39.パパは『たぬき将軍』
「本気、ということかしらね」
先程まであれほどに気を抜いたお姉さんの顔をしていたのに、一気にアイスドールの艦長になった。
そして夫と妻だったはずなのに、御園大佐もそうなると彼女を支える部下の顔になる。
「海東司令へ電話を繋ぎます。艦長はデスクへ。吉岡、手伝ってくれ」
「イエッサー」
御園准将も気が重そうな様子で艦長の椅子に座る。その横にセットしてある衛星電話のヘッドセットを手に取った。
「接続します」
御園大佐が機器の操作をなんなくこなす。
モニターに入った映像にはすでにヘッドセットをして待機している海東司令がいた。彼の背景は、船舶位置情報を映し出す電光板に、航路管制電光板、そしてヘッドセットをつけてモニター監視を続けている何十人もの隊員達の姿まで見える『横須賀中央指令管制センター』の風景。
「お疲れ様、御園艦長」
若白髪のいつもの落ち着いた黒曜石の眼差しで、それほど慌てているようにもみえず心優はほっとする。
「お疲れ様です、司令殿。先ほど、澤村より報告を受けました」
敬礼を向けた後、御園艦長も落ち着いた琥珀の眼差しで司令を見つめ返した。
「それで、貴女はどう思っている」
「わたくしがですか?」
「そう貴女が」
そういうことは司令がどう感じたのか告げるものなのではないかと、ミセス准将のほうがきょとんとしている。
「あちらがこちらの航海路とかぶりそうなところまで来ている。たとえば訓練などの正式発表もまったくない状態なのでしょうか」
「いま一度、確認したがなかった。それでも平常時ももう少し向こうの海域を訓練航行していることはある。大陸国の空母も漏れなく同様、航行経路や行く先を知られないために電波を遮断して極秘に航海するように、今回出現するまで遮断して近づいてきたということだ。つまり、狙って出現したということだよ」
「わたくし共が来るはずだから、こちらも来てやったということですか」
「だろうね」
若白髪が混じっているグレーぽい前髪をかき上げながら、そこでやっと司令が溜め息をついた。
「あの……」
どこか言いにくそうにして、御園准将が口を開く。
「遠慮なく言ってみてください、葉月さん」
海東司令が上官といえども、軍人としては御園准将が先輩。司令を遠慮するような様子に、あちらから柔和に接してきてくれている。
「貴女がどう感じているか知りたいのですけれどね」
それでも言いあぐねている様子のミセス艦長。
艦長デスクの側に控えている心優は、すぐ隣にいる御園大佐と目線が合う。側近の心優にも、夫である御園大佐も、彼女の心情がいま推し量れないところだった。
「私は勘でものを見てしまうことがあります。それを口にしたことで司令の判断を迷わす一因になって欲しくはありません」
「だが、いまここで貴女との心情のすりあわせはしておきたい」
つまり海東司令もこの事態になって、では、あのミセス准将がどういう心情で動き回りそうかは把握しておきたいということらしい。
「では。『聞かなかったことを前提』としてくださいませ」
「わかった」
ヘッドセットしている海東司令のほうが、これから聞く言葉に構えているように見えた。
「今回接するだろう大陸国の飛行隊には、必ず、前回こちらの領空に入ってきてしまった司令総監の子息パイロットが配属されていると思います」
「うん、そうだな。高須賀さんのひとことからすっかりこちらでも『王子』と呼ばれて定着している」
「会ったこともないはずの高須賀艦長でさえ、報告書から彼のことを『王子』と感じ取っていたほどです。私もまさに『王子』と呼ばれてしっくりする名付けだと思っていますが、」
『が、』とそこで止めたミセス艦長は、ヘッドセットをした姿で目の前のモニターに映る海東司令を見定めて言う。
「海東司令はいかがですか。彼と直接会話を交わした少ないお一人でいらっしゃいますよね」
うっかりこちらに入ってきてしまった大陸国パイロットを保護した御園艦長は、その後、彼を本国へ返還するための繋ぎでやってきた海東司令に引き渡した。横須賀司令までの付き添いと保護を側でしていた海東司令もなにか話しているはず。
「司令は王子とお話をしてどう感じられましたか」
