72.ミセス艦長の処分決定
拘束されて五日目。その朝、山口さんが朝食を持ってきた時に、にっこりと言った。
「お食事が終わりましたら、荷物まとめてください。新しいお部屋に移動します」
えー、まだこの生活が続くの? 部屋を変えられるより少しでも良いから話し合っている経過を知りたいと、心優はげんなりとしながら荷物をまとめた。
迎えに来た山口女史が『お忘れ物はありませんか』と言いながら、光太にぷっくりと膨らんだ薬の袋を手渡した。
「え、なんですか。これ」
「吉岡海曹を診てくださったドクターからです。毎日欠かさずに服用するようにとのことでした」
「あの、処方箋をくだされば自分でもらいに行きます。こんないっぱい」
「よろしいではないですか。薬局に行かれるのも一手間でしょう。あそこはいつだって混んでいるのですから」
まあそうですよねと光太も素直に受け取って、大きなボストンバッグに押し込んでいた。
数日間一緒に過ごした部屋を退室する。警護の男性隊員が数名付いてくる。そして連れて行かれたのは、なんと『総司令官室』!
「夏目総司令がお待ちです。どうぞ」
山口女史がドアを開けると、夏目中将総司令がすでにデスクに座っていた。山口女史が彼が座っている椅子の横へと控える。
「待たせたね、御園准将。君の処分が決まったよ」
部屋の移動ではなく、ついに処分決定の言い渡しだった。言い渡されたら、そのまま小笠原への帰宅となるから荷物をまとめさせられたと心優は知る。
「覚悟はできているね」
「はい」
「悔いはない――という言葉に偽りはなさそうだったね」
「はい」
制服ではない、任務の時のままの紺色の指揮官服を着ている准将に向かって、夏目中将がどこか優しい眼差しで告げた。
「御園准将、防衛巡回の艦船指揮から降りてもらう。君が艦長に任命されることは二度となくなる。さらに人事が決まり次第、小笠原の空部大隊長も退いてもらう」
もう空母に乗る航海任務はないということ。しかも、大隊長も解任とまできた! しかし懲戒免職ではない。少しだけほっとした。でももうミセス准将が『艦長』と呼ばれることは……。
「承知いたしました。では本日はこのまま小笠原に帰還してもよろしいでしょうか」
「駄目だ。君は『今』の任務を放棄するのかね」
「あの……?」
夏目中将が席を立った。
「これが最後の航海だ。今の任務は既に『任命』したものである。いま就いている任務は全うしたまえ。君が帰るのは洋上、西南の海だ」
御園准将がさすがに呆然としている姿がそこに。でも心優の目にはもう涙が浮かんでいた。光太はもう拳で涙を拭っている。
「ここからは私個人の戯れ言にて。決して口外しないように。葉月君、よくクルーと国防前線を護ってくれた。あの決断がなければ、今頃は空母が炎上する報道がされていたかもしれないし、国同士の摩擦が加速化することも考えられた。その功績は大きいと思う」
夏目中将個人からの労い。非公式でもそう言ってもらえば、御園准将も報われると心優もほっとする。
「だが君の決断がどれだけ危険すぎるかわかっていたのだろうか。若い頃から君はそういう決断を何度もしてきた。しかし、これが見事な勘と言おうか。そのどれも君は飛び越えてきた。今回もそう。私はこの地位に就いてこの歳になって余程のことには驚かなくなったし腹も立たなくなった。だが、君がフランカーと交渉をして彼等の手で爆撃をさせる決断をしたと知った時、その決断に激しい嫉妬もしたし、羨ましくも思ったし、自分を情けなく思った。滅多にない感情の揺さぶりを覚えた」
本当は怒っていた。夏目中将はそう言いながらも、御園准将を娘を見るように優しく見つめている。准将もその目を素直に見つめ返していた。
「私、総司令の決断も、空母航空団司令である海東君の決断も飛び越え、君はタブーの領域で決断をし、私達を飛び越えていった」
「申し訳ありませんでした。なのにこのような恩情ある身の置き方にしていただきまして感謝の念に堪えません」
「もちろん、各所との会議も揉めに揉めたよ。しかし、分刻みの経緯をどんなに再確認しても、君のあの時の決断がなければ、どうあっても被害がでていたのは否めなかった。それが君が懲戒免職や更迭にまでならなかった要因だ」
そして、さらに――と、夏目中将が付け加える。
「非公式ではあるが、大陸国からも大使館を通じて声が届いている。武装船舶集団はこちらの国から出た不始末のため、こちらで処理をしたかった。その要求をこちらかした。侵入要求に関しては自国テロ組織の壊滅が目的であり、日本国の中央司令部や、中央官制基地に要請しなかったのは緊急を要するため飛行隊を直に指揮をしている艦隊艦長を指名したまで、日本国に対する攻撃の意志はまったくなかったと表明する――との連絡があり、御園准将がそこを見極められていたという結論となった」
