58.子鶴ちゃん(ジュラーヴリク)を引き離せ!

 たった一機、最前線へと配置された雷神7号のバレット機に、領空線を越えてきた大陸国のスホーイ6機が一斉に囲い込む。


 何機でも引き受ける。バレット機パイロットである鈴木少佐の自信ある返答ではあったが、心優は心配で堪らない。それは空の攻防を初めて現場で目にした光太もそうだった。


「やばい、左右封じされるだけじゃない。上も下も前も後ろも封じようとしている」


 青ざめている光太の言うとおり。モニターが雅臣の後ろにいても見えるため、心優にも白い戦闘機の六方へとじりじりとsu-27が近づいていくるのが見える。


 御園大佐も落ち着いているが、その表情は厳しい。


「なるほど、六方を塞いでしまうと、逃げようと機体を傾きを変えただけでも接触事故になるから、バレットは身動きができない。じりじりと西へ持っていき、パイロットとホワイト機ごと連れて帰る作戦か」


 しかし雅臣は何も言わない。じっとモニターを凝視している。さらに心優の隣にいる御園艦長も腕を組んだまま、雅臣のそばにいて何も言わない。パイロットの二人が何も言わないのは……?


「もっと引きつけられるか」

『下と左は隙を残しておきたいので、その一瞬で』

「わかった。それでいい。まだ大丈夫そうだな」


『あっちがびびってんでしょ。俺だって何をするかわからないもんな。なんなら左上を抜いて背面回転してもいいっすよ。あ、そのほうがヤツらの度肝抜けるかもしれないっすね!』


「やめろ、そういう負担かかる機動をするなって。それに、おまえも気をつけろ……」


『俺をなんだと思ってんすか、先輩の教え子っすよ』


 相変わらずの軽口に、やはり雅臣が呆れた顔をして少し笑った。御園艦長は一切微笑まず。もうアイスドールの顔に徹している。


 でも心優の目ではもう、バレット機の六方にスホーイ6機が包囲したように見えた。


「これでどうやって包囲を解くんですか。旋回も降下する方向も塞がれて、あちら6機が押し返すままに、ほんとうにあちらの領空に引きずり込まれるんじゃ……」


 光太はもう泣きそうになっていた。いくらバレットでもこれは無理だと。そこでやっとアイスドールがふっと口元を緩めた。


「光太、あなたラッキーね。バレットの本気が現場で見られるのよ」

「いえ、こんな大変な時にラッキーだなんて……」


 御園艦長の眼差しが一気に凍る。


「あれぐらい、まだまだよ。余裕で『もっと俺に近づいてこい』とバレットは笑っている」


 雅臣も艦長の言葉を聞いて、笑っていた。


「そのとおりですよ。もっと俺の機体のそばに来い来いてずうっと言っています」


「そろそろ一気に行くわね。右にも行かせてやりたいけれど、」


「右側があちらADIZでしばらく余裕はありますがすぐに対国領空線間近の複雑区域、なるべくならここでとどまった上で機動戦をしていきたい。それなら左しかない。そろそろあちらも警戒するころ。一度、こっちから脅かしてみますか」


 雅臣のシャーマナイトの目も輝いた。

 光太も唖然としている。でも、ふっと肩の力が抜けたようだった。


「やっぱ、パイロットにしかわからないもんなんですね……」


 俺がどんなにあれは怖い危ないと恐怖を抱いても、防衛パイロットは訓練の時からその怖さを身近にして飛んでいる、むしろ余裕でこの戦況をみていられる。そういうもの。それがわかると光太も少し力みを弱めたようだった。


 それでもバレット機のガンカメラから見える映像には、もうスホーイの機体が目の前に見える。


「その一瞬はバレットにしかわからないものね」

「でも、そろそろっすよ。俺だったら目線はもう左下に集中、狙いを定めタイミングを待ちます」


 じりじりとスホーイ6機がバレットを取り囲む映像も後方にいるミッキーの撮影映像からわかる。


 管制室にもシンとした緊迫。誰もなにも言わない。

 御園大佐も映像を見ながら溜め息をついている。


「あちらもだいぶ訓練しただろうな。1機を取り囲む訓練をな。しかしどうかな。うちのバレットは、針の穴を抜けなければ逃げられないという追いつめられ方を……」


 彼がちらりと隣にいる妻を見下ろしニヤリと微笑む。


「この魔女のようなミセス殿にとことん叩き込まれている。いちばん最初にスプリンターを使った追い込みをした時、英太がぼろ負けになって着艦してすぐに、葉月を殴ろうと飛びついてきたことがあるもんなー、あれほんとに魔女に殺されると思ったんだろうな」


