78.シドを、頼みます
その白い飛行服を胸に抱え、はやく御園大佐に報告しなくてはとプライベートルームから離れようと艦長室へのドアを開けようとした時だった。
「園田中尉、お疲れ様です」
誰もいないはずの、女性だけのエリアで男性の声。でも心優はびくっと驚きながらも、嬉しくなって振り返った。
やっぱり! 黒い戦闘服にスターライトスコープを額に装着して忍者みたいに静かに現れる栗毛の彼。ミスターエド!
「お疲れ様です……」
葉月さんに悟られないよう、息だけの声で囁いた。ミスターエドも跪いた姿勢のまま敬礼をしてくれる。心優も敬礼を返す。
「沖縄基地にフランク大尉を搬送後、メディックワンという医療部隊は解任、フランク大将の指示でフロリダに帰還したことになっております。また私が密かに警護をさせていただくことになりました」
「さようでしたか。心強いです」
それは本当に安心できると心優も微笑んでしまう。
「お嬢様と隼人様の意向だったため、常にお側にいられない任務となってしまいましたが、私が離れている間、園田中尉が頑としてお嬢様から離れないとお側を護ってくださっていたとのこと。感謝いたします」
「お礼など要りません。わたしの使命ではありませんか」
「そうでございました。失礼いたしました。ですが、中尉がお側にいるならばと安心しておりました。これは本当でございます」
この男性にこんなに感謝されるだなんて……。心優にはご褒美のひとつのようで嬉しくなってしまった。
でも、ミスターエドに会ったのならば、いちばんに聞きたいことがある。
「あの、シドは……」
「はい。まだ重湯ですが食事ができるようになりました。園田中尉の活躍を報告したところ、彼も安心しておりました。貴女が無事で良かった……と」
「沖縄基地にずっと……いるんですよね」
寂しがり屋のシド、目が覚めて、ひとりだけ陸に戻ってしまったと思いどうしているのか。心優は案じていた。
「まだ移動は無理です。ですが……、搬送されてすぐに母親が駆けつけて看病を」
「え、フロリダからフランクのお母様が」
「いえ、日本国内で仕事をしている実母のほうです」
心優は驚き、そして、心配になった。
「それって……、沖縄基地の医療センターにいるドクターやナースに実のお母様が看病しているところを見られてしまうってことですよね」
「実母と名乗らずに世話をしております」
「実母と知られないようにということですか」
ミスターエドが『はい』と頷く。
「息子が負傷して彼女も取り乱しておりました。そこはお腹を痛めて生んだ母親です。しかし養子に出した以上、フランクの奥様より出しゃばらないと彼女が決めております。ですが、フランクの奥様が自分が到着するまでに面倒をみてくれるのは貴女しかいないから行きなさいと仰ってくださいました。恐らく『わざ』と『私はすぐには駆けつけられない』と遅い日程で来られるのではないかと、奥様の配慮だと思っています。いまはフランク大将から頼まれた『ヘルパー』という立場で付き添っています。ナタリーもそれで……」
このミスターエドが珍しく言葉を濁した。仲間だからと偏った発言はしたくないという様子を心優は見抜いてしまう。養子に出したからには実母であっても、母親面はしてはいけない。シドはもう美穂夫人の子息だから、出しゃばってもいけないということなのだろう。それでもミスターエドは生みの母の姿を見守ってきた。それが窺える。
でも、心優の目に少し涙が滲んだ。
「でも、シドは喜んだのではないでしょうか。素っ気ない口ぶりでも、彼は黒猫の皆様のことは家族だと思っているようですから」
「いえ、それはとんでもないこと……、フランク大尉はもう、フランクの……」
またミスターエドが口ごもっている。手もとで十八歳まで育ててきたのは、ナタリーと呼ばれている母親であって、彼女と一緒に過ごしてきた黒猫の一員であるミスターエドも手伝ってきたのだろう。
「彼が、だし巻き卵は子供の頃からエドがつくってくれたのがいちばんだから、他人が作ったものは食べられない――と言っていたことがあります」
ミスターエドがうつむいてしまった。うわ、どうしよう。こういう完璧な仕事をするおじ様がこんなふうに人間らしいところ見せてくれるだなんて。余計なこと言っちゃったかなと心優は焦った。
そのミスターエドがうつむいたまま言った。
「園田中尉、あのきかん坊で我が侭なガキと仲良くしてくださってありがとうございます。いまあいつはいちばん楽しそうで幸せそうです。小笠原部隊で出会った先輩に仲間が大切な存在のようです」
「いえ、わたしのほうが何度も助けられているんです。今回だって、彼が……、ハーヴェイ少佐がわたしに触れないよう守ってくれたから……」
涙が出てきてしまう。
うつむいていたミスターエドが跪いたままさらに頭を下げてくれる。
「あいつが生まれる時、とりあげたのはこの私です。どうぞ、これからも『シド』をよろしくお願いいたします」
それだけいうと、さっと背を向け、艦長プライベートルームの前へ。ドアを勝手にノックしている。
「お嬢様、私です」
『エド? 開けて良いわよ』
また音もなく入室していく。
とりあげたのは医師の自分だった。ではない――、『家族として取り上げ、仲間と一緒に育ててきた』。気持ちがもう叔父様のようだった。
きっと必死で救命してくれたのだろう。自分がとりあげた小さな命だったはずだから。
もうそこに誰もいないけれど、心優は呟く。
「はい。これからも彼と頑張ります」
よかったね、シド。本当のお母様がすぐに駆けつけてくれて。俺は黒猫の跡継ぎ要員のために育てられたんだ――とふて腐れて言っていたけれど、違うよ。大人たちに可愛がられていたじゃない。それを本当は知っているくせに――、忘れられないくせに。お母様が駆けつけた時の顔を忘れちゃだめだよ。
そしてそのうちにフロリダからも『シド君』と美穂お母様も来てくれるはず。大好きなお母様ふたりに囲まれて、照れながらも、ちゃんと甘えられている姿が心優には見える。
だからなのかな。心優にはなんの声も届かない。
でも無事で元気になってくれるのならそれでいい。また小笠原で会えるから。一緒に過ごしていけるから。
いまはいっぱい、甘えたかったお母様ふたりに甘えたらいい。その姿は想像しないことにしておくよ。きっと見られたくないだろうからね。
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