64.艦長、ジョーカーを切る


 ハーヴェイ少佐の狙いは、大陸国と国際連合軍の摩擦を煽って『戦争』へと持ち込むこと。そこで『組織外の報酬を得る』ことだと高らかに笑った。


 しかし御園艦長もまったく負けていない。


「だめね、金に執着した男はみな私の目の前で終わった」


 くすっと笑うその余裕が、余裕でいたはずの男には癪に障ったようだった。


「絶対にその冷めた顔を崩してやる。お願い許してといいながらも物欲しそうに乞うとろけた顔を拝ませてもらう。その映像をおまえの夫に息子に娘に送りつけてやる」


 それでも御園准将はさらにおかしそうにしている。


「そこに堕ちた男は皆、同じ事を言う。滑稽ね」


 そうして、御園准将の笑みがすっと消えた。心優がよく知っているアイスドールの顔になった。


「私がここにいるのはどうしてかわかる? そんな男たちが結局、自ら破滅して消えていったからよ。私を二度も殺害しようとした『正義の男』とやらは、死刑とかいう正当な方法で逝ってしまったけれどね。ここに私がいること、『私を傷つけようと堕ちた男たちは負け犬』ってわけ――。私の経歴、知ってるでしょ……、容赦しないわよ。特にテロリストには……」


 その経歴を隈無く調べた部下の心優にはわかる。

 私のボス、アイスドールの彼女は、卑怯な男には最大限の怒りを燃やす女戦士になってきた人なのだ。人の命を弄び、引き換えに脅すような卑怯なテロリストならば容赦しない。自分の手を汚しても――だ。実際にそうしてきた女性だ。だから、彼女は、大佐になり、准将になり……。


 その女の経歴をハーヴェイ少佐もよく知っているのだろう。

 急にひやっと怯んだように心優には見えた。『射殺も厭わない』は真実であり、彼女の経歴だ。彼女こそ本当の修羅をかいくぐってきた戦闘員の気迫を見たのだろう。


「見てみなさいよ。あなたが手引きした男達は金原と諸星に制圧されたわよ。シドも何を考えているかわらなくて扱いにくくて目障りだったでしょう。そういう子よ。私と同じ『信じない』の、世の中を」


 心優はどきっとする。まさにそうだった。シドの生き方がそう。心を開いたり閉じたりしてアンバランス、でも戦闘員としては上等の海兵隊員。


「そんなシドだから貴方が不審だとすぐに嗅ぎつけた。私、あの子の嗅覚をかっているの。情報を与えない方が、この子は正当な判断をしてくれるの。だから、怪しい貴方のことは味方と敢えて伝えなかった。そして正しく判断をしてくれたわ。それほどの子だから、貴方も危機を覚えまずシドを排除した。園田にシドを呼ばせに行かせたところだったのに、一歩遅かったけど……」


 ミスターエドの救命処置が間に合うのか、心優も心配になってくる。


「女艦長を捕獲するための麻酔銃も、新人護衛官の捨て身に阻止されてしまったわね。あなたはいまもまったく成果を得ていない」


「だからいまから――」

「外からの総攻撃?」


「そうだ。飛行隊も雷神を空でひっかきまわす相手をしてくれる役目で、漁船爆撃もできないよう連携済みだ」


「大陸国のスホーイと連携済み――?」


 御園准将の表情がさらに凍った。ハーヴェイ少佐が今度は得意げに言い放つ。


「そうだ。さっきも侵犯され、一機を浚おうとしていっただろう。パイロットの身の安全を守りたければ、あんたが前に出てくるように言っていただろう。それであんたが約束通りに所定場所にのこのこでてくればそこで捕獲――というのが第一作戦だった。だが用心深いあんたはやはり出てこない。戦闘機を浚う攻撃をしかけるのを合図にコーストガードを攻撃、内部情報を漏らしていた俺が手引きして、内部からあんたを捕獲するのが第二作戦。そして、戦争ってシナリオだ」


「そういうことね」


 御園准将がそこで、どうしてか一瞬、眼差しを憂うようにふっと伏せた。しかしすぐに琥珀の瞳を輝かせ、ハーヴェイを心優の背後から見上げる。


「なんだよ。あんたはもう間に合わないんだよ。空も海も封じ込められて、大惨敗で横須賀に帰っても負け将軍としてはやし立てられるだけだ。おまえの信念が招いた結果だってね」


 それか。このまま捕獲されて、男達の快楽の道具になったほうがなにもかも考えられなくなって幸せなんじゃないかと高らかに笑い始めた。


 俺の勝ちだ!


