8.『愛』だとわからないのか

 親父さんは『叙勲に値しない』というが、やはりあの父親だからこそあの空手家の娘が育ったんだ。


 城戸中尉のシルバースターは、父親の功績でもある。叙勲に値するものだった。


 警備隊の男達がそう話していたのを聞いたと光太がいう。


「俺、一人で工学科に行けますよ。その顔じゃあ……」


「いいんだって。選手だった時もよくあったんだから。ここで女の子がそんな顔でなんていって、いつもの仕事を控えるだなんて、またお父さんにぶん殴られるよ」


「いや、でも。御園准将がその顔なんだからやめなさい。光太に行かせればいいと言ってくれたのに」


「ぜったいにイヤ。御園准将だって、連隊長に張り倒されても頬を赤くしてきちんといつもどおりに仕事しているもの」


 連隊長がミセスをぶったたく? 小笠原って怖いと光太がたじろいだ。


「そういうところだって。女として大事にしてくれるところもあるけれど、女であっても軍人である以上甘えてはいけないところもある。それが今日、父が見せたものだよ」


「……かもしれないですね」


 また心優の横で、光太が溜め息をつく。ここ最近の『かっこいいとテンション上がることもあるけど、かっこいいの裏にある過酷さとの表裏一体が辛い』という顔。


 それでも工学科へ行く道の途中、心優の顔を見た隊員の誰もが驚き『どうしたの』と聞かれれば、『父親の園田教官と警備隊の模擬実戦でこてんぱんにやられた』と素直に答え、『聞いたよ! ほんとだ、お父さんの本気すごいな』と、大魔神のキルコールを耳にした隊員達も心優の顔を見て唖然としたり……。


 今日も工学科まで、御園大佐が揃えたこれまでのスクランブル映像などの資料を取りに行く。


 階段を上がりきり、角を曲がる。今日は誰もいない。いなかったけれど、工学科科長室のドアが開き、あの黒髪の彼女が出てきた。


 彼女もお使いに行くのか、小脇にいくつかの書類封筒やデータ資料のジップパックを持っている。


 その彼女と目が合い、正面に向きあう。彼女が心優の顔を見て、とてつもなく驚き後ずさった。


「ええっ、園田さん。その顔、どうしたんですか」


 父の張り倒された頬は少し腫れ、口元は切れて黒ずみ血の痕、そこに准将が絆創膏を貼ってくれたばかり。


「警備隊の護衛訓練でね」


「えー、信じられない!! 女の子なのにそんな顔になっちゃうの!?」


 甲高い声に、仰々しい驚き方。心優の隣にいる光太の方が先にムッとした顔になる。


「それに、ボタンがちぎれているじゃないですか」

「あ、これも警備隊の……」

「女子力、ほんとになくなっちゃうんですね。護衛官って。お疲れ様です」


 労ってくれているような言葉を付け加えてくれても、棘ある言葉に、哀れむ目。女として可哀想――という彼女の、でもどこか勝ち誇った黒目が心優をきらっと見上げている。


「あの!」


 光太が一歩前に踏み込んだが、心優はそれを制した。

 いいのよ。悔しくもなんともないから。そっと耳元に囁くと、光太も渋々退いてくれる。


 こんな彼女の女を軸にした憐れみなんてぜんぜん悔しくない。いま、心優が悔しいのは『護衛官失格、キルコール』をされたこと。


「園田さんて背も高いし、男みたいですね」


 華奢な彼女が下からくりっとしたかわいい瞳で覗き込む。彼女と並べば、心優は確かに背をだいぶ越している。光太がそれより少し上。その青年と違わぬ長身のため、彼女と並ぶと確かに心優から華奢なものは消え失せる。


