62.ネズミは餌によってくる

 軍を裏切っていた少佐に首を絞められ抵抗するも、心優はその男の手をほどくことが出来ない。


 やっぱり実力不足――。たった一年の護衛の女の子ができるのはここまでか。


 できているようで、できていなかった。でも諦めない! きっと金原隊長が来てくれるはず! それまではなんとしてもこの男の力に耐えなくては。なんとかして体勢を立て直さないと!


 息ができなくなりそうになって、でも男の腕に爪を食い込ませ心優は首を振る。


 臣さん、臣さん……! 絶対に一緒に還るんだから。シドも連れて……!



「は、離れろ! その手を離せ!」


 そんな男の声と共に、通路に銃声が響いた。



 ハーヴェイ少佐がさっと心優から離れる。心優も首元を押さえ、なんとか彼からさっと離れる。そこでやっと見えたのは、ハーヴェイ少佐の背後で銃を天井に向けて撃った光太の姿だった。


「よ、吉岡君……」


 しかも光太は銃を正面に構え、ハーヴェイ少佐へと向けている。


「床に伏せろ! 伏せねば撃つ!」


 銃口を向けられさすがにハーヴェイ少佐も両手を挙げた。


 どうして戻って来ちゃったの? 心優はそう思った。でも光太の気持ちもすごく通じてしまう。『バディなんだから、相棒を放って俺だけ閉じこもってられるか』、そう思って出てきてしまった? 


「早く伏せろ!」


 ハーヴェイ少佐がゆっくりと床に手をついて身体を伏せようとしている。そうしたら心優もこの男の背中に乗って制圧することができる。だが心優は背後からハーヴェイ少佐のゆったりとした動きを見ていて気がつく。


 少佐の手がさっと胸元に入ったのを見る。しまった! まだ制圧もマニュアル通りである新人の男の子は隙だらけで、言うことを聞いているふりをして銃を抜くタイミングを計っている!?


「吉岡君、避けて!」


 本当に少佐が銃を胸元から引き抜いて光太に銃口を! 心優は必死になって少佐の背中に飛びついた。


 通じたのか、すぐに光太がなんの疑いもなくさっと通路の端へと飛び込んだ。


 また銃声が通路に響く――。


 心優の飛びつかれたまま、ハーヴェイ少佐が前に倒れ込みながら正面へと発砲した音。


「この、勘が良すぎて本当にやっかいだ!」


 光太の狙撃に失敗した少佐が銃を持ったまま、背中に飛びついて邪魔をした心優へと銃口を向けた。


「おまえが死ねば、艦長はさぞや哀しむだろう。それもまた一矢報いるというもの」


 男の眼が光る。でも心優はもう怯まない! 撃てるものなら撃ってみろ! その銃を持つ腕へと掴みかかる。だが男の力は銃口の位置を心優に揺らされながらもきっちりと額へと定めてくる。しかし心優も必死に阻止をする。


「ブリッジロックを誘導、その外で一人奮闘の殉死。誰もが讃えてくれるだろう安心しろ」


 その腕に歯を立てて、かぶりつきたい。そこまで抵抗したい。絶対に負けたくない! でも銃口が心優の額に定まってしまう。


 絶対に絶対に撃たせない!

 以前は銃口を向けられ思考停止になったが、今は違う。絶対に諦めない!!



「園田から離れなさい。容赦なく射殺するわよ」


 通路にひんやりとした空気が巻き起こった錯覚。そしてその声。



 男に押し倒されそうな体勢で抵抗していた心優の目の前、ハーヴェイ少佐の背中、その向こうに栗毛の女性が立っていた。


 何かを感じ取ったのか、ハーヴェイ少佐も心優を突き飛ばしさっと離れ立ち上がった。彼が立ち上がったそこには栗毛の女性、彼女がロッドを持って少佐に殴りかかっていた。


「か、艦長!?」


 心優が唖然として床にへたりこんだままでいる目の前で、ハーヴェイ少佐の拳と彼女が振り降ろしたロッドが衝突し交差した姿が!


