79.ラスト・ミッション

 数日後。奄美大島沖を航行中。


 昼下がりに艦長デスクについた御園准将を確認し、大佐殿ふたりが行動を起こす。


「失礼いたします、艦長」

「お疲れ様です、艦長」


 眼鏡の御園大佐と、背が高い雅臣が一緒に入室。そして、御園艦長デスク正面へと並んだ。


「どうかしたの」


 事件後、艦は滞りなく航行をし穏やかな毎日になっていた。


 なのに真顔の大佐がふたり、なにかを進言するかのような緊張感でそこに並べば、ミセス准将も構えるに決まってる。だが心優と光太は『いよいよだ』と密かに頷きあい、そして素知らぬふりで補佐デスクにて大人しくしている。


「こちら、園田から私が預かっておりました。洗濯とアイロン、私がしました。お返しいたします」


 白地にネイビーブルーの縁取りがしてある飛行服、その綺麗にたたまれているものを、御園大佐が艦長デスクに静かに置いた。


「ああ、心優に預けていたのに。貴方がやってくれたの。写真撮影ですってね。いつの予定なの。雷神のパイロット達になんと伝えているの」


 雅臣が提案した『写真撮影』のために、雷神の広報用の飛行服を綺麗にしてくれたと、御園准将は信じ切っていた。


 心優にも緊張が走る。そうではないから。御園大佐が水面下で準備をしていたものは『写真撮影』なんかではない。それを告げようとしている。だから御園大佐も『手強い奥様』に対峙する覚悟の顔になっている。


「三日後の、午後でかまいません。これをお召しになって、甲板までお願いします」

「うん、わかった。ネイビーホワイト十機を並べて撮影するの? それとも艦の甲板を背景にしてくれるの?」


 記念撮影はすっかりその気になってくれている。なのにそうではないから、ではそれを聞いてどうなるのか心優はとてつもなく緊張……。


 眼鏡の御園大佐が暫く黙っているので、ミセス艦長が訝しそうにして座っているそこから、立って見下ろしている夫の顔を見つめている。


「背景は……、空と雲と海だ」

「ああ、甲板の尖端で撮るってこと。フライトデッキのエアボスに許可取っているのよね。きちんと着艦するものがない時間にしてくれたのでしょうね」

「いいえ。甲板ではありません。コックピットです」


 ついに言った。心優だけではない、隣の光太も邪魔はすまいと息を潜め、雅臣も御園大佐の隣で緊張した面持ちで反応を待っている。


「コックピットに座って? 私だけ? 雷神のパイロット達は下に並ぶの?」


「もう率直に言いますね。鈴木の7号機、バレットと一緒に上空に行って頂きます」


「は?」


 あの葉月さんが、きょとんとした顔のまま静止した。いつもならここで旦那様が『手強い奥さんに勝った』とにんまりと笑いそうだったが、今日はそうではない。至極、神妙なもので、表情を変えずに妻に告げる。


「葉月。行ってこい。飛べる準備はすべて俺と雅臣君で整えておいた」

「なに言ってるの。飛べるわけないでしょう!!」


 御園艦長が憤りながら、デスクに手をついて立ち上がる。


「どうして私が飛ばなければならないの!」

「未練なく艦を降りて欲しいからだ」


 静かな眼鏡の眼差しで、御園大佐は答える。いつものからかいもおちょくりもナシ。今日は夫としても大佐としても『ミセス准将のために真剣』だった。


「未練なんて……」

「ないならいい。最後に空と海と、おまえがすべてを賭けて護った海域を上空から見てこい。『見納め』だ。俺はそれが必要だと考えた」


 そしてあの御園大佐が、いまにも泣きそうに頬を歪め、眼差しを伏せ続けた。


「これが、最後に貴女に贈れる『花道』です。行ってください」


 夫だからこそそれを願って奔走したはずなのに。最後、そこで御園大佐は夫ではなく『澤村』という部下の姿で御園准将に頭を下げた。


「俺からもお願いします。俺も葉月さんにもう一度空を見て欲しいです」


 俺をここまで戻してくれた貴女だから。

 雅臣のその言葉に、心優も夫と共にここまできた道のりに思いを馳せる。その雅臣の想いが心優にもわかる。だから心優もデスクを立つ。


「わたしからもお願いします。おこがましいのですが、わたしにも見せてください。艦長と一緒に護った海域を最後にわたしにも」


 光太も立った。


「俺もお願いします。最初で最後の航海だと思いますので、自分もどんな海域だったのか見てみたいです」


 若い護衛官ふたりに頭を下げられると、御園艦長は少し表情を和らげ、すとんと椅子に座ってしまった。


 まだどうにも思い切れない様子で、デスクに肘を突いて栗毛をかき上げながら項垂れている。唸っている。


「静かに去りたかったんだけど……」


 御園大佐がまた部下の顔で答える。


「准将はそうお考えだと思っていました。ですが、その心の奥に別れがたい『青色』があるのではと感じています」


「別れがたい、青……」


 こんな時に夫と妻が通じるような些細な言葉と会話。


「戦闘機のコックピットなんてもう、二十年も離れているのよ。しかも英太の操縦? 勘弁して」


「英太はもうその気ですよ。雷神に転属してきた時は『葉月さんが操縦するホーネットと一緒に飛びたい』と切実に願っていただろう。それは無理だと理解して諦めた。でも、自分の操縦するホワイトで飛べるならとその気になっている」


