10.お父さんの分まで、夫の俺が

 その夜。心優はベッドルームで雅臣とくつろぐ。心優はベッドに腰をかけ、雅臣は窓際にあるパソコンデスクで戦闘機の絵図をノートに書いて明日の訓練に備えイメージトレーニングをしている。


 それでも片手間に心優にいろいろと話しかけてくれるので、今日もあんなことがあったこんなこともとお互いにお喋りをするのも日課。


 そこで初めて、心優は雅臣に今日のことを話した。


 父が心優を名指しにして、シルバースター叙勲に値しない、前回の戦闘は未熟なばかりで殉職に等しい、運が良かっただけと評し、警備隊員の目の前で投げ飛ばされ張り倒され、ドッグタグまで奪われ捨てられた――と。


 雅臣は愕然としていた。父のその本気と気迫がいかなるものだったのか、やっと痛感しているようだった。


「それでね……。お父さん、ドッグタグをわたしの首から引きちぎる時に、これも一緒に引っ張っちゃったの」


 手のひらに、ブラックオパールと切れた金の鎖を見せた。


「うわ、一緒に引きちぎっちゃったのか。ていうか、お父さん……本気だな」


 パソコンデスクから、ベッドまで雅臣も来てくれる。心優の隣に雅臣も腰をかけると、ちぎれた金の鎖をつまんで、自分の手のひらに乗せて眺める。


「でも。お父さんが言っていること合っている。プロの格闘家から見たら、本当に運が良かったんだよ。制圧した傭兵を一時でも放ってしまったのもわたしのミスだった」


「無茶だろ……。心優は新人だったし、初めてプロの傭兵と対峙したんだ。そんななかでも良くやったんだよ」


「ううん! わたしが制圧を解いてしまったから、ハワード少佐が撃たれたということ、忘れていた!」


「いや、心優……」


 雅臣がなにかを言って慰めようとしてくれたようだったが、プロの格闘家の娘である妻だからこそ、なにをいっても慰めにならないとわかったようでなにも言わなくなった。


「心優……」


 雅臣が抱きしめてくれる。


「心優、それでもあれは心優のおかげで皆が助かったんだ。一緒にいた俺もだよ」


 長い腕の囲い、おっきな胸、いまもパイロット達と一緒にトレーニングをしているしっかりした筋肉の、その頼もしい雅臣の胸に抱きしめてくれる。


「臣さん……」


「お父さんだってわかっているよ。お父さんがいちばん胸を痛めていると思う。こうして『仕方がないんだ。ごめんな』と抱きしめたいのはお父さんのほうだと思う」


「わ、わかってるよ。お父さんの真剣さも言いたいことも、今回の方がよく伝わったよ」


「それをお父さんが横須賀に帰る頃に、伝えてあげたらいい。こんな時は、これからは、俺がお父さんの分まで抱きしめてやるからさ」


 そういって、雅臣はさらに心優をぎゅっと抱きしめてくれる。黒髪の頭も大きな手で、いつものように優しく撫でてくれる。


 今になって……。心優は娘として泣きたかった涙が溢れてきた。


「な、泣くつもりなかったのに……。もう、子供じゃないよ」


「お父さんからみたらまだ子供だよ。ぶっ飛ばしたのも、次回もなにがあるかわからないから、気を引き締めろという気持ちだって俺も解るよ」


 今日のお猿さんは、優しいお兄さんお猿。こんな時、心優は女の子にもなれるし、ずっと年上の大人のお兄さんに甘えられる気持ちにもなれる。


「心優のお父さんも、アグレッサーだな」


 戦闘要員の仮想敵をする男。格闘家のアグレッサー。そうたとえられると、確かに。と心優も思った。


「きっと、前回、空母に潜入してきた不審者の情報も収集して、なにがどうなっているのか調べ終えていると思う。心優の親父さんは恐らく、いままで特殊部隊が接触してきた国外兵士との戦闘事項はすべて把握しているんだと思う。その上で演習を組んで、格闘を教える。そういう部署にいるんだよ」


「知らなかった……。ずっと、ただの武道教官だと……」


「特殊部隊員との演習となると、家族にも言えないし、シドがそうであるように表向きは『それなりの職務と役職』で動いていて、極秘の職務をしている者も多いから、お父さんもそうなんだよ」


