81.ただちに退去せよ!

 これで最後の航海となる御園艦長が空のお散歩中に、スクランブル発進。


 飛行隊指揮の雅臣も指示をする。


「念のため、規定通りに対領空侵犯措置で二機行かせます。管制、スコーピオンとドラゴンフライへ発進出動を」


「ラジャー、副艦長」


 久しぶりに騒がしくなる管制室と空母甲板。

 御園大佐もバレット機に呼びかける。


「バレット、聞こえるか。ほんとうにギリギリのところを飛んでくれたんだな」

『聞こえますよ~。キャプテンの指示通りに、ギリッギリのところ狙いましたからね。来ちゃったでしょう~』


 鈴木少佐も『待ってました』とばかりの余裕だった。


「ティンクも聞こえているか」

『聞こえてる。スクランブル指令出たの? うちの艦?』

「うちの艦に指令が来ましたよ。そろそろ目視できるかと」


 御園大佐の目の前にあるモニター、ミセス艦長が手に持っているカメラで撮影しているのはもう海ではない。雲と空。


『来たわ』


 ミセスの声で、雅臣も、心優も光太も、御園大佐目の前のモニターに身を乗り出す。


「え、どこっすか……。俺、わからないです」

「わたしも……、見えないんですけれど」


 だが雅臣は指さした。


「これだな」


 え、すっごい小さな黒い点? にわかに信じがたくて、心優は光太と一緒にモニターにさらに顔を近づける。

 御園大佐まで眼鏡の奥の目を懲らして、モニターに顔をひっつける勢い。


「俺もわっからないなー。くっそ、パイロットにだけわかるってなんなんだよ」


 でも雅臣が指さしたその黒い点が徐々に徐々に機体の形になって、ほんとうに近づいてきた。


「御園大佐、接近不明機が国際緊急チャンネルを使って大陸国を名乗り『大陸国領空に近づきすぎるので、すぐに退去せよ』と逆にこちら本国が侵犯になるとのアナウンスをしております」


