15.菊と雲、空海艦長殿

 それから数日、御園准将から報告があった。


「今日、お客様が来られるから。岩国からよ」


 岩国。そう聞いて、心優の脳裏にすぐに浮かんだお客様がひとり。


「高須賀准将が来られるの。それと、空海の飛行隊長をしている日向中佐も一緒にね」


「よく来られるようになりましたね」


 あちらも波乱の航海から帰還したばかり。わざわざこちらに出向いてくれるとのことで心優は驚いた。


「それだけ早く、直接に伝えたいということみたい。私からのお願いも詳しく聞きたいといってくれたわ」


 光太も尋ねる。


「雷神のアグレッサー役のために、空海が来てくださることになったのですか」


「そこはまだ。高須賀さんもはっきりとイエスとは言い切れないみたい。ダメージを受けている機体もあるし、主力飛行隊をこっちに貸すとなると岩国の訓練計画や着任準備、岩国がやるべきだった業務をどこかが肩代わりすると全国の空軍基地、海軍基地にしわよせが来ちゃうから」


 そこは難しいらしい。そういう話を聞くと、やっぱりアグレッサーという専門部隊は必要なのだと心優も思う。


「連隊長も来られると思うから、福留さんにコーヒーの準備が出来るようお願いしてね」


 『はい』。光太と二人、外部からのお客様をお迎えするためにお部屋を整える支度を始める。




 岩国のエースチームは『空海』と呼ばれている。尾翼に菊と雲の日本画のようなペイント。


 広報誌で見たことがある高須賀准将は、優しい僧侶のような微笑みの人。それが心優の印象。





 正午前。岩国からの輸送機が到着する。

 出迎えとしてラングラー中佐とコナー少佐が向かった。心優と光太は、ミセス准将と共に准将室で待機。


「お連れいたしました」


 ラングラー中佐がお出迎えから帰ってきた。准将室の扉が開き、そこからもう制服ジャケット姿になっている男性が現れる。


「お久しぶりです、高須賀准将。ようこそ、小笠原へ」


 ミセス准将の微笑みのお迎えに、すぐにあちらの男性もにっこり笑顔になった。


「お久しぶりだね。お嬢さん」


 広報誌で見たことがあるだけの高須賀准将。五十は超えていると聞いているけれど、まだ髪は黒々と艶やかで優雅なたたずまい、細面でとても優しい顔をしている男性だった。イメージ通りのふんわりとしたムードで心優もホッとする。


 その男性が臆することなく、御園准将の白い手をぎゅっと両手で握った。


「ああ、やっぱり冷たいね」


 うちのミセス准将の手を、そんな軽々握ってしまうなんて――。心優はぎょっとした。


「君の手はいつも冷たいと男達が言うからね。まだ温められる男がいないみたいで安心したよ」

「また、もう。からかわないでくださいませ」

「澤村君でも無理なんだよね」


 にっこり笑う高須賀准将だったが、ミセス准将がちょっとだけ気恥ずかしそうにうつむくほど……。いつもの澄ましたアイスドールの顔を必死に整えているが、その動揺は見て取れる。つまり、そうは言われても『夫は私の手を熱くすることできる』のだと言い返すしたいところぐっと飲み込んで耐えている、つまり逆に高須賀准将に『夫が好き』という気持ちを読まれているということ。


 なんと。ここにも一人、ミセス准将をお嬢ちゃんにしちゃう大人の男が! 思っていたイメージ通りの優しい人、じゃなくて、イメージがちょっと崩れそうな優男風で心優は唖然としてしまった。


 それでも葉月さんは信頼しているのか、無碍にはしない。そして高須賀准将も『冗談だよ』と彼女の鼻先で笑って、ふっと離れた。


 これはこれは、なかなかの手練れの男性に違いない。細く柔らかいイメージのくせに、葉月さんと同じ頑とした精神で国境を攻める男なのだから、飄々と見えるのも当然か。しかも、艦長とあってこちらも元ファイターパイロット!


