92.幸福のツバメが飛んできた


 いっぱいの祝福を受けて、最後尾。御園大佐と御園准将がおめでとうと優しく花びらのシャワーをしてくれる。


 だけれど、そこに。紺のディレクターズスーツ姿の眼鏡の男性がひとり。真顔で立っていた。


「ソニック、そして城戸中尉、おめでとう」


 細川連隊長だった。しかも何故か、ヘッドセットをしているし、そこに機材が揃えてあって、同じくブラックスーツ姿のダグラス中佐が苦笑いで待機していた。


 葉月さんが連隊長の隣で呆れている。


「いちばん張りきっていたの、この兄様だから。一度やってみたかったんですって」


 雅臣と一緒に『なんのことですか』と尋ねたら、ふたりの目の前で、細川連隊長がディレクターズスーツ姿で手を空に向けて上げた。


「スタンバイOK、こちらキャンプ教会。目標はソニック」


 目標はソニック? なにやら物騒な指示だと、雅臣と心優が眉をひそめたその瞬間。


 どこからともなく飛行機の轟音が聞こえてきた。

 そこにいる誰もが空を見上げる。教会の屋根、いちばん上の十字架を見上げていたら。六機の戦闘機が飛んできた。


「え、え、あれって……」


 雅臣が驚きで固まっている。そして心優も見覚えある機体に胸がドキドキしてきた。あれはまさか。


「GO、ナウ!」


 連隊長の一声で、教会の十字架の真上で六機が扇状にブレイクする。尾翼には燕と朝日のペイント。


「嘘だろ。マリンスワローだ」


 雅臣が活躍していた飛行隊だった。


「祝いに駆けつけたわけではないからな。『たまたま』ソニックの結婚式の日に、小笠原で訓練することになっていたんだよ」


 いつもは凍った眼差しばかりの細川連隊長が妙に得意げに言うが、その隣で葉月さんが『嘘よ、嘘。頑張って呼び寄せちゃったのよ。自分がこれやりたかったんでしょう』と言うと、お兄様が不機嫌な顔になる。


「長沼君も相原君も、ソニックの結婚式ならば――と、燕の後輩たちもソニックを祝いたくて飛んできてしまったんだよ。なんたって海上の燕だからな」


 よし、もう一回だと、細川連隊長がヘッドセットのマイクに指示をしている。もう一度教会上空へ来て欲しいと。


 雅臣はとても嬉しそうだった。自分が妻と海と家族を護ると誓ったその日に、自分をここまで運んできてくれた海の燕が飛んできてくれたから。


「おい、広報どうした。ソニックと中尉とスワローを映してやれ」


 心優と雅臣の目の前に、広報部の隊員たちがカメラを急いでセッティングしはじめた。


「ほら、撮ってやる。来るぞ」


 連隊長の勧めに甘え、心優と雅臣は見つめ合って微笑む。


「よし、念願だった撮影だ」


 雅臣がドレス姿の心優をざっと抱き上げる。心優ではなく、それを見守っていた女性隊員たちが『きゃあ』と沸きたつ声を揃えた。


 戦闘機の音が近づいてくる。燕が六機飛んできた。


「俺たちの青、そして最高のドーリー、そして俺の燕」


 連隊長のGOの声で、また教会の真上でスワローの六機が扇状にブレイクする。


 大佐殿とわたしの上を燕が通り過ぎていく。青い海と真っ白なわたしたち、そしてマリンスワロー。


「最高だ、心優」


 たくさんの人がいるのに、そこで大佐殿に抱き上げられたまま、ちゅっとキスをされた。


 でも心優も目をつむってそのまま。もう一回、マリンスワローがお祝いに頭上に真っ白なスモークを扇状に描いてくれたことも、 双子ちゃんたちが、スワローだスワローだと騒いで駆け回っていたことも、男性隊員たちにいっぱいお米を投げつけられたことも、女性隊員たちにいっぱい写真を撮られたことも、まったくわからなかった。


 


 夫が白いドレスのわたしを抱き上げている青い写真。

 夫がわたしにキスをした写真もそのとなりに。


 


 


 薔薇の香り、揺れるピンクと白の百日紅。心優は今日も叫ぶ。


「どこにいるの! 翼、光!」


 家中探すが、どこにもいない。


「まさか、どこか遊びにすっとんでいった?」


 息子ふたりが見当たらない。長男六歳、次男四歳。アメリカキャンプの幼稚園に通わせている。やんちゃざかりだった。


 訓練校校長の秘書室の仕事を終え、帰ってきてみればこのありさま。お迎えはお祖母ちゃんかお祖父ちゃん。ママが帰ってくるまで、おばあちゃんのおうちでおやつを食べて待っているようにいっていたのに、母がちょっと目を離した隙にいなくなったのとのことだった。


