69.ミセス艦長、横須賀へ
御園准将もふと笑う。
「厳しいお父様ね。あんな可愛らしいお嬢様に、このような荒んだ世界をわざわざ見せなくとも。私は娘には見せたくありませんけれども」
今度は春日部中佐が年上の男として、御園准将に呆れた笑みを見せる。
「よくおっしゃいますね。あなたこそ、お父様を散々心配させながらも、この世界の中枢に危険も顧みず飛び込んできたではありませんか。元中将であるお父様の心中察します」
「あら、そうだったわ。自分が娘だと忘れていたわね」
御園准将がおどけて笑った為か、春日部嬢以外の男性隊員全員がふっと頬をほころばせ、空気が少し和らいだ。
「園田中尉のお父様も同じ事を思っていたことでしょう。出航前、お父様の園田教官にかなり手酷く、険しく厳しく鍛えられたと聞いております。お嬢様だけではない。金原警備隊にもかなり厳しい訓練をされたと聞いています。大魔神になじられると影で悔し涙を流す男性隊員もいたそうですね。ですが、その厳しさがこの成果ではないでしょうか」
そこで春日部中佐が項垂れ、こちらに頭を下げた。
「私はそのような意味で父親失格です。仕事にかまけすぎて、妻に任せすぎました。妻が娘は気が強くて手に負えないことがあると泣き言を言ってくることがありましたが、この時代、女性が生きていくには気が強いぐらいが良いと笑って流していました。その時に、娘の様子をよく確認するべきでした。それでも、娘が私を追っておなじ連合軍に入隊した時は嬉しかったものです。父娘で秘書室で働くことを夢見ていたのも確かです。ですが、私にとっても現実はこれです」
まだうーうーと唸り続け、ばたばたと足掻くハーヴェイ少佐を側に、春日部嬢は真っ青になって震えている。
彼女はこの空母に乗りたいと願っていたが、上手い具合に乗ったとしても、この現実に遭遇していただろう。その時に、そして今も、任務に行くことは輝かしいことでメリットがあるものだと思えるのだろうか。
「離艦準備整いました」
コックピットからの声に、春日部中佐が『わかった』と発進に同意した。
「春日部中佐、御園大佐から通信が――」
「わかった、そちらへ行く」
春日部中佐がコックピットへと入っていく。もどってくるなり、春日部中佐が少し楽しそうにして御園准将の目の前に座った。
「どうかされましたか、中佐」
「いえ、まあ、少し待ちましょう」
少し待つ? 心優は御園准将と一緒に訝しむ。
まだ閉められていない後部ドアのタラップ、そこに『お待たせしました!』という男性隊員の声。彼が低いタラップの階段を駆け上がって来た。
彼を見て、心優と准将は驚き一緒に叫んだ。
「吉岡君!」
「光太!」
光太が既に座席にいる女二人をみて怒った顔をしている。
「俺を置いていくんですか。目を覚ましてお二人がいないって酷いではないですか! 俺はミセス准将の護衛官で、園田中尉のバディですよ!」
大きな荷物を肩に担いだ姿で、光太がはあはあと息を切らしていると、心優の隣でベルトを外す音。御園准将がベルトを外し、光太のところまで駆けていく。
「光太。大丈夫なの」
「えっと。まだちょっとふらつきます。けど、メディックの先生が『横須賀で一度検査してもらったほうがいい』と言ってくれて、俺も一緒についていけることになりました」
「そうじゃないでしょう!!」
俺は大丈夫とけろっといつもの明るさを見せた光太に、御園准将が泣きそうな声で吼えた。光太もいきなり怒られて『うわ、なんすか』と唖然としている。
「もし、もし……あれが実弾だったら、あなた、生きていなかったのよ!」
そうだった。麻酔銃だったから大事に至らなかったわけだけれど、光太はあの時、実弾であることも覚悟で捨て身になったはず。それは心優も同じだった。心優が捨て身で准将の前に立ちはだかった時、さらに光太が女二人を護ろうと前に立ちはだかったのだ。
「お母様に、お母様に……申し訳ないことをするところだった。お願いだから、二度と、あのような護衛はしないと約束して」
あの御園准将が涙を流して泣いている。若い青年部下のために。そのせいか、やはりまた横須賀から来た男達も呆然としていた。
「わかりました。あれが今の俺には精一杯で……、もうあんなヘマな護衛は二度としないよう精進します。俺も心優さんと一緒に、どこまでもついていきますよ。准将。だから置いていかないでください」
葉月さんが『うん』と頷くと、春日部中佐が心優の隣へ座れるよう光太の席を準備してくれた。
では離艦です――。
もう夕闇が迫っている西南の海。その海上を艦載輸送機がプロペラ音も激しく飛び立った。
