54.妻の肌に、拳銃

 19時、中央にあるいちばん大きなカフェテリアへ行くと、副艦長夫妻が一緒にいると乗員達の注目を集めた。


 それどころか、甲板要員やパイロット達と親しい雅臣だけあって、あっという間に彼の周りに顔見知りの男達が集まったのだ。


 ひさしぶりに見るフロリダから来た女性甲板要員とも心優は再会、こちらも『ご結婚、おめでとうございます。前回の任務の時のプロポーズ、素敵でしたもんね!』なんて思い出話も出されてしまい、前回はクルーではなかった男達が『なになに』と興味津々に聞き返すと、彼女達が『夕暮れのプロポーズ、官制員たちにブーツを投げられて……』と話してしまう。


 でもそこで、『ソニックが真っ赤になって照れている』と散々からかわれ、雅臣を真ん中にして賑やかに笑いが絶えなくて、やっぱりみんな大好きソニックの輪が出来上がっていくのを見て、心優は満足だった。


 これからもきっと、雅臣の隣にいる妻としてこんなふうに隊員達に囲まれていく。そんな気がしているから。


「はあ、まさかあんなに囲まれるとは思わなかった」


「副艦長以上に、ソニックだもの。それは集まるよ。わたしも、今回はなかなかブリッジから出られなくて、この前、ランドリーで仲良くなった彼女達と再会できて嬉しかった」


 そして、隊員達からの改めての祝福。『ご結婚、おめでとうございます』、『お似合いですね』、『お幸せに』との数々の言葉の贈り物が嬉しかった。


 食後、コンビニに寄って、ふたりでソフトクリームを一緒に食べる。海が見える窓辺の休憩ブースでは、コンビニで買った軽食を食べる隊員達がちらほらいる。


 窓際のベンチに座って、一緒に潮風を楽しんでいた。もうそれだけで幸せ。


 その後、夜の勤務へと別れる。

 約束の時間は23時。本日は艦長はのんびりモードで本日の事務処理を終えるとまたベッドルームへ早々と退室。


 今夜は光太が夜間の艦長室を担当してくれる。


「心優さん、もういいですよ。俺がここにいますから」

「そう? それなら、頼みがあるんだけれど」


 なんすか? 光太がいつもの純朴な男の子の顔で首を傾げている。でも身体の装備は心優と一緒で重々しいもの。


 そんな彼に心優は躊躇わずに言う。


「城戸大佐が来たら、わたしが部屋で待っていると伝えて」

「わかりました」


 あっさりとにっこりと返され、逆に心優のほうが唖然とする。


「あのね、」

「大丈夫です。ご夫妻なんだからいいじゃないっすか。俺、知りません」


 自分が艦長ご夫妻にしたような気遣いを、今度は新人の後輩にされている。


「ありがとう。もしかして葉月さんから?」

「いいえ。でも……新婚の、自分より若い奥さんがそんな姿になったら、俺だったら心配で堪らないですよ」


 これは男の気持ちです――と、言われてしまった。


 この後輩はまだ新人なんだけれど、やはり男として頼もしいところがある。だから女性護衛官である心優がどうしても補えないことは彼がこれから補ってくれるのだろう。


「吉岡君、この借りはいつか返すからね」


 あなたに恋人ができた時。応援するからね。そんな気持ちだった。


「頼りにしていますよ、心優さん」

「なにかあったら、すぐに連絡してね」


 肩にあるシーバーを指さし、心優は艦長室を退室する。


 ドアを開けて、二部屋とバスルーム、ランドリールームが並んでいる通路に入る。心優の小部屋はドアから五歩程度。すぐそこにある。


 部屋にはいると、丸窓には星空。満天の夜。


 ベッドに腰を下ろし、シーバーをオフにする。肩から外そうかどうか悩んだ時、いま部屋に入ったばかりなのにドアからノックの音。ドアへ向かい開けると、雅臣だった。


「いらっしゃい」

「お疲れ、じゃまするな」


 いつもの心優が知っている旦那さんの顔だった。


「吉岡が一人でいて、どうしようかと思ったけれど。奥さんはいまお部屋に入ったばかり、行ってあげてください。あ、俺はコーヒーを飲みたくなったから指令室へ行きます……なんて慌てて隣の部屋に行っちゃったよ。気を遣ってくれたんだな、あれ」


