37.雨のち……、出航

 心優も気を取り直して、デスクに座る。各部署から昨夜の報告が転送されてきているので、それを艦内LANにて拾い上げる作業をする。


「それでもわざわざ、護衛艦で来てくれるのね。海東君らしいわ」


 ちょっと素がでているようなので、心優も和んだ。


「海東司令もクルーの姿を確認してお見送りしたかったでしょうね」


 話しかけたが、御園准将は黙ってデスクトップPCの画面を眺めているだけ。もう他のことを考えているようだった。そんな時は無視されているようでも心優も気にしないで放っておく。


 彼女が確認しているのはパイロットや甲板を管理するエアボスや管制クルーが利用している艦内専用の天気図と天候予測だった。


「海東君が示した海上はここ。時間は……。雨は……」


 そう呟いていた御園艦長が心優にも告げた。


「ちょっと部屋に戻っているから。少し休むわ」


 びっくりして心優はデスクを立ち上がる。え、休む?? 眠るってこと?


「ご、ごゆっくり……」


 でも前回も心優がそばにいたことで、少しだけ部屋で休んでいたこともあった。そんな気持ちになったのならと思って、心優もそのまま見送った。


 遠く、ドアが閉まる音がする。ほんとうにお部屋に入ってくれたようだった。


「朝食まで一時間か。お掃除しようかな」


 艦長がお休みの間に、一日の始まりのために、朝食までに。心優は掃除を始める。その頃になると、光太も紺色の訓練着に着替えて『おはようございます』と艦長室へやってきた。二人一緒に掃除をする。


「よかったですね。艦長が少しでも眠る気になってくれたようで」


 光太もまったく眠らない艦長の話を聞いて構えていたようだったが、少しでも眠っていると知って安心したようだった。


「でも、ぐっすりじゃないと思うよ。いつも椅子に座ってうとうとしても数十分で目覚めちゃうからね」


 その通りだった。そんな会話を交わして掃除を終えた頃、一時間もしないうちに御園准将は艦長室に戻ってきてしまった。


 しかも出てきたその姿に、心優と光太は驚かされる。

 彼女が真っ白な正装の準備をして出てきたからだった。


「あの、艦長……。海東司令のお見送りは中止になったのでは」


 もう中止の伝令が艦内に伝わっているはずなので、どうあってもクルーが甲板に集まることはもう出来ない。


 でも御園准将は白黒の制帽をデスクに置き、ジャケット片手にまた元の椅子に座った。


「いいの。私がそうしたいから」


 そこで心優は初めて。『艦長たる長の心持ち』を知る。


「申し訳ございませんでした。至らぬ自身をいま怨めしく思っております。ラングラー中佐ならきっと……」


 心優はまだ、この艦長の気持ちに寄り添い切れていない未熟な側近だと痛感する。


 それは光太にもすぐに伝わったよう。この艦長は雨が降っていようが、海東司令とその姿を見せ合わなくとも、護衛艦で彼がそこまで出向いてくれるのなら、姿も気持ちも晴れている日と同じ『正装』なのだと。


「だから、いいのよ。私のそんな気分だから放っておいて」

「わたくしと吉岡も着替えてまいります」

「だから。中止だから。あなた達はいつもどおりの業務でいいから」


「わかりますよ。わたし。『葉月さん』がなにを考えているのか。わたしは貴女の側にいるいちばん側にいる護衛官です! お供させてください」


 葉月さんがなにを考えているか。毎日一緒にいるわたしにはわかる。そう言っただけで、真っ白なタイトスカート姿の彼女が目を見開いて、デスクから心優を見上げている。


「わかったわ、心優。ありがとう……。一緒に来てくれるのね」

「はい」


 ふと優しく微笑みうつむくミセス艦長に、心優もにっこり微笑む。女同士の疎通がまだわからない光太は『どういうこと』と首を傾げているだけだった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 ミセス艦長と同じく。心優も真っ白なタイトスカート姿の正装に整える。白シャツに黒ネクタイ、白いテーラードジャケット、黒い肩章に金の星。白い手袋に白黒の制帽。それを手にして艦長室へ戻る。


 光太も意図を理解してくれ、艦長護衛官として立派な正装制服に着替え終えていた。


「艦長、見えてきました」


 丸窓を開けた光太が、肉眼でそれが見えてきたと報告する。


「いきましょうか」


 イエスマム。心優と光太はデスクを立った艦長の後ろについていく。

 艦長室に備えてある大きなパラソルを手にしたのだが。


「風が吹いているからいらないわ」

「ですが、濡れてしまいます」

「かまわない。なんか、わかるの……」


 なにを思っているのか。いまでも彼女の考えなど到底読み切れない。読めてしまえば彼女はもうミセス准将でもアイスドールでもなくなってしまうから。


 艦長室を出て、甲板へと向かう階段を下りる。


 甲板へのドアを開けると、まだ雨が吹き込む。こんな雨の中、二十分もいれば濡れて体調を崩さないか。心優は案じる。


 甲板に並んでいる戦闘機も雨に濡れてしっとり輝いている。甲板要員もレインジャケットを着込んで雨の中動き回っている。


 その甲板の向こうに護衛艦が停泊してるのが見えた。どんどん近づいてくる。


「この速度なら、あと十分ほどで並ぶわね。その時に行くわよ」

「イエスマム」


 護衛艦が見えてきたから、甲板要員達も動きを止め、護衛艦の方へと向きなおり敬礼をしている姿が見られた。お見送りは中止になってもそこまで海東司令が来てくれたのは確か。その気持ちへの敬礼。


