53.プロの男たちは予測する

 それどころかハワード少佐もシドと同じ落ち着きようだった。


「隊長もそう予測されているのですか」


「ハワード少佐もおなじようであって安心した。さすが、ミセスの信頼を得ているだけある」


「前回、あのようにいとも簡単に潜入されたことが、未だに腑に落ちないでいます。あの頃から手引きした者がいたのでは……。ただ、個人の憶測なので胸にしまっていました」


 ここでも心優はさらに衝撃を受ける。シドだけではない。ここにいる『プロの男達』は、個人であっても予測ができてたこと。若輩であるシドはその男達と同じ思考をすでに持ち合わせているということになる。


 まだ一年目の護衛の女の子。シドにあのように喩えられて当たり前だった! 悔しさが心優の中に瞬時に広がっていく。


「ハワード少佐、ミセスから少しでもなにか聞いていることがあれば教えて欲しい」


「いいえ、なにも。あの方もそうと決めれば、たった一人でそこまで事を運ぼうとする方です。奥の手の作戦は直前になるまで明かさないでしょうが、とっくに内部のリスクも察知していたと思います」


「園田は、なにも聞いていないか」

「いいえ。なにも……。そのようなほのめかしも様子も見せたことはありません」


「吉岡は」

「とんでもない。自分はただの男の子ですから」


 ただの男の子と真顔で返答したせいか、金原隊長が少しだけ笑った。ほんとうに光太にはこういう和みがある。


「シドも気がついていたか」


「はい。前回、自分たちは空母への侵入を許してしまいました。なので、こちら空母側は今回は外からの侵入に対しては警備を強化すると敵方に予測され、それならば内部に協力者を置くことで敵方も動きやすくなるよう画策するのではと予測していました」


「さすが、大将のご子息だな」


 シドがちょっと照れてうつむいたのを心優は見てしまう。


「打ち合わせ済みだが、次のスクランブル指令が出たら、警備隊も厳戒態勢に入る。よろしく頼む」


 ラジャーと、艦長室付きの護衛官とシドが揃って敬礼をする。


「特に園田。艦長になにかあればすぐに俺か諸星を呼ぶように。なるべくブリッジの側にいる」

「かしこまりました。すぐにお呼びします」


「吉岡もだ。園田が不審者と対峙して余裕がなさそうだったら、すぐに俺と諸星に連絡だ。いいな」

「イエッサー」


 いよいよ、警備隊も厳戒態勢に入る。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 そして、艦長はというと。


「そろそろ是枝さんのティータイムの時間だと思うけれど、今日は何かしらね」


 文庫本片手に、艦長室のソファーでゆったりくつろぎ中。

 いつもは絶対に艦長デスクから離れようとはしないのに、いつもは……航空機の映像を見たり、記録を読み込んだりしているのに……。今回は上手な息抜きができてるようだけれど、まさかのソファーでゆったり寝そべっての読書。


 この落差なに……と、心優も反応に困っている。


 様子見で冷たいお水をベッドルームに持っていくと、その状態だった。

 ソファーとテーブルというリビングのような部屋は艦長ベッドルームならでは。そこで丸窓を開けて、青空と爽やかな風が入ってくる状態でくつろいでいた。


 波の音も風の音も聞こえ、さらに潮の匂い。甲板からの燃料の匂いさえなければ、この部屋は南ヨーロッパのコテージかと思えるほど。何故、南ヨーロッパと想像してしまうのかといえば、栗毛のクウォーターなミセスが優雅にクッションにもたれて、文庫本を読んでいるから。


「なにを読まれているのですか」

「んー、杏奈が最近読んでいるもの。フランスの少女小説みたいなものね」

「少女小説ですか……!」

「ママも読んでみてーと言われたのよ」


 どんなお話ですかと覗き込んでみると、横書きのフランス語だった。


「夏休みに杏奈ちゃんが読んでいたものですか」

「そう。けっこう、面白いの。あ、そうか。私、こういう女の子らしさを通らずに来ちゃったからかもと思っていたの」


 この歳になってもけっこう読めると、穏やかな微笑みを見せてくれた。


「わたしも読まなかったですね……」


 自分も練習の日々で、試合遠征や寮生活に追われる十代だったと思い出す。


「でも、杏奈はもうこれでは物足りないみたいね。昔からおませさんよ。これを読み終わって私に読んで欲しいと置いていったけれど、今度は右京兄様が持っていた大人の文庫本を持っていたわ」


「えー、あの貴公子のようなお兄様が読んでいたものですか?」


 従妹である葉月さんの目の前ではっきりは言えないが、『モテモテの美男子、遊び人』だったと聞いている。そんな方が読まれる文庫本て大人の恋愛もの?


「うん。私も昔、借りて読んだことあるけれど、意外とどろっとしていなくて、青林檎みたいに初々しくて、でも胸が痛くなるようなものを好んでいたみたい。だから、まあ、いいんじゃないの、杏奈が読んでも――ということになったのよ」


