74.最後の航海


 また艦が騒々しくなる。ミセス艦長が戻ってきたから。


 そして心優もまたあの小部屋に戻った。綺麗に整っている。御園大佐から『園田が出て行った後も誰も使っていない。処分が決まるまではと、ミラー大佐も艦長室は使わなかったぐらいだよ』と教えてくれた。


 誰もが懲戒免職を覚悟しながらも、それでも信じて待っていてくれたことが窺えた。


 艦長室の補佐デスクに光太と復帰する。留守の間は、御園大佐と福留少佐が代わりに艦長室業務を担当してくれていたとのことだった。


 それでも少し溜まっている。通常業務以上に、緊急事態についての後処理に、代理艦長室もこの五日間追われていたとのことだった。


「御園艦長、お帰りなさいませ」


 この空母の指令室一同が艦長室にて集まり、御園艦長の復帰に敬礼をする。


 御園准将も艦長デスクについた。そして大佐に少佐達に敬礼をする。


「この度は……」


 珍しく彼女がそこで言い淀んだ。思うものがあるようで、それでも誰もが次の言葉を静かに待っている。


「もう帰ることはないだろうと思っていたので、まさか、またここに戻ってこられるだなんて」


 敬礼をとくと、御園准将は艦長デスクをそっと撫でた。


「緊急事態にもよくぞ耐えてくれました。貴方達の力添えあってのことでした。ありがとうございます。そして不在の間も艦を護ってくださってありがとう」


 再度彼女が敬礼をすると、男達も真顔で敬礼をした。

 そこで御園艦長が彼の顔を見渡す。


「私の処分についてはもう知っているの?」


 そこにいる男性達が顔を見合わせたり、首を振ったりした。でも御園大佐だけがじっとうつむいている。雅臣もだった。どうやら連絡を受けて知らされたのは大佐の二人だけということらしい。


「澤村、伝えていないの」


「艦長が復帰する、帰ってくると皆が喜びに沸いていたので、その時点では敢えて伝えないようにしようとミラー大佐と城戸大佐と決めていました」


 喜びの中、水を差す報せ。だから敢えて言わなかった。それが『良くない報せ』だと少佐達は顔色を変えた。いちばん青ざめたのはハワード少佐。


「准将、復帰したからにはお咎めなしだったのですよね? 司令部も仕方のない判断だったと認めてくれたのですよね」


「いいえ。あれだけのことをして、ただで済むわけないでしょう」

「ですが、こうして……戻ってこられて……」


 無傷の復帰だと信じていただろう少佐達に、御園准将はいつものアイスドールの顔で告げる。


「私にとってこれが最後の航海です。以後、艦隊指揮の任務に艦長として指名されることはもうないとのことです。あと、人事が決まり次第、小笠原の空部大隊長も退きます」


 少佐三人が『嘘だ』と驚き息引いた様子を見せた。


「艦長、それでよろしいのですか!」


 若いコナー少佐が憤るようにして叫んだ。それでも御園准将は淡々とした眼差しで彼を見た。


「大丈夫よ。こんな時が来るかもしれないと、数年前から準備はしてきたでしょう」


 『御園大佐以外』の男達は、御園准将がその体質を案じて艦を降りたい、降りるならその準備をするという行動は既に周知のところ、だがそれが今なのか、こういうことで貴女がいなくなるなんて思わなかったという顔を揃えていた。


「もう、辛かったの。いつ起こるともわからない発作を抱えて、この重責ある任務に就くのが……」


 あの御園准将が、いつになく表情を灯してうつむいた。


 補佐デスクにいる心優と光太は、より多く側にいたため既にその心情を推し量ることができる。あるいは先輩達ほど責任ある職務ではない若い秘書官のため、かえって御園准将が『娘みたい息子みたい』と日頃、隊員達がみることがないミセス准将を、いや『葉月さんの顔』を見せてくれていたからだと思う。


