80.ミセス艦長、空へ行く


 御園准将の気持ちが固まった。

 『わかった。空へ行く』だった。


 その日の午後は晴天。雲ひとつない、穏やかな冬の青空。

 その人は、白い飛行服を着込んだその身体に、慣れた手つきで耐Gスーツを装着する。


 やはりパイロットだったんだなあと、側で見送ろうと甲板にいる心優は眺めていた。


 その隣で、光太が指令室の広報用カメラを持ってシャッターを切っている。


「光太、こんなところ撮らなくて良いから」


「どうしてですか! ティンクが空に行くんですよ。在りし日の姿かと思うと、俺、感激です! 俺、准将とコリンズ大佐が航空祭でしたコークスクリューのDVD持っているんですからね!」


「もう、撮るのはいいけど。広報に見せないでよ」


 光太が黙って、でもにこにこしながらシャッターを押す。返事をしなかったということは、『俺、知りません』という意味なのか。御園大佐や雅臣のそばにいて、光太もますます准将の扱いが上手くなったような気がしてきた。


 耐Gスーツを纏う栗毛の女性が甲板を歩き始める。『いってらっしゃい、艦長!』、『懐かしいです、艦長』と甲板要員たちも見送りの声を掛けてくれる。


 目の前には白い戦闘機、翼の縁にはネイビーライン。尾翼には白昼の稲妻。機体番号は『7』。緑ジャケットの甲板要員たちが機体下に数名が集まり、カタパルトシャトルに車輪を固定する作業をしている。


 ついに耐Gスーツを身につけた御園准将が、コックピットへ。梯子に手を掛けた。


「いってらっしゃいませ、御園艦長」


 心優は敬礼をして見送る。光太もカメラ片手に敬礼をする。


「届けるわ。あなたたちと一緒に護った海域を」


 御園艦長が敬礼をしてくれる。


 彼女が梯子を見上げる。少し躊躇っているように見えた。二十年ぶりの戦闘機コックピット、そして空。軽飛行機で飛ぶ空とは違うことは、ファイターパイロットだったこの方がいちばんよくわかっているからなのだろう。


 でもそのコックピットではもう、鈴木少佐が待ちかまえていた。


『艦長、時間が来ます』

「わかってる。いま行く」


 管制からもフライトデッキの着艦離艦スケジュールどおりにして欲しいための催促がきた。


「葉月さん、行くよ」


 既にコックピットに乗り込んでいる鈴木少佐も、梯子の下にいる姉貴を呼んだ。


 御園准将が梯子を登っていく。その後に機体整備士がついていく。後部座席に座るとサポートの整備士が御園准将にシートのベルトを装着し各装備への接続をセッティングしている。


 最後に光太が梯子にいる整備士にデジタルカメラを預け、准将に渡すように頼む。


「それで俺と心優さんに空と海を見せてくださいね! 撮影ボタン押してください。きちんと映像送信できるか確認します」


 光太が下からコックピットへと叫んだ。


「ラジャー。このボタンって教わったんだけれど」


 御園准将がデジカメのボタンを押す。光太が手元に準備していたタブレットにその映像が無事に送信されているのを確認。


「准将、OKです! 楽しみに待ってます!」

「うん、わかった。待っていてね!」


 と、デジカメ本体をひゅっと勢いよくミセス准将が持ち上げる。その途端に、ぷちとした音。タブレットの映像も真っ暗になる。


「うわわわわ、そんな勢いよく引っ張ったらダメですよ。准将ったら。整備さん、お願いします! 准将がデジカメの送信ライン外しちゃいました」


 梯子を降りようとしていた整備士さんが苦笑いをしながら、また梯子をあがって後部座席でラインを再接続してくれる。


「ええっと、このボタンが電源で。これがズーム……」


 また高い位置に持ち上げてカメラを確認しているので、隣で光太がハラハラしている。


「もう~、ホーネットを操縦していたくせに。なんでデジタル機器には弱いんだよー」


 まだキャノピーが開いたままのコックピットを見上げて、心優はくすくすと笑ってしまう。


「ほんとうだね。でも、リラックスして搭乗できたみたいでよかった。ほら、アイスドールの顔ではないもの」

「うん、あれは俺達と横須賀で素で過ごしていた時のお顔ですね」


 ようやくヘルメットを装着したミセス艦長へと、また光太がレンズを向けてシャッターを切る。


「英太、OKよ」

「ラジャー、では行こう。やっと葉月さんと同じ空――か」


「私もまさか英太の後ろに乗れるとは思わなかったわよ。もうループ回転の6Gでも無理だから、9Gとか絶対にしないでよ。悪戯しないでよ!」


「わかってるよ。葉月さんが男みたいな姉さんでも、一応女性ってことだし、胸を負傷したことあるんだから、んなことしないっつーの」


「男みたいってなに」


「自覚しているだろ。いっつも周りの男達びびらせてるくせに」


「ムカツクわね。フレディのスプリンターに乗れば良かったかもっ。絶対にレディファーストで優しくしてくれるもの!」


 すっかり姉貴と弟分のやりとりになっているうえに、あのミセス准将が弟分にムキになっている。でも今日はもうそれでいいのではないかと心優は思う。


 整備士が甲板へ降りてきて、梯子が外される。ついにキャノピーが閉まる。


 甲板要員の合図で白い戦闘機にエンジンがかかる。真っ赤に燃える噴射口。そして翼のフラップ動作確認。すべて甲板要員との手合図、コマンドサインで順次確認作業が流れていく。


