17.シド、逃走する

「どうしたの心優」

「……フランク大尉が出てくださったのですが、その、切られてしまって」

「あら、まあ」


 御園准将は驚かず、なにもかもわかっている顔で呆れた溜め息。そのまま補佐の男達と『いまはここがこう、ここが抜けたらこうなる。だったらこうしよう』と話し合っている兄様を見た。


「兄様、ご子息が驚かれてしまったようよ。もっと『わかりやすく』してあげたらいいのに、予測不可能すぎるのでしょう、あの子には。可哀想に」


 可哀想とか、どういう意味!? シドが養子としてどう大将と接しているか彼のいまの家族との関係が見えなかっただけに心優は不安になってくる。


「美穂が来ているから大丈夫だろ。なんだよ、『パパ』が会いに来てやったというのに、相変わらずつれないな」


「もっと上手に甘やかせてあげたらいいのに。兄様がそうしてバカみたいに『パパ気取り』ばっかりするからいけないのよ」


 それまで大将と作戦会議だ――と、真剣な顔を揃えていた男達がぴたりと動きを止め、兄分と妹分のプライベートの会話に呆気にとられている。


「どうしてだよー。俺な、息子が欲しかったから、成人目の前だったとはいえ、息子が出来て心底、嬉しかったんだぞ!」


「だからって。大きくなったシドに、ラジコンカーのクリスマスプレゼントなんて信じられないっ」


 あのシドに、クリスマスプレゼントにラジコンカー!? 高須賀准将を始め、そこにいる中佐も少佐も目を丸くしているが、心優も唖然とする。


「はあ? シドが欲しいと言ったんだぞ」


「なにいっているのよ。ラジコンカーなんて年頃の十歳ごろに実母から買ってもらっていたに決まっているでしょう。兄様がやりたいことに合わせて『ワザと子供っぽいものを欲しいと言ってあげて、小さな息子から始めた方がいいのかな』と気遣ってくれているのよ。あの子、そういうところがあるの!」


 あ……、葉月さんわかってる……。心優はそう思った。シドはそんなところがある。自分の気持ちを押し込めて、強引にぶつかってくるのは彼が不器用だからだと心優も思っている。そういう優しさが、かえって父子をぎくしゃくさせているのだろうか?


「そうかな。ほんとうに、かわいい顔で喜んでいたけれどな……」


 そこは不思議と父親らしい眼差し、愛おしいからこそ心配そうな顔を大将が見せた。ふざけるための顔ではなかったので、逆に心優はロイお父様の方がほんとうのシドを知っているような気にもなってくる。


「確かに気遣いの子だよ。俺と美穂と愛理のバースデープレゼントはかかさず、帰省したらまめに日本のお土産、美穂の家事を手伝ったり、買い物のために車の運転をしてくれたり、ほんとうに『いい子』だ。だから、俺からふざけてふっかけてみるんだが、笑わないの、硬いの、苦手なのか逃げちゃうの。パパから初めてのクリスマスプレゼントをさせてくれと聞いたら『ラジコンカー』だってさ……。俺だって『時計とか、靴とかスーツとか、車か旅行か』と聞いたら『ラジコンカーで遊んで欲しい』だぞ」


「そうなの……?」


 気遣いでやっていると思っていたミセス准将も、パパさんから語られたことにシドの気持ちを思い改めたようだった。それは心優も同じ……。大人の男に必要なものをお父さんがプレゼントしたいと提案してくれた上で、『ラジコンカーで遊んで欲しい』と願ったシドのその気持ち……。


 ほんとうは、ちょっと甘えるのが苦手なだけで、ほんとうのパパみたいに接してくるロイ大将に戸惑っているだけで、『ほんとうのパパとしたいこと』がそれで、それが言えたと言うことは、やっぱりフランク大将のことはどこかで頼ってもいいと思っているのではないかと……。


 シド……、帰るところがないようなことを言っていたけれど。あるじゃない……。心優はそう感じた。でもまだそこに委ねられないのかもしれない?