 自宅に戻ってきているのかと思えば、やはりいない。

 庭にでるリビングの窓を開けるが、やはりいない。


「もういくら島の田舎だからって、まだ六歳と四歳だから目を離さないでと言っているのに……」


 城戸家の血が濃いのか、あのユキナオ双子ちゃんに勝るやんちゃさで、心優は毎日目を回している。


 しかし目星はついた。きっとあそこだ。


 案の定、庭先の道の向こうから、息子たちの声が聞こえてきた。そしてふたりを連れている黒髪の女性が一緒にいる。


「もうだめでしょ。ママが帰ってくる時間でしょう」

「ねえ、アンナ。アンナが食べていたチョコ、もっとほしいよ」

「アンナ、ピアノききたい。アンナの絵本もっと見せてよ。カイト兄ちゃんの飛行機の本もみたいよー」


 息子ふたりが、綺麗なお姉さんにまとわりついて歩いている。

 心優は慌てて庭から舗装されたアスファルトの小路に出る。


「杏奈ちゃん、今日も? ごめんなさい」


 艶やかな黒髪の彼女がしとやかに微笑む。そこに花の匂いがこぼれるようだった。


「ううん。いいの。どこかに行っちゃうより、うちに来ていたほうがいいでしょう」


「本当に毎日毎日、ごめんなさい」


「毎日、家にいるからいいのよ。気にしないで心優さん。それより、負けちゃってチョコレートをあげちゃったの……」


「こちらこそ、我が侭ばかりだったでしょう。こら、翼、光! お姉ちゃんはおうちでお仕事をしているのだから邪魔をしちゃだめって何度言えば!!」


 こええ、ママが魔神になったと言い始めたので、心優はまた血が上る。

 息子ふたりが着ているポロシャツの首根っこをひっつかんだ。


「こっち来なさい。祖父ちゃんのところに行こうか」

「うわー、ごめんなさい。ごめんなさい」

「だいまじんじいちゃんのところは、いやー。ごめんなさいいいい」


 心優はそこでようやく力を緩める。なんだかずっと前にどこかでみた光景だと毎回思う。ゴリ祖母ちゃんならぬ、大魔神祖父ちゃんが誕生していた。


 あの後、心優は男の子を二人出産。この六年、子育てに追われつつ、御園葉月校長の秘書室、側近護衛官として務めていた。


「心優さん。今日も母は遅くなりそうですか」

「ううん。一時間ほど残業したら帰ってくると思うよ。杏奈ちゃんと晩ご飯のお当番だって楽しみにしていたから」

「わかりました。あの、ほんとうに毎日でも大丈夫ですからね」

「ありがとう。助かります」


 御園家はいま長男の海人が家を出てパイロットの訓練に励んでいる。その替わりに、どうしたことか音楽留学をしていた杏奈がフランスから小笠原に帰ってきて一緒に過ごしている。


 たまに本島に出向いて演奏の仕事をしているようだったが、今は小笠原で過ごしたいと音楽を作りながら暮らしているとのことだった。


 夕方になり、いつも開け放している庭の窓辺にその男が現れた。


「うーっす。翼と光いるかー」


 金髪の制服姿の男が、庭先で革靴を脱いで、遠慮もなしに上がり込んできた。


「おかえり、シド。翼と光なら稽古しているよ」

「よっしゃ。俺も行ってくるか」

「あんまりしごかないでよ」

「なんだよ。チビの内から仕込んでおかないと、特に翼、あいつ絶対に魔神祖父ちゃんやおまえみたいなファイターになれるはずだから」

「だから、まだそこまでしなくても……」


 上がり込んできたと思ったのに、もう窓辺にシドの姿はなかった。


 道場から元気な声が聞こえてくる。

 毎日、園田の父とシドの稽古も続いていて、最近は息子たちも稽古を始めるようになった。


 シドが言うとおりだった。心優の目からみても、長男の翼は体格も良く、筋がある。きっと父もそう思って稽古をしているはず。長男本人も感じるものがあるのか、お祖父ちゃんやシドみたいになりたいと稽古に励んでいる。


 薔薇の薫りがする庭、そのウッドデッキに心優は立つ。

 結婚して七年が経っていた。大佐殿は艦長を務めるようになり、御園准将は少将に昇格。いまはミセス校長と呼ばれている。


 お祖父ちゃんと、シド兄と、子供達が稽古をしている間に、心優ママは夕食の支度。


 今日はお魚をフライにしよう。

 そう思って、買ってきた魚をまな板に置いた瞬間だった。


「うっ」


 急に胸がむかついた。そして、いつか味わった目眩。

 キッチン台に手をついたまま、心優は床にへたれこんでいく。

 嘘、気が遠くなる。どうして? 翼の時はこんなんじゃなかった。

 いや、どうして? 臣さん、どこ? 早く帰ってきて!


 そのまま目の前が真っ暗になった。

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