大陸国からもきちんとしたフォローがあったと知って、さらに御園准将が驚いた顔に。きっと王子のお父様がそうしてくれたんだと心優も思った。
「さらに秘密裏に判明したことだが、やはりあちらの軍内部で派閥による衝突があったようだ。王子だったかな、その父親の組織ともうひとつの海軍組織でぶつかっていたそうだ。強行派が無理な戦闘志気を高めすぎコントロールできないまま、日本の防衛前線を攻撃してその軍力を示そうということになっていたらしい。王子の父親の派閥は穏便派であるため、最初こそその勢いに飲まれたそうだが、なんとか回避するために強行派に協力するふりをして逆転するチャンスを狙っていたとのことだ」
「人質にされていた家族はどうなったのですか」
「水面下で保護されていたよ。ダミーの人質と入れ替えるなどの作戦も実行していたようだ」
心優も安心した。王子の新婚の妻が無事で。それにしても『父を甘く見るな。貴女の実家と一緒だから安心しろ』というのは、王子の実家の力もさることながら、お父様もやり手ということがよくわかった。
「王子がどうしても自分達で始末したいと言っていたのは、穏便派の自分達の手で始末してこそ、強行派はもう正規軍ではなくテロとしての位置づけを確立させるためですか」
「そのとおり。強行派はコーストガードや君たち空母を攻撃して損害を出すことで国内での存在意義を持とうとした。対して穏便派はテロを壊滅させること、隣国とバランスを取ることで、軍隊の存在意義を示そうとした。その衝突に我が国が巻き込まれた形になる」
ほぼ御園准将が予測していたとおりだったということになる。夏目中将が続ける。
「誰もが君の決断に度肝を抜いたよ。だが幹部の誰もが思って青ざめていたことだろう。『もし自分がこの艦の艦長だったらどうした』と。しかも内部に不審者が潜入し、その戦闘の対処をしながらの決断。規則を貫き被害が出るのを目の前で受け入れるか、規則を破り君のように免職覚悟で乗員を守るのか。『自分達にそのとき選ぶことができるのだろうか』と我がことのように身につまされた男達も多かったようだね。さらに日本国で爆撃を実施するのも滅多にないこと、そこを大陸国側から『自分達の後始末』だからと肩代わりしてくれたことにもほっとしている幹部も実は多いはずだ。しかし現場の指揮官にすべての判断を委ねるのは危険であるため、君の判断が正しくとも規則を破ったからには厳しくするのも私達の仕事で使命である」
私達、中央司令部も緊急時の連絡や現場判断の権限について見直しが必要だと思う事件となった――と、夏目中将が締めくくった。
「正直、君を艦から降ろすことは大きな損失だ。そう思っている幹部も多いようだった」
「ですが、総司令、私はそろそろバックアップの立場になりたく思っています。城戸大佐を艦長として支えていく所存です」
「わかっている。少し早いタイミングとなったが、これでいいよね。葉月君」
彼女をよく知っているおじ様のような声で夏目中将が笑った。御園准将も感極まる何かがあったのか琥珀の目がすこし潤んでいる。
御園准将が少し遠慮がちに夏目中将に尋ねる。
「海東少将はどうのような処分に……」
「彼は空母航空団司令のするべきことをしていたとしてお咎めなし。君より三日も早く復帰して、西南の空母を指令センターで見守っているよ」
御園准将がやっと笑顔になる。心優も海東司令も復帰できたと聞いて安心する。
「御園准将。これからは、パイロットの技能強化に精神を注いでくれ。期待している」
さらに総司令官が後ろにいる心優にも微笑みかけてくれる。
「よくぞブリッジロックを促し、指揮機関への侵入を防いでくれた。最後に内通者である少佐を素手の空手で制圧したそうだね。一度見てみたいものだね。艦と艦長を頼みましたよ」
中将は光太にも微笑んだ。
「艦長を護るという使命をまっとうする心意気、よく伝わりました。ただ、君が自覚しているとおりに自分の身も護れる護衛へと精進したまえ。君の成長を楽しみにしているよ」
夏目中将から敬礼をし、声を張り上げた。
「最後の航海を全うしたまえ。我が国の海域領空を護りたまえ」
「はい、総司令。行って参ります!」
御園准将のキリッとした敬礼に合わせ、心優と光太も敬礼をした。
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