「あれほどの気遣いができるとなると、けっこう厳しく育てられていたと思うな……。そこのあたりは俺も深くは聞かないようにしている」


 そこで高須賀准将が困ったように間に入ってきた。


「なかなか聞けないお話で興味はありますが、ご子息とのお話はそのぐらいにされたほうが……」


 信頼できる部下達だからこそ、フランク大将が話してくれたのはわかっているが、それでも大将殿とご子息の大事なご家族だけお話では……と、高須賀准将に諭され、そこでやっとロイお父様と葉月さんがはっと我に返った顔に。


「気遣い有り難う。高須賀君はいつも優しいな」

「いいえ。どうぞシド君とゆっくりお話をされてください」


 ほんとうに高須賀准将は僧侶のような微笑みをすると心優は思っている。


 そのうちに、またドアからノックの音。今度は光太がドアを開けると、もの凄い形相になっている眼鏡の連隊長が入ってきた。


「兄さん! なにもかも突然すぎます! 今朝になって小笠原に行くとの連絡だったり、待っていれば俺のところではなくて葉月のところだなんて、どういうことですか!」


 あのアイスマシンと言われる連隊長が、額に汗を滲ませて黒髪をかき上げる姿――。


「すぐにこうしたかったんだよ。それでなくても、空海が攻撃されたと知ったその時にすっ飛んできたかったのに、なかなかすぐに動けない立場になったと嘆いていたところだ。おまえのところにいくと、あれこれ気遣われたり、大袈裟にもてなされたり、それから……」


 そこで堂々としていた大将が口ごもった。

 そして連隊長も察したようにして、少し俯き加減に告げる。


「お従兄さんが来ると知ると、シドが驚いて落ち着かなくなると思ったので黙っていたのに……。いまの内線でうっかり知られてしまい、『大将がいらっしゃった』とだけ伝言すると目を離した隙にどこかに行ってしまいましたよ」


「ま、そのうち会えるだろう」

「そうでしょうけれど……」

「そんなことより、正義。もう始めている、おまえも一緒に考えてくれ」


 銀縁の眼鏡を眉間ですっとあげ直した連隊長も、ミセス准将の隣に座った。


 その連隊長が、目の前にいる高須賀准将をまず見つめる。


「高須賀君、ここで大将がうまく調節をしてくれたのなら、ほんとうに小笠原に空海ごと来てくれるのだね」


「もちろんです。許可さえあれば、わたくしも指揮で参ります。日向もこれ以上、本国の飛行隊が苦心するのは見ていられないという気持ちでいてくれています」


「こちらに任せて頂けるのなら、この目で見たそのままそっくり演じるつもりです。アグレッサーをさせてください」


 日向中佐の気持ちも、次に国境へ行く仲間のパイロットを守りたいとその気持ちがとても熱くなっているのが伝わってくる。


 またフランク大将のサファイアの目が深く澄んで、鋭く航海図を見据える。


「任せろ。そのとおりに手配しよう。それがいちばんの対策で、訓練で、得策だと私も思う」


 大将が直々に手配に動いてくれた。それだけでもう……、海の男達は嬉しそうで『イエッサー!』と威勢の良い声が響いた。


 フランク大将を中心に、日本の空と海を護る基地に所属する飛行隊のアラート待機スケジュール、それを調整する電話連絡が細川連隊長自ら行われる。或いはラングラー中佐からの連絡、そして、心優や光太よりずっと後ろに控えていた黒いスーツ姿の護衛二人も、大将の指示で電話を手に取り始める。


 彼等の通話を聞いていると、『ご本人に変わります』と直にフランク大将がいることを告げ、フランク大将も電話で通話を始める。だが、こちらは基地の現場の関係者ではないようだった。フロリダ本部なのか英語で話しているし、その後には横須賀の司令部にも連絡を取っているようだった。


 電話を切ると、フランク大将もふっとひと息ついて、ネクタイを緩める。航海図を見つめながら、ふと彼が呟いた。


「葉月、天丼が食いたいな」


 唐突なそのお願い……。どこかで同じようなこと見たようなと思った心優だったが、思い出す。ミセス准将が雅臣と相談中に『ドーナツ食べたい』と唐突に言いだしたあの時とそっくりだった。


「かしこまりました。兄様がお気に入りの、小笠原カフェテリアでのメニュー。お漬物付き、おみおつけの定食でしたわね」


「そうそう、あれあれ」


 心優もだんだんわかってきた。この大将殿は、軍人としてのミセス准将の師匠なんだと。このやり手のお兄様を見て、ミセス准将が育ってきたに違いないと思った。


 ラングラー中佐が『私がカフェに行ってきます』と申し出たのに、大将殿からそれを止めた。


「だめだめ。こういうスケジュール的な調整や交渉は、テッドやクリストファーのほうが手際がいい。この嬢ちゃんは役に立たないよ。そのついでに、葉月……。シドを探してきてくれ」


「……かしこまりました。お兄様」


 ミセス准将も、やっぱり息子が心配そうな父親の顔を見てしまったとばかりに、そこは神妙だった。


 そんなミセス准将のお遣いに、心優と光太はお供するため、一緒に准将室を出た。

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