「御園大佐、機体番号を確認。su27、王子です」


 なにもかも狙ったとおりになって、ますます御園大佐が笑む。


「ここ数日、この海域に必ず出現する王子の機体。待っていたぞ。狙ったとおりだ」


 そして御園大佐がヘッドセットのマイクと口もとに近づけて言い放った。


「ティンク、王子だ。会いたかっただろう」


 ザザと聞こえる雑音の向こう、なにも返答がない。でも御園准将が持っているカメラは、もう大陸国のsu27を目の前にして撮影している。機体番号もばっちり見えていた。


『貴方、ありがとう。なにもかもわかっていたのね。ここに来たくても私からはもう我が侭はいえないとわかって……』

「当たり前だろ。俺は『旦那さん』だぞ。王子かどうか知らないが、バックアップしてやるから行ってこい」


 管制からまた報告。


「御園大佐、横須賀の指令センターより、雷神7号機にて侵犯措置をするよう指示が出ました」

「ティンク、指令センターから侵犯措置の指令だ。やってやれ」


 雅臣もヘッドセットのマイクを口元に引き寄せ、言い放った。


「おもいっきり喧嘩してください。俺もバックアップ待機していますから」

『ありがとう、ソニック。行ってくる。映像も送るから確認して』


 モニターにはミセス准将が撮影している映像。コックピットからの空と海、少しの雲。その目の前に二機のsu27がそれほど遠くはない距離に詰めてきた。


 まるで鈴木少佐のバレットとクライトン少佐のスプリンターと併走するようについてくる。


「御園大佐。変わらず、あちらから『退去せよ』のアナウンスがあります」

「知るか。決められた領空から出ていない。いま飛行しているその位置は、こちら本国の領空だ。むしろ距離的には、王子のフランカーのほうが侵犯寸前だ」


 それでも大陸国は勝手に防空識別圏の範囲を変え、日本のほうが無闇に近づいてくるとの主張をやめないのは何年も前から衝突していること。ある意味、日常。


 しかし今回はそれが頻繁に起きている。コーストガード襲撃事件の直後ということもあって、いまどちらも領海領空付近の防衛についてはピリピリしているのに……。


「バレット機からもアナウンスをさせます。ですが、パイロットでなく、ティンクにお願いしようと思います。よろしいですか」


 御園大佐も頷き『いいだろう』と管制にミセスのマイクを国際緊急チャンネルに合わせる指示が出る。


 そしてコックピットの御園准将へと指示が届けられる。


「こちら管制、ソニック。7号機、ティンクよりお願いします」

『ラジャー。ただいまより侵犯措置に入る』


 まるで業務に当たっている現役パイロットのような返答だった。

 上空にいる御園准将のアナウンスが始まる。


『こちら日本国、Su27、機体番号○○○○に告ぐ――』


 そちらの機体は直に日本国領空に侵入をするため、直ちに退去せよ。


 御園准将のアナウンスが聞こえてくる。管制室がシンと静まりかえる。

 誰もが密かに緊張しているのだと心優にはわかる。いま空では再度『ミセス艦長と王子』が接触しているから。


『こちら大陸国、NW02、機体番号○○○○に告ぐ――。こちら指定のADIZ侵入後、一定時間以上の領空付近の飛行と接近を確認。退去せよ』


 王子の声だと心優も確信する。


『飛行計画を出している。確認を求む』

 御園准将の声――。

『意図した接近に警告をしている』

 王子も引かなかった。


 御園大佐も雅臣も固唾を呑んでいる。今度は笑っていない。ここまでは『王子を前線に引っ張り出す作戦』、それが狙い通りになったことを喜んでいたが、ここから先は『いままで通りの真剣勝負』。


 本来あるはずの『摩擦』。前回の接触は大陸国側にどうしようもない事情があって協力はしたが、もうそんなことはしない。できない。もう対国同士の使命を背負っている。


『こちらは日本国が常より指定している空域である。引くのはそちらよ。退去せよ』


 王子からの返答がない。


 彼女のカメラは、併走飛行をしている王子のコックピットに向けられている。ヘルメットに酸素マスクをつけている顔が判らないパイロットが映っている。


『どうして今日は白い戦闘機が急にここに……。貴女の指示か』


 ようやく聞こえてきた返答は、日本国アナウンスの声の主がミセス准将だとわかっていてのものだった。


『貴方のおかげで酷い目に遭ったわ』

『貴女が海にいるとわかったからもういい』


 王子のその言葉に、管制室の誰もが驚いた顔を見せた。

 御園大佐と雅臣も顔を見合わせたが、こちらはやるせなさそうに残念そうな顔になり、揃って溜め息をついている。


「やはり、葉月さんが解任されていないか案じていたのですね」

「じゃあ、心配していたミセスが解任されていないとわかっただろうから王子の用事はこれにて終わったってことだな。では、ミセス艦長に手厳しく追い返してもらおうか」


 御園大佐がマイクを口元に近づけ、御園准将に確固たる態度で退避のアナウンスをせよと伝えようとしている時だった。


『貴方がまだ小さくてかわいい男の子だった頃でしょうね。私がこのあたりをホーネットで飛んでいた頃は――』


 退去命令どころか、葉月さんから王子に話しかけてしまう。それでも、御園大佐はそこで口をつぐみ、じっと聞いている。


『随分、前の時代ですね。その時代と、今では情勢も異なりましょう。同じ対処は通用しませんよ』


『その頃から、こちら本国では護り通してきた海域、空域。いままでも、これからも。そして今も! ただちに退去せよ!!』


 若僧の貴方より、ずうっと前から、パイロットだった時も艦長となって空母に乗っても護ってきた。いままでとおなじ対処を貫き通す。ミセス艦長の声に、歴とした硬い意志が込められている。


