48.チャトラの嗅覚

 しかし艦長の言動をおなじブリッジのセクション配備の隊員とはいえ易々伝えて良いものか心優は迷う。


「どうして。コーストガードて沿岸警備隊だよね。海軍とはまた業務が違うし……」


「まあ、葉月さんが気にしていたとしても、腹の中は見せてくれないだろうな。強いて言えば、海東司令もだ」


 まさにドンピシャなやり取りが数日前にあったばかりだったので、心優は驚きで固まる。どう反応すればいい? もうシドだから言ってしまえばいい?


 でもシドから話を続けてくれる。


「前回、海から潜入されただろ。だから今回はそんなことがないように厳重に不審船に対して警備をして欲しいと葉月さんは思っているだろうな」


 そうだよ、そのとおり。だから艦長は海東司令に『コーストガードはどう配置されているのか』と聞いてしまったのだから。


「コーストガード側も警備については極秘に巡回しているだろうから、情報共有をしているのは上層部のみ。海東司令は知っていても、こっちの艦には教えてくれないだろう。なるべく知っている者を少数にしていくのも防衛のひとつだからな」


「でも今回の巡回航行はこれだけ警戒している対戦が必ずあるとわかっているでしょ。そんな大事を構えている状態の中、前回のように海中から潜入されないためにも、今回は絶対に沿岸警備隊も配備しているよね」


「しているだろうな。俺もそう思うし、金原隊長もそう言っていた。ということは、だ……。『敵方もそう思っている』ということだ」


 ということは……? シドが思わぬことを言う。


「外側の潜入は避け、隊員の顔をして紛れている可能性もあるってことだな」


 もう心優は息が止まるほど驚いた。そして彼に思わず食ってかかる!


「あるわけないじゃない!! どの隊員も身元を確かにして乗船させているんだよ」


「だからそれもパスしてということだよ。このことは葉月さんも明言はしていないけれど、予測していると思う。クルーを不安にさせないために言わないだけだ。おまえの父ちゃんをわざわざ横須賀から呼びたいと金原隊長が決したのも、葉月さんから『今度は内側から来てもいいように備えて欲しい』と言われたからだよ。おまえの父ちゃん、めちゃくちゃ本気だっただろ。初っぱなから娘をぶっ叩いたのも、今回の任務でもっと気合いを入れて欲しかったからだろ。おまえだけじゃない。俺たち警備の戦闘員もだ」


「そ、そうなの」


 心優の脳裏に、大魔神のように恐ろしかった父が蘇る。いままでの格闘指導とは確かに違った。父の目の色も表情も勢いも知らない父だったし、経験したことがない訓練だった。


「俺もそうだ。極秘に潜り込んで護衛しろと言われそうなところ、今度は堂々と警備ができるようにしてくれたのも、それだけ警戒しているってことなんだろ」


「今回は? シークレットの隊員は、また配備されているの?」


 前回のシドのように、シークレットの密命を受けている隊員の潜入はあるのかと問う。だがシドも首を振る。


「表側に配属されたから、裏側の指令は俺にも伝わらないだろうよ」


「でも、葉月さんはわたしには『内側を警戒して欲しい』なんて、そんなことひとことも……」


「予測でものを言わないのが艦長だろ。ましてや、まだ護衛について一年の女の子を動揺させたらいけない」


 まだ一年の護衛官。シドのはっきりした物言いにさらに心優は愕然とする。でもそうであるのは確か。


「毎日側にいる者を動揺させるぐらいなら言わないと決めているんだろう。その点では心優自身も自分はまだまだだと思っているんだろ? おまえとこうしてゆっくり話せる時が来たら伝えておこうと思っていたんだ。おまえ、あんなことが二度と起こらないと思っているのか」


 さっと血の気が引いていくのが自分でも分かった。またあんな恐ろしい対決があることを恐れているのではない。『油断している自分がいる』といまここで知ってしまったから!


