7.大魔神キルコール
道場でそうであるように『開始』の声などない。構えた瞬間、飛び出せる方から即刻行けということ。
それでも、心優は前に行けない。父がどれだけの腕前か、そして久しぶりに見る本気で構えた父の気迫に気圧されてしまったから。そう、あの時のように! 父よりも小柄だったけれど、中東系の四角い顔をしたがっしり傭兵と対峙した時も、こんなかんじで心優は躊躇っていた。
「心優、それが隙だ」
ハッとした時には、目の前の大男が姿勢を低くしたまま、細身の娘へと猛ダッシュ。しかし心優も構えをそのままに、真っ正面から迎え撃つ!
お父さんだからって遠慮しない! ここで一発でやられてたまるか! 格闘家としての血が一瞬で滾る。
父が胸元を掴もうとしたその腕を、上蹴りで払いのける。
「ハッ!!」
「くっ」
心優の胸元を制しようとした父の片腕がバンと横に跳ねとばされる。あの時とは阻止したものが異なるが、攻撃を阻止されたその『隙』こそが心優の好機!
お父さん、もらうよ。あの時だって、それで一瞬を制したわたしが優勢になった。いまもそう! それにこれを教えてくれたのはお父さんとお兄ちゃんだから、できるに決まってるでしょ! 教わったそのままやってやるわよ!!
その隙を制するのは娘のわたし、シルバースターを叙勲したのはたまたまだなんて言わせない!!
傭兵をやりこめた時のように、手を払われ大きく防御スペースが開いた腹、あるいは胸! そこにめがけて心優も懐を狙う――が、一歩踏み込んだ瞬間。
「あの傭兵と一緒にするな。甘い」
低い声が耳元で聞こえ、訳がわからないうちに襟首を掴まれ、狙っていた大男の懐が遠のいていく。腕を払いのけられた父だったが、構えを直さずとも残っていた左腕でつっこんできた心優を上から掴んでいる。
しまった――!
気がついた時にはもう遅い。男の力は強く、そして的確で、無駄なくスマートな切り返し。
わざとだ。わざと腕を払いのけさせ、空いたスペースに油断して入ってきたわたしを、待っていたんだ。狙っていたんだ!
襟首を掴まれ父の身体から離され突き飛ばされた心優が体勢を後ろに傾けてよろめいた瞬間、ネクタイを外した正面襟首を掴まれていた。
あとは、お得意の柔道技……、じゃない、受け身も案じない『本当の戦闘時はこうだ』とばかりに、力任せに投げられていた。
『うわ!!』
『うそだろ!』
男達も驚愕の声、そして宙に浮いた心優の身体は、すぐに落下する。男達がいるデスク群の中へ。心優が投げられたそこにいた男達がびっくりして席から立ち上がり逃げた。
ガタガタガタガタ――と、机と椅子がなぎ倒され心優は床に落下する。巻き添えを食らった警備隊員も除けはしたが床に尻もちをついている男もいる。
「う……っ」
なんとか咄嗟の受け身をして頭を守ったが、身体は強い打ち身。
『城戸中尉――』
『園田さん、大丈夫か』
案じた隊員が手を差し伸べてくれたが、
「触るな! そこをどけ!」
父のあのおっきな声が、怒声で響き渡る。その迫力におののいた警備隊員達が、倒れている心優からさっと退いた。
立てずにいるそこへ父がやってくる。しかし傍に来たかと思うと、父は心優の細い身体の上に容赦なく馬乗りになった。ドンとお腹に重厚感と圧迫感。大男が乗っかったため、身をよじることもできない。
「くぅっ!!」
「どうした、それで終わりか。残念だ。これでミセス准将ががら空きだ。そこの男に命じれば、一発で艦長も殉職。護衛官失格だ」
「終わりじゃない!!」
悪魔のような父の眼差しに、心優も懸命に抗う。周りを囲っている男達の青ざめている顔がいっぱい。その中に、眉間に皺を寄せているシドの顔もちらっと見えた。
「どこを見ている。そんなに気を散らしている場合か!! 目の前の敵に集中しろ!!」
シドに気を取られているその隙も気がつかれてしまい、父が大きな手を振りかざした。
うそ、お父さん、本気――。
馬乗りになっている父が真上から容赦なく、仰向けに制圧させられている娘の頬を平手で横殴りにした。
パンという軽いビンタなんてものじゃない、本当に『バチン!』と力いっぱいの横殴り。さすがの心優もその痛さに目が眩んだ。