 辛かった……。艦長が吐露する本心に、男達が黙った。


「だから、私の後を引き継いでくれる隊員をと思ってきた。小笠原にはミラー大佐とコリンズ大佐という頼りがいのある先輩もいる。橘大佐も私のこの体質を助けるために離れたくない横須賀から、マリンスワローを引退してまで来てくれた。いつか横須賀に返さなくてはと思ってはいるけれど、もし彼がやってくれるというなら彼も候補にしている。五十代四十代の人材はここで見定めている。そして……」


 ミセス艦長が雅臣を見た。雅臣も気がついてこちらを見つめている。


「その後の若い大佐も見つかった。帰ってきてくれた。大隊長も空母の艦長ももうしっかり揃っている。なんら案じることはない」


 いちばん納得していないのはハワード少佐だった。


「大隊長を退くって……、あの大隊長室を出ていくということですか」


「そうよ。秘書室もまるごと、次の大隊長のために置いていく」


「俺もですか! 俺は、俺は……、御園准将の側に来てやっとやっと軍人として護衛官として身を立てられました。貴女以外の護衛など……」


「だからこそ、その実力をもっと高めて欲しいと思うの。私のところにずっといては駄目。私はもう貴方ほどの護衛を必要とする外に出ることもなくなるから」


 嫌です! ハワード少佐がなりふりかまわず泣き崩れた。それを福留お父さんがそっと宥める。


 その福留お父さんも心配そうに葉月さんに尋ねる。


「では、准将はどうなるのですか」


 あの准将が迷うように、うつむいてしまう。それを男達がますます案ずるように固唾を呑んで待っている。


 ほんとうに迷っているんだと心優には通じる。この後、どうなるのか。まだはっきり決定しているわけではない。でも夏目中将は『パイロットの技能向上に貢献して欲しい』と言っていた。それで確定しているかどうかわからない。


 しかし、いまならいいのではないかと……、生意気ながら心優はそっと御園准将に言ってみる。


「もう、指令室の信頼されている方々にはお伝えしてもよろしいのではないですか」

「でも、今回のことで取り消されるかもしれない」

「わたしが言えば、秘書官の戯れ言で済みますよね」


 心優が笑うと、御園准将がちょっと驚いた顔をした。


「いえ、心優から伝えるくらいならば、私から言う」


 そういって、ようやく大佐と少佐達へと顔を上げた。


「今後だけれど、小笠原にできる訓練校の『校長』に内定している」


 また彼等が驚き(妻の心優が前もって密かに伝えていた雅臣以外)、今度は絶句した顔を揃えている。あの御園大佐までもが。でもすぐに妻を睨む目になっていて、心優はゾッとする。


 出航前に御園のご夫妻がすれ違った時に、隼人さんが怒っていた目。でも彼はいまここではじっと黙って問わない。きっと後でまた問いつめられるんだと思った。


 それでもハワード少佐がやっと笑顔になった。


「そうでしたか。行く先が決まっているのですね。しかも同じ小笠原に……良かった」


 良かった。でも……。またハワード少佐が別れが近いことに肩を落としている。


 コナー少佐も哀しそうに准将に尋ねる。


「では、自分とハワード少佐、トメさんは次に任命される大隊長のために秘書室に残るということなのですね。心優と光太は……、まだ来たばかりの若い二人もそのまま次の大隊長の護衛官として置いてかれるのですか」


 その問いにも御園准将は迷わずに答える。


「心優と光太は、新しい校長室に連れて行く。若いからこちらで育てたい」


 自分の護衛官として連れていく。そう告げると、先輩たちも納得した顔をしてくれた。


「でも今回の私の行動で、もう任命されないかもしれない。辞令がどうなるかどこへ異動になるかはわからない。それでも……、最後の航海、一緒に終わらせて」


 准将がそこで微笑むと、またハワード少佐が泣いた。コナー少佐もぐっと堪えている。


 そしてそのまま御園大佐が、何かに耐えきれないような様子で、艦長室を出て行ってしまった。

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