それぞれ会話用の大きなヘッドギアをつける。機体上昇中する中、自分が飛行機に乗せられていると確信したのか檻の中のハーヴェイ少佐がまた暴れている。
春日部嬢はその方向を見ないよう、ぎゅっと身体を硬くしてずっとうつむいているだけ。
その様子を見つめながら、春日部中佐がヘッドギアのマイクから御園准将に呟く。
「しかし、よく釣り上げましたね。司令部はフロリダ本部のシークレットが内通していたと知った瞬間、青天の霹靂のようにざわつきましたよ」
御園准将が少しだけ微笑み、眼差しを伏せる。
「そうあってほしくはなかったのに……と思っています」
「貴女の『目』にもいつも驚かされます」
心優も大きなヘッドギアから聞こえるそんな会話を聞きながら、背中の窓から小さくなっていく空母艦を見下ろす。
ガーネットとアメジスト色が溶けあう夕闇に、白波に囲まれる空母。そして目の前の窓にはもう星がひとつ輝いていた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
ひさしぶりの都市夜景、街の灯りが輸送機の窓から見えた。
『着陸態勢に入ります』
高度を少しずつ落としているのがわかる。
夜間になったが、西南海域からよく知っている横須賀基地へと戻ってきてしまった。
横須賀司令部の中にある宿直部屋に待機することになった。
光太と部屋を分けると春日部中佐は言ったが、御園准将が警備員を増やすのも大変だろうし娘と息子のような二人だから私の側にお願いしますと言ってくれ、ひとまず三人一緒の部屋になった。
二段ベッドが二つある部屋。ひとつを女性陣が使い、ひとつを光太が男性陣地として使うことに決めた。
「准将、上にどうぞ。窓からの景色が上の方がよく見えると思います」
「そうね。オバサンの寝顔を見られたくないから上へ行くわ」
『そんなこと思ってませんよ』と光太と一緒に言ってみたが、御園准将は上に行くとすぐに横になった。
心優は気になって梯子を登って、横たわった葉月さんを確かめる。
「准将、気分が優れないのなら、我慢せずにお薬を飲まれたらどうですか」
「うん、大丈夫。ほんと、疲れたのよ。本土の基地の中だと思うと、急に気が抜けた」
また発作が起きる前触れではないといいなと案じた。そんな心優の顔を見て、御園准将が微笑む。
「前のような、妙に胸を押しつぶされるような前触れもないの」
歳が離れた親戚のお姉さんとか、若い叔母様のような優しい眼差し。
「本当ですか? わたし、ハーヴェイ少佐が葉月さんを見ていた目が嫌いです。あの卑劣な目。葉月さんはそういうものに敏感ですよね。だから心配です。ここにはもうミスターエドも来られないですよね」
「心優のお父さんに言われたの。園田少佐に――」
彼女が天井を見上げていきなり呟いたことに、心優は驚く。
「父がなにを言ったのですか」
「最後に私に会いに来たでしょう。その時にね……」
父が御園准将に伝えたことを教えてくれる。
「私にも『勇気を出して欲しい』と言われた。貴女の勇気が隊員達と娘を護ってくれるだろうから――と」
「え、え、父は准将にそんなことを!?」
確かに父が先輩だが、階級的には決して口が出せる立場ではない。そして娘として父がそんなことをしていたと恥ずかしくなってくる。
「も、申し訳ありません。准将、父には私から……」
御園准将が起きあがった。
「違うのよ、心優。園田少佐は失礼を承知で敢えて、私に指摘してくれたのよ。たぶん、お父様もなんとなく察していたのでしょう。娘が女性護衛官として引き抜かれたのには、御園准将の側に女性を置く必要に迫られたから。男はいくらでもいるのに敢えて女性を。つまり肉体的で精神的な何かがあって、そこを心優に娘にフォローしてもらおうとしているのだと……」
そして御園准将が自分の目の前で手のひらを見つめた。
「姉のことを引き合いに出された時、怒りに震えた。そして子供の頃に男がナイフを振りかざして殺そうとしたことを思い出した。ハーヴェイは私がどんなことで弱いか知っていた」
梯子に登っている心優の側に、光太も心配そうにして寄ってきた。
心優もドキドキしている。その恐怖のシーンを思い出す時、語る時、葉月さんは震えたり呼吸困難になる。
でも、彼女が見つめている手は震えていない。
「心優のお父さんは『艦長がその恐怖に立ち向かわないと、隊員がかわりに負傷する』と教えてくれたんだと思う。だから、私、自分から管制室の外に出た」
准将の手が震えないのを見て、心優と光太は顔を見合わせてほっとする。
