94.いつのまにか、猛獣使い
リビング、テレビ前のソファーセット、テーブルへと集い、そこには戦闘機のおもちゃ、いや模型が出される。
白い戦闘機が二機分、そして、濃紺と黄色のカモフラージュ柄にペイントされている戦闘機が二機準備される。
「おまえら、アグレッサーに一矢報いたいだろ」
「うん。まだ勝てなくても『バレット』と『スプリンター』にコノヤロウて睨まれたい」
「鈴木少佐がめちゃくちゃ怒ってこっちにぶん殴りに来るぐらいになってみたい」
端から聞いていると物騒な会話だわ――と心優は眉をひそめるが、それぐらいの闘志がなければファイターパイロットは務まらない。ユキナオの若すぎるほどの闘志が澄ましたベテランばかりになったフライト雷神に刺激を与え活性化しているのも事実だった。
鈴木少佐とクライトン少佐のコンビは、葉月さんが小笠原航空訓練校の校長に就任し、アグレッサー部隊『サラマンダー』を設立したと同時に、雷神を卒業。
クライトン少佐が『仮想敵飛行部隊 サラマンダー』の飛行隊長に就任、その相棒として無敵の『弾丸バレット』鈴木少佐もアグレッサーに配置された。
真っ黒にも見間違う深いネイビーブルーのフライトスーツ、腕には真っ黄色のワッペン。炎の中に平然とした顔で居座るサラマンダー(サンショウウオ)のイラスト。アグレッサーの男たちの威厳を放つスタイルも確立された。
それだけではなく。仮想敵との訓練にあたった各基地のパイロットたちが辟易するほどに『勝てない、悔しい、恐ろしい、泣きたい』とへこむほどの手厳しさも有名になる。
クールで容赦ないクライトン隊長率いる手加減なしのベテランパイロット部隊、華やかな表舞台で白い光を浴びている雷神に真っ黒な影にいる男たちが真っ正面から撃ち落とす。
その悔しさと恐ろしさにユキナオも既に遭遇、体験していた。また間近にアグレッサー部隊との訓練があるとかで、今夜は叔父さんと話し合いにやってきたということらしい。
「いいか。今度の仮想敵は大陸国の王子部隊だ。あいつら、国際ルールは無視でくる。自分達の主張だけを推しまくってくる。でもこっちはルールは絶対に破ってはいけない。おまえたち、すぐに頭に来て大仰な操作をして、ルールラインにおびき寄せられ、フレディと英太の思うつぼになっているだろ。いいか『くそ、この野郎』と思った瞬間に『深呼吸』、心優の顔を思い出せ」
妙なアドバイスに心優はギョッとする。
「なんでわたしなの!?」
でもユキナオちゃんたちは『わかった』と真顔で頷いている。
「こいつら、心優がお守りみたいなもんだよ。心優ちゃんを泣かすことなど余程のこと。心優ちゃんには迷惑かけたくない。初めてこの基地に来た時、だいぶ面倒を見てもらったこと今でも感謝しているんだよ。ほんっとおまえの言うことだけは素直に聞くだろう」
「心優ちゃんに怒られるぐらいなら、俺たち頭に来ても我慢できる」
「心優ちゃんの顔を思い出すだけで、ほっこりするもんな」
はあ~、なにそれ ――と、心優は恥ずかしくなって頬を熱くした。
あの頃は身体が大きくてもかわいい高校生だったけれど、いまのユキナオは広報でもいちばん目立つ若手パイロット。あのソニックとそっくりの愛嬌たっぷりのお猿スマイルで男性にも女の子たちにも人気者。なのに操縦桿を握ると、在りし日のソニックを思わせる男らしさも見せるようになった。大人の表情を醸し出すようになった彼等が制服姿で並んでいるだけでも目立って、当然、基地の女の子たちがまた騒いでいる。
そういう目立つ有望株の双子の叔母様として、心優はまた羨ましがられているし、双子が姉貴ちゃん姉貴ちゃんとばかりに懐いているものだから、若い女の子たちが『城戸大尉のおうちに遊びに行きたいです』と突撃してくることも増えた。
でも。そういう輝いている男性となりつつある双子がこうして慕ってくれるのは嬉しかった。そして、心優はそんな双子のブレーキとも呼ばれていた。
「スプリンターとバレットは仮想敵だから、大陸国の王子部隊を模して来る。しかも絶対に勝てない戦法で。王子部隊の編成の特徴をまず覚えるんだ。王子がおそらく編成リーダーになって率先してくる。王子役はスプリンターかバレットがやるだろうが、その日によってどちらかが担うようで、ポジションの公表はないため、その日の飛行状態を自分達で確認して、飛行中に判断する。実際に与那国沖で王子部隊に遭遇したとしても、どの機体が編隊リーダーかはわかるはずもない。だからアグレッサーでも誰がどの役を担っているかは明かさないようにされている。判断の仕方だが、まずはこう……」
白い戦闘機と迷彩柄のアグレッサー機の模型を使って、雅臣がどう飛ぶか、あちらがどのような機動をしたかで役割を判断するなどを、部下であって甥であるユキナオ双子に懇々と説いている。