「ま、まさか。どうして、艦長自身が……!」


 ハーヴェイ少佐も信じられない顔で拳を交え停止した。裏切りの海兵隊員とミセス艦長の目線も激突する。


「ほんとネズミって、上手い具合に網に引っかかってくれる」


 逞しい腕に阻止されたロッドをそれでも艦長は押し込み、海兵の男を制している。


「ネズミだと?」


 少佐の目が憎々しく艦長を見下ろす。


「そうよ。裏切り者をあぶり出していたわけ。最初からシークレットではないかと予測してけれど、見事に的中。ひっかかってくれて嬉しいわ」


 御園准将の琥珀の瞳も冷たく凍って男を睨み返す。

 そして心優はさらに驚愕する。『やはり准将は予測つけていた。しかも、秘密裏に手を打っていた』んだと!


 ロッドの力と男の腕の力の均衡が崩れそうになったそこで、お互いが間合いを取るために弾き合うようにして二人が離れた。


 間合いを取った栗毛の男女が視線で牽制する姿――。


「わたしが狙いだったんでしょう。なんて言われて雇われたの? 破格の金額で? 私を捕獲したら、引き渡したら、一生の生活でも保障してもらえた?」


 ロッドをまだ構えている艦長がふっと笑った。

 だがハーヴェイ少佐もにんまりと笑う。


「そりゃあもう、あんたは高値で取引してもらえるいい物件だったよ。軍隊でちまちま働くよりね」


「わたしを連れていってもなんの価値もないわよ。フロリダ本部にはなにかあれば私を容赦なく切り捨てるように伝えている」


「口だけだ。あんたでなくとも、人道上、救助は絶対に出すだろう。あんたは金になるんだよ。軍隊が金を出すんじゃないよ。実家が金を出すんだよ。必死になって出してくれるだろう」


 さらにハーヴェイ少佐は勝ち誇ったように嫌らしい笑みを浮かべ、御園准将を見据えた。


「あんたは年齢の割にはまだまだイケるんだと。若い男じゃなくて、まだまだ性欲に飢えている強欲なジジイたちが弄ぶには上玉なんだってよ」


 さすがに御園准将がぴくっと反応し、しかもその瞳に不快の色を灯したのが心優にはわかった。


「そこの若いミユちゃんも連れて行けば、さらに売れるかもな。ミユちゃんは若い男たちもジジイも夢中になって群がって徹底的に遊んでくれるだろう。二人とも薬漬けにしてくれるから、あんたもミユちゃんも揃ってわけわからないまま楽しめるようにしてくれるってよ」


 心優はゾッとする。自分を売られることにも鳥肌が立つが、それ以上に御園艦長が連れ去れる理由には、海を防衛する要を担う女艦長を徹底的に外す目的以外に、そうして人質にして金儲けや快楽のために貶めようと狙っている男達がこうして集ってきていたんだと――。


「そうして弄んでいることを知れば、実家の、元中将なんかは娘がいじられまくっていたら、さすがに四十半の娘でも死ぬほど辛いだろう。ミユちゃんが巻き込まれたとあってはそのほうが御園は必死になって動いてくれそうだしな。そうそう、あんたのお姉さんも男にいたぶられて死んだんだよな。御園の弱点だ」


 さっと血の気が引いて心優は言葉を失う。なにこの男――。ほんとうにフロリダで信頼されていた極秘任務の特殊部隊員? 崇高な精神であればこそのプライドがひとつもなく、下劣な傭兵に成り下がっているとしか思えなくなるし、やはりシークレットの極秘任務を任される男は御園のタブーまでも知っている。それを逆手にとって、御園准将を精神的に崩そうとしている!


 しかも少佐はさらに意地悪い笑みで言い放った。


「ナイフを振りかざす男も怖いんだよな? ちいさいお嬢ちゃんの時に殺されかけたんだろ。そんなに強がりもいつまで保つことやら」


 そうして彼が口元のマイクに低く呟く。『管制室通路に艦長が出てきた。捕獲のため集合しろ』と――。


 心優は息を呑む。この男が御園のタブーをどこまで知っているかわからない。でも、御園准将はこの手のトラウマがスイッチになっていて発作を起こす可能性が高い。ここでその弱点を晒すわけにはいかない。心優もロッドを探す。すぐに艦長を護衛できるように……と。


 しかしロッドを見つけて密かに手元に取り戻した時だった。このフロアへとあがる階段から武装とした男が二名現れた。目出し帽で顔を隠している戦闘服スタイル。


 すぐにロッドを握りしめ、心優は立ち上がる。心優の目の前に侵入者の男ふたり、背後には裏切りの少佐。どちらをどうすればいい!?