 御園准将の眼差しが寂しそうに彼を見ているのが心優には意外だった。


『メディックワン、処置完了。フランク大尉は無事です』


『こちら金原、ブリッジ侵入者数名の制圧完了するも、甲板よりブリッジにさらなる侵入者を確認、侵入阻止を続行中!』


『こちら指令室コナー、中央管制指令センターより、コーストガードの被害が大きいため救援援護には時間がかかるとのこと。海東司令より、護衛艦からの対空措置と砲撃措置の許可申請中、漁船がミサイルを発射した際の対空処置についてのみ許可が出たとの報告』


『こちら管制、城戸。雷神、上空にて待機。大陸国飛行隊su-27八機も領空線付近を飛行中。ADIZに新たな機影四機確認、上空の雷神二機にて措置を行う予定』


『こちら空官、ダグラス。国籍不明不審船三隻、あと十分で目視の位置に到達予定。ミッキーの偵察にてミサイルらしき装備を確認』


 各所からの報告が御園艦長のメインインカムに届く。

 そして最後の報告が届く。


『艦長、再度、国際緊急チャンネルから問いかけがあります。変わらずに、艦長を出せ、緊急だ、もう時間がないと――』


「わかった」


 艦長はそれだけ答え、黙り込んだ。

 王子からの問いかけには応じないスタンス、それにいまはそれどころではない。心優はそう思ったのに。


「国際緊急チャンネルに繋いで」


 その声を背にして、心優は目を見開く。応じる? こんな状況の時に? 王子もどんな要求をしてくるのかわからないのに?


「どうしたの。今度は繋いで」


 これまでのスタンスを崩そうとしているので、管制室で揉めているのが心優にもわかる。きっと雅臣と御園大佐が『どういうつもりだ。どうする。艦長に従うか、それともためにならないと聞かぬか』の判断をしているのだろう。


 彼等は、夫達はどう判断する? 心優も固唾を呑む。


『国際緊急チャンネル繋ぎました。どうぞ』


 官制員の声――。夫ふたりは、御園艦長の指示に従う判断をしたようだ。


「こちら日本国、国際連合海軍――艦隊、私は艦長である」


 御園准将がそう呟いたのに、ハーヴェイ少佐も気がついた。


「誰と通信している」


 だが御園准将は少佐の目を見ながらも答えない。神経は耳に、空へと向かっているからなのだろう。


 そして心優の耳にもついに聞こえてきた。


『やっと出てきた。遅い』

「お久しぶりね――と言えばいい?」

『はい、お久しぶりですよ』

「パイロットとして、無事に復帰おめでとう」

『ありがとうございます』


 名乗り合っていないのに、王子と御園准将がそれだけで通じたことに心優は驚愕する。


『でもそれどころではない、もう時間がない。こちらの要求を聞いてもらう』

「聞くだけならば、いいわよ。どうぞ」


 通信をする御園准将を慎重に観察しているハーヴェイ少佐が妙な焦燥を垣間見せている。彼も胸騒ぎがするのだろう。


「いや、スホーイはなにもできないはずだ。裏切りもできないはずだ」


 だが心優はその耳に聞こえてきた『王子の要求』に息を呑む。


『こちらの国のことはなにも気にしなくても良い。だから、いまから数分で結構。そちら領空への侵入を許可して欲しい。後始末は自分達でする。その間の迎撃の解除を要求する』


 御園艦長に領空侵入の許可を要求してきた!


 心優にも驚きの様子が出てしまったのか、ハーヴェイ少佐が心優の目を見てまた落ち着きをなくしている。


「なんだ。なんの相談をしている――」


 彼が構えた。御園准将と王子の通信を邪魔しようと、こちらに飛びかかってきた! 心優も構え直し迎え撃つ!