今度は逆に御園准将から問う形に逆転した。海東司令もしばらく唸っていた。自分の立場からは『私感』をここでは延べにくいのだろうと心優も受け取る。
それを感じたのか、やはり御園准将から口を開いた。
「個人的感情が入っていることは承知の上でお伝えします。使命であれば彼は徹底的に指令をこなすパイロットだと私は思っています。ですが、彼の父親は少し違うと思っております」
「王子の父親、あちらの海空総司令官のことか」
「そちらでも帰還を条件に、ある程度の聴取にて取引もあったことでしょう。その時にご子息からお父上に関することもお聞きでしょう。私も僅かな会話からお父様のこと聞かせて頂きました」
「それで? 王子から父親の話を聞いて、貴女はどう思われた」
御園准将が今度は迷いも見せず、海東司令に告げる。
「私の父、御園亮介に似ていると思いました。おなじ家の空気を感じ取りました」
軍人一家の末娘、三世隊員である御園准将のはっきりとした所感に、海東司令も驚き、大きく目を見開き黙ってしまった。
しかし、心優の隣にいる御園大佐は『なるほどね』と妻の言いたいことその心情はわかるとばかりにウンウンと頷いている。
海東司令が気を取り直したようにして御園准将に向かう。
「貴女のお父上が相手の大陸国の総司令官だったとして、では貴女はどうしていまあの位置まで迫ってきたかわかる……というふうにも聞こえたが」
「ですから個人的な憶測です」
「一応、聞かせてもらおうか。フロリダ本部海陸総司令だった貴女のお父上がもしあちらの国の総司令官だったのならば、どう思っているのかと」
「私の父はああ見えて『たぬき』ですからね」
『父はたぬき』で心優の隣の御園大佐が『ぶ』と噴き出しそうになった口元を押さえ、それどころか雅臣さえも笑っちゃいけないと顔を背けたのを心優は見る。心優と光太に至ってはお会いしたこともない司令官であるため、聞いた話でしか想像が出来ないからわからない。
しかしモニターの海東司令も笑いを抑えている始末。
「いや、あの御園元中将をたぬきって……。お若い時はあの右京先輩のように貴公子のようなハンサムな方だったと聞いているし、私も何度かお会いしたが海陸軍人にしていはとても品の良いダンディなお父上だった。それを『たぬき』だなんて……。娘の貴女でなければ言えないものを聞いてしまったよ……」
と、彼もクスクス笑っている。司令が少し表情が和らいだことで、艦長室の大佐殿の緊迫した力も抜けたように見えた。
「娘の私にですら裏をかいて、いろいろと手駒に使うほどの軍人でした。そう、ですから、あちらのお父様も息子は手駒に過ぎないことでしょう。そして息子も『敢えて手駒になる』。いま彼はそうしてこちらの領空線を脅かす使命を背負わされていると思っています」
「敢えて……。それで?」
「あちらのお国で生き残っていくのも大変なことでしょう。ですがそれだけで総司令になれるわけでもありません。彼は言っていました。父は言われたとおりにやっている振りをしてバランスを取るのが上手いと。ただ過激な派閥には疎まれている。そのせいで前回は彼の父親の指揮であった『大量出撃作戦』のタイミングを狙って、如何にも彼がそう指示をだしたかのようにして、私共の空母に潜入する攻撃を過激派が強行したのです。たまたまそこにいた総司令子息のパイロット王子も命を狙われた。その痛手を生々しく『やられた』と口惜しく思っていることでしょう。今回も『もっと過激に攻撃しろ』と『やってやれやってやれ』と煽られていると思います」
そこで司令がとてつもない真顔になった。なにかを見定めたかのように。
「――というのが、私の感じている『所感』でございます」
「だとしたら……」
海東司令も突然の艦隊出現に戸惑っていたようだったが、准将の所感ひとつで、頭の中がいろいろ冴えてきたようだった。
「わかった。聞かなかったこととする。そんな御園艦長の『境遇が似ている』というだけの所感は参考にならない」
そう冷たく言いきった海東司令の言葉に、心優は違和感を持った。御園准将の所感を聞いただけで、彼の表情が勇ましくなにかを覚悟したように見えたのに?
