77.ボスのために、嘘をつく
「艦長、十四時です。そろそろお時間ですよ」
ランチタイムから一時間と少しの間のお昼寝が日課になった御園艦長。
艦長室へ起こしに行くのも、同じ女性である心優の仕事になった。
「うーん、この時間のうとうとが治らない」
ベッドではなく、いつもソファーで横になっている。きっとすぐに飛び出せるようにという気持ちは寝ていても忘れられないのだろうと心優は思っている。
「まだ夜型になりそうですか」
「まともな生活に戻さないとね」
「そうは言いません。夜は艦長が気を配ってくれているのですから。艦は24時間稼働、どのセクションも夜勤の隊員がいて、彼等も昼間に休息を取る。スクランブルだって時間関係なしですもの。その時、誰かが起きていて、誰かが寝ているだけのことです」
御園准将が栗毛をぼさぼさとかきながらあくびをした。あああ、いつも優雅でお綺麗なアイスドールのお顔が……と心優は密かに苦笑いをしてしまうのだが、こういう葉月さんは横須賀で拘束中もだいぶ見たせいか、かえって和んだ。
「もう、最近、おまえは園田に助けられるようになって、甘えすぎと隼人さんに言われちゃったわよ」
「甘やかしていますか? わたし……」
それは心外、御園大佐に注意されるほど奥様を甘やかしているつもりはない。
「ううん。心優が上手に助けてくれるようになったと隼人さんが感心しているのよ。テッドみたいになってきたって……」
「ええっ、わたしがラングラー中佐のように? とんでもないことです! まだまだ若輩です!」
でもソファーで、今度こそ優雅な栗毛の女性の姿でしっとりとクッションにもたれる彼女が、遠く丸窓の晴れている空を見つめている。
どこか寂しそうな眼差し――。
「だから。心優と一緒に、大隊長室を出て行っても安心だって、隼人さんも言っていたの」
「大隊長室を出て行っても、もちろんわたしもお供いたしますし、頑張ります。でも、まだまだ至らないことばかりですよ」
「そうかしら。もう雅臣の後ろをついて回っていた女の子じゃないもの。海軍大佐の妻になっている。そういう心構えから出てくるものが顕著だと言いたいのでしょう」
上司だった彼の後ろをついていくだけの女の子ではない。大佐という男の妻になっていると言われ、心優は嬉しくなってちょっと頬が熱くなった。
「おめざめのアイスティーを置いておきますね」
「ありがとう。至れり尽くせり。こういうところもね、もう心優は完璧ね」
「これからも一緒ですよ。わたしも同じく、恐らくこれで艦で旅をすることは最後でしょう。しかし、夫がこれから生きていく現場を体験し知ることができて良かったです」
そう、心優もこれが最後の航海になるだろう。上官のミセス准将が艦長を引退して陸に上がってしまえば、お付きの側近である心優が海に行くことはなくなる。
そして。本日の心優には『大事な使命』があって艦長寝室へやってきたのもある。ちょっと緊張し、ドキドキしながら、でも自然を装って――。
「艦長。城戸大佐からの提案なのですけれど、これで雷神と一緒に艦に乗るのは最後となりますから、白い飛行服をお召しになった姿で記念撮影をしたいとのことです。いかがですか」
「えー、別にいいけど。そんなこと。いままでも散々、広報活動で一緒に写真撮影してきたし」
ほら、来た。御園大佐が言っていたとおり。『あいつのことだから、面倒くさがると思う。そこを園田がなんとかして、なんとかして……』と念を押されている。そのなんとかをしなくてはならない。
「撮影をするしないはともかくとして、わたしに雷神の飛行服を預けてくださいませんか。念のため、お洗濯をしてアイロンをかけておきます」
『あいつ、アイロンがけ苦手だからさ。誰かがやると言ったらそれだけで写真とっても良いと言うかもしれない。園田、頼む』。御園大佐の声を反復しながら、心優はアイロンしますよとにっこり微笑んだ。
「そこのクローゼットにかけてあるから」
「かしこまりました。預かりますね」
無事にゲット。心優はほっと胸を撫で下ろす。御園大佐が『これで駄目なら次の作戦だ』と言っていたけれど、なんとかなった。
