42.春日部嬢の行方

「あー、さすがに眠たい! 艦長、私はしばらく休んでもよろしいでしょうかね」


 御園大佐が眼鏡を外し、目を擦りながら指令室から艦長室へと入ってきた。


 また侵犯措置対の記録資料を悶々と眺めているミセス艦長も『いいわよ』と返答。


 この時、心優は初めて気がついた。『あれ。もしかして……。奥様は眠れているけれど、旦那様のほうが就寝した様子がない』ということに。


「隼人さん、ちゃんと眠っているの?」

「おまえだって知っているだろ。俺が宵っ張りなのを。ただ最近、歳かなあ。いきなり眠くなるんだよ」

「あなたもちゃんと休んでください」


 今回は奥様のほうが心配そうな顔をした。


「んじゃあ、艦長のお部屋を借ります」


 と言いながら、当たり前のようにして御園大佐は艦長プライベートルームへの通路に入るドアを開けた。


「ちょっと、隼人さん。やめてよっ」


 御園艦長も男子禁制のはずなのに、夫だからとひょいひょい入ってきてしまう大佐を必死に止めようとした。


「隼人さんのベッドがあるでしょう」

「いやー、おまえの匂いがついているシーツがいいもんで。ぐっすり眠りたいからさ」


 と笑顔でからっというと、そのままドアを開けて行ってしまった。


 心優は唖然……。光太も顔を真っ赤にして『ひゃー』と面食らっていた。


 ああいうこといきなり平気で言える旦那様をいままでも見てきたけれど、いつだって急なものだからびっくりする。


 当然、ミセス准将もびっくりした顔で頬を染めていた。


「この部屋の区画は! 心優も使っているんだからね! 男子禁制なんだからね!!」


 御園准将がベッドルーム通路に向かって叫んでも、御園大佐が艦長の部屋のドアをバタリと閉めた音が聞こえた。


「もう~! あっちから厳しく一線引いてきたり、公私混合いきなりやってくれるし、もうっっ」


 また栗毛をううーーっとかきむしって悔しそうにして艦長デスクに戻ってきた。今度は光太だけが唖然としていた。


「はあっ、もうだから一緒なのは嫌だっていうのに……」


 ぶつぶつ言いながら、航空資料に戻っていく。

 心優がクスクス笑い始めると、光太も笑っていた。


「大好きな女性の匂いのシーツかあ、いいなあ、俺もその匂いで眠りたいなあ」


 男としての気持ちです――と光太がいうと、ミセス艦長がまた真っ赤な顔になった。


「光太。あの人の真似しちゃいけないんだからね」

「いや。効果があるってわかったので、俺、結婚した時の楽しみにとっておきます」


 女の人が喜ぶってわかったから! なんて堂々と言うので、ついにミセス艦長が『喜んでいないからっ』と光太にまで女の子みたいに言い返すようになっているから、心優は噴き出していた。


 光太のこういところは、心優と葉月さんの二人だけでは絶対に生まれないからいいスパイスだなと本当に思う。


 本当なら。昨夜の王子の出現と東シナ海急行で重くなっているはずの艦長室も、こうして彼女を扱うのが上手い男達がほぐしてくれる。

 ――って、ほんとうに光太がミセスの扱いに慣れてきたいることに心優は改めて、自分でびっくりしていた。


 いいバディになってくれそうで、心優はいま彼を結婚のプレゼントと言って引き抜いてくれた雅臣に感謝していた。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 電波遮断、極秘の航行開始。

