73.青い風に抱かれて

 御園准将が『艦長』に復帰できる!

 空母に帰れる! 潮の匂いがするあの艦へ。

 蒼い海に青い空、白い戦闘機が飛ぶ甲板、そしてわたしの大佐殿!


 会えるよ臣さん、もうすぐ会える!

 心優は久しぶりの青空の下へ。


 荷物を持って、青空が広がる横須賀基地の滑走路を行く。


 そこにはまた艦載輸送機がプロペラを回して待っていた。搭乗口には春日部中佐が制服姿で待っていた。


「おめでとうございます、御園准将。艦長復帰よろしかったですね」


 さあ、急ぎましょうと機内へと彼の部下が荷物を運んでくれる。

 その前にと、御園准将が後ろに控えている山口女史に振り返る。


「ありがとう、山口さん。楽しく過ごせたわよ」

「ほんとうですか。あれぐらいのことしかできませんでした」


 山口さんが最後に御園准将の手に紅茶缶を握らせた。


「艦でどうぞ。私はまた買います。ですがこの銘柄は私の思い出になります」

「ありがとう、遠慮なくいただくわ」

「無事の航海を祈っています」


 短い間の上官と部下だったのか、以上に女性同士としての絆ができているように心優には見えた。女性としていっぱい気遣ってくれた山口女史と心優も握手と敬礼をして別れる。


 最後に光太も。


「ね、お薬沢山必要でしたでしょう。これからまた一ヶ月以上、海の上。艦の薬は限られていますからこちらから持っていってください」

「そういう意味だったんですね。わかりました。ちゃんと飲みます」

「海曹もご無事で」

「お世話になりました」


 そこで微笑んだ光太が男の顔になっていたのは気のせいかな? 心優は目を擦りたくなる。総司令官秘書室の品格ある綺麗な女性と光太が対等に見えるだなんて。光太がいきなり大人の男になった気がした。


 立派な男になった光太と才色兼備な女性秘書官が敬礼を交わす。

 また同じ機種の輸送機に乗り、心優は座席のベルトを締める。


『離陸します』


 快晴の横須賀、冬の澄んだ空にプロペラ輸送機が飛び立つ。窓から冠雪の富士が見え、同じように眺める御園准将も微笑みを見せていた。


 



 やがて窓辺には蒼い珊瑚礁の海。そして海に浮かぶ飛行要塞、空母艦が見えてきた。


 もどってきた、ほんとうに戻ってきた! 心優はもうすぐ雅臣に会えるともう胸がいっぱいになってくる。


 まるで横須賀の司令部で過ごしていた五日間のほうが、非現実な日常で。こちらの空母が日常みたいに思えてくる。

 そう、わたしの日常には『大佐殿が必要』、彼がいることが日常だから!


 


 プロペラの艦載機が空母の上空で旋回を始める。甲板から着艦を誘導する隊員の姿が見える。


 旋回途中、船橋ブリッジの真上を飛行した。大きなヘッドギアをしている御園准将が輸送機の窓にはりついてふと呟いた。


「手を振っている。あれ、クリストファーね」


 管制室の窓で誰かが手を振っているのが心優にも見えたが、それが御園准将と長年の同僚であるダグラス中佐だとはわからなかった。光太も同じく。


「さすがパイロット、目が良いですね。俺は手を振っている人としかわからないです」


 旋回をしてアプローチをしている機体から、いまかいまかと着艦を待っていると、ブリッジの一階、甲板に出るドアが勢いよく開いたのが見えた。そこから飛び出してきた男性を見て、御園准将も光太も『あ』と言って心優をすぐに見た。


 心優もわかった。勢いよく甲板に飛び出してきたのは『雅臣』!


 彼がこちら輸送機を見上げながら、空母の端、キャットウォークに沿って懸命に走っている。


「待ちきれなかったのね。心優を心配して……」


 旋回する輸送機をときどき見上げながら、着艦位置まで雅臣が止まらずに走ってくれている。空母の滑走路は長く尖端は遠い。それでも輸送機に寄り添うように走って走って……。


「ブリッジロックされた後、心優が一人で通路に残されたと知った時、雅臣、雷神の指揮をしていた集中力が切れてね。顔面蒼白になっていたの。隼人さんが『心配だろうが、彼女も使命。警備隊も援護にくるはずだから堪えろ』と宥めてね……」