「お願いしたの、臣さんが来たら通してあげてと」

「そっか。吉岡はわかっていて……か」


「それもあるけれど。結婚したばかりなのに、妻のわたしがこんな物々しい装備をしているから、旦那さんだったら心配しているでしょうと言ってくれたの」


「へえ……。心優が気に入っていただけあって、いいヤツだな」


 そこでやっと雅臣がベッドに腰を掛けた。

 ほんとうに、久しぶりにふたりきり。誰の目も気にしなくていい。本当にふたりだけ。


「心優、どうした」


 先に腰を下ろしている雅臣が、なかなかそばに来ない心優の手を握った。


 雅臣が心優を見上げている。紺の戦闘服に肩には無線小型シーバー、腰には警棒、そしてジャケットの下にはホルスターに拳銃を隠している。


 それでも雅臣がぐっと心優の手を握って、自分がいるベッドへと引っ張る。


 夫の目の前へと心優も歩み寄る。


「やっぱり落ち着かないね」

「わかってる。でも、俺のそばにおいで」


 手を引かれるまま、心優は雅臣の膝の上に座った。

 心優の腰に手を添えて、彼が心優をじっと見つめてくれる。


「ちゃんと心優の匂いがする」

「ほんと? わたしも……臣さんの匂い久しぶり」

「もっと感じたい。もっと、心優の本当の、俺だけが知っている……」


 心優の頬を撫でながら、雅臣の瞳に男の色が灯る。

 紺色戦闘服の襟元、雅臣がそこにあるボタンを抓んだ。ひとつふたつ外されていく。心優も念のため、シーバーをオフにする。でも肩にいろいろな装備のベルトをつけているので、どうしてもジャケットは脱がせられない。襟元だけが開かれる。その下は今日は白いタックトップ。でも衿が開けば、心優の胸の膨らみが現れる。


 それを確かめた雅臣がそこに頬を埋める。そして忍ばせた大きな男の手が、その丸みを包みこんだ。


「あー、すげえ久しぶり」


 男の熱い息がタンクトップの薄い生地の上からも感じてしまい、心優もふっと身体の芯が熱くなるのを知る。


 男の手も渇望を現している。心優の胸の膨らみを物欲しそうな眼差し。そうされると心優も素肌の時に、この夫にどう愛されているかを思い出してしまい、それだけで思わず濡れた息を吐いてしまう。


「いや、……だめ……」

「心優……」


 タンクトップの裾をとうとう捲られ、心優の素肌に雅臣の熱い手が上へと這っていく。彼の指先がランジェリーの下に当たり、そこを潜っていく。


「臣さん……」


 もう我慢できない。装備を解いて、戦闘服も脱いで、全部脱いで……! あなたの指先で好きなようにして。わたしをめちゃくちゃに愛撫して、狂わせて……! 最後に、最後に逞しい貴方に愛しぬかれたい。とろけるような微睡みで眠って、気怠く貴方と一緒に目覚めたい!


 心優の脇の下で、黒い拳銃ががちゃりと揺れる音。


 心優も我に返る、そして、雅臣も心優の脇の下をじっと見つめていた。

 そっと、夫の手が胸元から遠ざかっていく。また彼の頭が心優の胸元に。


「だめだ。やっぱできない……。もうなんでもいいから、一瞬でもいいから、すぐに終わるから。なんとしてでも心優と……そんな気持ちできたけれど、だめだ」


 雅臣のその気持ちも心優にもわかる。妻の胸元に頬を寄せてぎゅっと抱きついている夫を、心優も抱き返した。


「わたしも。全部装備を解いて、裸になりたいって……思った」


 でも、夫妻ともに思い止まった。そこにはいま解いてはいけない銃がある。一瞬でも解いて、一瞬だけだから許された時間だから、お互いに裸になって愛しあう。ほんとうにそれは許されたこと?


 もちろん、それでもいいと思えればいいのだと思う。しかし、わたしの夫『大佐』と妻のわたしは一緒に思い止まった。


 裸で抱き合ってなにもかも忘れて愛しあっているその時に、もし……。

 乱れた装備で飛び出したとしても、そこで自分の責務を果たせるのか。


「ここは、俺と心優が愛しあう場所ではないな」

「うん。やっぱりちゃんと愛されたい。帰りたいね、小笠原に」

「でも。俺は、こうしているだけで、俺の家に帰ってきた気分になれる」


 心優が俺の家だ。


 久しぶりにシャーマナイトの目が心優だけを見つめてくれている。

 心優も雅臣の首元に抱きついた。


 やっと目があって、ちゅっと一緒にキスをする。またお互いを見つめて、今度は一緒にふっと笑う。そしてまたキス。今度は長くて深くて、熱く。そしてお互いを確かめ合うように、戦闘服や指揮官服の上からでもお互い身体を撫でて抱きしめ合った。