これでよしと艦長室へ戻ろうと、艦長プライベートルームのドアを出て行こうとした時だった。
「アラート待機は三沢と千歳、築城と沖縄だったわね。スクランブルはあったの」
「はい。午前中に一回、築城基地から行ったそうです」
この空母はつねにアラート待機を命じられているが、だからとてスクランブル指令が毎回来るわけでもない。
これは総司令部の意向がよく読みとれてしまう動きだった。つまり『この艦への指令は後回し、いまは他の待機基地から出動してもらう』と。
「与那国沖? 尖閣沖? それとも対馬沖? またあのあたりの何処かに来たんでしょ」
「今回は対馬沖だったそうです。報告では王子の機体番号は確認できています。ですが総司令部も海東司令も、あれほどのことがあって、機体番号と個人が一致してしまったから、もうあの機体には他のパイロットが当てられている可能性があるとのことです」
「毎日毎日、懲りずにギリギリのところに出現するのに?」
また彼女の『釈然としないから』、『きっとこういうことが起きようとしている気がする』という勘が働き始め、そこに拘っているようだった。
それはもう、夏目総司令も海東司令もわかっているようだった。『いちばん前線にいる御園艦隊も緊急時のために待機はさせるが、通常の対領空措置の状態であれば行かせない』と決めているのだろう。
――もう彼女と王子は接触させない。
当然の処置だと御園大佐は言っていて『今度は俺と雅臣君で頑として抑えねばならない』との強い指令が指令室と艦長室の秘書官に下されている。
「ですが、あちらのお国も通常の防衛に戻っているだけですから、あのような危機なんて、王子から持ち込むようなことはないと思います」
御園准将が黙って、心優が作ったアイスティーを飲んでいる横顔。なにか言いたそうで、今度は窓の向こう、海を睨んでいる。
「私がやったことは覚悟していたことだから後悔はしていない。でも、だんだん腹が立ってきてね。あの時は必死だったけれど……、こうやらざるえなかったという状態にさせられたことがね」
「そうですよね。あの時は迷う暇などありませんでした」
「ほんとうに腹が立ってきた。あの若僧ってね」
王子のこと、今になって『私を前線に引っ張り出し、私に多大なるリスクを易々と背負わせた』と思っているのだろうか……。しかし、王子が会ったことがある指揮官を指名したのは間違っていなかったと心優は思う。特にその会っていた指揮官が『ミセス准将』。彼女でなければ、今回は日本国の最前線は突破されていたことだろう。突破されて、どこかが占拠されたかもしれない。小さな島や海域を――。
大きな事件となったが、それでも危うい中でもバランスと取り戻せたのは、王子と御園准将だったからこそだと心優は思っている。
そこを葉月さん自身も理解しているはずなのに。落ち着いてくると自分が喰らったリスクのほうが大きかったことを噛みしめているようだった。
出航前に細川連隊長が厳しく指摘していたことを、心優は今になって思い出している。『二度と前線でおまえと対峙したくないから、おまえを外して恩返しをするのだろう。危険な前線にもう来て欲しくない。喧嘩はしたくない。そういう御園外しの可能性もある』。それが王子と王子の父親の密かなる作戦でもあったかもしれない。『あの女は外しておこう。この際、上手く利用して……』だったかもしれない。それはもう御園艦長も、あの時は必死で決断したが、落ち着いたいまになって思い描いていることだろう。
そう考えつけば、やはり腹立たしいに決まっている。連合海軍の日本部隊からひとりの艦長を失ったのだから。
「それでは、失礼いたします」
海を静かに睨んでいるミセス艦長をそっとして、心優はベッドルームから退室する。
だが心優はそこでほくそ笑む。
大丈夫。そんな奥様の気持ちをよく理解している旦那様がいま動いているから――と。
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