「そんなことがあったのですか」


「そりゃそうよ。結婚したばかりの、しかも、自分より若くてかわいいかわいい女の子と思っているんだもの。普段の雅臣はね……」


 かわいいかわいい女の子。側にいる知り合いから言われると気恥ずかしくて、心優の顔は熱くなる。


「でも少し迷って、お友達の時計を暫くじっと見つめて顔つきが元に戻った。『心優は俺が空で生きることを望んで愛してくれている。ここを離れることは彼女の心を裏切ることになる。それに妻は最強の女護衛官、信じます』と言いきった。そうしてまた雷神のモニターに戻ったの」


 心優はもう泣きたくなる。心優がこれで臣さんと帰還まで話せなくなっても『護衛の道を取る、それが夫妻の約束』と振りきったように、雅臣も心優を案じる心を押し殺して飛行隊と空を護ることに全うする道を選んでくれていた。


「ふたりとも結婚したばかりなのに立派よ。なのに。戦闘が終結したら、今度は心優が使命を全うして上官と一緒に拘束、言葉も交わせなかった。心配しているに決まっているでしょう」


 『間もなく着艦です。振動に注意してください』

 もうすぐ輸送機が空母の上へ。


「すぐに行きなさい。妻として、心優として。いまは忘れなさい。護衛官だと言うことを」


 御園准将が優しく背を撫でてくれる。心優もそっと頷いた。


 プロペラ機が甲板に着艦する。プロペラの回転する音が落ちる中、心優は急いで座席のベルトを外す。


 ドアが開いていちばんに飛び出した。

 ざっと心優に吹き付けてくる風。潮の匂い油の匂い、艦載機のエンジンの匂い。そして海のざわめきに、西南の青空、蒼い海。その青い色がぱあっと広がる中、彼が駆けてくる。


 心優も駆け出す。艦載機が並ぶ甲板を駆けて、駆けて。


「心優!」

「臣さん!」


 わたしの大佐殿が目の前。心優から彼の胸に飛び込んだ。その後すぐ彼がよく知っている逞しい腕で抱きしめてくれる。


「心優……、おかえり」

「ただいま、臣さん……」


 その胸にわたしの黒髪を掻き抱いてくれる彼が、そっと黒髪にキスをしてくれる。


 青い風にわたしたちも抱かれて――。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 甲板はミセス艦長復帰の喝采に溢れていた。


 心優と雅臣が再会してすぐ、小さなスーツケースを引いて歩く御園艦長のところにも、御園大佐がやってきた。


 新婚の熱烈な抱擁の再会と違って、こちらはもう結婚十数年の落ち着きを見せていた。


「お帰りなさいませ、御園艦長」

「いろいろと心配をかけたわね」

「まったくですよ」


 呆れかえった顔をした御園大佐がそこで溜め息をついたが、次に妻を見つめたホークアイは優しい眼差し。


「なんだよ。懲戒免職になったら、いよいよ俺を待ってくれる俺だけの奥さんになるのかなと思ったんだけれど」

「そうね。それもいいかもしれないと私も思っていたわよ」


 でも御園大佐はそこで妻を見て笑顔を見せる。


「んなわけないだろ。おまえは主婦になってもなにかやりだすよ。それに、海が好きだろ。空も……」


 夫の指先がそっと妻の栗毛の毛先に触れた。それだけで御園准将が泣きそうな顔になった。その顔を見られまいと、そっと背けたのが彼女らしい。


 でもそんな妻だとよく知っている旦那さんの穏やかな眼差し。


「また大変だったな。よくやった」


 御園大佐から葉月さんの手を引いて、その身体を自分の胸へと抱き寄せた。


「あなた……」


 妻の声で彼女も抵抗せず、そのまま彼の肩に涙を擦りつけ、誰にも見られないよう堪えている。


 その栗毛の頭を御園大佐も人目も憚らず、そっと撫でている。


 でも誰もがその夫妻の姿を静かに見ていることができた。心優と雅臣もそっと顔を見合わせ『お二人らしいね』と微笑み合った。

 そうして夫妻の再会を交わしていると、またこちらに歩いてくる男性がいることに気がつく。


 その男性も自分達と同じようにスーツケースを引いて潮風の中歩いてくる。


 御園准将が気がついた。


「ミラー大佐!」


 御園准将がとてつもなく驚いた顔をした。

 一緒に艦載機から降りて後ろの控えていた春日部中佐が伝える。


「彼に艦長代理をお願いしました。貴女とは何度も航海をされたからクルーも馴染みがあると思っての選抜でした」


 そのミラー大佐がこちらにやってきた。銀髪の兄弟子が御園准将を見て怒っている眼差し。


「拘束生活をした知り合いなんて初めてだ。どうだった、基地でも自由気ままな君が堪えられるか、脱走して隊員達を困らせていないかそっちを心配していたよ」


 小笠原にいつ時と同じ兄弟子である彼の容赦ない嫌味。いつもならここで御園准将も生意気に言い返しているところなのに。今日はそっと目線を逸らして黙っているだけ。


 そんなしおらしい妹弟子を見て、今度はミラー大佐も憂う眼差しを見せた。


「君は歳を取ってもまったく変わらない。護るためになんて無茶を」


「わかっています。ほんとうに……、私の不手際にてご迷惑をおかけしました」


「本当だよ。家族で京都旅行の予定が間近だったというのに。帰ったら俺の妻にちゃんとフォローしてくれよ。どこに行くと言えずにこっちに来た。あと五日経っても俺が帰ってこなかったらキャンセルするように伝えていたところだったよ」


