66.艦長を拘束せよ


 密通内通者であった、ハーヴェイ少佐を制圧、捕獲!


 だが艦長はまだ油断していなかった。


「金原隊長、ハーヴェイ少佐を制圧した。拘束衣を持ってきて」

『ラジャー。すぐに参ります。諸星、行け』


 諸星少佐と数名の警備隊員が駆けてくる。


「艦長、お見事でした」

「私ではない。園田とハワードが制した」

「俺じゃないです。心優が見事な空手道で――。そこを自分が制圧しただけです」


 艦長とハワード少佐の言葉に、拘束衣を部下に準備させている諸星少佐が心優を見た。


「凄いな、見たかった」

「いえ、必死で……」


 前ならここで泣きたくなったはずなのに。今回はもうただただ『からっぽ』という感覚だった。


「くっそ、まだ終わっていないぞ! まだあっちの国にはおまえを排除したい軍人がたくさんいるんだからな!」


 黒い戦闘服の警備隊員数名に雁字搦めに拘束されても、ハーヴェイ少佐は暴れて叫んでいる。


「はやく拘束衣を着せろ。口にも嵌めろ」


 自殺防止の拘束専用猿ぐつわを装着されると『うー、うー』という唸り声しか聞こえなくなる。


 目隠しもされ、ハーヴェイ少佐はあっという間に白い拘束衣で身動きできない状態にされた。


「すぐに留置場にて監禁します」

「お願い」


 御園艦長が心優を見た。


「よく護ってくれました。ブリッジも、私も……。アドルフもありがとう」


 艦長護衛官として労われたが、心優もハワード少佐も『いいえ』と揃って首を振る。


「今回は貴方達に怪我はないようね。光太は……」


 艦長が急ぎ足でミスターエドが控えている通路脇へと向かう。心優も一緒に向かった。


「吉岡はどう」


 ミスターエドが今回は素顔をさらしたまま、艦長を見下ろす。


「大丈夫です。数時間すれば目を覚ましますでしょう。麻酔弾から検出した薬品の種類も確認しましたが大丈夫です。針が刺さった部分だけ消毒の処置と以後観察が必要です」


「よかった。シドは――」


「気管挿管の上、出血点を確認し遮断している状態です。これからさらなる処置が必要です。できればこちらのオペ室をお願いします」


「いいわよ。すぐに行って」

「ラジャー」


 そのままミスターエドはすっと走り去っていく。

 そんな様子を見て、心優は葉月さんに尋ねる。


「あの、今回、あの方は……」


「あのような内通者がいると予測して、用心のために今回は『猫』として忍ばせるのをやめたの。彼は軍事の場にて表に顔をさらすのは嫌がったけれど、今回は医師としてフロリダで特別に契約して登録してもらったのよ。だからアメリカのワッペンを付けていたでしょう」


「じゃあ、メディックのためってわけではなくて――」


「犬になってもいいんじゃないって、架空の部隊名であって、彼の今回のみの単独コードネーム。なにかあれば医師から戦闘員へという指令だっただけよ」


 心優は唖然とする。ミスターエドがメディック部隊を引き連れながらも、彼自身がドッグワン――、つまり『メディックワン=ドッグワン』だったのだと。だからフロリダの本部隊員であるハーヴェイ少佐も知らない部隊名で当たり前だったということらしい。その架空のシークレット部隊、御園准将のはったりにハーヴェイ少佐は怯えていただけということになる。


「そのかわり医師の顔をなるべく貫くという約束だったから、ああやってなにも手出しをせずに控えていたの。なるべく顔と素性を知らせない、今後のためよ」


「そうだったのですか。あの、ミスターエドの本名って」

「登録名は、ジェームス=スミスだったかしらね」


 うわー、偽名そのものじゃないと心優は呆れかえった。でもフランク大将が後ろ盾にいればそんなことはきっとなんとかなってしまうのだろう。


「私も未だに彼の本名は知らない。ずっと前からエドだけよ。聞いても大昔に捨てたと哀しそうに言うだけなの」


 過去があって御園に寄り添うようになったと心優も雅臣から聞かされていた。そのミスターエドが率いてきたメディック隊がシドを担架に乗せて運び出すのが向こうに見えた。


「行ってきてもいいわよ。目の前で刺されたのでしょう、いってらっしゃい」


 一瞬迷って――。でも心優は頷いて、走り出していた。

 本当はいちばんにロックが解かれた管制室に飛び込んで雅臣に無事な姿を見せたかった。でも。

 ――『艦長の護衛に気易く触るな』

 シドがあの鋭い嗅覚で心優を守ってくれたから。ハーヴェイ少佐の悪意の手先が触れないよう守ってくれたから!