「傭兵ならここは拳だろう。手加減してやったんだぞ、心優は女の子だからなあ」
痛さで目が眩んでいるけど、うっすらと見えた父の顔が、本当に悪魔で鬼の顔……。
お父さん。そうなんだ……。こうやって、特殊部隊の隊員を育ててきたんだ。これが『園田教官』。
ついに心優は力を抜き、降参していた。その意志を確認した父の攻撃はまだ終わらない。抵抗意志を失っているにもかかわらず、父が娘のシャツの襟元をぐっと左右に開いた。
え――!? またそれだけで、警備隊の男達がどよめく、ざわめく。『うそだろ』、『マジかよ』、『鬼だ』と震える声。
たとえ娘であっても容赦しないとしても、女の隊員にそこまでするか。胸元までは避けられたが、第一ボタンと第二ボタンがちぎれた音が聞こえた。
開いた女の首元、そこに父が手を突っ込み、なにかを見つけ掴み、それを素早くシャツの中から引き抜いた。
父が掴んでいるもの。それは、銀色のドッグタグ。それを警備隊員達に見せつけ、ぐっと掴んで引っ張り上げた。
「お、お父さん!」
父の手に、銀色のタグとチェーン。それが室内の灯りできらめきながら、心優の首元でぶちっと切れて高々と離れていく。
「これで、殉職。戦闘機でいうなら、キルコールといったところか?」
そのドッグタグすら、父は遠巻きに囲んでいる男達の足下へと容赦なく投げ捨てた。
以上。父は静かにそう言うと、馬乗りになっていた娘の身体から降りた。
父が背を向け、金原隊長が黙って控えていた前方へ戻っていく。きっとここまですると話し合っていただろうけれど、金原隊長も沈痛の面持ちだった。
「心優!」
仰向けに倒れたまま立てずにいる心優のそばにすぐに来てくれたのは、シドだった。
彼が男らしく心優を抱き起こそうとしたけれど、心優はその手を払った。その気持ちも通じたのか、シドはそのままにしてくれる。
心優も力無くやっと身体を起こしたが、頬が熱く、そして血の味もする。口元が切れいてるようだった。
そしてシドが、心優のそばで跪いたままの姿勢で、あの父を既に睨んでいた。
「おまえの親父、すげえな」
彼が小さく呟く。でも先ほどの生意気な顔ではなくなっていた。マジであの男に教わりたい。そういう畏怖を込めた、でもあの鬼畜の精神に挑んでやるという闘志の目になっている。
「心優さん、大丈夫ですか」
光太も駆けつけてきた。彼の手に引きちぎられたドッグタグ。拾ってきてくれたようで心優に差し出してくれた。
「ありがとう、吉岡君……」
でも、なにもなくなった開いた襟元に手を当て、心優は青ざめる。
ない。ブラックオパールのペンダントがない!
婚約の石、雅臣からもらったキャッツアイ!
すぐに父がドックタグを投げた方へとよろめきながら床を這う。
「心優」
探す心優の後ろに、父の声。振り返ると、大きな手にその宝石がきちんと残っていた。
「これか」
「はい。少佐……」
ドッグタグを引きちぎったけれど、その手に違うものがあったと気がついて、投げる前にそれだけ残してくれていた?
金の鎖が切れていた。男達の手前、父は無言だったけれど申し訳なさそうな目をしているのが、娘の心優にはわかった。
「大丈夫です、ありがとうございました」
「なくすなよ」
雅臣からもらった婚約の石だと、沼津に帰った時に見せていたから……。
だめだった。情けないけど、涙が出てしまった。
「これからよろしくお願いします。艦長を絶対に護りたいです」
「わかった」
もう男達もシンとしていた。
しかし、警備隊の男達の空気も一変。彼等の目が、特にシドを含めた特殊部隊チームの男達の目の色が燃えていた。
この教官に徹底的にやってほしい。そんな闘志の目。
娘にも容赦しない気持ちでやってきた。そして以前とおなじ気持ちで空母に乗るのは甘いということを徹底的に教えたい。そんな園田教官の先制だった。
その後、心優の父親は『大魔神』と呼ばれるようになっていた。娘を容赦なく張り倒した、大魔神のキルコール。この出来事もまた、明日までには小笠原基地で広まってしまうことだろう。
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