 『准将を殴る!?』 心優も光太もその思い出話にギョッとした。いやいや、いくらなんでも訓練でこてんぱんにされたからって上官を殴りに行く?? そんなことは絶対に部下としてやってはいけないこと。


 だけれど御園大佐の目が光り、モニターへとさらに微笑む。


「いまごろ、操縦桿を握って、英太はにやにやしているよ。おまえらその程度かって。俺の上官のミセス魔女はもっと手酷く意地悪い状況を用意してくれたとね……」


「いま、魔女って言った?」


 急に振り向いた奥様の睨む目線にも、御園大佐は『言った』と余裕で返して笑っている。


「もうすぐ不明機の一機が領空線を越え、ADIZへ戻る位置にいます。戻りましたら3~5分の移動であちら領空に触れます」


 管制の報告だったが、モニターのバレット機とスホーイ6機の状態は変わらないように見える。


 バレット機を囲む6機がじりじりと自国へ、大陸国領空へと鈴木少佐が操縦する戦闘機を引きずり込んでいく。鈴木少佐もいまは6機を引きつけつつ、本国領空の外、こちらとあちらのADIZが重なっている空域に出てしまった。


「バレットの右翼側にいる1機がもうすぐ大陸国領空に戻ります」

「英太……、堪えろ。空海とやっただろ、あの通りに、あの通りにだ」


 右側の一機が領空線を越え自国に戻ったと言うことは、あと1機分押し返されたらバレット機も領空線を越えてしまうという位置まできた。


 さすがに心優もハラハラしてきた。雅臣も後輩の鈴木少佐を信じているけれど焦れている横顔になっている。


 じっと黙ってモニターを見つめている御園艦長、そして御園大佐。その後ろで心優と光太もハラハラとしている。


 そんな心優に気がついたのか、雅臣がこんな時なのににっこりと夫の笑顔を見せてくれる。


「大丈夫、俺ならここだ」

 雅臣がほんの少しの隙間を指さした。

「英太もきっとここを狙っている。これだけあれば充分だ」


 小さな隙間に、光太が『マジっすか』と思わず叫んだけれど慌てて口をつぐんだ。でも雅臣は笑っている。そんな余裕がある。


 雅臣のそんな余裕が、管制室の男達を安心させ空気を柔らかくしているように心優には見えた。ほんとうは後輩の鈴木少佐が心配で堪らないはずなのに……。


「雅臣。バレットが動いた」


 ミセス准将もモニターへと目線を戻す。

 ミッキーが背後から撮影しているそこには、片翼を綺麗に90度回転させたバレット機の姿がある。


 翼が綺麗に半径の軌道を描き、揺れもしなければブレもしない回転。あれだけしか隙間がない包囲されたその空間でこなせる技巧、そこはアクロバットも経験してきた元マリンスワローのパイロットだからこそでもあった。


「左翼側の機体が少し引いたわ」


 心優も見た。バレットが綺麗な90度回転をしたため、自分と接触すると恐れた左翼側パイロットがほんの少し避けるように隙間を空けた。


「いまだ、バレット」

「いまよ、バレット」


 ソニックとミセス准将の声が揃ったその瞬間。コックピットの鈴木少佐も同じように決断していたのだろう。90度回転したまま片翼を下げた状態で一気に、左翼側機体と下側を包囲していたスホーイ2機の間をすり抜け降下していく。


