25.死を顧みなかった人

 フランク大将夫妻がアメリカへ帰国してから、十日ほど――。

 岩国基地から、高須賀准将が率いる『空海飛行隊』が小笠原入りをする。


 宿舎への受け入れ、パイロット達の受け入れ部署など、訓練と平行し御園准将室は受け入れ準備に追われた。


「いやいや、いいねえ。お嬢さんの准将室にしばらく一緒にいさせてもらえるだなんて」


 僧侶のように穏やかに目を細める高須賀准将が、ゆったりしているソファーでティーカップを優雅に傾けご満悦中。


 高須賀准将の受け入れは、御園准将室。ここで准将二人が過ごすことになる。


「なにか不自由がございましたら、遠慮なく申してくださいませ」


 先輩である高須賀准将に頭を下げる御園准将。先輩として敬う姿は楚々としていた。


「こんな美味しい紅茶を優雅にいただけるだけで来た甲斐があるね。珊瑚礁の海が一望できて……。この基地も設立されてだいぶ時が経ったけれど、新設されたころはアメリカ式の最新基地としてなにもかもが新設備だったもんだから、配属された隊員が羨ましかったもんだよ」


「そうでしたわね。私、ちょうど新入隊員として良い時期に当たりまして、この基地に配属されましたけれど」


「そりゃ、君はフロリダ本部に高官の父上を持つ帰国子女。アメリカ式の日本基地を導入するのに若手幹部としても有力な隊員だったうえに、特別訓練校の卒業生、さらにファイターパイロットと来た。……あの頃から、この基地を担う隊員になってくれればと期待されていたんだろう」


「どうでしょうね。あの頃の私をご存じでしょう……。有望どころか、やっかい者だったと自覚しております」


「くせが強い者ほど、丸くなった時に最強になるからね~」


 高須賀准将が静かに笑った。それって御園准将のことを言っているのかなと心優は思ったが、逆に御園准将が『まあ、うふふ』と笑っている。


「それはご自分のことなのですか」


「なんだって? 自画自賛になってしまうだろ」


「マッドネスと呼ばれていたパイロットではありませんか。陸ではお優しい先輩のくせに、コックピットにいると豹変する。皆、怖がっていたではありませんか」


「そんな俺も若かった現役の時のこと言われても。俺が言いたいのは、君のことだよ、君のこと。扱いづらいことこのうえなく、なにを考えているのかわからない上に、命知らず――。コンバットで一緒になったらたまらないよ。君ほど先が読めないパイロットはいなかった」


 当時を思い出したのか、穏やかそうな彼の顔が歪んだ。


「合同訓練があると、私は貴方には一発でロックオン、撃墜されていましたけれどね。しかも狙ったように、コンバット開始数分で撃墜されたことも多々。『おまえ、邪魔だから先にやっておく』みたいでしたわね。一度も勝たせてもらったことがありません」


「君は女性パイロットだったし、まだ新人だった。俺が勝てて当たり前の時期だろ。まあ、確かに? 『こいつ予測外の命知らずなことするから先に落としておこう』とは思っていた」


「怒っていらっしゃったのでしょう。命を顧みないパイロットと、横須賀の男達には随分と嫌われていたものです」


 高須賀准将が一時黙った。痛々しいものを思い出しているようだった。


「パイロットとしては怒っていた。だが、君が死にたくなる気持ちにならざる得なかったことは理解している。しかしどのような理由があれ、ファイターパイロットの意義を君は無視していた。いまは許している。何故なら、いまの君は誰よりもその意義を胸に抱き、海原に出て空を護ってくれているからだ。身体にその痛みを刻み、死の恐ろしさと死別の空しさと家族の悲しさを体験した君だからこそだ……」


 堅い表情だった高須賀准将が、そこでいつもの僧侶の微笑みに戻る。


「寂しいよ、君が海から去っていくだなんて。俺よりまだ若く、まだ海に出て行けたのにね」


 御園准将の心を察して労ったせいか……。御園准将が僅かに目元が泣きそうに崩れたのを心優は見る。でもアイスドールはそこで感情表現を留めることができてしまう人。


「私は先に行かせて頂きます。準備をしておりますので『いつか』、お願いいたします」


「どうかな。俺もね、瀬戸内の海が気に入っていてね」


 滅多に会えない准将同士、離れていてもおなじ志を持っている准将二人。その二人がこうして日頃できない会話を重ねているのはとても貴重な時間だと、心優は紅茶のおかわりを高須賀准将に差し上げながら息を潜めて聞いていた。