 春日部嬢の態度と言葉を思い出していた。『こんなこと何度も起こりませんよね。だから今回、私が艦に乗ってもきっと大丈夫。なにも起きない。この基地の事務所で勤めているのと変わらない』、あの安心しきった受け止め方。心優は既に危機に遭遇した経験があったので『本当にあるのよ、危ないこと!』と言い切れる立場にあった。でも……。


「ほらな。二度と起きないと思っていただろ。内側に潜入されていたら、いつどうなるかわからない。気を引き締めておけよと、言っておきたかった」


 心優は立ち止まる。その気配に気がついたのかシドが振り返った。


「ありがとう、シド。ちょっと油断していたかも……」


「隼人さんがいて、随分と艦長室の空気が和らいでいたからな。あれはあれで今回は効果はあると思う。でも……、流されんなよ」


 この男性はいつも危険な匂いを嗅ぎ分けようとする本能が備わっているんだ。心優はそう思った。アスリートとして辛いことはあったけれど、心優はなに不自由なく育ってきたほう。安心したい方向へとすぐに流れていく。でも『チャトラ』は違う。トラ猫王子はそうして匂いを嗅ぎ分けている、安全か、危険か。それを察知していた。


「あの部屋だな。英太兄さんが退屈していて、ドアを開けたら飛び出していくんじゃないかって警戒してしまうな」


 また苦笑いをこぼしたシドから、その部屋へと向かっていく。


「大丈夫よ。昨夜もハワード少佐がお食事を持っていったけれど、大人しかったと言っていたもの」


 謹慎は本日の夜、就寝時間に解除される予定。心優は鉄のドアをノックする。


「おはようございます。艦長室の園田です。朝食をお持ちしました。いま開けます」


 預かってきた鍵を使って、心優はドアを開けた。

 むわっとした男の匂いが漂っていた。栗毛の男は上部にある僅かな隙間の窓を見上げていて、黒髪の男はベッドに寝そべっていた。


「おはようございます、園田中尉」

「はあ~、もう朝か~」


 きちんとしている男性と、やっぱり悪ガキな男とだいぶ違う態度だった。


「もうな、おまえだらけすぎだからな! もうすぐ朝食で誰かがくるからちゃんとしろと言っていただろ」

「だーってな。なんもすることねーんだもん。おまえと話すのも疲れた」


 それでもむっくりとあくびをしながら鈴木少佐がベッドから起きあがった。


 一昨日の夕方からの謹慎。なにも持ち込めない状態で閉じこめられた二人には、着替えと歯ブラシの差し入れが飛行隊長のウィラード中佐から届けられただけで、雑誌やパソコンなどの娯楽用品は一切与えられなかった。


 トイレとシャワーがあって、あとは食事が運ばれてくるだけ。なにもない。それが謹慎の生活。刃物も与えられないため、二人は既にもっさりとした不精ヒゲになっている。


「お食事です。どうぞ」


 デスクはあるので、そこに食事のトレイを心優が置く。

 それだけが楽しみとばかりに、二人が席に着いた。

 そしてワゴンにはオマケがあった。


「艦長からの差し入れです。珈琲を淹れるようにいわれています。いま、準備しますね」


 それだけで謹慎中のふたりの表情が柔らかい微笑みを浮かべた。


 そろそろそうしてあげても差し支えないだろうという葉月さんの気遣い。いつも秘書室でそうしているように、ワゴンの上で珈琲をドリップする。


 そこら中に漂う珈琲の香りに、もっさりとしているパイロットの男ふたりがうっとりとした表情をしてくれると心優も嬉しくなる。


「あと少しで解除ですね。お疲れ様です」


 そう言葉を添えながら、心優は出来上がった珈琲を入れたカップを、それぞれの少佐の傍らに置いた。


「騒がしくいたしまして、艦長室ではご迷惑おかけしました」


 クライトン少佐の流暢な日本語に、今度は心優がうっとりする。ほんとうにこちらのお兄さんパイロットは行儀がいい男性。生真面目なアメリカ青年といったところ。でもクールな眼差しが大人っぽくて、そこがスプリンターの色気だと心優は思っている。


「ったくよ、まさかまたこの部屋に閉じこめられるとは思わなかった」


 そしてこちらはやっぱり悪ガキなままの鈴木少佐。クライトン少佐みたいに綺麗な言葉で会話することもなく、どちらがお行儀の良い言葉遣いができる日本人なのかわからなくなってしまうほど。


