11.王子君は、しらんぷり

 でもトレイに伸びた彼女の手を、がっしりと掴んだ男の手が心優の目の前に。


「謹んでください。こちらはいまから連隊長室にお届けするものです」


 光太が心優の前に半分だけ立ちはだかり、彼女を退けた。後先考えずに手を伸ばした春日部嬢も、我に返って引っ込めた。


「なによ。こっちにきてこんなお菓子と無縁になったからついびっくりしただけ……。仕事でそんなスイーツを持ち歩いているなんて思わなかったんだもの。でも、ずるい。どうして園田さんがそれを持っているの」


「御園准将が鎌倉から来られた方よりいただいたものです。それを連隊長にお裾分けされたいとのことで、お届けするところです」


 彼女のがっかりした顔……。本島で横浜だ鎌倉だ都心だとお買い物を楽しんできた独身女性ならば、離島暮らしとなるとそんな流行のお店とは縁遠くなるのは確かだった。


 島の基地は日常生活には困らないほど物資も豊富だけれど、独身女性がお洒落に暮らしたいとなるとそこは楽しみに乏しいのも事実。


 心優は御園准将のおかげで、普段、女の子達が我慢しているものも安易に手にはいることがある。そう思うと、来たばかりの彼女には酷なことかと、『では、わたしが頂いたものをお裾分けしようか』と思い至ったのだが――。


「いいわよね、園田さんは。御園准将のおそばにいるおかげで得していることいっぱいあるんでしょう。空母に一緒に乗って、無事に還ってきただけで『シルバースター』なんでしょ。それだけで讃えられて」


 彼女がいつかそう言いそうだなと心優は予測していたが、光太は呆気にとられていた。


 沼津の母が『付き添って無事帰還しただけでシルバースターなんて、御園って凄いわね』と感じていたように……。春日部嬢も母と同等の部外者みたいなもの。そう思われていて、そう言い出すのも当然かと心優は思っていた。


「春日部さん、失礼ではないですか。園田中尉が叙勲したのには、それだけの功績があったんですよ」


 もう光太も黙っていられないようで、今回はついに春日部嬢に踏み込んだ。


「はあ? 女性護衛官として持ち上げられているだけでしょ。女性採用の広報みたいなもんでしょ。横須賀でもそう言われていたわよ。いい気にならないでよ!」


 真っ正面からそう言われ、心優はうっかり怯んでしまった。だが今回は光太も止まらない。


「春日部さん。勘違いしないでくださいよ。こちらは、中尉だってことを」


「たいして歳も変わらないし、御園の力を借りて、女性護衛官ってだけで昇進した人のこと認めてなんかいないから。城戸大佐だって、御園のそばにいてなにかと有利だから園田さんを選んだんでしょ。でなければ、ねえ……」


「それが上官に対して言うことですか!」

「やめなさい、吉岡海曹!」


 かばってくれて嬉しいけれど、ここで騒ぎを大きくすれば、上官である心優にその甲斐性がないとされてしまう。ここを収めるのも上官で先輩の実力――。


 だがそこで、またエレベーターの扉が開いた。今度は上から誰かが降りてきた。


 また降りてきた男性を見て、心優はハッとする。


「おう。おつかれさん」


 金髪にアクアマリンの目、凛々しい黒ネクタイに白シャツ制服のシドだった。


「おつかれさまです。フランク大尉」


 きらっとした金髪の王子が現れたので、途端に春日部嬢がしおらしくなって黙った。


「なにしてんだよ、こんなところで」

「いまからそちらの連隊長室へお届けものにいくところでした」


 だがシドの手にも、心優と同じように銀のトレイ。


「同じだな。俺もだよ。ボスの奥様が本島にお買い物に行かれたとかで、葉月さんへと紅茶缶をいくつかお土産に持ってこられて、届けに行くところ」


 トレイの上に、海外高級銘柄の紅茶缶が三つ。葉月さんが好きなアールグレイとダージリン、チェリーフレーバーの缶だった。


「そっちはシフォンケーキか。うちのボスが喜びそうだな」

「鎌倉から来られたいつもの調律業者さんが、お土産に持ってこられたそうです」


 だがシドの目線がキッと心優のそばにいる光太へ向いた。


「おい、そいつどうなんだよ」


 最近、シドは光太を見るとこうして睨んでくる。『なんだよ、おまえにひっついているあの男!』と最初は怒っていた。でも雅臣の意向と今後を見据えたためのバディ配属と知ると、なんとかその感情を収めてくれたのだが。