「だから、あの男と私、闘えた。私、闘えるんだって。この歳になって、この地位に就くとね。そうして厳しいところに触れてくれる人が少なくなるの。心優のお父さんは、私のそんなところに気が付いていた。きっと前回の不審者潜入の映像を見て、私の様子から心理を見抜いていたのね」
心優ももうなにも言えなくなった。父は葉月さんの背中も押していた。今回、その心積もりで任務に就いた御園艦長は、卑劣な男にも真っ正面立ち向かうことができていたと知る。
そして、彼女の手は震えていない。今回は乗り越えている。
「准将、あの時、来てくださってありがとうございました」
「助けてもらったのは私。大事な護衛の二人が無事で良かった。それだけよ……」
そういうと横になって、心優と光太に背を向けて眠ってしまった。
一時間ほどすると、遅い食事が運ばれてくる。三人一緒に簡単に用意されたものをベッドで食べた。
そのあとすぐだった。
「御園准将、春日部中佐がお呼びです」
夜も更けてきたその時間に、待機していた部屋から出された。護衛の二人もついてきても良いとされ、心優と光太も付いていく。
やがて、中央司令部らしい会議室や幹部室が並ぶ通路にやってきた。会議室らしい部屋の前にお迎えの隊員が立った。
「こちらです」
大会議室とある。密閉性がありそうな重厚な二枚扉を隊員が片方だけ開けてくれる。
「御園准将をお連れしました。護衛の園田中尉と吉岡海曹もご一緒です」
大きな会議室。入っただけでピンと張り詰めた空気を感じた。
席いっぱいに上官が揃っているわけではなかった。上座のメインデスクに、男性が三人座っているだけ。
その目の前に向かい合うようにパイプ椅子が数脚。そこへ補佐の隊員に促された。
正面に辿り着き、准将の後ろに控えていた心優も光太も共に、座っている男性を知って息を引く。
国際連合軍、横須賀中央司令部の総司令 夏目中将がそこにいたからだった。隣は春日部中佐、もう一人は心優も知らない制服の中年男性だった。
「お疲れ様、御園准将」
夏目総司令に声を掛けられ、あの葉月さんが背筋を伸ばしてピシッと敬礼をした。心優と光太も追って姿勢を正し敬礼をする。
「ただいま戻りました、総司令」
「まあ、そこに腰を掛けてくれ。後ろの護衛二人も、彼女の後ろの椅子に座るように」
ロマンスグレーといいたくなる豊かな白髪を品良くまとめているそのおじ様が、夏目健作総司令。海軍司令部のトップだった。
これはほんとうに葉月さんは大事を起こしたんだと、心優は恐ろしくて緊張してきた。簡単に英断とは判断されない雰囲気……。
どうしよう。葉月さんが懲戒免職なんて不名誉な終わり方になってしまったら。どうしよう。そんなこと絶対に嫌だ。心優はそう思いながら、光太と一緒に椅子に座る。
座って正面を見た途端だった。夏目中将がにっこりと笑いかけてきた。怖い、時々軍隊にはこういう笑顔を見せる人がいる。ほっとする笑顔ではない、腹の底がわからない笑顔。
「ほう、彼女が園田中尉か。なるほど、なるほど。私の上官をどうするつもりだとひどく警戒した目。いいね、いいね」
心優はドキッとする。読みとられている!
「で、そちらがまだ護衛に付いたばかりの吉岡二等海曹か。具合はどうかな。麻酔銃で撃たれたんだって。しかも艦長の正面に立ちはだかって護ったそうだね」
「具合は大丈夫です。今回は結果的に艦長を護れましたが、正しい護衛ではなかったと反省しております」
きちんとした軍人が座る時のただしいスタイルで、光太が堂々と答えたので心優は驚く。本当にこの子は本番ですごく力を発揮するんだと、先輩として羨ましくなる。今日は光太がすごく男らしい。
「もう一人呼んでいるのでね、あと少し待ってもらいたい」
御園准将の隣にある椅子、そこへ葉月さんも目線を落としたのが後ろにいる心優にもわかった。
心優もあと一人は誰だと訝しむ。なんだか胸騒ぎがする。
――『総司令、参りました』
大会議室のドアが開き、後ろから誰かが近づいてくるのがわかる。紺の訓練着姿の男性が、葉月さんの隣の椅子に腰を掛けた。
その男性を見て、心優は驚く。そこに座ったのは海東司令。
さらに、春日部中佐が告げた。
「海東直己少将もただいま、職務停止にて拘束しています」
御園准将が驚いて、隣の彼を見た。
西南海域防衛強化航海を展開していた空母航空団司令(CAG)海東直己少将、そして、小笠原艦隊空母艦長の御園准将。共に拘束され、任務職務から外されていた。
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