そんな時は、ユキナオの二人も大人の顔になって真剣に耳を傾け、頷いている。
心優も気分が落ち着いてきたので、少し椅子に座って休んだ。
「ただいまー」
「ママ、ただいまー」
子供達の声が庭から聞こえてきた。誰も彼もが庭へと出るウッドデッキの窓から出入りをする。
「あ、パパ。お帰り!」
「ユキちゃん、ナオちゃんもいる!」
空手着姿の息子二人が、パイロット軍団である父親と大人の従兄を発見するやいなや、靴を放り投げてリビングに駆け込んできた。
「うわー、もしかして雷神の作戦会議!」
「わー、パパ、さくせんかいぎ?」
息子達も雷神が大好き。しかも従兄二人が揃って雷神パイロットのため、いつだって力いっぱい応援している。
ユキとナオも小さな従弟がお兄ちゃんお兄ちゃんとまとわりついてきても、その大きな身体でがっしりと抱き込んで可愛がってくれている。
「明日さ、また悪魔のサンショウウオと対決すんだよ。負けっぱなしなんだよ」
「え、またバレットと対決?」
「そうなんだよ。翼、光、兄ちゃん達を応援してくれよな」
「するよ、ユキナオちゃんおうえんするよ」
しっかりしてきた長男の翼は受け答えがちゃんとしていて、次男の光はまだまだお兄ちゃんの真似っこで頑張って大人達の中に入ってこようとする。
そんな息子たちと夫と甥っ子がわいわいしているのを見ていると、心優も微笑ましいばかりで、しあわせな気分で重たい身体が軽くなってくる。
「おう雅臣君、帰ってきていたか。おお、ユキナオも来ているな。さては明日はアグレッサーか」
心優の父もウッドデッキの窓から入ってきた。
「ただいまー」
そして、先ほどさっといなくなってしまったシドまでも。
雅臣が空手着姿の父を見て、いつものにっこりお猿スマイルを見せる。
「お父さん、いらっしゃい。息子たちの稽古、ありがとうございます」
「おう、翼もしっかりしてきた。できたらここらの地区の大会にださせてみたいんだ」
父が最近言いだしたことだった。
「いえ、しかし。そうなると島から外になりますよね」
「実力は大会で培われる。心優はもう翼の年齢で大会にでていた」
こんな時、雅臣が婿としてちょっと困った顔をする。まだ六歳、のんびりとした島で子育て、賑やかな毎日。まだ息子はちいさくて手元で目を配ってあげたい時。
父と婿の間に妙な空気が流れたのを見て、心優が間に入る。
「お父さん、今夜、ユキナオ君たちが来たから、お寿司にしたの。お母さんも呼んでみんなで食べよう」
「お、そうか。よっしゃ、じゃあ、あっちの家にひとまず帰って、ひと風呂浴びて母さんと来るわ」
ウッドデッキで脱いだ靴を手にした父が、今度は反対側の玄関へと持っていく。そこで履くと玄関を出て行く。斜向かいが父と母が住まう平屋だった。
シドも空手着姿のまま、パイロットたちの会議にすっかり溶け込んでしまった息子たちを眺めて、心優のところまでやってくる。
「シドも食べていってね」
「うん、サンクス。……心優、ちょっと来い」
相変わらずの命令口調に呆れながら、心優もシドがなにもかもわかっているこの家の奥へと心優を連れていく。
一階、廊下の突き当たり、薄暗くなったそこで、シドのアクアマリンの目が怖くなっている。心優をじっと見下ろして、彼が言う。
「俺は園田の父ちゃんと同じ考えだ。俺はなるべく表に出ないような育て方されたから『大会』なんてもんは経験ない。相手も大人たちばかりだった。だから、翼には『まともな経験』で実力積んでほしいんだよ。おまえもさ、沼津にいるときからそうして経験してきたんだろ」
「そうだけど……、まだ六歳だよ」
「おまえ、六歳の時どうしていた」
父が言うとおり、キッズ大会に既に出場していた。もちろん好成績。そこからが心優の空手人生の始まり。
「臣さんが心配しているけれどよ。そこ、おまえ、妻として母親として、なによりも空手家として、なんとかしろよ」
「わかってる……」
また胸が重くなってきた。
「……おまえ、顔色わるいな」
シドが気がついてくれた。
「ううん、大丈夫だから」
「昨日もだ、おまえと葉月さんがカフェテリアで食事をしていた時も元気がないと思っていたんだよ。ほんとうに大丈夫なのか」
ちゃんと見てくれているんだなと、いまでも思う。シドとは男女の関係にはなれなかったが、いまは大事な同僚で親友で家族みたいなものだった。
園田の両親の家によく遊びに来ているようで、心優の母『美香』は、シドのことを『シー君』なんて呼ぶほど可愛がっている。そういうお母さんみたいな女性に弱いシドは、すっかり心優の母に懐いてしまって、母の手料理を食べては父と武道の稽古をしている。