「感受性が強そうですよね。杏奈ちゃん」

「おませで困ってる」


 そこはどうしてか、真顔に、母の顔になったように見えて心優はお喋りを止める。


 いいか。杏奈と英太兄さん話題を出すなよ――シドに釘を刺されたのを思い出した。


 おませな杏奈ちゃんが好意を抱いているパイロットのお兄さん。そのお兄さんがもうすぐ最前線へ行く指令を受けて空に挑む。


 ミセス准将のその真顔、丸窓の向こうにある水平線に馳せる目線の先で案じているものはなにか。心優にはまだ読みとれない。


「たぶん、数日は王子君も来ないわよ。確実に私と通信が取れる準備を整えられるよう日数をくれたと思う。準備なんてしないけどね~」


 確実に準備をしておけ。これだけ日数をあげたんだからできるよな。そういう意味で、しばらくはこっちに来ないと艦長は予測しているようだった。


 そのとおりで、しばらく静かで、空母もこの位置に停泊が決まり、ここを拠点として攻防することになっている。


 だから、葉月さんはゆったり過ごしているんだとわかる。


「お昼寝をされるなら、窓を閉めましょうか。是枝シェフにおやつは何かも聞いてきますね」

「窓はそのままで、おやつもそろそろだから聞かなくてもいいわよ。あ、今夜は雅臣と一緒に食事をしてきたら?」

「え、」

「夜も一緒でいいわよ。目をつむってあげる」


 栗毛の艦長がソファーにごろっと寝ころんで、文庫本で顔を隠した。


「あの、でも」

「人目につかないよう、副艦長を招いてあげないさいよ」

「あ、ありがとう、ございます……」


 それ以上は『本当にいいのですか、でも私の部屋に夫を副艦長を誘うだなんて……』と聞き返しそうになったけれど『そこまで言うな、聞けば止めなくてはならない、聞かなければ許す』と言ってくれているのだとわかって、それしか伝えられなかった。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 雅臣はどうしているかと管制室をそっと覗くと、御園大佐と一緒に椅子に座って指揮カウンターのレーダー前で談話をしているところだった。


 後にしようかと思った時、目ざとい御園大佐に気がつかれた。


「どうした園田」

「いえ……、なんでもありません」


 私用だから遠慮しようと思ったのに。眼鏡の大佐が意味深な笑みを見せ、雅臣の耳元になにかを囁いて、彼を椅子から突き飛ばした。


 おっととよろめいた雅臣が、ちょっと照れたようにして頭をかきながらこちらにやってくる。


「二人で散歩してこいって言われた」


 奥様も旦那様もそれぞれ気を遣ってくれるのは、先日、心優が気遣ったせいなのだろう。


 コンビニまで行ってみようかと雅臣から前を歩き出した。後ろをついていくと、ブリッジの人通りがなくなる通路で雅臣が振り返る。


「また、そういう装備になってしまったんだな。護衛というよりもう警備隊員そのものじゃないか」


 夫の後をついてくる妻は、肩には無線シーバーを、腰には警棒を、そしてジャケットの下にはホルスターを装着し銃を密かに携帯していた。


「もう厳戒態勢に入ることにしたみたい。副艦長だから知ってるよね」

「うん。心優も携帯する一人に選ばれていたこともな……」


 そこでやっと雅臣が立ち止まった。同じブリッジ指揮官セクションにいる者としての紺色の訓練服を着ている背中を心優は見上げる。雅臣がやっとこちらを向いた。


 同じ紺色指揮官服姿なのに、雅臣の胸には立派な大佐殿のバッジがついているのに対し、心優は身体中に警備の装備をずっしりとまとっている。


「俺より華奢な妻がそんな姿だなんて、なんだか胸が痛いよ」

「華奢かもしれないけれど、旦那さんよりも戦闘能力は高いと思うよ。地上ではね」


 雅臣が心から心配してくれているのが伝わってくるから、心優からおどけてみた。


 空気が沈まない内に心優から告げる。


「葉月さんが……、今夜は一緒に食事をしてきなさいって」

「わかった。隼人さんにも同じことを言われた。夕食の時間帯は御園大佐が管制室に入ってくれると。葉月さんも待機してくれるって」

「わたしの……艦長付きのお部屋で……一緒に休んでいいって……」


 『え』、さすがに雅臣が驚き固まった。見上げるとお猿さんの頬がちょっと赤くなっている。


「ええっと……それは……」

「目をつむってくれるって……」


 心優も恥ずかしい。おかしい、おなじ官舎の自宅で暮らしている夫妻なのに。ここが職場だから? まるで恋人に戻ったみたいだった。


「う、嬉しいけどさ……。俺、その、きっと、我慢……できな、」


 あんなに凛々しい飛行隊指揮官の大佐殿、副艦長だったのに。心優が大好きな三枚目のお猿さんに崩れてしまっている。そうなると愛おしくてたまらなくなるから、心優も困ってしまう。


「わたしも、だよ。だから……どうしよう……」


 個室で二人一緒になったら我慢できない。新婚なんだから。でも心優はいま警戒態勢に入った装備に固められた『護衛官』だった。


「でも。やっぱり心優と二人になりたい。そんなこと目的ではなくて。そんな姿で気を張っている奥さんのそばに、少しでも一緒にいてあげたいよ」


 嬉しくて涙が滲みそうだった。女身で気が張っているのは確か。そんな時に、大好きなお猿さんの大きな胸に抱きしめてもらえるだけでも元気になれると思うから。


「うん。わたしも二人きりになりたい」


「じゃあ、19時に食事に行こう。艦長室前で待っている。飯を食べた後も俺は管制監視が残っている。御園大佐が交代してくれるのが23時だ。その時、どうやって」


「艦長室に来てくれればいいと思う。人目につかないよう招き入れなさいよと言われているから、そこはなんとかする」


「わ、わかった……」

「わたし、艦長室に戻るね」

「あ、ああ、んじゃ、19時に」


 凛々しかった副艦長の夫が、ぎくしゃくしたお猿さんになっているので、逆に心優はほっとして口元がほころんだ。

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