「どけ! スホーイのパイロットに家族がどうなってもいいのかと聞いてみろ!」


 ハーヴェイ少佐の叫びに、また心優の血が熱く沸く。こんな、こんな卑怯な安全パイを用意して勝とうとしている男! 王子には確か待っている婚約者がいたはず。女を貶めて楽しもうとしているこいつらが、そんな女性を人質にとってなにを企もうとしているのかを考えただけで、心優の身体の奥から熱い力が湧いてきた!


「この卑怯者!」


 焦りで冷静さを欠いた少佐の目線は、心優ではなく御園艦長だったため、構えは隙だらけで穴だらけ。心優の渾身の回し蹴りが彼の脇腹にヒットする。ハーヴェイ少佐も鍛えているため倒れはしないが後退した。さらに心優は踏み込み拳を打ち込む。心優の頭の中にはもう『卑怯な男に負けない』しかない。鍛えた筋肉が女である心優の拳なんかでダメージを受けなくとも、心優が拳を打てば打つほど前進を食い止めらてしまうハーヴェイ少佐が下がっていく。艦長の目の前から離れるわけには行かず、心優はいったん立ち止まり、間合いを取り直す。


 その目の前に、大きな男が立ちはだかった。


「心優は艦長の前を死守しろ。この男は俺が相手する」


 ハワード少佐が戦線復帰。そっと通路の端に目線を移すと、倒れている光太の側に紺色戦闘服を纏った栗毛の男が付き添っていた。その男が心優を見つめている。そっと会釈をした。やはり『ミスターエド』。今回はどうしたことかメディック専用の任務服の腕にアメリカ国旗のワッペンを付けていた。


 でも。これで光太は大丈夫。心優は通信をしている御園准将の前を護る。


 だが御園准将と王子のやり取りも瀬戸際――。


「スホーイパイロットの家族を人質にしていると聞いた。それでも貴方は総攻撃の任に反するというの」


『家族のほとんどが海軍人、妻も良くわかっている。それにそんなヘマはしない。貴女のご実家と同じと考えて欲しい』


「実家と同じ……」


『父を甘く見ないで欲しい。甘く見ていたのは、貴女の国に平気で勝てると早とちりで突っ込んでいった部隊だが、さきほどこちらの国でテロ行為と認定した』


 その話を鵜呑みにするかどうか、さすがにミセス准将も迷っている?


『自分を含むsu27二機を先導援護機として、あとsu35四機の侵入許可と迎撃解除を要請する』


「su35、まさか」


『対艦用だ。空母ではない漁船と船団を始末する』


 黙っていたのはほんの少し……。御園准将がマイクに呟く。


「なぜ私に……。こちらの中央管制指令センターへ要請するのが筋――」

『お堅い官制員からお偉いさんを通してでは間に合わないと言っているんだ!』


「こちらで相談する。1分だけ待って」

『わかった』


「管制室にもどして――」


 国際緊急チャンネルから、管制室へと無線が戻る。


「雅臣」

 心優の夫を呼んだ。

『はい』

「心優は無事よ。私を護ってくれている」

『はい……、そうですか……』


 若干、雅臣の声が震えているように心優には聞こえた。心配で堪らないけれど、お互いの責務だけに集中している。でも、心優の安否を知って泣きたいほどほっとしてくれているのだって……。


「雅臣、あとのことは頼んだわよ」

『え? あの』


 御園准将の視線がハーヴェイ少佐を睨む。


「切り札を使う。もう雅臣がいるから空の事はなんら案じていない。わかったわね」


『あの、艦長、まさか……。俺は確かに切り札をと言いました、ですがそれは絶対に……!』


「雅臣が帰ってきて嬉しかった」


 まるで何処かに行ってしまうかのような言い方に、心優はハーヴェイ少佐と互いにじりじりと制している気力を失って、振り返って葉月さんに問いただしたくなる。でもできない。


「澤村も、あとをよろしく」

『おまえ……、海東司令はどうするんだ。いま必死に護衛艦が照準を取る確認と許可を取っているはずだ』


「間に合わない。だから『御園の勝手』、知らないほうがいい」

『そうだな。そのほうがいい。わかった、任せろ』


 夫からの言葉を聞き終えた御園艦長が、口元のマイクに叫ぶ。


「いまからsu-27二機、su35四機の領空侵入を許可する。その間、迎撃、撃墜はいったん停止! 管制ともに上空の雷神は各指揮官の指示に従え!」


 とうとうやってはいけない決断を下す。

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