 東シナ海へ急行する。


 その前に、東シナ海での接戦に備え、予定より早く高知沖にて物資補給をすることになった。


 この補給が終わると、ある程度の戦況がわかるまでは、補給艦も接戦エリアには近づけなくなるとのこと。


 まだ出航したばかりなのに、物資補給。それでもなにか新しいものが入ってきていないかとクルー達の気分も華やぐ。


「失礼いたします。艦長はいらっしゃいますか」


 指令室で補佐をしているハワード少佐が入ってきた。


「どうかされましたか」

「物資補給で届いた指令室宛の荷物だ。御園艦長宛のものがひとつ入っていたんだ」


 心優は艦長デスクを見るが、いままたミセス准将は仮眠を取っており、不在だった。


「おやすみ中です。わたしが預かります」

「そうか、わかった。では頼んだぞ、心優。あ、差出人を見て驚くなよ」


 ハワード少佐から荷物を預かり、一緒に艦長室で留守をしている光太と差出人を確認。その名を見て二人揃ってギョッとした。


「うわ、横須賀司令部の春日部中佐からじゃないですかっ」

「わざわざ出航後の艦に送ってくださるなんて……」


 だが光太と心優は二人揃って顔を見合わせる。同じことを考えているとわかった。


「心優さん、春日部さんを最後に見かけたのっていつですか」


「あのシフォンケーキの時に彼女が准将室でめちゃくちゃ怒られて以来会っていないよ。だって、御園大佐から空部隊大隊本部のフロア出入り禁止にされたって聞いていたから」


「俺もですよ。出入り禁止にされたところ他にもあったみたいで、出航前に彼女に会ったかどうか他の部署のお姉様方に聞いても、そういえば最近見ていないとばかりで」


 でもその後も自分たちもやることがいっぱいあったため、彼女を気にしている暇などなかった。


「空母に乗ると言っていたけれど、結局、御園大佐も許可できなかったんだね」

「冗談じゃないっすよ。彼女と一緒に研修なんてなっていたら、俺たまんなかったすよ」


 で、彼女はどうなったのだろう。そして手元にはミセス准将宛で、彼女のお父様からの荷物。


「失礼します。あれ、葉月は?」


 また、御園大佐が艦長室へやってきた。橘大佐も入り浸りの傾向だったけれど、こちらの旦那様も同じ。ちょくちょく入ってくるし、そこのソファーはもう彼が夜くつろぐための読書スペースになっている。


「いま仮眠中です」

「へえ、あいつが昼寝。あり得ないな。ちょっと見てこようか。昼寝の顔」


 なんてまたイタズラな笑みを浮かべたので、心優は慌てて止めるために、手にある荷物を差し出す。


「あの、春日部中佐からのお届け物です」


 御園大佐がふっと表情を引き締めた。心優の手元までやってくる。


「あ、本当だな。ふうん。気が咎めたのかね」


 眼鏡のおじ様顔で少し怖い顔になっていた。

 その様子を見て、光太から尋ねた。


「春日部さんは……。出航前の小笠原では、見かけないように思っていたんですが」


 御園大佐にお灸を据えられてからは迷惑をかけた空部隊本部へ行くことは禁止されたと聞いていたのでそのせいですか、と光太がはっきりと聞いた。


 御園大佐が、嫌なことを思いだしたかのようにして黒髪をかきながらひと息ついた。


「お父さんにお返しした」


 さらっと告げたその返答に、心優と光太は目を丸くした。


「お父様って……。あの横須賀司令部にいらっしゃる総司令秘書室の?」

「そう」


 えええ! 心優と光太はさらに驚きおののいた。


 それってそれって、お父様の司令部で働きたいと願っていた彼女の希望が叶ったと言うことでは。一般的隊員がそう簡単には配属されない司令部へお父様がいるってだけで、まわりに迷惑をかけるからって、でも司令部へ行けちゃうなんて? それでいままで迷惑被った人達は納得してくれるのと心優でも思ってしまう。当然、光太も『納得できねえ』とすでにむくれ顔になっている。


「だよな。いろいろ嫌なことを言われた園田と吉岡は納得できないよな。他の部署でも迷惑かけられた隊員達にもこれを知らせると『納得できない』と嫌な顔をされてしまったよ」


