2.バディ君とお母さん

 ひさしぶりの訓練を監督した御園准将だったが、昼前に陸へ帰る連絡船では無言。青い珊瑚礁のキラキラした水面を見つめながらも、その眼差しは遠い。


 こんな時、心優も静かに黙っているが、心優の隣に控えている光太はなんだか居心地は悪そう。まだ慣れていない証拠だった。



 おかに戻ってきたら、ボスとランチタイム。

 御園准将のランチに、心優と光太も毎日付き添う。


 いまカフェテリアに行くと、光太が注目の的。心優が浜松で鍛えていた後輩、護衛官として引き抜かれたことも知れ渡り、ミセス准将のそばに若い青年が付き添うことになってまた皆がざわついていた。


 それでも、光太のことについて話しかけられると、ミセス准将もお母さんのような優しい顔で皆に返答する。


「ええ。あと数年もすると、長男が彼のようになるのかと思うと、もう母親の気持ちです」


 と、話しかけてくる幹部男性達にそう微笑む。ミセスが優しく微笑むので、これまた話題になっていた。


 そんな彼女の優しい紹介が重なると、光太もちょっと緊張が取れるよう。この二人の距離と、光太の固さを取り去るのも心優の今の使命だと思っている。


 難しい。男性よりも女性の護衛官が必要なのだと言われ彼女についたけれど、今度はその女性護衛官として、異性の隊員、または若い隊員との架け橋になれという課題だった。


「光太もいっぱい食べるわね。私も遠慮なくいっぱい食べられるわね」


「恐れ入ります。でも、自分、少食だったんです。園田先輩に指導してもらうようになってから、食べられるようになりました。食べ方もいろいろ教わったんです」


「食べ方?」


 光太の返答に、珍しく御園准将が首を傾げた。


「はい。ご実家のお母様が栄養士をされているとかで、そのお母様に教わったバランスの良い食べ方です」


「へえ、それ。私も知りたい。いままでそんな話になったことなかったわね」


 准将と青年の会話が弾んで心優にまで振られてきた。


「母ほどではありませんが、母が言っていたこと、守りなさいと言っていた豆知識を教えただけですよ」


「でも。身体を動かす、造らなくてはならない軍人やアスリートにとっては大事なことよね。うちは隼人さんがそういうこと気遣ってくれてきたから……。でも私もこれから一人になった時の食事は考えなくちゃいけないな、なんて思っていたところ」


 一人になる。近頃、御園准将がぽつぽつと言うようになった言葉だった。本人は気がついているのか、わかっていて言っているのか心優にはわからない。


 夫が自分と離れた生活をする、息子が独り立ちして家を出て行く、いつか。彼女はもうそこが見えてきているようだった。


「今度、母にも聞いてみますね」

「豆知識でも知りたいわ」

「俺も知りたいです!」


 ミセス准将との他愛もない会話が成立。なんだこうして話していける。これを積み重ねていけば、きっと光太も大丈夫。と心優も少し安心する。


「それにしても、光太。今日、すごく我慢していたわね。おかしかったわよ。すっごい嬉しそうなのに我慢しているの」


 最後に准将があの切羽詰まったブリッジ管制室の空気の中、大好きな海軍パイロット達の本物のコンバットを目の当たりにして興奮を抑えている光太のことを思い出して、やっとクスクスと笑い出す。


「ええっ、笑いそうなお顔ではなかったですよ、准将!」


 お、吉岡君らしいツッコミができていると心優はいい感じと目を瞠る。


「だって。あそこで笑ったら、橘さんに叱られるのは私だもの。あの人と喧嘩すると大変なんだから」


 あのミセス准将が、あの人怖いとふて腐れたので、今度は光太が目を瞠っている。この人ってこんな人? ミセス准将のアイスドールのイメージもこうして崩れていくことだろうと、心優も懐かしくなってくる。自分もそうだったなあ……と。


「橘大佐と喧嘩……するんですか……」

「すっごい剣幕で怒るわよ、ねえ、心優」

「ですよねえ、少し前に、横須賀に帰るかと准将がひと言言っただけで、もの凄くお怒りになって、説明も聞かないで飛び出していきましたもんね」


「まあ、あれだけ熱い人だから、マリンスワローの悪ガキ達を束ねてこられたんでしょうけれどね。……実際に、パイロットとして空母で一緒だった若い時の、あの人の破天荒さは記憶に残るほどよ」


