9.婿殿、大佐殿、パニック

「ムッカつく!」


 工学科の帰り、光太はずっと怒っている。

 先ほどの、春日部嬢の態度に怒り心頭だった。


「あの御園大佐に、父ちゃんの上官にいいつけてやるなんて言ったんですよ!」


「いいつけるだなんて言っていないよ。お父さんの上にいるのは司令総監だと言っただけだよ」


「同じじゃないっすか! 御園大佐が怯むことなく『言えばいい中佐如きのおまえの父親の言うことなど聞くもんか、俺のところまで司令総監の言葉が直々に届くようにしろ』と言ってくれてスカッとしましたよ。恐れることない男の信念、かっこよかったっす」


 やはりミセス准将の旦那様と、光太も鼻息が荒い。

 それもあるけれど。でも、ちょっと違うなと御園家を一年以上見てきた心優は思う。


「御園大佐が司令総監を盾にされても、堂々とできるのは他にも理由があるよ」


「え、そうなんですか」


 男の信念かっこいいに水を差すようだけれど、心優は光太にも知って欲しいと教える。


「元々、御園大佐が婿入りした御園家のご当主は、葉月さんのお父様。フロリダ本部で、陸部司令総監をされていた中将だよ。退官されたとはいえ、お父様の配下にいた高官もまだまだいっぱいいてその威光も消えていない。しかもいまだって、フロリダ本部の大将になられたロイ=フランク大将が葉月さんとご兄妹同然の仲であって後ろ盾、こういっては失礼だけれど横須賀の司令総監なんて『御園の後ろ盾』を出されたらひとたまりもないもの。春日部中佐やお嬢様の言葉ひとつでどうにかなるような立場じゃないのが御園大佐の強み。とりたててリスクもないから思い切って言い返しているんだと思う。預けるのにいい場所だったんだろうね。それに、御園には御園の『力』があるからね」


「御園の力、ですか……。ですよね、ミセス准将は軍人一家の三世でお嬢様ですもんね」


「わたしも横須賀で長沼准将に言われたんだ。敵が百万円というコストで御園にしかけても、御園はその百万円というコストで五百万円ぐらいの成果でやり返せる力を持っているって」


「うへえ、なんっすかそれ。怖いなあ」


 怖いな――が最近の光太の口癖のようで心優はまた苦笑いをするのだが、『そのうちにミスターエドに会うだろうし、黒猫のこともいいタイミングで伝えられたらいいな』と思い描く。まだまだ教えたいことがいっぱいで、でもすぐには教えられなくてもどかしい。


 こうして振り返ると、心優自身もだいぶ御園家に染まっているなと実感した。


「そうか。だから御園大佐の下では、いままでの『パパに言いつける』という彼女の切り札が通用しないわけか」


「いままでの所属部署の上官さんも、きっと最初は聞く耳もなたかったんでしょうけれど、中佐のお父様が動かずとも、春日部さんがあのように押して押して、だんだんと怖くなるようにしちゃったのかもね」


「それで居場所をなくしたんですよね。自業自得じゃないっすか」


「でも、春日部中佐自身が細川連隊長にお願いしたということだから、お父様もここで成長して欲しいと思っていることでしょうね。彼女がどう騒いでも、お父様ももう聞くつもりはないという意志を小笠原に示してくださっているから大丈夫よ」