「シドも大丈夫なの。諸星中佐の警備隊の副隊長になったばかりで、隊員達と衝突していない?」
「してねえよ。まあ、ちょっと入ってきたばかりの若いやつに厳しくしてしまうけれどよ」
シドは連隊長秘書室から『警備隊へ入りたい』と異動願いを出していた。コーストガード襲撃事件で負傷したことをきっかけに、艦を護るという使命を全うしたいと志願した。その願いが叶い、数年前に金原部隊に入隊。金原隊長が現場を退き教官へ、諸星少佐が中佐に昇進、新たな警備隊を引き継いでいた。そこにシドも入部した形になっていた。
金髪王子だったシドが、強面でワイルドな不精ヒゲを生やして、若手の武道格闘隊員たちを豪快にやっつける。『大魔神の弟子』と言われ、もうシドが大魔神になりそうな言われようだった。
その厳しさで根を上げて部隊を辞めたいという若者も多少……。しかし心優の父は『そんなもんだ。辞めさせてるわけでもないが、続けられないヤツは淘汰していく』とシドの方針に口は挟まない。
たまに諸星隊長が、わざわざ離れている訓練校まで心優がいる校長室を訪ねてきて『園田、頼む、シドがちょっと暴走している。すこし柔らかくなるよう言ってくれないか』と愚痴をこぼしにくるようになった。
それを見ていた葉月さんがにやにやしていた。
『心優も大変ね。ユキナオのブレーキで、シドのブレーキ。やんちゃな男たちの猛獣使いみたになってるじゃない。翼と光のやんちゃ坊主に鍛えられちゃったかもね』
『変なニックネームがついちゃうから、やめてください』と言い返したばかりだった。
「翼の今後については、臣さんと話しておくから。シドもやりすぎないで」
「わかった。……あのな、心優、俺、翼がやるっていうなら、俺がコーチなり付き添いなりしていいんだからな。俺、独り身だから本島への行き来も身軽だからよ。なんでも協力する。それも臣さんに言ってみてくれ」
そこまで言ってくれるシドの『決意』のようなものを知って、心優は驚いてなにも言えなくなった。
「俺も父ちゃんのところで風呂入ってくる」
「待ってるからちゃんと来てよ」
誘ってもふらっと来ないこともあった。それは心優も仕方がないと思っている。それでもシドももうファミリーの一員。シドがいないと雅臣が気にする、父と母も気にする、雅臣が声をかけたらシドは嬉しそうな顔をする。でも心優との距離は絶対に守ってくれる。そうでないと、こうして毎日を一緒に過ごすことなど出来ない。
子供達も『シー君』と母の真似をして呼んで懐いている。シドはそれが気に入らないようで『おじさんと呼べ』と威厳を放つが、子供達には効かなかった。
いつかの言葉どおり、シドは雅臣と一緒の任務になることも多く、夫の艦を護ってくれている。子供達のことも、自分が独り身を貫く決意だからなのか、ほんとうに良く可愛がってくれている。幼稚園のお迎えまでやってくれるほどだった。
そんなシドにも幸せになって欲しいと思う。でも俺の幸せはここにあると彼は言う。なのに、ここ数年、シドの向こうに女性がいることを感じている。その女性と幸せになれないの? シドがおくびにも出さないため、心優はいまは聞けずにいた。
男と女の部分は決して結ばれない。心優と補えなかったその部分をシドがそこで補っているのは感じていた。実際に、女の子達は敏感で『基地の女じゃない人と一緒にいる』と噂している。だからとて、誰もその女性を見たことがないらしい。だいぶ中年の男になったシドも落ち着いてきて『基地の女と遊ぶ』は卒業したようだったから、余計にみながシドの相手に様々な憶測をしている。
最終的には『御園の関係じゃないの』となっていた。心優にそれらしい心当たりがないこともない。でも、いまはシドのことはシドのこと。女性に関してだけは心優は触れられなかった。
しかしこの夜、シドはちゃんと心優の両親と一緒に城戸家の団欒に入ってくれていた。
リビングは賑やかな夕食となり、やんちゃな息子達はやっぱりあれこれひっくり返したり叫んだり喧嘩したり泣いたりの騒々しさ。
「はー、おまえらほんっとに、ユキナオがチビちゃいときと同じだわ!」
これも雅臣がいつも最後に叫ぶお馴染みのセリフとなっていた。
心優も息子達の世話に追われていたが、いち段落した頃、賑やかなリビングからすっと退いて、静かなベッドルームで横になる。
今夜も窓から薔薇の匂い。風、海辺の星に月。さざ波。
すっと目を閉じると大好きな『青』が浮かぶ。
誰も心優を邪魔せずにそっとしてくれていたようで、心優はそのまま微睡む。
翌日、産科に行くと10週目だと判明した。
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