 囲まれていた白い機体はミッキーが撮影しているスホーイ6機の間から消えている。


「やったぞ」

 雅臣が拳を握って喜んだ。

「まだよ。6機が追跡を始めている」


 ミセス艦長の声に雅臣も元の指揮官の目に戻り、ヘッドセットのマイクを口元に寄せ叫んだ。


「バレット、よくやった。引き離してやれ。振りまわして蹴散らしてやれ!」


『ラジャー……っ』


 急降下操縦をしているバレットからそんな息苦しそうな声が聞こえてくる。


「さあ、王子たち飛行隊の実力を見せてもらおうかしらね。うちのエース、この鉄砲玉バレットにどれだけのパイロットがついてこられるのかをね」


 ミセス准将もご自慢のパイロットがどれだけ凄いのか打ちのめされたらいいとばかりに、ニヤリと笑っている。


「スプリンター追跡しろ。ジャンボにミッキーも撮影を続けてくれ」


 ラジャー! 三機のパイロットからも声が返ってくる。



「バレット、こちら本国領空に戻りました。同時に、6機同時に再度の侵犯確認」


 管制からの再度の報告。


 対国と本国の複雑な国境での領空戦が始まる。

 鈴木少佐はあちらに引きずり込まれる一歩手前で、あちら作戦の包囲網を突破し、逆に自分を追いかけてくる6機を侵犯させてしまう。

 これが『雅臣の毒』か、しかし鈴木少佐は正当防衛にて連れて行かれそうな状態からこちらに帰国したに過ぎない。追いかけてきたのはあちらだ。


 これで正当性が保たれたことになる。

 そのうえでの、本気の接戦が始まっている!


「クリス、バレットの後方カメラに切り替えて」


 イエッサー、お嬢。今回も空軍管理官で管制室のデータを管理しているクリストファー=ダグラス中佐がモニターを切り替えてくれる。


 今度はミセス准将の目の前にあるモニターに電源が入り、新しい映像が流れる。そこには青い空と白い気流が渦巻く映像の中、灰色のスホーイが狙いを定めた野鳥のように鋭く追いかけてくる。


 その姿は戦闘機ではなく、本当に彼等の機体の異名の如く『鶴』のよう。彼等は『子鶴ちゃん(ジュラーヴリク)』と呼ぶようだが、その姿は長く鋭いくちばしがバレット機の尻尾に噛みつきそうな、そんな鋭利な恐ろしさを覚える映像であり心優はゾッとする。


「すげえ、フランカーを引きずり込んでいるみたいだ」


 光太がやっと『戦闘機ってすげえ、かっけええ』の調子を取り戻し、手に汗握るようにして映像に見入っている。


 だが心優の目から見ても、背後に追ってくる大陸国のsu27がふっと消えて、青空に隙間ができたように見えた。


「さすが英太。二機、脱落したわ」

「もう一機旋回して逸れましたね、あと三機だ」

「王子はいる?」

「いえ、早すぎて機体番号は確認できませんね」

「細身だったから、英太のようには耐えられないかもしれないわね」

「足の怪我もそうそう簡単には全治しないはずです。無茶はできないはず」


 高々度からの急降下、さらにバレット機は振りまわすようにして旋回をしてはさらに上昇をしてを繰り返し、激しい上下飛行で追尾してきた大陸国の戦闘機を蹴散らしている。


 そうしているうちに、バレットにぴったりとくっついて離れずまとわりつくように互角に飛ぶスホーイが2機。


「あちらも互角のパイロットがいたみたいね」


 ミセスが溜め息をつく。


「スプリンターを行かせます。一機引き受けてもらいましょう」


 雅臣がマイクを抓み『スプリンター、バレットを援護せよ』と告げる。

 バレットの高速上下飛行についてこられるのは、相棒のスプリンターだけ。2対2になりバレットにひっついている2機を引き離すことができれば、或いは……。心優も今回の王子の目論見はこれで終わることができるかもとふと気を緩めた時だった。


『囲まれています』

 その声は6号機スプリンターのクライトン少佐の声――。

『バレットから離れた4機に……』

 だがその映像がない。ミッキーもジャンボも追いつけなかったのだろう。


 だけれどスプリンターからの映像はある。彼が送ってきたものには、またすれすれに寄せてこようとするスホーイの機体が見えた。


「王子がいる」


 雅臣が寄せてくる機体番号を確認する。


「ADIZに待機してきた2機も入ってきました。スコーピオンの通常措置を無視して侵入です」


 御園艦長がハッとする。


「まさか。最初から英太は囮、本命はその側にいるもう1機を狙っていたってこと? だから王子は早々にバレットとのドッグファイトから脱落し、本当の狙いだった『どれでもいいからもう1機そばにいた機体』を、待機していた2機と一緒に囲む作戦だった?」


 そんな。では先ほどのバレットと同じように囲い込まれたスプリンターが、クライトン少佐が連れて行かれてしまう? 初めての妊娠で独り心細く夫の帰還を待つ奥様がいるのに。もし、もし連れて行かれてしまったら? 心優にそんな恐怖が生じる。

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