カクヨム先行 おまけ⑥ 旦那さんたちのお留守番1(奥さんの忘れ物)
気が抜けた。いや、気を抜いている場合でなはいけれど、気が抜けた。
管制室から見える夕空を眺めながら、雅臣はぼんやりしていた。
またもやこの艦で重大なことが起き、艦の任務業務も停止してしまった。
またもや『調査団が来るのでそれまで停泊を』の指令が出た。
だから、しばらくはスクランブルなどは来ないのだ。
しかも艦長は更迭とまでいかなくとも、拘束され横須賀司令部に連れて行かれた。
その護衛として、心優も同行。あの戦闘が終わってすぐに、彼女もボスに付き添って拘束されたため、ひと言も交わせずに送り出してしまった。
「大佐、大丈夫ですか。よろしかったらこちらを」
指令室にいる秘書官、『お父さん』と呼ばれている福留少佐がご自慢のコーヒーを紙コップに入れて持ってきてくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
「大変でしたね。奥様とひと言も交わせないまま送り出して、ご心配でしょう」
「いえいえ、彼女が選んだことですから。もし、准将に付き添わずにこちらに残っていたら、たぶん、怒っていたと思います。大佐としては、ですけど」
大佐と少佐と階級は雅臣が上だが、長い年月、軍隊の縁の下を支えてきてくれたのはこうした福留少佐のような『お父さんたち』だから、雅臣はいつも敬意を抱いて接している。
そのお父さんは、心優にとっても同じ秘書室の先輩で『お父さん』だったから、彼も心配そうにため息をついた。
でも、どうしてか少しおかしそうに笑った。
「とはいえ、あの心優ちゃんだから、いざとなったらとても頑固で強気になれて。きっと大丈夫でしょう。聞きましたか? 御園大佐や金原隊長の目の前で『艦長は悪くない、横須賀司令本部が後手後手だったから、艦長が決断するしかなかったんだ』と突っかかってきたらしいですよ」
『マジですか』と雅臣は呆気にとられる。
普段は大人しくて静かで、どちらかというと奥手なあの彼女が。
いやでも――と、雅臣も笑えてきた。
「そうでした。俺も……、そんな彼女に尻を叩かれて、ここに戻ってきたみたいなものですからね」
「でしょう。なかなかの気概を持ってる。そりゃ、そうですよ。もしかしたら世界選手になっていたかもしれない空手選手だったのだから。根っからの『戦士』なのでしょうね。大丈夫ですよ」
そうだった、そうだったと。本当に笑えてきた。
ああ、だったら。あの怖い夏目総司令にも食ってかかることもあるのかなと、また心配になってきたが、どういうわけか、あの妻はいざというときにはっきりと物を言うと、何故かそれがきちんと人に通じるような不思議なものを確かに持ってるよなあとも思えてくる。
福留少佐のコーヒーのおかげで落ち着いたのか。或いは落ち着いたからなのか、彼のコーヒーを呷るとその薫りがより一層、雅臣をなだめてくれた。
管制室から見える海原はもう茜をうっすらと水平線に残して、夜の帳を落とし始める。
西南の星が瞬き、茜に滲む日暮れの波がいつもなら美しいはずなのに、重油の帯が見え隠れして朝の惨状がまだ漂っている。
コーヒーを飲み干したところで、艦長室に責任者として詰めている御園大佐が、雅臣のところまでやってきた。
「雅臣君、ちょっといいかな。横須賀との連絡なんだけど……」
「かしこまりました。いま、伺います」
ダグラス中佐が空部管理の席にいたので安心して、雅臣はそこを離れた。
主がいなくなった艦長室で、代わりに横須賀司令本部と通信連絡をしていた御園大佐が、ため息をつきながら艦長デスクへ戻る。
艦長のデスクには通信連絡の機材がセッティングされたまま。
眼鏡の先輩大佐は、浮かぬ顔をしていた。
「あの、なにかあったのですか」
「うーん、二つ、三つほど」
三つも? まあこの非常事態。艦長不在でこの艦が違反行為をしたとなれば、三つで済めばいいほうかもと雅臣は心を落ち着ける。
唸っていた眼鏡の大佐が、頭が痛いとばかりに額を押さえながら告げる。
「海東司令も拘束されて、業務停止になっているらしい」
「え! では、空母航空団司令となる指揮官は不在ということになるのですか」
「もう、それがさー。例外中の例外というか、夏目総司令の直属配下になっちゃったんだよ~」
「うわー! マジですかそれ!」
気易い受け答えをしてしまい、雅臣ははっと口元を手で覆った。しかし御園大佐も気を許してくれているのかがっくりとうなだれて、もう嫌々とばかりの気の抜けた眼鏡の顔をしている。
「これ締め付けきつくなると思うから、覚悟しておこう」
「そうですね……、了解です」
つまりもうこちらの責任であれば、ある程度の融通が利いた行動が出来ていたが、それも出来なくなると言うことだった。
「さらに。艦長代理も決まりましたっ」
もう御園大佐は投げやりな言い方になっていて、奥様を拘束した時の毅然とした夫の面影がなくなっている。
でも雅臣は艦長代理が来るとわかりほっとした。したのは一瞬……。
「どなたになられたのでしょう」
知っている人だといいなと緊張の瞬間。