「明日から模擬戦コンバットの実施開始だが、君も来るよね。しばらく空母には出向いていないと聞いているが、君がいないと」


「そうですわね……」


 なんとなくはっきりしない返答に、心優には聞こえた。


「では。前半は空海のアグレッサー側につくと張りきっている雅臣のところに行って打ち合わせでもしてこようかな。橘にも会いたいしね」


 ティーカップをテーブルに置いた高須賀准将が立ち上がる。雅臣がいる雷神室には、空海の飛行隊長、日向中佐の受け入れ先になっている。飛行隊長同士で話し合えるような配置だった。


 高須賀准将が出て行った後、御園准将もひと息。


「ティーカップ片づけて。しばらく気遣うでしょうけれど、よろしくね」


 心優と光太は揃って『イエス、マム』と返答し、一緒にテーブルを片づけた。


 秘書室の給湯室。ラングラー中佐が取り仕切っている秘書室の真横に壁で仕切られ、割と広い間取りになっている。コンロも揃っていて料理をしようと思えばできるし、小型冷蔵庫まである。これが高官棟の将軍室の特徴でもあった。


 そこで光太と一緒に茶器を洗う。


「あの、心優さん」

「なに」


 心優が洗って光太が拭く。その流れ作業をしている中、光太がティーポットを丁寧に拭きながら話しかけてくる。


「俺がここに来た時に、心優さんが最初に言っていたじゃないですか。これから御園准将や他の先輩や高官との会話を聞いて『あれ』と疑問に思うこといろいろ出てくるだろうけれど、決して、心優さん以外の隊員には口が裂けても聞くな、なんでもわたしに聞きなさい――て」


「うん、言ったよ」


「御園准将、十歳の頃に事件に遭って心を閉ざしていたからお父様の御園元中将と不仲だったとか言っていましたよね。なにがあったんですか。高須賀准将が若い頃は怒っていたとか、死にたくなる気持ちになっても仕方がなかったとか、死別とか、いろいろ……。俺、心優さんに言いつけられたとおりに心優さんに聞きましたよね。いままでも。でも『もう少し待って、機会を見て話す』と言ってくれて、もう、だいぶ経っているんですけど。俺、なんか、いつか御園准将に言ってはいけないこと言うような気がして、最近、うまく喋れないんですけど……」


 そろそろかと心優も構える。シドと義両親のドタバタでなかなか時間が取れなかったけれど。


「今度の週末、空いてる?」

「え、明後日ですか。もちろんです」

「じゃあ、うちに来て」


 光太が『ええ!?』と驚いた顔に。


「だだだだだだって! ご主人がいるじゃないですかーー!」


「え、そうだけど。雅臣さんもよく知っている話だし、わたしは雅臣さんが秘書室長だった時に聞かされた話だから、雅臣さんも詳しいもの。横須賀基地のトップシークレットだからここでは話せないよ。覚悟しておいて」


 横須賀基地の極秘事項と聞いて、光太が青ざめる。


「聞いちゃっていいんですか、俺なんかが! 俺、最近秘書官になったばかりの下っ端っすよ」


「わたしだって、秘書室の下っ端だった時に教えられたんだもの」


 そして心優ははっきり言う。


「聞いておかないと、艦には乗れないよ。御園准将のおそばにもいられない」


「……あの、その話を聞くとどうなるんですか」


「御園准将秘書室の立派な一員になれる」


 さらに光太がおののき硬直した姿に。


「いままで吉岡君が『あれってどういうこと』と疑問に思ってきた先輩達の会話のひとことひとことはね。先輩達も『御園准将の秘書官なら全てを知っているから、このことを口にしても良いだろう』と思って喋っていたの。つまり、新人だろうと吉岡も知っているということで気を許して話してきた話題だったわけ」


「なんかいろいろあるのは……、察していましたけど……」


 聞くのが怖い。光太はすべてを知らずとも、上官と先輩達の交わす言葉で『良くない話』というのは察しているよう。


「大丈夫だよ。いつもどおりにできるよ」


 光太はすでにしゅんとしていた。

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