 それは本当に申し訳なかったとあの御園准将がぺこりぺこりと謝るので、春日部中佐が唖然としていた。


「でも。君らしいよ。君はあの時もそうして、ミグ機に囲まれた俺を護ってくれようとした」


 長い付き合いの元パイロット同士の間に、オイルの匂いがする潮風が吹き込む。


 栗毛をそよがせ黙っている御園准将の肩を、銀髪のミラー大佐が叩いた。


「無事の航海を。小笠原で待っている。京土産、楽しみにしていてくれ。君が好きそうな女の子らしい小物にスイーツを妻と選んでおくよ」


 こちらも何事もなく『ただの出張だった』で小笠原の家族の元に帰れるよ――とミラー大佐が笑うと、御園准将も笑顔を見せた。


 春日部中佐がそこで御園大佐に書類をファイルしたものを手渡す。


「これにてミラー大佐の代理艦長の任を解きます。これよりこの艦の艦長は御園准将となります」


「確かに、受け取りました。手続きのための往復飛行、ご苦労様でした」


 御園大佐が書類ファイルを受け取り、そこで敬礼をする。


「それではミラー大佐、行きましょうか」


 また艦載機のプロペラが回り始める。ゆっくりと語り合う間もなく、御園准将とミラー大佐がそこですれ違い入れ替わる。


「ではこのまま春日部中佐と帰還する。皆の無事の航海と防衛を祈っているよ」


 銀髪の凛々しいミラー大佐の敬礼に、そこにいた隊員達が皆敬礼をした。


 でもミラー大佐は家族との休暇が待っているせいか、とても嬉しそうに手を振っている。


「これで私が懲戒免職だったら、一ヶ月以上は海の上、小笠原帰港まで帰れない。京旅行はキャンセル。あの顔は見せてくれなかったわね」


 御園准将の呟きに、御園大佐も頷いた。


「ほんとうだぞ、おまえ。一生言われることになっていたぞ。あの兄貴の恨みをかってみろよ。末恐ろしい」


「わかってるわよ。あの人が小笠原に転属してきた時、ほんとうにほんとうに勝てなかったんだから」


「だよなー。おまえ、やりかえしながらも、口ではあの人に勝てないところあるもんな」


「言わないで、ゾッとする。私が懲戒免職になることより、京旅行を潰されたことを根に持ったはずよ。危なかったわ」


「ああ、危なかったぞ。おまえ」


 それでもお二人ともにっこり笑顔で、遠くなったミラー大佐に手を振っている。


 本当に、ようやく艦長に復帰できたと思ったら。その感動もどこへやら。こちらのご夫妻はすっかり元通りの悪乗りの会話ばかり。


 でも心優と雅臣は……。そっと見つめ合っても、熱いものが込みあげてくるばかり。泣きたい気持ちではない。もっと触れあいたい、衝動。それがお互いにあることが雅臣の目を見ていてもわかる。


 管制室の手が空いているクルーも御園艦長を迎えに出てきた。ハワード少佐が一目散に駆けてくる。『艦長、おかえりなさい』、『アドルフ、留守の間、指令部の護衛をありがとう』。ハワード少佐も泣いている。福留お父さんもコナー少佐も迎えに来てくれる。


 そうして皆が艦長に復帰した葉月さんを囲んでいる中、雅臣から心優の手をぎゅっと握りしめてくる。心優もそっとそこで手を繋いだ。


「あれからスクランブルとかあったの」


「あれからまったくない。それにこちらもいま調査で停泊しているから、他の基地が対応してくれている段階。そろそろ調査団も迎えが来て帰るよ」


「もう、王子はきていないの」

「来ていない」


 雅臣がすこし寂しそうに空を見上げた。心優もその気持ちわかる。


「王子と葉月さん、通じあっていたよね」

「うん。俺もまた王子と空で会うと思う」


 彼とこれから空でどう対峙していくのだろう。


 なんとなく敵対している国であって、でも、真っ当なライバルのような。雅臣がそう感じ始めているのではと心優は思った。

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