「心優、艦長は任せろ!」


 もう開かないだろうと思った管制室のドアが開いた。そこからハワード少佐が飛び出してきた。


「アドルフ、遅い!」

「申し訳ありません。準備できました」


 ハワード少佐が御園艦長の前に立ちはだかる。


「光太、俺の背中で艦長を護れ!」

「ラジャー! 任せてください」


 御園艦長の目の前に光太、そしてハワード少佐の壁ができた。


「心優、受け取れ!」


 しかもハワード少佐が床に何かを滑らせ投げてきた。心優もすかさず身をかがめて手に取る。


「メインインカムだ。装着しろ」


 メインインカム? 打ち合わせにはないことだったがとにかくそれを受け取る。小形の無線装着機。ハーヴェイ少佐が付けているものと同じ、小さなイヤホンに頬に伝わせる高性能ワイヤーマイクの無線機だった。しかし装着する暇がない。


 それをポケットに入れ、心優はロッドを片手に侵入者に立ち向かう!


 男が二人襲いかかってきた! 一人ロッドで動きを制し、もう一人に対して狙いを定める。蹴りを飛ばすと見事に命中した。一人がよろけている間に、ロッドで制している男を懐に呼び込んで動かし、こちらの思うとおりの動きをしてくれたため簡単にロッドで後退せることができた。


 そうして対戦して心優はかんじる。『戦闘慣れしてない?』。ハーヴェイ少佐単独での対峙のほうがよっぽど威圧感も恐怖も勝っていた。


 だがそのせいか、階段からさらに三名突入してきた。『まさか、プロというより人数攻め?』。心優一人で五人と対峙することに。


 あがってきた三名が間合いを詰めてくるその間にふと背後を振り返ると、ハーヴェイ少佐とハワード少佐が対峙しているところだった。ハワード少佐の後ろで光太が盾になって艦長を後ろに護衛している。


 その隙に艦長と光太があの小形インカムを耳に装着しているのを心優は確かめる。自分も隙を見て付けたい。だが目の前には心優に突き飛ばされ体勢を崩したものの、また向かってこようとしている男二名、さらにその背後に新たに三名向かってくる。


「園田! 遅くなった!」


 階段からさらに駆け上がってきたのは、黒い戦闘服の男。金原隊長!


「後ろは俺達が引き受ける。艦長の側に行け!」


 金原隊長の横には諸星少佐も。


「行け! 園田を援護せよ! ゴーゴーゴーゴー!!」


 諸星少佐の掛け声で、特攻班の警備隊員達がこの通路に次々と突入してきた。父が施した訓練通り、不審者へ突入する勢いに迷いも淀みもない。


「行け、園田!」

「隊長、シドが!」

「こちらで引き取るから行け!」


 いちばん背後で指揮を執る金原隊長の叫び、心優は少しだけシドを目の端に止めがら、急いで受け取った小形インカムを耳に射し込み口元にマイクを近づける。


 ――『こちら艦長。ここで指揮を執る!』

 心優が装着したと同時に、御園艦長の声が聞こえた。


 ハワード少佐とハーヴェイ少佐の対決は互角。身体の大きさも経験も腕前も同じようで一進一退となっている。しかし心優から見ると、ハワード少佐がやや押されているように見える。『まだ怪我が完治していない。全開の戦闘能力ではない』からだと心優は判断する。押されるハワード少佐の背後にいる光太もいつ突破されても自分が盾になるんだとばかりに、ロッド片手に艦長の前に立ちはだかっている。


 御園艦長はそこで護られながら、でもハーヴェイ少佐を目の前に叫んだ。


「ブリッジ管制、指令、艦長室前通路に不審者数名。内一名はフロリダ部隊から配属されたハーヴェイ少佐。護衛の隊員を一人負傷させた。あと五名は国籍不明。少佐の手引きによるものと見られる。しかし、上空の侵犯措置は続行。ブリッジは封鎖。全艦クルーは侵犯措置体勢にて待機、各部署へ伝達せよ!」


 心優の耳にもおなじ指令が聞こえた。このメインインカムが艦長の指令となっているらしい。


 その声に気を取られていると、ハワード少佐が頬を殴られ衿を取られ、あっという間に床に投げ飛ばされる。やはりまだ全快ではない。ハワード少佐が床にうずくまった。


「御園のお嬢さん、一緒に来てもらう!」


 ハーヴェイ少佐の手が光太の肩を越え、御園准将を掴もうとしている! 心優はダッシュで艦長の目の前へ目指す。間に合うか。

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