 カタパルトシャトルの確認をしていた緑ジャケットの甲板要員が戦闘機の下から散っていく。


 心優と光太は許可を得て、黄色ジャケットの航空機誘導士官が担当する『カタパルト・シューター』の隣へと移動する。


 黄ジャケットの航空機誘導士官と鈴木少佐がコマンドサインで確認を取っている。そして心優と光太のヘッドギアには管制室とコックピットの通信が聞こえる。


 発射準備のすべてが整った。


『ティンクを上空へ連れて行きます』


 鈴木少佐がこちらに向けて、敬礼とグッジョブサインを見せてくれる。

 後部座席にいるミセス准将も敬礼をしてくれている。


『行ってくる』


 心優と光太は身をかがめながらも敬礼を返し『いってらっしゃいませ』と騒音の中でも叫んだ。


 心優の隣にいるカタパルト・シューターの隊員が戦闘機から放たれる激しい気流に耐えながら、低い姿勢で跪き、ついに甲板尖端、青い海へと向けて腕を伸ばす。


『GO、Launch!』


 カタパルトシャトルがガタンと音を立てると、スチームカタパルトの白い蒸気を蹴散らすようにして、瞬く間に白い戦闘機が甲板を走り出す。


 その速さ、機体の轟音、気流の激しさに心優は目をつむってしまいそうになる。でも必死に海へと目を開けて、真っ赤に燃える噴射口のバレット機を見送る。


 ゴウとエンジン音を唸らせ、稲妻のように空へ――。

 晴天の青空に、真っ白な戦闘機の尖端もまばゆく輝いている。


 鈴木少佐のバレット機はあっという間に甲板尖端から離艦、機首を上げ上空へ向かっていく。


「うっわー、やっぱネイビーホワイトは綺麗だなあ。白鷺みたいだ!」


 雲も少ない青空の中、真っ白な戦闘機が上昇していく。それは本当に白い水鳥がまっすぐに空へ上っていく姿そのもの。光太がカメラレンズを向けシャッターを押す。


 そのあとすぐ、隣のカタパルトからバレット機の相棒、クライトン少佐のスプリンターも後を追って離艦していく。


 上空で二機が並び、遠い空へと姿を消した。


 ミセス艦長はいま空の上。戦闘機コックピットの中でなにを想い、なにをその目に映しているのだろう。


「大丈夫かしら、葉月さん」


 いまになって心優はちょっと心配になる。若い時の身体と二十年経った女性の身体の違いでの戦闘機搭乗は大丈夫だったのだろうかと。


「管制室に戻りましょう、心優さん。映像を送ってくれるはずですし、通信も出来ますから」


 カタパルトシューターの隊員にお礼をして、二人一緒に管制室に戻った。


 急いで戻る途中、心優は違う気持ちが湧き上がっていた。


 御園大佐が提出した飛行計画。あれが奥様のためになるのかならないのか。また夫が出した飛行計画の意味をわかって躊躇っていたコックピットに搭乗した葉月さんがどうするのか。


 管制室へ戻ると、指揮カウンターのモニターには、ヘッドセットをしている御園大佐と雅臣が並んでいた。


「お疲れ様。いい写真は撮れたか」


 眼鏡の大佐へと、光太がさっそく撮れた写真をカメラのディスプレイに表示させて見せた。


「なんだ、楽しそうな顔をしているな。良かった」


 写真に映る奥様のその様子だけで、御園大佐が優しい眼差しを見せた。


「しかし、どうなるかな。雅臣君、ちょっと構えておこうか」

「イエッサー。そのつもりで、甲板にスコーピオンとドラゴンフライを控えさせています」


 ふたりの大佐はじっとレーダーを見つめている。

 暫くして御園大佐から、上空のバレット機へと話しかけた。


「ティンク、久しぶりのコックピットはどうかな」


 ザザと無線の雑音が聞こえたその向こうから『大丈夫、快適』という声が聞こえてきた。


「御園大佐、艦長から映像が送られてきました」


 官制員の報告に御園大佐が『モニターへ』と指示をする。


 御園大佐と雅臣が見ている管理モニターに映し出されたのは、珊瑚礁の海。そして島――。心優と光太は『小笠原みたいに綺麗、でも広大』と感動する。


 雅臣がそんな二人に言う。


「まだまだ、石垣、与那国あたりの上空から見える海の色合いは、任務で飛行していたとはいえ、素晴らしく感動できるものだよ」


 夫の大佐殿も現役時代には任務に当たったことがある海域。心優はますます見たくなってくる。


 そして雅臣のシャーマナイトの目がきらめいた。


「だからこそ。護らなくてはと思う。きっと葉月さんもそれが頭にあって、艦乗りになっても必死だったんだと思うよ」


 その海域をパイロットではない自分達も上空から見たい。それがもうすぐ叶う。しかし、その前に……。


「近づいてきたな」


 御園大佐がふっと意味深な笑みを見せる。


 雅臣はもう真剣な顔つきになっていて、青い珊瑚礁ではなくレーダーを見ている。


 そして。心優と光太も構えている。『御園大佐が空のお散歩、艦を去る貴女への花道』としてここまで奥様を見送ったのはどうしてかわかっているから。


 レーダーに点が出現する。


「御園大佐、来ましたよ」

「来たか」


 管制員も忙しくなる。


「与那国、尖閣沖、ADIZに不明機確認」

「横須賀中央指令センターより、スクランブル指令」


 緊急発進、スクランブルの指令が久しぶりにこの艦に来た。なのに、御園大佐が勝ち誇った笑みを見せている。


「お願いしたとおりにこっちに回してくれたな。海東司令に感謝だな」


 なにもかも『根回し済み』の、旦那様の作戦開始だった。


「絶対に王子だ。葉月に会いに来ているんだ」


 再度、妻のミセス准将と王子が接近する。

 管制室にも緊張が走る。


 今度はコックピットとコックピットという至近距離の上空。どうなる。

 これが御園大佐が艦を去る妻のために準備していた『花道』。

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