34.白いドレスを着る前に
「な、なんなの。お父さんこれ」
「この前から訓練が終わるとこうしてな、頼む、頼むと」
ああ、もうこう思ったら真っ直ぐのシドらしいと心優も呆れる。
「心優!」
頭を上げたシドがやっと心優を認識した。
「おまえからも親父さんに頼んでくれよ!」
「でも、父は横須賀からわざわざ頼まれて来ているわけだから、そんな勝手に動けないよ」
「おまえだけ親父さんから直伝のものいろいろ伝承していてずるいぞ!」
「はあ? ずるいってなによ! そっちだってフロリダで本格的な訓練をしてきたんでしょ。子供の頃だってプロ並みのご家族から仕込んでもらってきたんでしょ」
「それはそれ。これはこれ! 俺はいま園田教官にみっちり鍛えて欲しいんだよ!」
「だったら。横須賀に転属願い出しちゃえばいいじゃない!」
「はあ? この俺に小笠原を出ていけって言うのかよ。おまえ、俺と離ればなれになってもいいのかよ!!」
え、そういうこと。ここで言っちゃう? お父さんの目の前で言っちゃう? 心優の身体が一気に熱くなる。今回は甘い熱さじゃなくて、焦りの熱さ!
光太はなんとなく感じているようだったから『うへえ、そういう態度ここで出しちゃう?』と仰天していたが、父はもう『なにいってんだこの若僧は、結婚した娘の目の前で』と怪訝そうに顔をしかめている。
結婚した娘に、婿殿以外の男からの猛攻。そう案じたに違いない。
だが心優は横須賀に転属ではっと気がつく。
「あ、そうだ。あのね、シド。横須賀では一ヶ月に一度、第三日曜日に、父を始めとした格闘教官の特別講習会というのをやっているらしいの」
ね、お父さん――と振ると、父もハッと我に返ってシドに言い放つ。
「そ、そうだ。横須賀で第三日曜に特別講習会やってるからそれに来ればいい。ただし申し込みが必要だ。一週間前までOKだ。どの基地の者でも部署の者でも受け入れているから」
シドの目がきらきらっと輝いた。
「本当ですか、それ!」
「た、ただし! もう出航前だから今月は受け入れ無理だ。帰還後に来い」
「わかりました。絶対に絶対に行きますから、教えてくださいよ!」
「お、おう! 待ってるぞ。その時は存分に教えてやる!」
やった、やったと拳を握ってシドは大興奮だった。もう、いつもの子供っぽい彼になっちゃっているので心優はつい微笑んでしまう。
「なあ、心優。おまえ、彼とどんな関係なんだ??」
「お姉さんと弟? あるいは親友……みたいなものかな、ずっと一緒に訓練をしてきたから」
臣さんとも仲良しだよと伝えると、父がそうかとほっとした顔になる。ほんとうにお父さんとなると心配事でめまぐるしいらしい。
そんな父に心優はちょっとだけ小声で伝える。
「ほら、いろいろ独りの時が多くて。寂しがり屋なんだよ」
俺と離ればなれになってもいいのか――なんて、ほんとうはシドが離れたくないというのがわかっちゃうだけに。
でもそのひと言で父にも通じたようだった。その途端、父が追いかけられていた困った教官から、心優のお父さんの顔に戻ってやっと娘の背中から前に出た。
「シド……でいいか」
父が彼を名で呼んだ。シドもびっくりしたのか、でも興奮していた姿を収める。
「今度、心優とでも、雅臣君とでもいい。沼津にも遊びに来いよ。吉岡もだ。娘をよろしく頼むな」
二人の青年に、あの大魔神がぺこぺこと軽くお辞儀をしてくれる。
もう、シドも光太もものすごく感激した目に輝いて『絶対に行きます!』と大喜び。
ああ、もう。なんだか夫とお父さんのほうが、彼等にモテモテで、官舎の自宅も沼津の実家も、お目当ては友人の心優ではなくて夫と父親という男達の暑苦しさに苦笑いしか出てこない状態に。
でも。父も察してくれたんだなと心優は心の奥で感謝。複雑な事情で大将の息子という地位がありながらも、どこか孤独な青年の在り方を気遣ってくれたのだと。
やっとシドが納得して『失礼いたします』と敬礼をして父から離れていった。
「はあ、やっと諦めてくれた。助かったよ、心優」
ここ数日、すごい猛アプローチだったと訓練場外でへとへとになっている大魔神に、心優と光太は笑ってしまっていた。
―◆・◆・◆・◆・◆―
出航前、それぞれの訓練も大詰め。これを終えると、今度は出航準備に入る。
空母に集まる物資、燃料の詰め込み。艦載機のチェック。カフェテリアのオープンなどなど。
また雅臣は指令室を整える支度のため、しばらく艦や基地で泊まり込みになる。
そういえば去年、転属してきたばかりの雅臣が髭で真っ黒の顔になって『二日も風呂に入っていないから近づくな』と怖い顔をしていたのを思い出してしまった。
またあんなになるのかな……。
そろそろ新婚夫妻の甘いひとときもお預けになりそうだった。
官舎に帰宅するが、いよいよ雅臣のほうが残務に追われるようになっていて、自宅は真っ暗だった。
彼の帰りを待っていたけれど、どんどん時間が過ぎていく。致し方なく心優はひとりで食事をする。
食器を片づけても雅臣は帰ってこない。メッセージアプリにもなにも届いていない。
「ふう、忙しそう」
とうとう入浴も済ませ、ひとりでベッドルームで過ごす。
届いていた郵便物を確かめると、母からの『結婚式場とウェディングドレス』の案内をまとめた封書があった。
開けてみて、心優はまずウェディングドレスのカタログを開けてみた。
「うわ……」
真っ白でふわっとしたドレスがたくさん。キラキラの生地に、透明感あふれるヴェール。どれもこれも眩しいばかり。
これ、わたしが着るんだよね。帰還したら。いよいよ……。
どれにしようかな。どうせなら思いっきり憧れていたお姫様風にしようかな。でも大人っぽいラインも素敵。年齢的にはほんとうはこっちかもしれない。
「ボサ子のわたしがドレスか」
臣さんには絶対に真っ白な海軍の正装にしてもらうんだ。大佐の肩章を付けて、きらきらの金モールに真っ白な手袋。目深にかぶる白と黒の制帽。それで並んで欲しいな……。
そう考えているうちにひとり微笑み微睡んでしまう。
『心優、ただいま』
微かな声。でも心優は眠ったまま。
『へえ、ドレスか。うん、いいな。楽しみだよ、心優のドレス姿』
黒髪にそっと熱いキス。夢の中で感じるだけで、心優はまた嬉しいだけで眠ってしまう。
無事に帰還したらいろいろなこといっぱい。結婚式、そして素敵なドレスを着て、教会で臣さんとキスをして。そして……、新しい家でめいっぱい愛しあって。できるかな、いつ会えるのかな。わたし達のベイビーちゃん。
それから二週間後、ついに御園准将率いる艦隊が出航を迎える。
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