 あの橘大佐が若さで破天荒だった時なんて、想像するだけで怖い。じゃじゃ馬お嬢様だった彼女にここまで破天荒と言わしめる男ということ。


「でも、でも、かっこよかったです! うー、仕事でなければ握手してほしかったし、エンブレムのサインも欲しかったです!」


 くー、あの指揮をする大人の男、かっこいい! ソニックもすげえ飛行を指示していて、しびれた! ついに光太が本性を露わにする。


 だが、彼がはっと我に返る。


「し、失礼いたしました!」


 素が出て、はしゃいでしまってごめんなさいとばかりに、光太がミセスに頭を下げる。


「嬉しいわね。光太のようなファンが、また防衛に勤しむ、技術を磨く男達の励みにもなっているのよ。橘さんにも伝えましょうね」


 やっぱり。母子のような微笑ましさだった。これはこれで、光太はまたミセス准将にいい影響を与える気がする。心優もそう思えてきたし、光太もちょっと固さが取れたよう。


 そうだよ。いまのところは、かわいい男の子でいればいいんじゃないかな。……心優が言われたマスコットと暫くは言われそうだけれど、光太もそう見せかけて、そうじゃないという護衛官にも育てなくては。心優はまた教育について肝に銘じる。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 午後の業務が始まって暫く、御園准将が愛用しているパイロット腕時計で時間を確かめる。


 光太のデスクは心優と並べられ、いまは空母研修時間以外は、秘書室の簡単な事務作業を教えている。そこにいる心優へと准将が告げる。


「雷神室の雅臣を呼んで」

「かしこまりました」


 なんだろう。心優は雅臣がわざわざ単身で准将室へ呼ばれるのはどのような意図があってなのか、そう思いながら内線受話器を手に取る。


 雷神室へ連絡すると、事務官の松田大尉がでてくれた。


『いま在席中ですから、すぐに伝えます』


 城戸大佐に伝言し、すぐにそちらに向かいますとの返答。

 心優はドキドキして、夫になった大佐殿を待った。


 その間、御園准将は皮椅子に座ったまま、柔らかな秋風に珊瑚礁の海が見える窓を遠い目で眺めている。その目が最近とっても気になる。


「なんか寂しそうに見えますね……」


 光太も気になったのか、心優にだけ聞こえるようにこっそりと呟いた。

 やがて、雅臣がやってきてドアがノックされる。いつもどおりに心優がドアを開け迎え入れる。


「お呼びですか、御園准将」


 凛々しいネクタイの制服姿の雅臣が、准将デスクの前に立つと敬礼の挨拶。


 ゆっくりと御園准将が席を立ち、デスクを挟んで雅臣と向きあう。


「ケジメを付けておこうと思ってね、呼んだの」

「ケジメ……ですか」


 今日、空母艦で橘大佐が言っていた『そろそろつけてほしい』と言っていたもの。そのケジメがなんなのか、いまからそれを彼女が告げる。


 そのケジメがなにか雅臣に伝えられた。雅臣はそれを聞いても驚かなかった。だが、心優とまだ新人の光太は一緒に驚いた。


 驚いたままでいると、御園准将が心優に言う。


「英太を呼んで」

「はい」


 またデスクの内線電話を手に取り、心優は鈴木少佐がいる第一中隊所属の第一飛行部隊雷神班室へと連絡をする。


 そこで班室をサポートしている事務官が出てくれ、大隊長の准将が直々にお呼びと告げると、すぐに伝えます――と応えてくれる。


「すぐにいらっしゃるとのことです」


 准将に報告した心優はそこから、ミセス准将と雅臣が向きあっているデスクから離れるようにして、距離を取り控えた。上官同士の遣り取り、その空気感を邪魔しないための秘書官の配慮。それがまだ光太にはすぐには思いつかないようだったので、彼に目線で訴える。でもすぐに通じた。


 心優が立ったその位置、その隣に光太もじっと起立して控えてくれる。


 その間も、ミセス准将と雅臣は黙ったまま。間をつなげる会話など一切しない。それだけ、これから二人がしようとしていることは、真剣なことだからだった。


 おちゃらけた世間話もいらない。いまミセスと大佐殿はそこ一点に気持ちを研ぎ澄ませている。ただただその時を待つだけ。


『雷神の鈴木です』


 鈴木少佐が来た。新人の光太が心優に教わったとおりに、ドアを開けて准将室に迎え入れた。


 彼もどうして呼ばれたのか怪訝そうな顔で、まず御園准将の顔色を窺っている。


「お疲れ様、英太」

「お疲れさまっす……」


 彼女が家族のように『英太』と呼べば、彼も遠慮なく弟の心構えに崩れる。どんな時もそれが許されるのが、彼が御園家と家族になった特権でもあった。


「雅臣、こちらに」


 デスクの皮椅子から立ち上がった御園准将が、自分の隣へと雅臣を呼んだ。


 鈴木少佐の目の前に、デスクを挟んで、御園准将と城戸大佐が目の前に並んだ。


 心優は息を呑む。新人の光太でさえ。


「あの、お二人揃って、どうされましたか」


 准将のデスク、そこに二人の上官が並んでいる光景に、鈴木少佐もただならぬものを感じ取っているのが心優にもわかる。


 ついに。御園准将が、それを告げる。


「鈴木少佐、バレット。貴方に選んでもらいたい」


 鈴木少佐が眉をひそめる。嫌な予感がするといった顔。


「次回の航海にて、どちらの指揮で飛びたいか。選んでもらいたい」


 それだけで、鈴木少佐の目が静かに見開いた……。

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