「でも、今夜はここで俺も休むな」

「うん……」


 最後に鼻先と鼻先をくっつけて微笑みあった。


「じゃあ、臣さんもここでくつろいでいて。わたしも福留さんのコーヒーをもらってくるね」

「そうだな。少しゆっくり話そうか」

「うん」


 少しだけ乱れた上着の裾をなおして、心優も装備をつけたまま部屋を出た。


 指令室からコーヒーをもらって、心優はまた小部屋に戻る。


 いつも心優がつかっているベッドに雅臣がもうブーツを脱いで横になっていて、丸窓の星を見上げていた。


「おまたせ、臣さん」

「お、サンキュ。心優」


 カップをお互いに手にとって、ひとくち。そしてやっぱりどちらの視線も星空へ向かう。


「いい部屋だな。小さくても静かで落ち着く」

「うん。けっこうお気に入り。この窓の空模様に励まされるかな」


 ベッドヘッドに枕を置いて、ふたりで一緒に背をもたれ並んで空を見上げている。


「航海をしていると、おなじ海の景色ばかりでどこにいるのかわからなくなったり、ほんとうにこの任務が終わるのか、いつ終わるのか不安になることもある。決まった曜日のカレーが出てきてもな。でも空の色は、空模様は毎日の変化を教えてくれる」


「やっぱりパイロットなんだね。空模様で変化を感じるって」


「あとは、心優の匂いさえあればいい」


 一緒に足を投げ出して座っている隣の夫に肩を抱き寄せられる。心優もそのまま彼の肩に頬を預ける。


 コーヒーを飲んで、数日思ったことやこれから心配なこと、久しぶりに仕事以外の話をしてひとしきり笑いあった。


 狭いベッドでも二人で寄り添って微睡んだ。

 心優も同じ。雅臣の匂いがあれば、服越しでも夫の肌の熱を感じられたらそれでいい。




 すぐに眠りについたのだと……思う。


 


 心優、心優。起きられる?

 ドアからノックの音? そして女性の声。


『緊急招集をする。聞こえた者からブリッジミーティング室に集合』


 耳の下、肩先にある隊長の声で、心優ははっと目を開ける。

 がばっと起きあがる。そしてシーバーの音声を届けるボタンを押す。


「園田です。いま行きます」


 ベッドから半身起きあがった状態、すぐ隣ではまだ雅臣が寝そべっているまま。でも彼も目を開けていた。


「どうした」

「警備隊から緊急招集です」


『心優、起きて。心優』


 ドアのノックも気のせいではなかった。大きな夫の身体を越えて、心優はベッドを降りる。雅臣も起きあがった。


 すぐにドアを開けると、ちょっと申し訳なさそうな顔でうつむいている御園准将がいた。


「ごめんなさい。ゆっくりしなさいとこちらから言っておいて」

「いいえ、ゆっくり話せて一緒にくつろぐことができました。城戸大佐も目を覚ましています」


 乱れた姿だった場合を考慮してくれたのか顔を背けていた艦長だったが、心優がしっかりと装備を纏って毅然とした目覚めだったせいか、やっとこちらを見てくれた。


 心優の後ろに雅臣も姿を現す。


「葉月さん、お気遣いありがとうございました。おかげさまで妻といろいろと話せました。もう気遣いは無用ですから」


「そう。それならいいのだけれど」

「なにかあったのですか」


 心優よりも副艦長である雅臣が先に問うた。お姉さんのような顔をしていた葉月さんが、みるみるまにいつものミセス艦長の凍った顔になっていく。


「夜明けに、すこし離れているけれど、奄美諸島沖の海域でコーストガードが不審船と小競り合いをしたようなの。それでこちらに南下してきて警備を強化しているらしい」


「不審船ですか。まあ、でも、ままあることですよね」


「それがどうやら軍的装備を持ち合わせていたらしいの。しかも、逃がしたとの報告。逃走方角がこちら南だったそうよ」


「ほんとうですか」


「ロケットランチャーを持っている乗員が数名、甲板にいたとの報告らしいわね」


 雅臣が黙り込んだ。顔色も変わった。しかし、もう大佐殿の凛々しい男の顔。


「心優、警備隊が緊急招集をしているでしょう。いってらっしゃい」

「はい」


 そのまま自分の部屋を飛び出した。艦長室へのドアを開けようとしたその時、心優はふと振り返る。


 ゆうべの甘い空気を、夫の熱さを一瞬だけ惜しく思って……。振り返って夫の姿をもうひと目と。


「雅臣、こちらも空の配備を検討しなおすわよ」

「そうですね。まさかこの艦まで近づいてこないですよね」


「そこはコーストガードの仕事よ。でも、これであちらコーストガードの情報ももらえるようになったわ。コーストガードと共に護衛艦も同海域に配備することになったらしいわ」

「海上は阻止してもらわねばなりませんが、こちらも空は死守します」


 そこには、もう艦と空を護ることにまっしぐらのアイスドールとソニックしかいなかった。


 還るまで、夫とはもう会えない。そんな気がしてしまっても、心優も前へと走り出す。


『園田。まだか』

 金原隊長も危機を募らせている声。シーバーに返答する。

「いま艦長室を出ます」

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