3.女王のケジメ
「選ぶとは、御園准将の指示で飛ぶか、城戸大佐の指示で飛びたいか、そういうことですか」
「そう」
途端に、鈴木少佐の顔が歪んだ。『なんでそんなこと、俺に選ばせるんだよ』と言わんばかりの、チッと舌打ちも聞こえたような気がしてしまうほどに。
「次回は大陸国とは接戦になる。指揮をする軸を決めておきたい。いざその時、英太、貴方は私と雅臣、どちらの指揮でのドッグファイトを望むのか」
雅臣も表情を一切変えず、徹した真顔のまま。しかも鈴木少佐とは目を合わせない。自分はただそこに置かれているだけ。選択をしてもらうために、こちらもミセス准将に負けない無感情さを漂わせている。足を肩幅に開いて、手を後ろで組んで、きりっと立っている軍人らしい姿の大佐殿を、心優もただ眺めることしかできない。
その二人を目の前に、鈴木少佐が躊躇っている。
次回任務で、いざドッグファイトになったら、どちらの指揮を望むのか。
マリンスワローから放り出され問題児として持てあまされていた彼を見出し、雷神というトップフライトにスカウト、問題児に徹底的な躾をしてエースという称号を得るまでにリードとしてくれた、バレットの絶対的女王『ミセス准将』。
片や、マリンスワローで一緒だった時から尊敬するエースパイロットで先輩、小笠原で雷神の指揮官になった途端、今まで以上の能力を引き出そうとしてくれるエースの能力を持つ男、『エース、ソニック』。
いままで慣れてきた女王様か、女王様にはない領域へ引き出そうとしてくれるパイロットのヒーロー、エース殿か。
どちらの指揮官にもそれだけエースで問題児だった男をリードしてきたプライドがあると思う。
だから、心優も光太もドキドキしている。女王様を選ばない男がいるのか、バレットの絶対的女王様だった彼女を見切るようなことなど、そんな選択があるのか。
鈴木少佐も、ミセス准将の目をじっと見つめている。やっぱり……。そうなるよね。いざという時の判断力は、やっぱりミセス准将。雅臣ではまだ指揮官として日が浅い……から……
「城戸大佐で、お願いいたします」
心優は一瞬、耳を疑った。
うそ。あの鈴木少佐が、姉貴として慕い、心に女王様として置いてきただろう彼女を見切った?
まだ転属してきたばかりの光太も息引く驚きを密かに見せている。ミセス准将を選ばないということなんてあるのかという驚愕だった。
だけれど、ミセス准将と大佐殿はどちらも表情を変えず、淡々としている。
「わかりました。接戦となるとき、城戸大佐に貴方の指揮をしてもらいます。最終的な責任は私が持ちます」
「かしこまりました」
「答えてくれてありがとう。もう帰ってもよろしいわよ」
「失礼いたします」
弟分の英太ではなく、『鈴木少佐』という一人のパイロットとして大人の顔で彼が去っていく。
去っていく鈴木少佐の背に迷いはない。姉貴を、女王様を、切ったその決断に心苦しさはあるのだろうが、決めた以上振り返りもしない。
そこに心優は、ひとつの変化を見届けた気がした。どうしてか、心優の胸に押し寄せてくる『寂しさ』と『希望』という極端な感情が入り交じる複雑なものだ。
鈴木少佐が退室し、やっと雅臣が葉月さんの隣で、ひと息ついて姿勢を崩した。
「ケジメになりましたね」
雅臣のひと言に、心優もやっとケジメがなんであったのか理解する。
「そうね。あの子が自分で選べたことに喜ぶべきというか……」
彼女の琥珀の瞳が、光っているように心優には見えた。涙ぐんでいる目尻が……。
それに気がついたのは、心優だけではなかった。雅臣も光太も。雅臣が青いメンズハンカチをさしだす。
「どうぞ。見なかったことにしましょう、艦を降りて頂くまで、貴女にはアイスドールであってほしいです」
でも、ミセス准将はそれを手で制して遠慮し、自分のエレガントなハンカチを取りだし、目尻を押さえた。
感情が高まっているいま、言葉を発したら余計に涙が溢れてしまうのか、御園准将は目元をハンカチで押さえそのままなにも言わない。
「あいつ、大人になりましたね。葉月さんが育てたと俺は思っていますよ」
雅臣の穏やかな声かけ、それだけでまた御園准将が口元を歪め、ついに背を向けてしまう。
「ありがとう……、雅臣……、貴方が来てくれたおかげよ。バレットをお願い」
「もちろんです。お任せください」
「雅臣、私を甲板から空母からも追い出す……、そう決してくれて感謝するわ」
「貴女に安心して頂くためでしたが、生意気をいたしました。その分、きちんと引き継がせて頂きます」
