68.お嬢様の社会見学

 その夕方だった。謹慎部屋にいても甲板のざわめきはよく伝わってくる。


 大きなプロペラ音が聞こえて、なにかが着艦したのがわかった。


「来たかもしれないわね」


 ベッドでくつろいでいた准将が起きあがった。

 くつろいでいた心優も、乱れた黒髪や身なりを整える。


 プロペラ機ならば、前回航海の時、海東司令と御園大佐が横須賀司令部から搭乗してきた艦載輸送機だろう。


 その機体が着艦した感覚を得てから数十分後。ドアからノックの音。


「諸星です。横須賀司令部からのお迎えです」


 少佐が鍵を開ける音、ドアが開くと、そこに制服姿の男性が立っていた。心優の父親ぐらいの年齢、初対面の男性。


 だが御園准将は彼にふっと笑いかけた。


「春日部さん直々のお迎えですか。ならば、総司令がかなりご立腹ということかしら」


 春日部? 総司令のところから来たならば、この方があの春日部嬢のお父様?


 娘の居場所に困り果てて、小笠原の細川連隊長に泣きついてきたとかいう情けないパパの姿を想像せざる得なかったが、実物のお父様はまるで昔の日本軍人の写真にも出てきそうなかっりちした強面のおじ様だった。


「そのようなお話は横須賀で致しましょう。諸星少佐、御園准将を輸送機へ搭乗させてくれ」


「かしこまりました」


 そのお父様が心優が側にいるのに気がついた。


「彼女は?」


 諸星少佐が答える。


「御園准将付きの護衛官、園田中尉です」


 その時になって、ハッとし力が抜けた愛嬌ある表情を一瞬だけ見せた。あ、もしかして娘がいつも敵視していた女性隊員だと気がついたのかな――と心優は予測する。


「君が、園田中尉……」

「初めまして、園田です。艦長の護衛を願い出て一緒にいさせてもらっています。横須賀にも一緒についていくつもりです」


 春日部中佐が怖い顔面に固まり、しばらく唸った。


「よろしいでしょう。拘束されたとはいえ、准将殿です。女性でもあるため許可します。諸星君、園田中尉も頼む。お二人とも拘束紐はいらない」


 心優はほっとして、春日部中佐に『ありがとうございます』と頭を下げた。


 だが開けられたドアから通路に出て、どうして春日部中佐がちょっと困ったパパの顔になったのかわかった。


 春日部中佐の後ろに若い男性が二名、そして黒髪を長くしているままの春日部嬢が一緒だったからだ。


 御園准将も気がついた。


「あら、お嬢様もご一緒でしたか」


「そちらではだいぶお世話になってしまいました。今回は『社会勉強』で同行を許しました」


「物騒な社会勉強ね」


 御園准将が苦笑いをこぼした。


 だけれど、心優と目線があった春日部嬢は相変わらずツンとしている。それでも嫌味を連発することがないだけマシかと心優も素知らぬふり。


 それにここではお父様もお父様の若い部下も、小笠原の警備隊員もいるからあんな口は利かないだろう。


 女二人、なにも持たずに通路を警備員に囲まれ連れて行かれる。


 階段を上がってやっと出られた甲板の景色は夕焼け。甲板にはやはりプロペラの艦載輸送機が待機していた。そして、いつも以上にオイルの匂いが鼻につく。


 春日部中佐が水平線を眺めながら教えてくれる。


「武器を積んでいた大型船舶が三隻、一気に爆撃されたわけですから、暫くこの匂いは続くでしょう。映像を見ました。フランカーの凄まじい爆撃でしたね」


 御園准将は黙っていた。御園大佐がこっそりとその映像を見せてくれたのだから、それを知っているはずがないという顔を整えているのだと心優にはわかった。


 戦闘が終結してから、御園准将も心優もあの部屋に閉じこめられたきり、外のことはなにもわからなかった。


 だが出てきた甲板には、ブリッジ指令室のメンバーが揃っていた。御園大佐に、雅臣、ハワード少佐に、コナー少佐と福留お父さん。見送りに出てきたようだった。


「では、准将をお預かりします」


 春日部中佐の声に、心優はそこにいるのに遠く見える雅臣を見つめた。


 でも警備隊に囲まれ、心優は准将と共にそのまま輸送機へと連れて行かれる。もうそこにいるクルーとは一切の会話を許されないようだった。


 歩いて、それでもやっぱり何度か振り返ってしまう。


 臣さん、臣さん。ごめん、最後まで、艦で横須賀に帰還できなくて。

 でも待ってる。小笠原であなたの帰還を。夫の帰還を待っている。左手の時計『健一郎さん』、臣さんをお願い。


 雅臣の左腕が光ったように見えた。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 夕暮れの甲板、プロペラの艦載輸送機に乗り込もうとした時、春日部嬢が隣に並んだ。


