36.お見送りは中止

 休憩を終えると今度は夕食が運ばれてくる。


「御園艦長、お久しぶりです。この度も私が担当させて頂きます」


 横須賀にいる是枝大尉シェフが挨拶がてら運んできてくれた。艦長専属厨房の責任者。また彼の素敵な食事が食べられるのかと心優も嬉しかったが……。


「園田さんもお久しぶりですね。あ、じゃなくて、ご結婚おめでとうございます。城戸中尉」


「ありがとうございます。ですが夫の城戸大佐とおなじ部署に配属されたので、ブリッジセクションでは園田と呼んで頂くことになっています」


 わかりましたとシェフの素敵な笑顔を変わらずに見せてくれた。


「今回から吉岡海曹も一緒なのですね。お食事アンケートに答えてくださってありがとうございました」


「初めまして。二ヶ月間、よろしくお願いします」

「男性の割には、あっさり和食系がお好きみたいですね」


 その和食好きが護衛男性隊員の割にはすっきりした体型にしているようだった。


「では準備させて頂きます」


 是枝シェフが以前通り窓際にあるテーブルへと食事を並べる。二人分の食事。


 それに気がついた御園艦長が是枝シェフに問う。


「三人分ではないの。それとも心優と光太が交代で付き添うことにしたの」


「お食事アンケートで園田中尉からのリクエストで記されていました。初日の夕食はご主人様と二人でさせてあげたいと。その意向を受けました次第です」


 葉月さんが心優を見た。


「心優、ここは基地と同じなのよ。夫とのことは気遣わないで」


「気遣ったわけではありません。艦長と指令室長で確認事項もいろいろありますでしょう。私と夫もそうでしたが、もう何日も顔も会わせていない状態でしたから、きっと准将と大佐もそうだっただろうと思って」


 そして心優は光太の顔を見上げる。彼も承知済みでこっくり頷き微笑んでくれる。


「吉岡海曹も初めてなので、中央ホールのカフェテリアを案内させてください。あとコンビニや娯楽室も案内してあげたいです。わたしたちは今夜は外で食べますから」


「御園大佐を呼んできますね」


 二人で打ち合わせていたことだったから、光太も葉月さんが意地を張る前にさっと艦長室を出て行ってしまった。よし、次はわたしが出て行ってしまえばいい。


「カフェテリアに行ってまいりますね」


 心優に囲い込まれた驚きに戸惑っている准将だったが『もう、しかたがないわね』と頬を染めて頷いてくれた。


 ウサギさんの気持ちが変わらないうちに心優もさっと艦長室を出る。管制室で航海の進行を監督していた御園大佐を光太が捕まえてきた。


 はあ? そんなこといいって。

 お願いします。二人分しかないからどちらにしても三人で食べられないんです。俺、空母の初カフェテリアに行ってみたいんです。


 光太がぐいぐいと御園大佐を引っ張ってきた。わりとこういうこともしっかりやってくれて、もうほんと頼もしい相棒になってきてくれている。


「さては園田だなっ」

「相棒が初航海なので、案内も必要ですから。夕食の時間にそれを当てただけです」


 心優の仕業とわかって顔をしかめた御園大佐だが、心優と光太が『お願いします』と揃って頭を下げると折れてくれた。


「くっそ。わかったよ。俺も……噂の是枝さんの食事、気になっていたし……」


 奥さんと食事より、そっちが気になるなんて反応。でも澤村大佐もちょっと気恥ずかしそうにしながらも、結局は奥様とひさしぶりにゆっくり向きあいたかったのだろう。そのまま艦長室に入っていった。


「よし、わたし達も行こうか」

「是枝シェフの食事も楽しみでしたが……。空母のカフェテリアめっちゃ楽しみにだったんです!」


 コンビニも! と光太が拳を握って興奮し始める。

 艦長室をそっと覗くと……、ご夫妻が是枝シェフを挟んで楽しそうに向かい合って座ったところだった。


「大丈夫そうだね。ハワード少佐に艦長室の護衛をお願いしておいたからいまのうちに行こう」


「行きましょう、ランチは配給の弁当だけだったので腹へりました~」


 初めての空母カフェテリアへ、そして心優にとっては久しぶりの空母カフェテリア。バディ同士、こちらもちょうど今後の話し合いをしながらの夕食になった。




 食事を済ませると就寝時間が迫ってくる。

 艦内、就寝時刻。シフトが入っていないクルーは各々のベッドで就寝、あるいは休息時間となる。光太も素直に今夜はベッドルームへ下がってくれた。


「お疲れー」


 御園大佐が艦長室を訪ねてくる。

 まるでそれが当たり前とばかりに、艦長室のソファーにノートパソコンを置いたり、脇に分厚い工学書を置いたりして、自分の場所を整えはじめている。


「指令室はいいの」


 デスクでまたいろいろな資料の読み込みを始めたミセス准将が夫に話しかける。


「うん。ウィルに任せている。俺、ここにいてもいいだろ」

「別にいいけど……。なんなの、こんなところいても落ち着かないでしょ」


「俺がいるとおまえが落ち着かないなら出て行く。おまえも集中しているだろうし、こうして二人で海の生活をするのは初めてだ。おまえの艦長としてのいままでのペースもあるだろうし」


 御園艦長デスクから見ると、ソファーに座っている御園大佐は背を向けて見える形になる。眼鏡がちらっとしか見えない後ろ姿。パソコンを開いてすでにキーボードを打ってなにかのデータをまとめている。当たり前のようにそこに座ったのも、おそらく『小笠原の自宅でその距離で奥様のそばにいるから』だと心優も悟った。