 制圧された男達を次々と連行する警備隊員達の間をすり抜けながら、心優はオペ室へと運ばれていくシドを追う。


「す、スミス隊長」


 言いにくかったがそう叫ぶと、ミスターエドが振り返った。


「園田中尉」

「フランク大尉は……」


 彼が首を振る。いまは意識がないという意味だと心優にも通じた。

 それでも立ち止まってくれているミスターエドの側へと心優は行く。


「急いでいます。この艦内で処置後、沖縄基地の軍医療センターまで搬送する予定です。そこで予後を見ます」


 つまりもうこの艦には還ってこないということ。帰還するまでもうシドとはなにも話せない。


 それでも心優は、口に呼吸用の管を押し込まれた姿になって横たわっているシドの手を握った。冷たくなくて温かさを感じることができて、そこでやっと涙が出てきた。


「シド、守ってくれてありがとう。だからお願い、頑張って。会いに来てよ絶対に。わたしも頑張って還るから。帰ったら、一緒にごはんしよう……、ダイナーでビール飲もう、ね……」


 彼の黒い戦闘服にぽつりと心優の涙が落ちた。


「私から伝えておきます。行きます」


 いつもの淡々としているミスターエドの声に、心優も仕方なく担架から離れる。すぐさまシドが運ばれていく。


 その担架を見送って、心優は騒がしい通路を戻る。光太も担架に運ばれ医療セクションへ運ばれていくのが見えた。御園艦長とハワード少佐がその担架を見送っているところへ戻ろうとする。


 その途端だった。心優の耳に聞こえてきた男性の声。


『御園准将を拘束せよ。艦長業務を停止とする』


 メインインカムに聞こえてきたその声は、海東司令の声だった。


『これからこの艦の指揮はひとまず横須賀司令センターの配下に置かれる。現場監督責任者として御園大佐を任命する。ただちに代理の艦長を派遣する。これより御園准将はブリッジへの滞在と出入りを禁止する』


 もう管制室には入室させるな。

 最後の険しい海東司令の指示に心優は凍り付く。


 管制室のドアが開いた。そこから御園大佐が出てきた。

 御園大佐も指示をするためのヘッドセットを付けている。


「艦内クルーへ伝達する。ただいまよりこの艦は、横須賀中央指令センターの指示により、私、御園隼人の指揮下に置かれる。御園葉月准将を拘束せよとの指示あり」


 そして御園大佐が、通路の向こう側に控えている金原隊長に叫んだ。


「金原警備隊長、空母航空団司令からの指示だ。やってくれ」


 眼鏡の大佐が表情も変えずに言った。

 心優も御園准将の元へ急ぐ。


「覚悟できているんだろ」


 御園大佐がうつむく妻の目の前で、やるせなさそうに呟いているところだった。彼女も素直にこっくり頷く。


「海東司令が、貴方を責任者にしてくれて良かった。雅臣にはまだ空に専念して欲しいから」

「そうする。代理の艦長も馴染みのある艦長を指名してくれるだろう」


 横須賀に送還され、厳しい査問があるだろう。大丈夫か――と御園大佐が艦を去るだろう奥様を労っている。


 金原隊長も信じられないという顔で、准将と大佐の目の前にやってきた。


「あの……、ほんとうなのですか艦長を拘束とは」


「本当だ。他国籍機の領空侵入を許可、侵犯機に対しての撃墜命令も勝手に解除したからだろう」


「ですが。あそこで准将が思いきって許可してくれなかったら、自分達の艦が危なかったんですよ」


「だが、本来ならば中央指令センターからの指示を待つべきだった」


 心優もそれを聞いて食ってかかる。


「艦長は艦もパイロットも護ったんですよ。コーストガードへの攻撃だって、侵入を許可したことで終わったんですよね」


 そこで心優は久しぶりに、ホークアイの恐ろしい視線に射ぬかれ、どっと冷や汗をかく。


「部下までがこのように擁護するとあっては、違反者に対してより厳しい取り締まりがあることだろう。そこをよく踏まえろ」


 心優も金原隊長もそこで押し黙るしかなかった。擁護すればするほど、御園准将が部下を扇動したと見られ罪が重くなる、艦長の一存に留めとけという御園大佐からの諫めだった。


「金原隊長、地下の謹慎室へ連れていってくれ。警護を付けるよう言われている。部屋の前に警備員を二名頼む」


「か、かしこまりました」


「この妻はなにをするかわからない。部屋まではきちんと拘束紐にて連行してくれ」


「連行……て」


 御園大佐の容赦ない指示に、金原隊長がショックを受けた顔になる。それは心優も、そしてそこに控えているハワード少佐も同じだった。


「待ってください。御園准将の腕を拘束して――ということですか」


「そうだ。夫の俺でも止められない妻だ。夫だからこそ、案じて命じている。警護を付けて、きちんと一室に拘束せよと言っている。部屋に入れたら外してやれ」


 まだ金原隊長は納得できない顔をして唸っている。

 そこへ、御園准将自ら両手を出してきた。


「金原中佐、仕事よ。きちんとしなさい。もしこれが澤村でも私は彼と同じように『夫を縛れ』と指示をする」


 御園准将からそう言われてやっと、金原隊長は腰に備えていた拘束紐を取り出した。


「失礼いたします」


 御園准将の腕に紐が掛けられた。


「緊急で横須賀指令本部から代理の艦長がくる。今夜になるか明日になるかってところだな。拘束となった艦長は横須賀司令部へ強制送還、その迎えは本日中に来るとのことだ。それまで大人しくしていろ」