 だから、もう彼女の言うことで恐れる必要はないと、心優は光太に聞かせた。光太もそれなら気にしないと、いつものおおらかな笑みになる。


 そこで心優は『あれ』と思った。


「あと二ヶ月ほどで出航だけれど、御園大佐も工学科科長室を留守にして搭乗するんだよね。春日部さんどうするんだろう」


「そういえばそうですね。あの彼女は、御園大佐ではないとコントロールできそうにないし。吉田大尉なら任せられそうですけれど、負担ですよね」


 まさか。留守の間、それより上の者がいる場所はどこかと心優が考えた時、正義さんがいる連隊長室か海野副連隊長室しか考えられなかった。


 どちらにしても、もう彼女は逆らえないところに配置されそう。それでも、彼女の切り札だった春日部中佐が聞く耳もたないことだけわかって、安心した。


 あとはあの嫌味に耐えればいい……と。それに自分たちももうすぐしたら艦に乗っちゃうしね。少しの辛抱と心優は思うことにしている。




 お遣いが終わって准将室に戻る。


「ただいま戻りました」


 光太と一緒に入室すると、またデスクにミセス准将がいない。またもや応接ソファーにお客様と向きあっていた。


 ちょうど、福留少佐ご自慢のコーヒーがお客様の目の前に置かれたところ。


 でも心優は身構える。ボスと向きあっているのは父だった。


「お帰りなさい。お父様がご挨拶にきてくださったのよ」


 准将は心優ににっこりと微笑みかけてくれたが、心優と父は警備隊ミーティングのキルコールがあったばかりなので気まずいだけ。


 ここでは『お父様』ではないし、父も『娘』とは思っていないはず。


「いらっしゃいませ。園田少佐」


 心優が楚々と冷めた顔つきで挨拶をしたので、光太も続けて同じように『いらっしゃいませ』とお辞儀をした。そしてミセス准将は困惑している。


「娘がいろいろとお世話になっているため、ご挨拶に来ただけだ。新居のための土地購入についても、随分と世話になったようだしな」


 そうなんだ……。だよね、娘のボスを避けて居られるはずもないよね。ましてやミセス准将だもん。この基地のナンバー3と言ってもいい将軍様だから。


「お帰りになるまでに、お父様も一度新居の土地を見ていってくださいませ。私の自宅の近くですの」


「さようでございますか。そうですね。いまの訓練指導が完了しましたら、帰りにでも娘と雅臣君に案内してもらいます」


 そこで父は『では、これにて失礼いたします』と、福留少佐のコーヒーを一口だけ含んで席から立ち上がる。娘が居て居心地が悪いようだった。


「もう少しゆっくりしていってくださいませ。まだ積もるお話しが……」


「いえ、それはまた帰る頃にさせてください。寄宿舎の手配、有り難うございました。小笠原のメシも楽しんでいきたいと思います」


 最低限の挨拶のみで、娘との関係がなるべく希薄に『あくまで少佐』として去ろうとする父を見て、御園准将が溜め息をつく。


「私の父もそうでしたわね。プライベートではお茶目なパパなのですけれど、軍服を着ている父は娘だからこそ容赦なかったものです」


 御園准将が立ち上がった父を引き留めるように哀しい眼差しを見せる。その目が心優にも向けられた。


「あの顔を見た時、お父様に徹底的にやられたと聞いて……。そんなことを思い出しました。この地位に就くまでいろいろありましたけれど、父が父を捨てたからこそ、私はいまこの部屋にいるのだと思い出しました。御園中将という男が御園葉月は『娘』という情を残していたのでは、私はここにいなかったことでしょう」


 娘の顔にある殴られた痣は痛々しいが、それも『娘が決めた道』だからこそ、立場と将来を護るための父親故の厳しさ。御園大佐が『愛』だと察してくれたように、ミセス准将も切ない想いがあるようだけれど、その痣は父娘だからこそと言ってくれている。


 ――『失礼いたします! 雷神室の城戸です!!』


 ノックと共にそんな慌てる声が聞こえたから、心優はびっくりしてドアに振り返った。


 そのままドアを開けてみると、息を切らして慌ててきた様子の雅臣が立っていた。心優の顔を見るなり『うわ、嘘だろ、ほんとだ!』と驚いている。


「み、心優!」


 職場なのに、雅臣の大きな手がすぐに心優の頬をつつんでくれる。


「あ、あの城戸大佐……ここでは……」


 でも雅臣は構わずに心優に焦るように詰め寄ってくる。


「俺に挨拶をする隊員がみんな、奥さんの顔が腫れて口元に痣ができていたと教えてくれて。それに、雷神室に帰ったら、園田のお父さんが来ているって松野達が教えてくれて!」