「うーん、鬱陶しくなったら伝えます。たぶん、大丈夫」


 葉月さんも徐々に奥様モードになれているのか、邪険にはしなかった。


「ということだから。園田、おまえも就寝していいよ」


 びっくりして心優は大人しく眺めていたデスクから立ち上がった。


「ですが、これは護衛の業務です。大佐は大佐で指令室長の――」

「園田、俺が宵っ張りだって知っているだろ。だったら、夜中の一時に交代してくれ。それまでやすんでろ。俺が葉月を見ているから」


 『葉月』と言った。御園大佐は宵っ張り、早く眠ることがないと聞いている。


「気にするな。俺は自宅にいる時と同じ事をしているだけだ。その分、護衛官の英気が養えるならそれでよし。園田には俺では出来ない護衛もあるだろう。その時のために温存できることは温存しておけ。指令室長の命令だ」


 命令とまで来た! 公私混合のようなそうではないような。心優はおもわず自分のボスである艦長見た。でも葉月さんはちょっと照れていて、でも、言いにくそうにしている。本当は艦長として『澤村は指令室へ帰りなさい』と言いたいに違いない。言えないなら、心優が彼女のためにすべき事もわかってしまう。


「ありがとうございます。では、これにて休ませて頂きます。0時から1時の間に一度こちらに戻ってきます」


「了解。お疲れさーん」


 お言葉に甘え、心優は以前同様艦長のベッドルームに隣接している補佐官の小部屋へと下がった。


 懐かしい部屋にまた戻ってきた。丸窓にはどんよりとした夜空と激しく打ち付ける雨。独りになってほっとしたけれど、なんだか急に寂しくなってきた。


 シャワーを浴びて、小部屋に戻ろうとした時だった。


『葉月、チョコレート持ってこようか』

『うん。あなたも食べるでしょう』

『俺が食べると、帰還するまでにもたないぞ』

『じゃ、食べないで』

『だろう。俺よりチョコレートを大事にしな』


 珍しく葉月さんが笑う声が聞こえて、心優はひとりで目を瞠っていた。


 うん、やっぱりふたりきりにして正解だったかも。葉月さんが意地を張るかもしれないけれど、なるべくそうしてあげよう。御園大佐がああして上手く場を作れるのも、意地張る奥様をウサギさんにしてしまうのもお手の物。心優はそれにのればいいだけ。


 海東司令の配備は間違いなかったと思う。きっと効果絶大に違いない。これで今回の厳しい任務をミセス艦長も乗り越えられると信じて。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 深夜に御園大佐と交代をしてから、心優は朝まで艦長室に控えた。

 相変わらず、御園准将は今回の乗員クルー全てが掲載されているファイルをパソコンに開いてじっと眺めているだけ。


 たまに心優が紅茶を煎れたりする。

 だが今夜は激しい雨。月でも出ていれば穏やかにほの明るい丸窓も、今日は雨飛沫ばかり。静かにしているとごうごうとした波の音に雨の音。妙に不安になってくる。


 やがて。朝が来る。


 雨はあがらなかった。朝になっても薄暗く重い雲、そして変わらずの雨。夜明けを確かめようと丸窓まで出向いた心優は溜め息をついた。


「雨、やまなったわね」


 ミセス准将の言葉に、心優も頷く。


「夜明けにはやむと思っていましたのに」

「でも、今日も雨予報だったからね。覚悟はしていたわ」


 覚悟というその言葉の裏で、彼女がなにを思っているのかわかっていたから心優もうつむく。


 それはいつも海東司令が恒例で行う『お見送り』のことだった。心優も前回の航海で初体験、空母の甲板に乗員が一斉に正装で並び、向かいには護衛艦で来てくれた海東司令直々のお見送り。任務の総大将、空母航空団司令(CAG)直々のお見送りに志気が上がる。ずっと海の上で艦長を何度も経験した男が陸から見守ることになっても、海上という現場に出向くクルーをどれだけ大事に思っているかが伝わるものだった。


 そのお見送りが、この雨では行われないだろうという御園准将の予測。

 天候が崩れているとはいえ、朝を迎え明るくなった艦長室。さっそくドアからノックの音。


 心優が出迎えると、副艦長の雅臣だった。


「失礼いたします」


 入室すると艦長デスクの前で敬礼。


「おはようございます」

「おはよう、雅臣」

「そのご様子では、またお休みにはならなかったようですね」

「うん……。頭が冴えてる。いつもそう」

「ほどほどに、無理をなさらずに」


 だからといって、この人は眠らないだろうなと雅臣もそれ以上は眠らない艦長について触れようとはしなかった。


「横須賀司令からの伝達です」


 そのひと言だけで、御園艦長が顔を上げる。


「――中止なになったの」


 雅臣も残念そうにうつむいた。


「はい。いまから接近する頃の時間帯も、横須賀沖は雨とのことです。クルーを濡らしてまでするものではないとの海東司令のお言葉でした。ですが、その海域まで護衛艦で出向くことはかわらないとのことです。汽笛を鳴らすとおっしゃっていました」


「そう……、わかったわ。ありがとう」

「では、のちほど。今後の予定についてお邪魔いたします」


 雅臣が報告のみで艦長室を去っていく。まだゆっくり話していない。もう城戸大佐になっていて、妻の心優のことは余計に気にしないよう気をつけているのがわかった。

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