「わかっている」

「チョコレートぐらい差し入れてやる」


 あらそう――と御園准将がそこでちょっと笑うと、何故か御園大佐もふっと微笑み返している。夫妻の覚悟はもとっくに決まっている。


 そして心優も同じ!


「御園大佐。わたしは准将に付き添います。わたしは御園准将の護衛官です」


「いまから俺と代理の艦長の護衛に配置されると思うけれどな――」


「それでいいのですか!? 女性ひとり一室に閉じこめてそれっきり。職務停止を言い渡されても御園准将ほどの指揮官が、明日、護衛なしのお一人で輸送機に乗せられてしまうんですよ。まだ内通者がいるかもしれないではないですか! わたしは安心できません、絶対に准将を一人にはしたくありません!」


 そう言いきると御園大佐にまた冷たく見下ろされる。また怒られる? あのゴッドファザーみたいなびんたが飛んでくる??


「わかった。園田も覚悟できているんだろうな。上官の指示に従わなかっただけで、同じような処分を受けるかもしれないんだぞ」


「わたしの行動が間違っているというのなら処分を受けます。でも、こんなに混乱が生じていて、こちらも危険な目に遭ったんですよ。マニュアル通りですべてが護れるものではないと目の当たりにしたばかりです。はっきりいって、中央指令も後手後手だったではないですか」


 そこにいる男性上官達が『うわ』と目を瞠ったのに心優は気がつく。


「園田、おまえ、そんなに気が強かったか? 言うなー」


 御園大佐がしげしげと心優を見つめている。ハワード少佐も金原隊長も苦笑いを浮かべたほどだった。


 だけれどそこまで、心優はまたホークアイの厳しい目に見下ろされる。


「横須賀で査問が始まったら、おまえも自分のことは自分で守れるのか」


「もちろんです。御園准将もお守りします。ですから拘束するなら一緒に……」


「心優、私は大丈夫。戦場に一人なんて慣れているから。雅臣のところに行きなさい」


「嫌です! 葉月さんだって……、隼人さんと……、わたしは護衛官で、夫は飛行隊指揮官で副艦長です。全うするのが夫妻の約束です」


 一歩も引かなかったためか、そこにいる誰もがびっくりした顔でシンと黙ってしまった。


 最後に隼人さんが眼鏡の顔で微笑んだ。


「金原隊長、園田を護衛として付き添わせてくれ。俺の判断だ。男も敵わない空手家だ。艦長を助けようと何をするかわからないので、園田にも紐を掛けて連れていくように」


 それでも金原隊長がほっとした顔になった。


「かりこまりました」


 そうして金原隊長が『大佐の指示だ』と言いながらも、心優の腕にもきっちりと拘束紐を掛けた。


「御園大佐、自分も御園准将の護衛官です。明日一緒に横須賀に行かせてください」


 ハワード少佐も願い出たが、今度御園大佐は険しく却下した。


「駄目だ。園田は准将と同性の女性だから許可した。一室に男と女が混ざっているのも困る。たとえ信頼されている異性であってもだ。それにアドルフは護衛の主力、代理の艦長を護衛してもらわねばならない」


 これは絶対命令だとまで釘を刺され、ハワード少佐は残念そうにうなだれた。


「連れていってくれ」


 御園大佐のその指示で、心優とミセス准将は警備隊の男達に囲まれブリッジを後にする。


 甲板レベル1、2と階下へと降りる階段で、心優は管制室へとそっと振り返る。


 御園大佐に言われた。『雅臣君はまだ飛行隊を指揮している。雷神もまだ現状報告の偵察に追われていて着艦していないから、今ここには出てこられない。小笠原帰還まで会えなくなるかもしれないがいいな』――と。その覚悟もあって護衛の道を選ぶのか。そう聞かれた。


 当然だった。ここで夫と離れたくはないと、司令部の指示通りだからと、管制室に戻ったら。きっと雅臣はこう言うだろう。


 どうして御園准将から離れた。おまえはそのために引き抜かれた女性護衛官ではなかったのか。


 ―― 臣さん、どうぞ無事で。


 彼の左腕にある時計が護ってくれる。そんな気もしながら、心優は謹慎の身となった。

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