「だいぶ慣れたよね」

「はい。フランク大尉、これからもご指導よろしくお願いします」


 光太も最初は怯えていたが、護衛部の訓練などで顔合わせをするうちに、シドのことすら慣れてきて、逆に光太のほうがうまく距離を取ってくれている。


「で、そっちは誰」


 シドが、しとやかにそこにいる春日部嬢を見た。でも心優は訝しむ。シド、知らないの? 連隊長室にいるならどこに誰が来たとか良く知っているはずだけれど……と。


「工学科科長室にこられた春日部さん」


「ああ、隼人さんが毎年受け入れているヤツか」


「初めまして、フランク大尉。いままでのご活躍、よく耳にしております。素晴らしいですね」


 う……、やっぱり王子にはそういう態度なんだと心優は溜め息をつきたくなった。もうさっさとここから離れよう。エレベーターに乗りたい。


「では、わたしは連隊長室へお届けしますので、失礼いたします」

「おう、またな。あ、今度、コータも一緒にダイナーに来い。わかったな」


 シドから誘ったので心優はびっくりしたが、光太のことをどこか認めてくれたんだと安心した。もちろん光太も『はい!』と飛び上がるほどに喜んでいる。


「ほら。効率悪い」


 お互いのお遣いに戻ろうとしたのに。シドと心優をそれぞれ指さした春日部嬢がしかめ面になる。


「ここでトレイを交換されて、ケーキをフランク大尉が、紅茶缶を園田さんがそれぞれのボスのところへ持ち帰って届ければいいではないですか。なんでそんな効率の悪いことされるのですか、秘書室の方ならそれくらいおわかりになりますよね」


 そうなんだけれど……と心優もいいたいところだが、そういうわけにはいかないのが、このお遣い。


 そんな春日部嬢を既にシドが冷ややかに見下ろしていた。


 すごい目つきをしているのが心優にはわかってヒヤリとする。この男、怒ったら手のつけようがないし、子供っぽいモードにスイッチがはいると大人げない激しさで容赦なくののしられることもあるから、その一歩手前?


 なのにシドはふいっと春日部嬢から視線を逸らしてなにもいわない。


「じゃあな、心優。コータもな。またな」


 笑いもしない冷たい顔だったが、いつもの気軽さで、さっさと銀トレイを持ったまま准将室へと歩き去っていく。


「え、え……。どうして」


 効率魔のお嬢さんは、いい提案をしたはずなのにわけがわからないときょとんとしていた。


 でも心優の後ろで光太はニヤッとしていた。『王子、眼中になし。彼女なんて存在していないってこと』。シドに相手にされなかったということだった。


「園田さんもそう思ったでしょ」

「思いません。では、急いでいますので、失礼いたします」


 また彼女がぎょっとしている。このお遣いでボスが望んでいるのは、自分の様子や言葉も届けて欲しいこと。だから頼まれたお遣いは、上司が望んだその方本人のところまで直接届けるまでがお遣い。途中で他の者に託すなどとんでもない。たとえそれが届け先の秘書官だったとしても。もちろん効率を優先する場合は業務上それがベストな時もある。でも、この場合は交換することで効率をはかるお遣いではないから。


 シドもそれはよくわかっているから、自分自身で御園准将まで届け、ボスから預かった言葉も届けに行ったのだ。それが秘書官の務め。


 エレベーターの扉が開いたので、心優はそっと会釈をして乗り込んだ。光太も同じく。


 でも春日部嬢は納得できないと、また頬を真っ赤にして怒っている。

 そんな彼女がエレベーターの扉が閉まる前に叫んだ。


「私も空母に乗るんだから!」


 え? 心優と光太は一緒にぎょっとして、閉まるボタンを押せなくなる。

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