「日向さんもいらっしゃい。先日の任務もご苦労様でした」


「痛み入ります、御園准将。力及ばず、悔いを残しての帰還となりました」


 中佐の肩章を持つジャケットにネクタイ姿の飛行隊長殿は、クールな面差しでこちらのほうが笑顔を見せない。


「そんなことないわ。司令から撤退を命じられたのですから、行きたくても行けなかったでしょう」


「行けるものなら、もう一度行ってやり返す気持ちなら充分にありました」


「ファイターパイロットなら当然の気持ちよ。察するわ……」


 大陸国の王子の煽りにやられっぱなしで、そのまま司令部の中央指令管制センターから撤退命令が出て国境から退去、予定より早くの帰港となった岩国艦隊。その無念が日向中佐の表情に滲み出ている。


 どうぞ、こちらへ。

 御園准将のエスコートで、お客様二人、ゆったりとしたソファーに座って頂く。


 御園准将も向かい側にしっとりと腰をかけた。


「高須賀准将、先日の航海任務、ご苦労様でした」


「うん。思わぬことになったね。いや、君が前回あのような攻撃を受けて、あちらの国の事情にまで巻き込まれたと聞いていたから、いつも以上に腹はくくっていたけれどね」


「王子――と、高須賀さんから呼ぶようになったそうですね」


 高須賀准将が、優しい目元をニッと緩める。


「ピンと来たよ、『彼』だと」


 すぐに彼ではないかと感じられたと言いきる高須賀准将の自信。御園准将も気圧されたのか、じっと先輩を見つめているだけ。


 そうして『ピン』と勘が冴え渡る。それが艦長を任せられる海軍人に備えられたもの。心優にはそう見えた。


「白い飛行隊を出せと名指しで迫ってきて、しかも、新しい機体番号が積極的に前に出てくる。前回、海上爆破で機体を失ったバーティゴ事故を起こした大陸国海軍司令総監の子息殿。彼じゃないだろうか。その執拗さは『御園葉月を出せ』とも私には聞こえた。彼ならば、王子のような男、だから『王子』とね……」


「さようでございましたか。やはり、彼なのでしょうか……」


「そうであってほしくないという口ぶりだね。まあ、目の前で話した相手だったね、君にとっては」


 それでも人違いであって欲しいと、ミセス准将が密かに思っていたことを心優は初めて知る。


 そういうミセス准将の表情を引き出してしまう高須賀准将は、彼女にとっては気が許せる信頼している先輩。それが二人の間に現れていた。


 ミセス准将の目が、今度は日向中佐へ。


「日向中佐も、目の前で見たのかしら」


「はい。何度も措置のアナウンスをしたのですが皆無です。あちらから侵犯をすることは厭わない様子です。元より、小競り合いを繰り返してきたエリアではありますが、いままでとは異なる強い意志を感じます。……ひきずりこまれそうで、そこは日頃の訓練で養っている冷静さが不可欠だとひしひしと感じさせられました」


「冷静さ、ね……」


 御園准将が溜め息をつく。彼女の脳裏にあるのはきっと鈴木少佐。一番前に出すと決めた男が冷静でいれくれるのだろうか、あの悪ガキが。そう案じているのが心優にもすぐにわかった。


「それで……、高須賀准将。先日お願いしました空海にアグレッサーをして頂く件なのですけれど」


「ああ、うちが抜ける間、ではどこが訓練等の業務をカバーをしてくれるかとなると、なかなかね……」


「パイロット数名でも、ですか」

「数名だけのことならば、貸す意味がないだろ」


 優しい男性の声が、そこで鋭くなった。目つきもキッとミセス准将を睨んだのだ。あの葉月さんが一瞬怯んだ……。心優もゾッとした。やっぱりこの人、攻めの航海を信条とする艦長殿だけある。そう艦長になる男はこうでなくてはならないのだと。


「空海のパイロット数名だけのことならば、小笠原のファイターパイロットで充分いけるではないか」


「もちろん、わたくしだって、空海まるごと来ていただきたいです」


「昨年やらせてもらった航海前の対領空侵犯措置の合同訓練という形にはできないのかな。お嬢さん、そういうお願い事を海東司令にするのは得意じゃないか」


「あの時のような『一日限定の合同訓練』ならば、岩国からの飛行で充分です。ですが、こちらは出来れば数日の徹底した敵役をお願いしたいのです。そうすると、岩国から伊豆上空までの燃料や費用の問題が出てきます。だから小笠原の待機空母に着艦した状態でお願いしたいのです」


「そんなことは私にも計算できるよ。だからその数日、岩国で空海がまるごと留守になることを懸念しているんだよ」


 やっぱりだめかも……。橘大佐が願っていたような訓練は難しいのだと心優も感じた。


「そういうことを、細川少将を交えて相談しようと、前回航海の報告も兼ねてこちらに来たわけだけれど」


 高須賀准将がそこでまだ開かぬ、准将室ドアへと目線を向ける。


「細川少将が、こちらミセスの隊長室で待っているようにとのことだったけれど、忙しいのかな」


「心優、連隊長室に連絡してくれるかしら。光太、福留さんを呼んできてお茶を差し上げて」


 『はい』と准将の背後で起立姿勢にて待機していた心優と光太は返事をする。だがそこで高須賀准将が心優をじっとみている。


「やーっと会えたよ」


 彼がニヤッと表情を崩した。


「ソニックを悩ませていた女の子、だろ」


 そのニヤッとする笑顔がもう怖い。笑うことが仮面である悪魔にねっとりと囚われた気分になる。そういう妖しい人だとわかってきた。


「岩国に来た頃に心優さんと葉月さんが並んだ写真が掲載された広報誌、あれを何度も開いては、その度にとてつもなく思い詰めた顔をしていたからね。もしかして、彼女が引き抜かれて追いかけようとして現場に戻ってきたのかと冗談半分にかまをかけたら、おかしいね、雅臣はすぐ顔に出る」