 そして雅臣が心優を抱きしめながら、大佐殿の眼差しで見つめてくる。


「だからこそ、この前の戦闘が如何に娘にとって危険なものだったのか、改めて知ることができて身につまされたんじゃないかな。お父さんの危機感の表れだったんだよ」


 そう真剣に語りながら、雅臣は心優の口元についた痣を指先で撫でる。労るようにそっと……。


「新婚なのに、こんな顔なんて……、ごめんね」


 なのに、雅臣が笑う。


「どうして、なんともないよ。いつものかわいい心優だよ」


「そんなわけないじゃん。頬が腫れて、口に痣があるんだよ」


「妻は護衛官。俺の自慢だよ。覚えているか。俺と初めて会った時、面接の時」


 うん――と心優も頷く。


「あの時から『かわいいな』と思っていたよ。だからホルモン焼きを食べに行った帰り、我慢できなくて強引にキスしたし……」


「まえもそう聞いたけれど、なんか信じられないよ。だってボサ子だったんだよ」


「見た目そうだったかもしれないけれど、俺はほんとに一度も思ったことないって。なにも知らなさそうな無垢な女の子が来たと思ったし、面接で心優が鮮やかに塚田をダウンさせたその動きも美しいものだった。魅せられていたよ、俺は。俺の妻はそういう妻、俺はあの時から気に入ってるんだ」


「臣さん……!」


 嬉しくて、心優からもぎゅっと逞しい旦那さんの胸に抱きついてしまう。また泣いちゃいそう。そう、女子力なくても、わたしらしいままでいいんだと思わせてくれる旦那さんの愛が嬉しい。


「さ、もう寝るか。な、ゆっくり休もう」


「でも、臣さん。まだイメトレしているんだよね」


「いいんだよ。俺もこんなことばかりしていると、息が詰まるんだ。心優と一緒に休むことの方がリフレッシュになるんだよ」


 雅臣からデスクのスタンドライトもルームライトも消してしまい、ベッドサイドのほのかな灯りだけに。

 一緒にベッドに入って、肌を寄せ合う。今日のお猿さんはいつものように心優の肌を欲しがらない。


「ネックレスの鎖、また俺が探すから」


「うん、ありがとう。それまで、お母さんのシャーマナイトの石と一緒に袋に入れて持っているね」


 おやすみのキスは今日は優しく……。心優の口元が切れているから、今日は柔らかなキスをしてくれ、そのままただただ抱き合って眠りについた。


 ほんとうに……。わたしも、臣さんとゆっくり一緒にいること。それが一日のなにもかもをリセットしてくれるよ。


 もう蛙の声は聞こえない。裏の雑木林からは、秋の虫の声――。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 軍隊は上下関係が絶対、特に階級に従っての規律は絶対。

 しかし、それもままならないこともある。



 午後遅い中休みの時間帯、基地の隊員のほとんどがブレイクタイムを楽しむ頃。


「心優、私のピアノの調律を頼んでいる調律師の方がお土産を持ってきてくれたの。正義兄様にもお裾分けで届けてくれるかしら」


「はい。かしこまりました」


 自宅のピアノにヴァイオリン。元音楽家志望だった御園准将は定期的に本島から楽器の調律依頼をして、業者を呼んでいる。その調律師さんが准将が気に入りそうなお菓子を手土産にくるのもいつものこと。


 今日は、米粉シフォンケーキだった。透明フィルムで包まれ、店名が記されているかわいいリボンが結ばれている。アールグレーにキャロットにパンプキン、プレーンにショコラに抹茶。小分けに包まれているもの全種類、それをいつものエレガントなペーパーナプキンを敷いたトレイに乗せて、連隊長室へ。


 御園大佐との空母艦研修を終えて帰ってきた光太も一緒に連れていく。


「お洒落っすね。浜松基地ではこんなかんじ見たことないですよ」


「石黒准将も言っていたかな。こういうお洒落な小物使いをするのは、ミセス准将だからだって」


「軍基地にこんなものいらないとか、あの細川連隊長はいいそうですけれど、なにもいわないんですか」


「言うけど……。なんだかんだ言って、こういう女性らしい空気に触れるのも嫌いじゃないみたいだよ」


「しかも、甘党なんっすね」


「そうだね。わたしも意外に思ったよ。でも嬉しそうなお顔をしてくれるんだよ」


 おいしいスイーツを手に入れたら、御園准将はまず『兄様にお裾分け』という。そして、心優が届けに行くのも恒例で『お、うまそうだな』と一瞬だけ目元を緩める連隊長を見ることができるのも、心優の楽しみになってしまった。


 ここ三階の大隊本部の大きな事務室を通り過ぎ、四階にある連隊長室に行くため、エレベーターの前へ。階下から人が来るようだったので待っていると、三階で止まり扉が開いた。


 ばったりと出くわし、降りてきた女性を見て、心優と光太は一気に気構えた。


「あ、お疲れ様です。園田さん」

「お疲れ様です、春日部さん」


 後ろで光太が『中尉と言え』と声を噛み殺していたが、心優は肩越しに相手にするなと目配せをした。


「こちらにご用事ですか」


「ミラー大佐のデータ室に、御園大佐から頼まれたデータを届けにきまし……、あ! そのケーキ! 鎌倉で二時間待ちの行列ができるショップのじゃない!!」


 目ざといし、女子力満点の彼女らしく、そういう情報はよく知っているようだった。


「どうしたの、それ! もうこれだけしかないの!!」


 彼女がトレイに手を伸ばしてきたので、心優はびっくりして半歩下がりそうになった。

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