 彼女がやっといつものニヤッとした笑みを心優に見せた。


「薄汚れてべたべたになってるわね」


 でしょうね。あなたは綺麗に制服をきて、髪もさらっさらで、こんな現場でも髪をくくらないでなびかせているんだもの。なんでも揃っていて選び放題で、余裕で完璧に整えられる『安全という場所』で――。さすがに腹に据えかねるが無視をした。


「やっと空母に乗れた。ブリッジの艦長室すっごい広くて綺麗、御園大佐が招いてくれてそこで艦長のシェフがおいしい紅茶を煎れてくれたの。ぜんぜん空母って感じじゃなくて素敵。でもここってすごい匂いね。管制室にいる城戸大佐はレーダーとか眺めてかっこよかったのに。あなたは汚れた格好で、あんな部屋にとじこめられているだなんて、ひどいことでもしたの」


 その時だった。


「由利、話しかけない約束だっただろ!」


 先に搭乗していたお父様の春日部中佐が、後尾で乗り込んだ娘と心優を確かめに来て吼えた。


「園田中尉になにを話しかけた」


 お父様に叱られ、あのお嬢様がしゅんと縮こまった。


「いえ、なにも。お久しぶりのご挨拶を」

「嘘を言うんじゃない」


 鬼の目で娘を睨んでいる。その目こそ、中佐の威厳たるもの。どうしてそれで娘をしつけてこられなかったの。心優はそっと溜め息をついた。


「園田中尉は朝から、不審者と戦闘をし制圧をしている。しかもブリッジの指令セクションを不審者から守るためのロック誘導の実行をいちばん最初に促したうえで、ロックした外では不審者と対峙して護りきった」


 だから戦闘服が薄汚れているんだと父親が彼女を窘めた。


「え、艦長の護衛ってロックした内側にいるものじゃ……」


「一般的論を当たり前のものだとばかりに語るんじゃない。こういう現場ではその時の状況に合わせて動くものだ。おまえはそういったひとつの『型』でしか判断できずそれを貫こうとするから、同僚との疎通がとれないのだろう」


 さらに春日部嬢がうなだれた。それでもお父さんがさらに続けた。


「そうして髪の毛をひらひらさせて、鼻歌交じりでこの飛行機に乗って旅行気分、念願の空母にちょっと降りただけで、任務を体験した気になったか? ここでは汚れながら任務を確実に遂行した者が上だ。おまえはいまは一番下だ。その端に座りなさい」


 春日部中佐と御園准将が向かい合うように座ろうとしていたが、彼女は心優や司令部からついてきた青年達よりいちばん後部に座らされた。


 座席に座ると横須賀から来た制服の青年隊員達は、御園准将を手厚く扱ってくれる。


「准将。ベルトを装着します。失礼いたします」


 青年隊員が御園准将にシートベルトを付けてくれる。心優にも同じく。


「喉は渇いてはおりませんか。冷えたお水もありますので申しつけてください」


「ありがとう。結構よ」


「准将。お二人のお荷物を御園大佐から預かっております。こちらにまとめておきますね。ヴァイオリンについてですが、搬送状態が安心できないとのことで、御園大佐が自分が大事に管理して持って帰るとのことでした」


「ああ、良かった。そうして欲しいと思っていたの」


「暑くはありませんか? 冷えたおしぼりもあります」


 と、言った状態であれこれ気遣ってくれるので、拘束の強制送還だとしても、これは無碍に扱われることはないだろうと心優は安堵する。むしろ……、この輸送機に乗り込んでいる制服の彼等がとても准将を敬っているように見える。この様子と空気を確認して、心優は思う。やってはいけない決断だったかもしれないが、英断とも見てくれているのでは――と。ただし、それは中央司令部に戻らないとわからないからまだ油断できない。


