31.ソニックの劇薬実験

 空海との緊急合同訓練三日目。雅臣が、大先輩である高須賀准将を憤慨させる。


 高須賀准将の悔しさはまだ収まらない。


「ああ、忘れてしまおうと思っていたのに、嫌なこと思い出した! 俺が現役を引退したのも、ソニックという若僧が追い上げてきたからだってこと!!」


 心優もギョッとしたが、葉月さんまで目を見開いて硬直している。先輩パイロットの引退理由が、ソニックというパイロットの追随の脅威だったという告白もかなりの衝撃だ。


「あの、引退されたその理由、本当なのですか?」

「言いたくなかった、ここでも」


 やっと高須賀准将がデスクに手をついてうなだれ、怒りを鎮め落ち着いた声に戻った。


「雅臣はいい子だよ、ほんとに。陸でも愛嬌があって可愛い部下で後輩だったよ。なのに、空に行くととんでもない才気を発揮する。いつか追い抜かれる、追い抜かれる前にあいつの中で『先輩はマッドネスだった、敵わなかった』と刻んだままにしておきたかった。勝って引退じゃない。負けないうちの引退。同時に『この子がいれば大丈夫だ』と安心して去っていけた」


 男の苦みある過去の決断、その真意に、御園准将も辛そうに表情を歪めた。


「そうですわね。あの子、屈託がなくて真っ直ぐでほんとうに嫌味がなくて。なのに、空になるととんでもない才覚を見せる」


 二人の准将がそれぞれ、お猿さんのことを『才気、才覚』と言わせるほどの……。しかも『マッドネス』と呼ばれていた男の引退理由が、若きソニックの力を恐れてだったなんて。妻である心優でも、まだ驚かされるソニックがいることを知る。


「今日は空海が逆に雅臣にやられたのですね」

「……やられた。前回まではこっちの味方だったくせに、雷神側に帰った雅臣がバレットとスプリンターを動かし始めた途端に。気がつかなかった」


 いったい。雅臣はどんなことを空海にやったのだろう。心優はそこが気になってしかたがない。


「空海から侵犯するように、仕向けられた――ではありませんか?」

「なんだ、お嬢さん、気がついていたのか」


「今朝、訓練の映像を確認してもしかしてと気がつきました。バレットとスプリンターの『逃げ』が決まりすぎている、まるで用意されているように……」


「そう。雅臣は実験していたんだ。『逃げて誘う』という仕込みを、すでにバレットとスプリンターに指示していた。その上で空海を本気で差し向け、空海がどう反応するのか! こっちに優位なアグレッサーを頼んでおきながら、空海を実験台に使っていたんだよ!」


「まったく。時々、酷く生意気ね。私だけでなく、高須賀さんまでこんな怒らせるなんて」


 落ち着いた高須賀准将が、もういつものスッとした僧侶のたたずまいに戻り、御園准将を真顔で見下ろす。


「どうする、お嬢さん」

「さあ、どうしましょう」

「あいつ、航海に出たら大陸国の飛行隊の意図を無視して『そっちから侵犯してこい』とやるつもりだぞ」


 相手を侵犯に誘う作戦――!? 心優はゾッとする。そんなことをしていいの? させていいの? そんな戦略許されるの?


 雅臣が禁断の戦略を決していると知り、妻として青ざめる。

 御園准将の顔色を心優は窺う。止めて、葉月さん、やめさせてください! 心優の密かなる心の叫び。


「ただ、これって結構、有効だと思うんだよな。大陸国の指揮官が『侵犯してもよし、脅かしてやれ』と指示をしての侵犯は『命令に従った』になるが、こっちが密かに誘っての『罠にはまってうっかり侵犯してしまった』になれば、大陸国のパイロットにとっても指揮官にとっても大失態だ。何度も誘われて失態を招けば向こうも恐れをなして雷神に近づかなくなる。つまり抑止力になる」


「でも。こちらから侵犯を誘うなど、禁じ手です。それができるなら、私だって――」

「俺だって、そうだ。侵犯させず、侵犯せず。の海東司令の信条に反する。でも……、ここまでくるとこちらもそれぐらいの秘策は必要かもしれない」


 二人の艦長が顔をつきあわせ、真剣な会話。


「空海のパイロット達も動揺していた。まさか自分たちから『指示なし』の侵犯をうっかりしてしまうだなんて――と。アグレッサーの意味がない。むしろ雅臣そのものが仮想敵を担っているではないか」


 情けない! と、また高須賀准将は拳を握って腹立たしさに震えている。


「あいつ、葉月ちゃんという盾がいるから、これぐらいやっても大丈夫と思っているんじゃないか」

「まあ、生意気なソニック君にそんなに頼られるならば、悪い気はしないわね」


 アイスドールがふっと不敵に微笑む。あー、ダメだ。この人の闘志にも火がついちゃったかも。心優はふらっと気が遠くなりそうになる。


 高須賀准将は『もう君たちには関わりたくない』とまた不機嫌になってしまった。


 だが問題は、雅臣のその生意気な禁じ手。


「雅臣は俺が気がついたとわかっていると思う。君もだ。今日の訓練データを見れば葉月さんは俺のやろうとしていること気がつく、そして『止めるだろう』と覚悟しているだろうな」


