優が下から、お互いの襟元を掴んでいた。
力は少佐が上、でも、技は……! 襟元を掴んだまま、逆に心優はふっと屈む。その瞬間、上から力を圧していた少佐の膝ががくんと折れた。
今だ! 心優はその膝をさらに蹴り入れ、わざと少佐が自分を押しつぶすように体勢を崩した。この大きな男が心優の真上に乗っかればもうどうにもならない。でも! 今度、心優の脳裏には兄の声と顔と大きな手が浮かぶ!
行け、心優! 一瞬だ、逃すな! すべてはタイミングだ!
お兄ちゃん!!
倒れてくる男、その身体を蹴り上げ、襟元をおもいっきり引き入れ身体を反転ひっくりかえす! 少佐が床の上にどっさりと倒れ込んだ。
心優はすぐに真上になりその首元をそのまま締め上げる。
下に崩れ落ちた男の眼がさらに険しく心優を睨んだ。
「と、巴投げ……! ほ、本当に誰に教わっている!!」
「わたしのような女の子のことなんてどうだっていいんでしょ!」
それでも、どんなに技で勝っても、少佐の首を締め上げているのは細腕。逞しい海兵隊の男が力でいとも簡単にそれを解いてしまう。
その瞬間、今度は少佐が心優の首元に襲いかかってくる。大きな男の両手が心優の細い首に力強く食い込み、なおかつ今度は彼が心優を力で押したそうとしている。
「もうどうでもいい。おまえなんか必要ない。やっかいだ」
「……こ、光栄ね。あなたの邪魔をする力を持っているて認めてくれたの?」
首を締め上げられて唸りながらも心優も男の手首を掴んで抵抗する。でもここまでがっしり掴まれたら女の力ではなかなかほどけない。
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