 それにしても、先ほどのお父様の拳骨のような説教がすごく効いたようで、春日部嬢はすみっこに座ってうつむいている。先輩の男性隊員達はてきぱきと仕事をしているのに。なにも手伝おうとしない。そして彼等も上官の娘だろうがそこにいてもいないようにして動いている。


 春日部中佐は向かい席の先頭、こちらの先頭に座った御園准将と向かい合う形。心優は准将の隣、斜め向かいが中佐になる。その中佐が心優に話しかけてきた。


「申し訳ない。娘は口が悪いので、戦闘にて疲労されているだろう貴女達には話しかけないよう約束して連れてきましたのに」


「いいえ。大丈夫です」


 心優がそういうと、また春日部中佐がパパの顔になって困り果てている。春日部嬢が特に目の敵にして迷惑をかけていた心優には、どうも頭が上がらないといったふうだった。


「ですが。いまから現実というものを目の当たりにしてもらう」


 現実をお嬢様に、目の当たりに? 心優は首を傾げた。


「中佐、搭乗完了です」

「わかった。では、最後に彼を頼む」

「イエッサー。いま警備隊が護送してまいります」


 それほど広くはない機内のいちばん背後、そこに鉄鋼のゲージが組み立てられた形であった。


 御園准将も気がついた。


「ハーヴェイ少佐も一緒に連行するのですか」


「はい。いつまでも艦内に置いていけないこと、さらに早急の聴取を司令部は望んでいます。フロリダ本部からも催促があったため、同乗でご不快でしょうがお許しください」


「警備さえしっかりしてくれれば構わない。私も彼があの艦からすぐさま去ってくれた方が安心だから」


「では、連行します」


 鉄鋼のゲージの扉が開かれ、十分後。横須賀から来た黒い戦闘服の隊員が五名ほど、拘束衣でがっちりと固められているハーヴェイ少佐を歩かせずに担架にさらに縛り付け運んできた。


 その担架のまま、ゲージの中に運ばれ、ゲージは頑丈なロックがされた。


 だが目隠しをされていてもハーヴェイ少佐も何かを感じ取っているのか、拘束衣さらに担架に拘束されていても身体をくねらせ、猿ぐつわのまま『うおーうおー』と獣のように叫び続けている。


 輸送機の中の空気が一変した。心優の隣に座った制服姿の青年隊員が硬直しているのがわかる。涼しい顔をしているのはゲージを警備する五名の戦闘隊員、春日部中佐、御園准将、そして心優だった。


 特に落ち着きをなくしたのは春日部嬢。ハーヴェイ少佐が拘束されている位置にいちばん近いのは、後部座席に座るように言い渡された彼女だった。


 目の前に奇妙な姿で拘束され、獣のように叫ぶ男がばたんばたんと悪あがきをしている様子は、日常では滅多に見られるものではない。


「あの中佐……」


 彼女が甘えた声で父親を呼んだ。


「なんだ。恐ろしいのか。おまえが望んだ『前線任務』ではままあることだ。恐れていては空母には乗ることはできない」


 彼女は何も言わなかったが、父親にこんな恐ろしい場所は嫌だと暗に仄めかしている。


「その恐ろしい男を園田中尉が最後に空手の素手のみで制圧したそうだ。だから汚れている。その男は本国と連合軍の情報をテロ組織に流していた。その上、フランク大尉を刺し負傷させた。コーストガードに多大なる被害をもたらし、なおかつこの艦を炎に包もうとした犯人だ。園田中尉はそんな男と戦った隊員だ。彼女はその働きで、様々なものを護った。おまえが髪の毛をさらさらにして気分がいいのも、こうして前線で本国に襲いかかる脅威と立ち向かう隊員がいればこそ、日常の穏やかさが陸で保たれている。それを馬鹿にした者は、そこにいるがいい」


 これが、春日部中佐の『社会勉強』だったらしい。しかも心優の目の前で、かなり険しいお灸を据えてくれている。自分の部下達を目の前に、手厳しいお仕置きだと息を呑んだ。

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