「はい、いま、御園准将とお話しされていますけれど……」


 ここにいるだって!? さらに驚いた雅臣がそのまま准将室に踏む込んだ。


「お、お父さん! いつ来られたんですか!」


 応接ソファーで御園准将と向きあっている父を見て、雅臣が混乱状態。舅が来るとの知らせもなく、知った時には『奥さんが顔に負傷』、『お父さんの園田教官が来たとか……』、『お父さんが甘いと、警備隊員を目の前にやりこめたらしい』と大魔神のキルコールを聞きつけて、もうびっくりしてすっ飛んできたのだろう。


「あ、えっと、うん。……すまない、雅臣君」


 本来は父より上官の『大佐殿』だけれど、雅臣から『お父さん!』と叫んだためか、父が気後れしたように頬を赤くしてうつむいてしまう。


「びっくりしたではないですか。来てくださるならそう言ってくだされば、俺もいろいろお迎えの準備をしましたのに――!」


 心優はふとつい最近の自分と重ねる。アサ子母が突如来ることになって、準備もしていないのにどうお迎えすればいいのかと。今度は雅臣が婿殿として慌てている。


「ちょっと、雅臣……、城戸大佐。落ち着きなさい」


「いえ、その……。本当にびっくりして、しかも……心優、じゃない、妻の顔のことを何人もの隊員が教えてくれて」


「園田教官のキルコールを聞いたの?」


「はい……、戦闘機でいうならキルコールと娘は殉職したとたとえる模擬戦で、娘に圧勝したと」


「その通りよ。お父様がそれだけの気迫と覚悟で来られたということよ。お舅さんではなくて、園田少佐としてお仕事のつもりで来られたの。お婿さんと娘さんのところで世話になるつもりはないから、宿舎を手配して欲しい、そして、娘の心優には知らせないようにとのご希望だったのよ」


 いつの間にと雅臣も戸惑っている。

 御園准将が今日までのいきさつを彼に説明する。


「金原隊長にとって、不審者と艦長の私が同室で遭遇してしまったのは警護隊長としてのプライドが傷ついた出来事でもあったのよ。どうしたらいいかと悩まれた結果、園田少佐に格闘指導をお願いしたいとの申し出があったから説得の許可をしていたの。金原隊長は心優の護衛部の訓練もよく見学していたようだったし、金原隊長の右腕でもある諸星少佐も、不審者侵入の際に現場にいて、心優の戦闘と格闘を目の当たりにしていて女ひとりでの制圧に衝撃を受けていたみたいで、頼むなら心優の父親で師でもある園田教官にしたいとの強い希望だったのよ。でも、お父様はお父様で娘がいる場での短期間での統率は難しいと懸念されてずっと断っていた。金原さんの粘り強い説得でやっとよ、その説得の決め手が『初日の一発目に娘から徹底的に指導する』ということだったみたい……」


 妻の顔が負傷しているいきさつを知って、雅臣もなんとか落ち着いたようだった。


「雅臣君、また帰る時に話をしよう。それまでは、舅と婿ではなく、軍隊の規律通りに、大佐殿と少佐でお願いしたい。心優の父親という気遣いは皆無だ。警備隊の指導を徹底したいために頼む」


 立ったままの父が頭を下げた。雅臣も義父にそこまでされたら、なにも言えないよう。


「わかりました、お父さん」


「これも、雅臣君が副艦長となる空母の警備を強化するため」


「お父さん、有り難うございます。……だからですね。娘と俺を送り出す前のサポートをかってでてくれたんですね。お願いいたします」


 やっと雅臣が、凛々しい大佐殿に、また婿殿として礼を返している。


「えっと、それから……。先に謝っておこう。あとで心優に聞いてくれ。雅臣君、大事にしているものを私が壊してしまった。申し訳ない」


 さらに父が頭を下げたが、雅臣はまだなんのことかわからないからきょとんとしている。そして心優を確かめた。仕事場だからプライベートの話はなるべく避けたいようだったので、心優も父が伝えたいことはすぐに伝えられなかった。

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