 この前はここからこちらに入ることを許したが、もう二度と譲らない。そんな御園准将の再度の意思表示だった。


 それでも御園准将が撮影しているカメラにはまだ、寄り添うようにしてSu27が併走し退去する様子はない。


『艦に貴女がいると知りたかっただけだ』

『艦ではない。こっちよ』


 御園准将が構えているカメラ映像が揺れた。そのカメラを持って上下に振っているのがわかる。


『こっちよ。貴方の目の前。後部座席のほうね』


 向こうSu27のコックピットにいるパイロットが、ものすごく驚いた様子でこちらを見た。そうしてずっとずっと、バレット機を見ている映像が、心優たちが眺めているモニターに。


 そこで、王子とミセス艦長が無言で見つめ合っているのがわかる。

 会話はもうない。でも、お互いに見つめ合って何かを語っているのが心優には伝わってくる。


 対立する国同士、隣国の人間。その国で生きていくべき掟が異なっている。国の使命を背負い、それを護る者同士。すれ違い、食い違い、様々な摩擦があっても、もう二度と……、先日のような『実害』は出してはいけない。そう語られているだろうと、心優は思う。


「長いな」


 王子がこちらをじっと見ている映像に、御園大佐が焦れている。奥様と空で通じるそこに、ちょっとした居心地の悪さを感じているのか。


「あ、」


 雅臣がそう気がついた時、御園准将が撮影しているカメラに向かって、王子がコックピットから敬礼をしている姿。


 暫くその美しい敬礼の姿を見せると、su27が片翼を下げ、旋回をして降下していく。


「su27、二機とも退去していきます」


 管制からの報告。雅臣が確認しているレーダーにも、二つの点が徐々に徐々に大陸国本土へと遠ざかっていく。


「葉月に大きな借りがある。ここで一旦、こちらの指示通り従って退いたことで借りを返したというつもりだといいんだがなー」

「借りを返すというよりも、葉月さんに敬意を示してくれたのだと、俺は思いたいです」

「そうだな。これで、おあいこだ」


 御園大佐がほっとした笑顔を見せる。眼鏡のその微笑みはもう旦那さんの顔だった。


 自分から他国籍機の侵入を許してしまった指揮官が、最後に本来の意志を示し対国のパイロットを本来あるべき対処で退けた。


 御園艦長は容易く判断したわけではない。防衛の信念も変わっていない。貫き通した。その姿を最後の空と海で示す。


『こちら雷神7号、バレット。与那国沖へ向かいます。与那国から石垣、宮古、沖縄と、先日の飛行ルートにて戻ります』


 鈴木少佐からの通信。


『与那国、尖閣諸島上空です。降下したいので、許可願います』

「いいぞ。飛行計画でも許可されている」


 バレット機が上空から緑の島々が見えるところまで高度を下げ降りてくれる。


 徐々に徐々に、美しい島と海が――。

 モニターを見ている雅臣が誇らしそうに言う。


「俺達が護っているんだ、ここを。そして護ったんだ」


 緑の雄大な島々、蒼い海、そして青空と、まばゆい光。


「護ったんですね」


 光太も感慨深そうにして、じっと見つめている。

 それは心優も同じ――。


「忘れがたい青……」


 人に刻まれる青。夫が心に残している藍色を追いかけて、心優はここまできた。


『私のかわいい護衛官二人に見えてるかしら』


 見えています。艦長。そして泣いています。わたし――。

 貴女の青い花道を一緒に見ていること、歩いていることに。泣いています。


 


 青い、青い、この道を。白い戦闘機と艦が往く。


 


 青い道をとおり、時に水鳥の群生に出会い、北では流氷に遭遇し津軽海峡へ回避航路変更となり……。

 御園葉月准将は、この一ヶ月後。航海を終え、艦を降りる。



 最後、降りるそこで、真っ白な正装制服姿の御園准将と御園大佐が並ぶ。


 彼女は艦に振り返り、夫と共に敬礼。白い制服の背と肩章が光る。

 その背を心優は見届けた。


 彼女が航海任務の碇を降ろし、陸に上がった。


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