「ミラー大佐が来てくれるそうだ。小笠原を既に出発してくれていて、今夜遅くに横須賀からこちら空母に到着とのことだった」
「ああ、よかった。同じ小笠原の大佐が来てくれるなら安心ですね」
雅臣はそう思ったのに。御園大佐は不服そうだった。
「そうかな。あの、ねちっこい兄貴が来るんだ。葉月がしでかしたことの後始末をさせられるとなって、文句を言いたい相手がいなくて、夫の俺がグチグチ言われるんだ。きっと何日も。しかも!」
御園大佐が急に目を見開いた。
「ミラー大佐はもうすぐやってくる冬の休暇で、今年は念願の京都旅行に行くと非常に楽しみにしていたんだ。それを……」
雅臣も『あ……』と我に返る。
御園准将が拘束、このまま横須賀司令本部の査問で『更迭』が決定してしまうと、代理艦長になったミラー大佐はそのまま『正式に艦長として着任』になる可能性があり、任務を終える一月末にならないと帰還できないことなってしまう。
つまり。楽しみにしていた京都旅行がキャンセルになるということだった。
しかし雅臣とはだいぶ歳が離れたベテラン大佐であるため、どちらかというと『面倒見の良い兄貴』というのが雅臣が感じているミラー大佐なのだが、同世代で長年共に歩んできた大佐同士となると、気兼ねがない分、態度も手厳しいということらしい。
「まあ、でも。ミラー大佐なら、俺たちも気心知れているということで安心はした。あとは俺がなんとか受け止めよう……はあ……」
御園大佐も致し方なしと、口うるさい兄貴がやってくることは覚悟したようだった。
「そして三つ目」
最後は何だろうと雅臣も構える。
「妻たちが残した部屋のことだが。あとで雅臣君もある程度の片付けとチェックをしておいてくれるかな」
「葉月さんと心優が移動するため、いちおう、夫である俺と隼人さんが――ということで荷物をまとめましたよね。あとはクリーニング班が入ればすぐに誰でも使えると思いますけれど」
御園大佐が眼鏡のずれをふっと指先で直して、致し方なく笑った。
「ああ、そうなんだ。園田はきちんとしているんだ」
ん? 心優はきちんとしていて、葉月さんは……? 雅臣は眉をひそめる。
「あの部屋、ほんとうに自分の自宅みたいに使いやがって。荷物まとめるの大慌てだったよ。で、ひとまずまとめて持たせたけれどな……」
持たせたけれど?
「ベッドのブランケットをめくったら、ブラジャーが出てきた」
思わぬ忘れ物を易々と教えてくれて、雅臣は表情が固まる。けど……、なんか笑いたくなってくる。
「あの、すみません……。あれだけのことをやってのけた艦長が、その」
「笑っていいぞ。あいつ、いつもベッドで着替えているからもしやと思ったら案の定……」
「って、あの今日はちゃんとしてるんですよね?」
ブラジャーをと言えずに暗にほのめかして聞いてみたが、朝の緊急事態の時、バストになにもつけずに飛び出したのではと不安になってきた。
「たぶん……。あれは昨夜のものだと思うんだけれど。なにをつけていたかは、夫の俺も、緊急体勢があったので見ていないんだよな。たぶん、大丈夫」
「えー、なんか……葉月さん、そういうことはやっていそうで逆に俺、心配に……」
「だろう! 力抜けるだろ! あれだけのことして、俺たちに、こんな留守を任せておいて、あんなもの置いていくか? おまえ、今日、ちゃんとしているんだよな!? とか夫に心配させるか!?」
ああ、こうやって年月を重ねてきたご夫妻なのかなと……。
逆に微笑ましくなってしまい、雅臣はもう笑っていた。
「園田はなさそうだけれど、そんな忘れ物が万が一ないか、クリーニングが入る前に夫として確認しておいたほうがいいぞ。先輩夫からのアドバイスだ」
「かしこまりました。確認しておきます」
「園田は選手団で移動が多かっただろうから、荷物のパッキングも手慣れたかんじだったもんな。うちのなんか、毎回適当で、出かける前に必ず俺がチェックしないと……もうな……、何年、艦長やってるんだよ……だからな……」
そんな御園大佐の毎度の『うちの奥さんはやれやれ』の締めに笑いながら、雅臣はふと思い出していた。
いや、心優も一度だけ、かわいいブラジャーを忘れていったことがあったなあ――と。
あのときの心優はほんとうに『女』として怒って、悲しんで、頭の中、雅臣のことにいっぱいにして。そして、大事なランジェリーをつけ忘れて飛び出していったんだよなあと……。
女性も、目の前のことに必死になると、ご自分の大事な保護も忘れてしまうものなのかなと、男には謎めいた彼女たちの忘れ物。
その深夜、再度、艦載機が空母に降り立つ。
銀髪のおじ様大佐、ミラー大佐がご到着。
星が瞬く空の下、甲板で出迎えたのだが、見るからに不機嫌な表情が見てとれ、雅臣は緊張してきた。
「うわ、あれは……相当怒っているな……」
「ほんとうですね。そりゃ、ファミリーバカンスが吹っ飛びそうになってますからね……」
妻たちが去っても、一筋縄ではいかない旦那さんたちの留守番の始まりだった。
(旦那さんのお留守番 その② に続く)
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