「それってもう駄目じゃない。断ったら、英太が暴れて面倒くさいことになるじゃない。ひどい、そこまで追い込む形でいま報告するなんて」


「英太はもうそこまでガキではない。葉月さんの気持ちに従うと言っている。それにおまえ、一年に一回は適正検査をしていただろう」


「それは……」


「わかっている。エリミネートになるとわかっていて、でも、もしかすると緊急時になにかしらの『操縦か搭乗』が必要になるかもしれない。そういう密かな準備をしているとわかっていた。後部座席に乗るぐらいの準備はしていただろう」


 そこで御園大佐が脇に抱えていた書類数枚を、艦長デスクに並べた。


「飛行計画、そして御園葉月准将が受けていた適正訓練の記録証明、総司令部からの許可書だ」


 すべてが整っていた。これを御園大佐は奥様に内緒で準備していたのだった。適正訓練の証明は心優が小笠原のラングラー中佐に、ボス御園准将の職務履歴などの確認をお願いして証明書の手続きをしてもらった。


 御園大佐が『秘書室の者でないと……』と心優に依頼したのはこのこと。艦長に知られないよう嘘をつけるか。旦那様が密かに準備しようとしている『花道』だったから、心優もボスには内緒で手配したのはこれだった。


「総司令部が……許可してくれたの? しかも……」

 

 今回の飛行許可をするという書類を手にした御園准将が、最後に見えるサインを見て黙ってしまう。


「海東司令と夏目総司令のお二人がサインしてくれた。誰も文句は言えないだろう。これでも行かないと言うのか」


 先日、自分の判断で迷惑と負担を掛けたばかりの上官ふたりの名が出て、さすがにミセス艦長も考えあぐねている。


 そんな妻に御園大佐がもうひと押し。


「総司令部をまとめている中将だからひと言も言わないが、海東君は言っていた。『ほんとうは御園准将がすべてを投げ打った判断は正しかったと思っているはず。以上に、外すことになったことさえ心を痛めているはず。だからこそ、最後の海と空を元パイロットである中将も、そして上官である司令官の自分も贈りたい。これはそんな気持ちの許可だ』。そう言っていた。今回の判断でおまえは退くという処分となり、決して評価はされない。だからこその、夏目さんからのご褒美だと思わないか」


 決して評価はできない実績。被害を最小限に抑えたものの、指揮官としては痛手だけが残る結果。だからこそ……、最後に……。そんな夏目中将の気持ちを、ミセス艦長は受け取ってくれるのか。


「わかったわ。でも、気持ち以上に身体の問題……考えさせて」


 それだけいうと、ミセス艦長はデスクから離れ、ベッドルームへ向かうドアへと消えてしまった。項垂れて思い悩む様は意外であって、気持ちが酷く揺れているのが心優にも見て取れた。


 御園大佐が溜め息をつく。


「身体の問題か……」


 そういわれたら言い返せないとやるせなさそうだった。

 そして隣で黙って見守っていた雅臣を、眼鏡の大佐が見上げる。


「そういうもんなのかな。雅臣君もそうだった? 小笠原では軽飛行機を操縦する時も、俺が隣に乗っていても急旋回なんか平気で葉月はやっちゃうんだけれどな」


「俺も数年ぶりだったので不安でしたよ。特に耐Gですよね、耐えうる体力であるのかどうか。それと俺の場合は操縦を覚えているかどうかです。操縦方法や順序ではなく、『感覚』が残っているかどうかという意味で、コックピットに乗ってみないとわからないものでしたからね」


「浜松基地の石黒さんからも聞いているけれど、コックピットで操縦していた者は覚えているもんだと言っていたよ」


「そうでしたね。ですが、葉月さんは二十年です。操縦はしないと言っても、エース級の男が操縦する新型戦闘機に乗るわけですから、自分が戦闘機乗りだった頃とは違う。まして自分の身体は女であるとなれば躊躇うと思います」


 心優も不安になってきた。葉月さん行かないと言うかもしれない。もちろん、それが本人の気持ちならば、それを尊重するべきだとは思っている。


 それでも御園大佐が少しだけ笑って、艦長デスクにそのままになっている書類の一枚を取り上げた。それは『いつ、ここを飛ぶ』と示す飛行計画だった。


「でもさ。これはちょっと無視できないと思うんだ。これもじいっと見ていただろう」


 雅臣もにんまりと、勝ち誇ったように微笑み返している。


「気がついたんでしょうね。ということは、さすが旦那様。奥様が胸の内でくすぶらせているお気持ち、当たっていたということですね」


「絶対にその気になると思うんだ。少し時間がかかりそうだけれど、三日後までには心を決めてくれるだろう」


 心優と光太は一緒に首を傾げるだけ。まるで、その飛行計画が『ミセス准将をおびき寄せる餌』みたいに大佐殿ふたりが笑っている。


 いったいどういうつもりの『餌』なのか?


「その時の艦の指揮は、全面的責任のため俺が執る。でも、雅臣君は英太のコントロールと通常の飛行指揮を頼むな」


「もちろんですよ。御園大佐の読みが当たると良いですね」


 今度こそ、御園大佐がいつもの胡散臭いにんまり笑顔を見せた。


「きっとそうなる。そうでなければ、こんなこと起きもしなかっただろう。オトシマエつけておこうじゃないか」


 落とし前ってなに!? 心優は途端に恐ろしくなってきた。本当に御園艦長のための『お空の散歩』なわけ? 加担しちゃったけれど大丈夫?


 やはりこの眼鏡の大佐は怖いと、久しぶりに震えてしまった。

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