「英太兄さんも相変わらずだな。とっくみあいの喧嘩てなんだよ」


 弟分のシドも割って入ってきた。


「俺からじゃねえよ。飛びかかってきたのフレディからだからな」


 そうでなければ、俺だってやらねえよ。もういい大人なんだからと悪ガキからそんな言葉。


「だよな。普段は大人の兄貴だと頼りにしているクライトン少佐を怒らせるなんて、よっぽどだったんだよな。やっぱ英太兄さんが悪いんだよ。だからいまだに悪ガキなんて言われるんだろ」


「はあ? おまえ、シド、このやろっ」


 遠慮ない物言いのシドに、いつも仲良くしている兄貴の鈴木少佐がまた憤った。それをクライトン少佐が『やめろ』と止めるいつものきちんとした構図。


「シドがいうとおりだ。俺がやりはじめたからこそ、こうなってしまったんだ。反省している。でも、俺もどうかしていたな……」


 今回の騒ぎで滅入っているのは、このような処罰は慣れていないだろうクライトン少佐だった。


 鈴木少佐が騒ぎの発端であったとしても、お兄さんのクライトン少佐が彼を制御すれば収まる。これがいつもの安全装置。なのに今回はその安全装置のご自分から取っ組み合いを始めてしまったから、あの騒ぎになったのだと心優も思う。


「奥様が初めての妊娠をされたのに、一緒にいられないのは不安ですよね。仕方がないと思います」


 コーヒーの香りを楽しむ少佐二人の間でうかがっていた心優からそう言うと、クライトン少佐が『ありがとう、気が楽になったよ』と微笑んでくれたので心優も安堵する。


 そんな二人がやっと落ち着いて食事を始めたので、心優もしばらく見守っていると。


「これ、いつものな」


 クライトン少佐が自分のトレイにあるマーガリンとストロベリージャムのパックを鈴木少佐のトレイへと置いた。


「サンクス、いっただき」


 当たり前のようにして鈴木少佐も自分の分ともらった分のマーガリンとストロベリージャムをたっぷりとトーストに乗せたので心優はびっくりする。


「あの、クライトン少佐はマーガリンは不要でしたか」


「アメリカの実家にいる時から自分はスープと一緒に食べるものだから、なにもつけなくていいんだよ。その分、英太はまだ子供みたいな味覚を好むし、カロリーをばっちりとりたい癖がついているみたいで、ジャムがあるとあんなふうに……。見ていると胸焼けしそうだけれど、もう見慣れたよ」


 それぞれの食べ慣れた好みがあるようで、でも、二人一緒に幾たびも食事をしてきた姿もほんとうに通じている家族のように心優には見えた。


「園田さん、本日の夜間に謹慎がとけるはずですが、もう目的海域に到着しているなどありませんよね」


 クライトン少佐から急に業務について問われる。二日間、業務周知がない状態で部屋に閉じこめられているため、空母と飛行隊がどうなっているのか気になるようだった。


「まだ到着という報告は受けていません」


「ですよね。到着すれば、そこを起点として停泊するはずだろうけれど、艦は動いて航行しているようなのでまだ到着ではないとは思っていたのですが、大丈夫ですね」


 この人もファイターだなと痛感する。シドもそう、クライトン少佐も。緊張差し迫る任務を請け負っている男は先へ先へと予測を立て、いつだって胸がざわざわしているようだった。


 お二人がようやく穏やかに微笑みあい、仲良く食事をしているのを見て、心優も一度退室しようとした。


 ――ホットスクランブル!


 突然の指令放送がこの部屋にも響き、緊急配置を促すためのサイレンも響いた。


 心優も、シドも、パイロットの二人もハッとし、揃って天井を見上げる。そこにスピーカーもあるし、空が見える窓があるから!


「くっそ! 葉月さんにやられた!!」


 さらに心優は仰天する。食事をしていた鈴木少佐が立ち上がり、鍵が開いているドアへと走り出そうとしているから!


 だめ! 謹慎中の隊員が決められた部屋から一歩でも外に出たら、もう取り返しがつかなくなる! 咄嗟に心優の身体が動いて鈴木少佐を止めようとしたが、あちらも反射神経が素晴らしいのかもう走り出した背中しか視界にない!

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