「あと、五分です」


 光太がミリタリーウォッチを眺め、時間を確認してくれる。


「なにしているんだ。外は雨だぞ」


 背後からそんな声が聞こえ、心優ははっと振り返る。そこに御園大佐がいた。


 しかし心優は旦那様に見つかってしまったことより、もっと驚かされる。何故なら、御園大佐も真っ白な正装に着替えていたから。


「そんな気がした。中止でも大人しくはしていないだろうと……。俺も、海東君のことわかる」


 『わかる』。妻も夫も『わかる』から、着替えて外に出るとなにかを確信しているようだった。


「だったら俺も行かせて頂きますよ。なにせ副艦長。お供させて頂きます」


 雅臣も素敵な真っ白な正装姿になって階段から下りてきた。


「なんなの。私だけでいいと思っているのに」

「おまえ一人では目立たないだろ。ずらっと並んでやろう。せめて艦長と指令室で」


 自分も行きます。私も――と、指令室に配属されているハワード少佐もコナー少佐も福留お父さんも、そして凛々しい海兵王子になったシドも正装に着替えて出てきた。


「か、艦長!」


 光太が叫んだ。その声につられて彼が指さす先を見ると、これが偶然なのか艦への思し召しなのか、雲間から光が射しこみ、切れ間からは青空が見えてきた。しかも雨が小雨に! 護衛艦も目の前!


「行くわよ」


 アイスドールのガラス玉の瞳が、空へ光へそして海を見据えた。

 そのドアから、真っ白な正装姿を揃えた『艦長と指令部幹部』が甲板へと向かう。


 前回もそこに艦長は立った。戦闘機が飛び立つカタパルトそばのキャットウォーク沿いに。


 小雨の中、艦長がその位置に立つと、その両脇に自然と御園大佐が、副艦長の雅臣が立つ。


 御園大佐の隣には指令室の一同が続き、雅臣の隣には護衛官の心優と光太が並ぶ。そして光太の横にはなぜかシドが並んだ。


 護衛艦が真横に見える位置に来た。小雨の中、白い制服がしっとり湿っていくのがわかる。


 そして心優はハッとする。あちらの甲板にも真っ白な正装服で隊員が幾人か並んでいる。この前と同じように!


 海東司令も雨の中、中止でも出てきていた!


 これか。葉月さんと隼人さんが言っていた『わかる』は、『海東司令も外に出てくるとわかる』という意味だったのだと気がついた。


 さらに心優はデジャブに陥る。また最後尾に真っ白な正装の大男がいる。


「うそ、なんで。お父さん、また……なんで、護衛艦に乗れちゃっているの……」


 この前、雅臣と食事をした翌日に『二人とも気をつけて』とお父さんの顔で見送ってくれ別れたばかりなのに。


「教官だ」

 光太が身を乗り出した。

「ほんとうだ。心優のお父ちゃんだ」

 シドまで――。


「海東司令のお見送りだ。一同――、」

 今回は雅臣がその声を張り上げた。

「一同、敬礼!」


 その声に、制帽を目深にかぶった指令室一同は敬礼をする。御園艦長と海東司令の目線がまたまっすぐに結ばれているのがわかる。今回はその真横で、眼鏡の大佐が見守っている。


 心優も敬礼をして、じっと父を見つめる。隣にいる雅臣も父を見つめてくれていた。


「今回は娘じゃなくて……。教え子を、訓練で鍛えた警備隊の無事を祈って見送りに来たんだろう」


 その通りなのか。父は娘と婿と目線が合ったとわかると、その後すぐに光太とシドに向かってガッツの拳を高く掲げて見せていた。


「教官!」

「教官、おやじさーん!」


 光太とシドにも通じたようで、二人も敬礼をといて揃ってガッツの拳を返している。


 そのうちに、外に出られる者がぱらぱらと甲板に出てきてた。正装でなくともそれぞれの装備の格好で、その場で護衛艦に向けて敬礼をしている。管制ブリッジの窓にもクルー達のその姿が見えた。


 空母と護衛艦がすれ違う。高い波しぶきが打ち付けられる船体。でも、もう雨がない。


 海の天候も気まぐれ。雨がやんだかと思うと、さあっと青空は開けてくる。


「再度、敬礼!」


 艦長の号令に、護衛艦へ向けてクルー達が敬礼を揃える。遠く離れていく、護衛艦。白い正装で見送る男達がいつまでも敬礼をしてくれているのがわかる。


 荒い波の音の中、護衛艦の汽笛が響く――。

 護衛艦が小さくなっていく。


「雨やんだな」


 御園大佐が青空を眼鏡の顔で見上げた。


 振り返ると、東京方面の空はもう晴れている。そして、真っ白に輝く戦闘機ネイビーホワイトの向こうに虹が見えた。


「めっちゃレアなアングル。うわー、カメラが欲しい!!」


 光太がすぐに騒いだので、指令室の男達がどっと笑い出した。


「そうね。ウィル、光太に記録用のカメラでも準備してあげて。広報が喜ぶかもしれないから」


「了解です。よし、コータ。虹が消えないうちにカメラを指令室に取りに行くぞ」

「やったーー! イエッサー!!」


 元気な男の子の姿に、小雨でしっとり濡れた御園准将が夫の大佐と楽しそうに微笑んでいて、心優もほっとする。


 そんな中、ずっと隣いる雅臣が……。皆の目が光太に集まっているのをいいことに、そっと見えないように心優の手を握ってきた。


 でも、心優もにっこり見えないようにして手を握り直し、格好いい正装姿の雅臣を見上げた。


「虹、きれいだね。臣さんと一緒にみられて嬉しい」

「俺もだよ。いい出航だ」


 雨のち、虹。きっと無事に還ってこられる。

 臣さんと還るよ。お父さん待っていて。還ってきたら一緒にヴァージンロード歩いてね。

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