 そこで高須賀准将がさらに真顔で御園准将に詰め寄る。


「どうする。俺も君も、禁じ手を実行しようとしていると気がついた以上、上官として止めなくてはならない」

「そうですわね。ここで気がつかなかったら、私達は城戸大佐に劣る艦長二人ということになりますものね――」


 その会話に心優は願う。止めてください。そんな侵犯させず――の信条を破ろうとしている彼を、夫を。あなた達しか止められないから――と。


「しかし止めてしまえば……、効果的な抑止力の手を無駄にすることになる」


「お聞きしますが……。そうして雅臣に仕掛けられて、してやられたのは一度だけですか」


「そう何度もあの手にひっかかるか! 一度きりだ! それでもこうなってはいけないはずだったんだ」


 どうあっても悔しさが消えない様子の高須賀准将の憤り。でも御園准将はそこで面倒くさそうにして、栗色の髪をかき上げ溜め息をついた。


「はあ、『どうせ偶然でしょ。空海がたった一回きり、うっかりしていただけ。たいしたことないわ』と……、見落としたことにします」


 見落とすことにする? その『たった一度だけ、うっかり引き込まれただけ。たいした失敗ではない』として、雅臣の禁じ手を絶対に阻止するという必死さがみられなかったので、心優はやっぱり必死に止める上官になって欲しいと叫びたくなる。


「上官として気がつかなかったとなると、君は間抜けな艦長にされるぞ」

「いまは、気がつかなかったふりをするのです」


「では、君はそれとなく雅臣を野放しにして、その作戦をさせるつもりか。もし任務の本番で雅臣があれをやって、査問委員会の監査がはいって『必要のない侵犯を誘った』と認定されたら、君の首が飛ぶぞ。せっかく復帰した雅臣もただではすまない」


「元より、いつ艦を降ろされても良いと思っておりますけどね」


 高須賀准将が呆れかえった。だがそこで御園准将も先輩に言い放つ。


「今回は雅臣にしても『うまくいきすぎた。まさか空海が本当に誘いに乗ってくるとは思わなかった』と驚いているかもしれませんわよ。ほんとうはちょっと誘うだけで良かったのかも」


「はあ? なんだって! うちの空海がとんでもなく間抜けに罠にかかったと聞こえるんだがな!!!」


 また高須賀准将がマッドネスモードになって、机をバンバン叩き始める。


「ですから。猛毒だったということでしょう。雅臣も自分が盛った毒がこれほど効き目があるとは思っていなかったかも? つまり、雅臣はまだ『毒を扱うコントロール』を備えていない。本人もしてやったりと思う気持ちと、これではまずいという気持ちが入り乱れているかもしれませんわね」


 その喩えに、高須賀准将もやっと我に返った表情に。


「なるほど。毒が効きすぎた――ということか」


「私達も毒に気がついた。だから使うなと注意はしたいけれど、注意をすると毒を扱えなくなる。ですから、明日からはその毒の扱い方を、高須賀さん……。雅臣に示してくださいませんか」


 お願いします。あのミセス准将が、同格であるはずの高須賀准将に、でも先輩である彼に深々と頭を下げた。


 高須賀准将もミセス准将にそこまでされてしまうと、まだ腹立たしさは残るものの、『しかたがないな』と気持ちを収めたよう。


「わかった。明日、空海にそのコントロールが出来るような作戦をさせるよ」

「あちらの毒がわかっていて、でも敢えてその毒にかかって、でも……毒されない。難しい仮想敵です。お願いします」

「そうだな。あとで空海と密かにブリーフィングをしておく」


 今回は雅臣の罠にあっさり引っかかってしまったが、だからこそ難しい仮想敵が必要。そう言われ、託され、高須賀准将もプライドを燃やしたようだった。


 この後、午後遅く。いつも通りに雅臣が訓練データをまとめて持ってきたが、御園准将は『お疲れ様』と素知らぬ顔。高須賀准将に至っては『雅臣の顔を見たらどうにかなりそうだから、空海のブリーフィングに行く』と准将室を出て行ってしまい不在。


 そして雅臣も『何か言われるかな』という気持ちの揺れがあるのかないのかもわかりもしない淡々とした様子で、准将室を出て行った。


 その後も、御園准将が溜め息ひとつ。


「なかなか気が抜けない男になってきたわね」


 万年筆を握って書類にサインをしながら、書面へとうつむいているその顔はどこか満足そうに微笑んでいた。


 そして心優も気を引き締める。今夜、自宅に帰宅したら。夫の城戸大佐は『気がつかれたかどうか気になる』顔を心優にも見せないだろうし、心優も『艦長達は大佐が盛った毒にもう気がついていますよ』という素振りを一切見せてはいけない――と。


 出航前のアグレッサーを挟んだ訓練。そこは海上とおなじ。海と空の軍人たる男達が上官が熾烈な駆け引きをしている。これが出来なくては艦長にはなれない。


 その駆け引きを堂々とできる夫を、心優は誇らしく思っている。そばにいていまは完全たる味方になれない立場にいるけれど。


 でも心配でたまらない。お願いだから『禁じ手』はやめてほしい。毒の扱い方を夫が取得してくれることを願うしかないのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る