 くっそ――。光太の堪忍袋の緒が切れそうで、心優はヒヤッとしたがその瞬間。工学科科長室のドアが開いた。


「こら、春日部! 俺の話を最後まで聞かずに飛び出すんじゃない!」


 眼鏡の大佐殿がしかめ面で出てきた。


「あ、園田。来てくれたんだ。準備できているから……」


 そう言って、御園大佐が心優の顔を見て、眉をひそめた。


「どうした。その顔……」


 どうやら、工学科までは『大魔神のキルコール』の話はまだ伝わっていないようだった。


 心配そうにして、御園大佐が心優の目の前まで来てくれる。


「今日、護衛部の訓練ではなかっただろう。准将室でなにかあったのか」


 奥様のそばにいる護衛官の負傷。訓練でなければ、業務上なにかあったとすぐさま察するところが、やはりミセスの旦那様。


「いいえ。今日から始まった警備隊のミーティングで」


「今日はただの話し合いだけのはずだ」


「横須賀から来た園田教官に、甘い気持ちがどれだけのものかと……。徹底的にやりこめられました」


「え、園田教官!?」


 御園大佐ですら知らなかったようで、驚きおののいている。


「奥様の准将は昨日にはご存じだったようですが、父のたっての願いで、当日まで娘には知らせないで欲しいということで、私も本日知りました」


「それで……。徹底的に? 隊員達の目の前でか」


 『はい』。小さく微笑みながら、心優はまた泣きたくなってうつむき加減に頷いた。


「やだ。園田さんのお父さんて酷いですね。信じられない!」


 その顔にしたのは父親に殴られたからと知った彼女が、またあからさまに驚いた。


 その瞬間。眼鏡の大佐の青黒いホークアイが鋭く彼女へと光る。


「春日部、もう一度、言ってみろ」

「え、」

「なにが信じられないのか、答えろと言っている」


 御園大佐が冷ややかに奥様を叱る時と同じ目になっている。心優でさえ、そして光太も震えあがっていた。


「あの、でも、私は、父に叩かれたことなど……。娘を叩く父親なんて……」


「父娘それぞれだ。格闘家の父親が、どんな危険があるかもわからない国境の最前線へ出向く娘を弟子として送り出す。身を護って帰ってこられるようにと、敵の男以上の力で身をもって教えたと思えないのか」


 大魔神のキルコール。その情報はまだ届いていないだろうに。心優の顔の傷と痣が、父親がやったものだと知っただけで、そう考えてくれる御園大佐の奥深さに、心優はまた泣きそうになるが、彼女の前なので堪えた。


「俺は、『愛』だと思う。わからないならそれでいい。その遣い、早く行ってこい。それとこれも、第一中隊の後は、配送課だ。遠い配送課の用事を避けたくて、俺が頼む前に飛び出しただろ」


「あの、配送課に行くとすごく遠回りです。まとめて届けられないのですか。明日の午前に郵送物回収の時でもよろしいのではないかと」


「そうか。では、俺が行く。できることをできないというならそれでいい。第一中隊だけ行ってこい」


 彼女が凄く怯えた顔になった。それでも、言うことを聞きたくないとばかりにふるふると震えている。


「もっと効率の良いやり方が……」

「その効率は俺が考えている。従えないのか」


「いまどき、こんな手渡しなんておかしいです。データでのやり取りもできるはずですよね」

「ここではそういうやり方なんだ」


「父に進言します。小笠原でもっと効率の良いやり方にするように徹底指導してもらえるように! 司令部にいるので考えてくれるはずです」


 あの御園大佐に『司令部』を盾に堂々と意見する彼女に、心優はギョッとした。まるで上官を従えようとしているかのような態度、しかも当たり前といわんばかりに。


「ほう、司令部に進言してくれるというのか。それは有り難い。では、お父上にそう言ってみろ」


 割と柔軟な御園大佐の受け止めに、彼女の笑顔が輝く。


「では、早速――、父に」


「だが、司令部から指示が来ても俺ははね除けるし断る。中佐如きのおまえの父親の言うことなど、大佐の俺がどうして聞かねばならない」


 いつにない御園大佐の権威を振りかざす切り返しに、またまた心優は仰天する。隣の光太も『うわ、すげえ』と茫然としている。


 それは春日部さんも同じく。『中佐如きの父親』と言われ、口をぱくぱくしていた。


 なるほど。確かに、これは御園大佐の下では、彼女の父親の庇護は効きもしない。


「父は司令部の、司令総監のそばにいるんですよ!」


 えー、今度はお父さんの上官を盾にしてきた! 心優と光太は一緒に絶句しドン引き状態!


「では、その司令総監の言葉が俺まで直々に届くように連絡をしろ。話はそれからだ」


「ほんとうに進言しますからね」

「はいはい」


 面倒くさそうに御園大佐が切り捨てた。こんなぞんざいな扱いをする御園大佐も珍しい。


 でも彼女はぷりぷりふて腐れながら、お遣いに出掛けていった。

 そして御園大佐が脱力した情けない顔に。


「こりゃだめだ。俺でも無理だ。世間知らずすぎる。これはお父さんの春日部中佐が、細川連隊長に『どこにも行き場がない娘を預かって欲しい』と泣きつくはずだ」


「え、そうだったのですか。春日部中佐直々の申し出だったんですか」


「そうだよ。司令総監のそばにいる中佐に恩を売っておけば、これから海上の艦隊になにかあった時にこちらの意もうまく汲んでもらえると、正義さんがその条件を狙って引き受けたんだよ。ま、適当に流せと言われているからいまのところその方針」


 やっと彼女が来た意図を知り、心優は納得する。そして、彼女を預かることで司令中枢にいる秘書官中佐から司令総監に快い進言をしてもらう戦略でもあったのだと。


 そう知った以上、心優もうまく受け流さなくてはならないと言い聞かせる。

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