雅臣の確固たる決意は、あの時から始まっていた。『コードミセスに勝つ』。そして心優もお願いした。『城戸大佐。お願いします。御園准将が安心して去れるように、気持ちよく追い出してあげてください』と。夫の城戸大佐は、心優のその願いをほんの数ヶ月で達成させた気がする。
もう葉月さんに弱い雅臣君ではない。ミセス准将の歴とした後継者になる大佐殿。彼は彼の力でそこへ行く。
その責務がどれだけ重いか。ミセス准将のそばに常にいる心優にはどのようなものかわかっているからこそ、彼女の責務を城戸大佐が引き継げば、いままで心優がミセス准将の苦労を案じてきたものは、そのまま夫を案ずるものへと変わっていくのだろう。
それもまた、近頃、胸を痛める原因となっている。だがこれこそ『大佐夫人』の覚悟であると思うこの頃。
海軍夫妻の新婚は甘いばかりではない。進めば進むほど、覚悟がいる。
「雅臣。貴方にも、海東司令の意向を伝えておくわ」
「わかりました。自分も、准将にこれからの訓練について相談したいです」
ゆったりとした応接ソファーへと、御園准将が雅臣を促す。
ミセスが単体のソファーに座ると、すぐ角合わせで傍になる長椅子の端に雅臣が座る。まさに額を付き合わせて話し合える位置取りだった。
二人の手元に、白い用紙が置かれ、二人の手にはボールペン。それぞれの手元には手帳。二人だけのミーティングが始まる。心優と光太は、用紙を準備したりタブレットを運んできたりのアシストに徹する。
「海東司令が『優先』するべき指針を置いていってくれたの」
「優先、ですか」
「そう。まず、対空領空侵犯措置を行う時の、措置として望む優先順序は、」
1. 警告のみで大陸国飛行隊が撤退し、通常の侵犯措置で完了すること。
2. 警告に従わず、接戦を仕掛けられる場合。接戦に応じるとしても、あちらが侵犯してからとする。接戦中も、あちらが侵犯をした接戦を試みても、こちらからは絶対に侵犯をしてはならない。
3. 已むを得ず接戦に巻き込まれ、危機に陥った場合。安全に回避するための判断として、こちらからの侵犯も厭わず。ただし、この場合も、大陸国が先に侵犯してからとする。
海東司令が先日置いていった『次回任務での、侵犯措置及び接触に対する指針』が御園准将から伝えられる。
「つまり、こちらからは絶対に侵犯しない。したとしても最悪の手段であって、あちらから侵犯をしてきたから応じたに過ぎないというスタンスで行くと言うことですね」
「そのとおりよ。まず今回『1』で解決するのは難しいと見て、かといって『3』は最悪の事態。できれば『2』で対処したいということよ」
雅臣も目の前の用紙にペンを走らせる。
「同じ事を訓練で考えております。これは、領空線です」
用紙の中心に黒い一本線を引いた。
「訓練でこのラインを設定し、バレットとスプリンターはこちら側には入れない。でも、敵機を担当する戦闘機のパイロットには、このボーダーラインの左右どちらも行き来できる訓練を実施したいと思います。まずはバレットとスプリンターにチェンジの演習で感覚を掴んでもらう所存です」
用紙に引かれたライン、バレットとスプリンターを模した戦闘機の印は、片側のエリアのみの飛行を許され、ラインから向こうへは行くことは許されない。だが、他の戦闘機の印はラインなど関係なく自由に行き来ができるという線を雅臣がペンで走らせた。つまり、侵犯し放題、バレットとスプリンターにはライン越えは許されないという訓練だった。
「いいわ、やってみて。それと、コンバットの敵機の動きなんだけれど、こうしてくれるかしら」
さらに御園准将が用紙に敵機の印を書き入れ、空戦の配置を示す。
「そうですね、その形態も考えられますね」
「こうなると、二機がわざと向こう側相手国の空域に引き込まれ、連れて行かれ、意図せずとも侵犯したと誘導される可能性も」
「以前、ミラー大佐が最北大国のミグ数機に一機だけ囲われ脱出できずにそのまま連れて行かれ侵犯を誘われそうになった危機、あの時のように、ですか」
「そうよ。きっと、大陸国も私達側からは絶対に侵犯すまいというスタンスをわかっていると思う。対等にするためか、自分たちから侵犯したとしても、おまえ達もしただろうという抗議の理由付けによ」
「では、この形態で、いかがでしょう」
パイロット同士の話し合いが白熱する。准将と大佐殿の手元にある用紙が、徐々にボールペンのラインで黒くなっていく。
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