 でも心優が知らない岩国にいた雅臣の様子を初めて聞いた。お猿さん……、別れてから岩国でもそうして心優のことをとっても気にしてくれていたんだって。


「おまえ、ここまでして彼女を捕まえられなかったらただのアホだよと言って、横須賀に送り出したんだから。ま、結婚してくれなくちゃ、今回雅臣に会ったら『アホ』と説教していたところだよ」


「まあ、高須賀さんにそんなこと言われると思ったら、それは雅臣も必死になったことでしょうね」


 そうだったんだ! お猿さんをすごく後押ししてくれていた人がここにもいたんだと心優は感動する。


「酷かったよ。落ち込んだり、急に頑張ろうと元気になったり、久しぶりの現場に震えていたりね……。始めてしまえば、やっぱりソニック。最後には堂々としたものだった」


 久しぶりの現場に震えていた? 知らぬ岩国での半年。雅臣がどれだけのものに立ち向かっていたことか……、とてつもない壁を乗り越えて、心優のところに戻ってきてくれたんだと……、業務中接客中なのに涙が滲んでしまった。


「その節も、わたくしの願いで、ソニックを受け入れてくださって有り難うございました」


「君に恩を売るのはいいもんだよ。君からのお礼、いつも助かっているよ。あらゆることをサポートしてくれるしね……」


 こちらも御園家と共にいるメリットの恩恵をあやかっているのだと心優も察する。完全たる御園派ということらしい。


「おかげさまで、ソニックを今回は副艦長に就任させることが出来ました。岩国で、元より横須賀でも先輩だった高須賀さんの支えは雅臣にも大きかったことでしょう」


「気になるよ。哀しく酷い事故でソニックを失った哀しみは、彼自身ではなく、君もそうだったように私も悔しくて涙がでた程だよ。あのままいけばパイロットとしてだけではなく、指揮官としても有望だっただけに。防衛の要を育てるのも私達の使命だ。そのソニックが帰ってくるとなったら、そりゃ全力で復帰をさせるべきものだったからね」


 その彼がいままでのような妖しさを潜め、今度はほんとうに穏やかで優しい微笑みを向けてくれる。


「園田さん、ソニックを頼みましたよ。私にとっても横須賀で飛んでいた時の後輩だからね」


「高須賀准将、有り難うございます。まだ未熟な妻ですが、支えていきたいと思っております」


 ここに、こんなにも助けて頂いた恩人に会えて心優も嬉しかった。


「ご結婚、おめでとう。城戸中尉。ソニックが伴侶を得て安心しましたよ」

「有り難うございます。いま、連隊長室に連絡いたしますね……」


 内線受話器を手に取った時だった。ドアからノックの音。ああ、ちょうどいらっしゃった。細川連隊長! お付きはいつもの水沢中佐? それともシドも来るのかな? なんて思いながら心優は受話器を置いてドアへと向かう。


「いらっしゃいませ、細か……」


 ドアを開けてそこにいる『私服スーツ姿の男性』を目の当たりにして、心優はビクッと硬直する。


「初めましてー、君がミユ!」


 その男性が心優を指さし、嬉しそうに青い目を輝かせた。


 しかもそのまま遠慮もなく准将室に入っていく。心優も止められなかった。何故なら、その男性も広報誌で見たことがあるから!


「葉月! 久しぶりだな! 来ちゃったぞ!」


 私服姿の、金髪青眼の男性が飛び込んできて、ソファーにいる高須賀准将も日向中佐もとんでもなく驚いた顔で立ち上がったほど。


 当然、あのミセス准将までもが唖然として、彼女はびっくりしすぎて座ったまま。


「に、に、兄様……」

「おう! 久しぶりのこの景色に潮の匂い。いいねえ。俺の基地だったんだから当然だよな」


 きらっきらとした底抜けに明るい金髪の男性。その人は、元小笠原総合基地連隊長殿。いまはフロリダ本部海軍大将である『ロイ=フランク大将』! シドの養父で『お父様』! 


 

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