「さようでございますね。聞き捨ててくださいませ。くだらぬことをお聞かせしてしまいました」
「艦隊出現について、またなにか判れば報告する。では空母とクルーを頼む」
「イエッサー」
そこで衛星通信が切れた。ヘッドセットを外した御園准将も溜め息をひとつ。
「水を持って参ります」
喋り疲れただろうと、心優から冷たいミネラルウォーターのペットボトルを準備して手渡す。それをひとくち飲み干すと、彼女もふうっと栗毛をかき上げて落ち着いた。
落ち着いた妻を見て、御園大佐が言う。
「聞かなかったことにするとはおっしゃっていたが、あれは大いに参考にしたと思うな。海東司令がではミセス艦長の所感を元に舵切りするとして、艦長はどうするおつもりで」
「べつに。どうせ接戦をする準備をしてきたんだもの。こちらの作戦は変わらないわよ」
「だが、葉月。おまえ……。どこかであの親子を信じているだろ」
アイスドールが時に隠し持っている『甘さ』。それを夫の御園大佐は見抜いていた。そしてきっと海東司令もそれを見抜いたから、途中から『聞かなかったこととする。同意はしない』とあっさり聞き捨てたのだと心優も思う。
「隼人さんはあの王子に会っていないから」
「王子と会っていない高須賀さんが感じたように、俺も報告書を見た限りでは、お育ちの良い素直な受け答えも併せて悪い人間ではないと思う。しかし、国ではそれでは生きていけないだろうし家族も守れない。保護の後、ミセス艦長にも横須賀本部での聴取でも、国へ帰還するために猫をかぶっていた可能性もある」
「潜り込んできた傭兵に殺されそうになったのに? ねえ、心優、雅臣。あれが作られた演技に見えた?」
あの時。あの現場に一緒にいた心優と雅臣は顔を見合わせる。そして二人一緒に頷いた。
「いえ。国の命令で侵入してきただろう傭兵に命を狙われ、王子もショックを受けていたと自分も感じています」
「わたしもです。攻撃してきた傭兵の殺意は本物だったと感じています」
「あの時、あの傭兵はこうも言っていたわよね。私の目を見て言ったわ。『ちょうどいい。あの女も殺せば手柄』、王子に対しては『国のために死ね』……」
だからこちらを欺くための演技ではなかったと現場にいた自分たちは言いたいと御園准将はうつむいた。
「わかった。それは真実だとしよう。だが、おまえのその所感はほんとうに個人的な所感だ。それだけで判断はして欲しくない」
ミセス艦長にここまでバッサリと意見を言い切れる人がいままでいただろうか。基地での日常ならともかく。この任務中の艦で。口答えなどできるはずもない部下の大佐如きが、ミセス准将に艦長に遠慮ない物言い。
「わかってる。だから言うつもりなかったのに。海東司令がちょっと迷われていたようだったから」
「でも。あれは決定打のような顔をされていた。おまえの所感が間違っていたら……」
それは夫の心配、部下としての心配から来るものだった。だが御園准将は、絶対的信頼を置いている部下であって夫である御園大佐に、綺麗な琥珀の目で向かった。
「でもね、隼人さん。あちらの王子も、今度は失敗するな徹底的にして日本国から失態を起こすようにしろと言われて立場が弱くなっているはず。恐らくお父様も総司令にされて『今度は甘い裏をかくことは許さない、徹底的に困らせてこい』と押しつけられ、ここでやらねば国で生きて行けぬ覚悟で来ていると思っている」
私はそう思っている。彼等父子は困って仕方なくやっているのだと言いたげだった。
しかし心優は不安に思う。本当にそうなのだろうか。確かに紳士的な青年だったけれど、バーティゴを起こすまでは『連合軍のパイロットを慌てふためかせてやろう』と果敢に攻めてやるという敵意をもっていた。ただ、接触をしてしまうことになってしまい、こうして会ったことある人間は心をこのように乱されるものなのか。
心優は思い出す。浜松航空基地の連隊長司令官、石黒准将が『会ったことがある人間同士が、また空で会う。それがどういうことになるのか』と案じていたことを。それがこういうことなのか目の当たりにしている。
妻が透き通る琥珀の目で吐露した心情だからこそなのか、余計に御園大佐が険しい顔になった。お嬢ちゃんの綺麗事を諭す父親の顔のようにも見えて、心優でもゾッとするほどに。
「葉月。おまえも一度、その想いを捨てろ。もうあの青年は敵だ。わかっているな。雅臣君、君もだ。パイロット同志の想いや心配はあるだろうが同情は禁物だ。艦長、副艦長ともに、そこは改めて頂きたい」
補佐をする指令室長らしい苦言だった。
「わかってる、澤村」
「肝に銘じておきます。澤村大佐」
艦長、副艦長共にその苦言を聞き入れたようだった。
せっかくの和やかなティータイムの温かさがあっという間に消え失せ、飲みかけの紅茶も珈琲も冷め切っていた。
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