 しかしながら、心優もすぐにその意図に気がつく。


「御園大佐が留守の間、この科長室でどのように彼女をコントロールされるのか思っておりましたが、もしかして留守にする間を案じてのことですか」


「それそれ。俺も頭痛めていたんだよ。吉田も神谷も頑張れると言ってくれたし、どのような部下だろうと育成は上司の義務だ。だがあれは例外だ。留守が心配でたまらなくなる。科長の俺がそう判断したんだ」


「あちらのお父様、よく受けてくださいましたね」


「いや、春日部中佐には親子で司令秘書室配属はまずいと何度も断られたよ」


 それでは、どう納得させたのだろう? 御園大佐がこともなげに言う。


「総司令に頼んだんだよ。もうどこの部署もお手上げですよ。彼女の改善を望むならば、そちら司令秘書室、春日部中佐の配下しかありませんよ――と」


 またまた心優と光太はギョッとした。この大佐、ほんとうに凄い! 最後の最後、そんな畏れ多いところに突撃していただなんて!


 でも御園大佐はしれっとしている。


「どうなったと思う? 春日部が常々望んでいた部署に配属されて」


 御園大佐がそこで初めてにやっとする。まるで勝ち誇ったように。


「どうなったのですか。もしかして、希望の部署に配属されて、生き生きと業務をされているとか。もう迷惑は……」


「あはは! まさか!」


 今度の御園大佐は楽しそうに笑い出す。

 心優と光太は『うそ、司令部に配属されてもあのまんま??』と呆気にとられた。


「あちらに送ってから十日もしないうちに、総司令自ら俺に連絡があったよ。『頼む、そちらに返したい』とね」


 総司令直々から泣きついてきたということらしい。


「そ、それで……。やはりこちらに春日部さんは……」

「まさか。総司令に言ってやったよ。そのお困りになられていることが長年、各部署で起きていたんですよ――と」


 うわあ……。なにこの大佐殿。まったく総司令を恐れていないじゃない! 改めて御園大佐の大胆さに驚かされる。


「お困りだったら、私が任務から帰ってくるまでの二ヶ月だけ預かってくださいとお願いしたら、なんとか呑み込んでくれた。もう結婚でもさせたほうがいいかもしれないなんて総司令もお手上げだったようだ」


 結婚。それは近道かもしれない。お父様が司令部なら出会いもたくさんありそう。


「それで総司令が俺に『見合いできるいい相手がいないか』なんてまた頼むんだよなあ……。そりゃ探そうと思えば俺でなくとも見つかると思う」


「それでお見合いさせることになったのですか。俺、なんか違うと思います」


 光太がはっきりと意見したので、心優もギョッとしたが御園大佐も目を丸くしていた。でもそんな光太の姿に眼鏡の大佐が嬉しそうに微笑む。


「俺もおなじだよ。それに春日部自身がまだ結婚を望んでいなかったよ。せっかくお父さんの司令部に配属されたのに、自分はキャリアで活躍したいんだろう」


 彼女の望みと目標はそこにある。それだけは彼女が純粋に貫いているように心優にも思える。でもあそこでまた上から目線の立場を得られたら……そんな心配があった。それはきっと心優だけではなく、おなじように嫌な思いをした隊員はみなそうに違いない。


 そんな心優の浮かない顔をみた御園大佐が、優しい笑顔で告げる。


「司令部はそんな甘くない。使えないと思えば、また二ヶ月後に春日部はどこかに転属させられるよ。その時に、春日部自身がどう捉えるかだな」


「そうしたら、やっぱり結婚になるんですか」


 また光太がむくれている。


「あのような女性は結婚しても、今度は日常生活でかかわる方々に同じようなことをすると思います」


 光太の見解に心優もぞっとした。あのような奥様が官舎に来た方がもっと嫌だし、いま住んでいる官舎の奥様達のことを思うと気の毒になってくる!


「それは、俺も総司令に言っておいたよ。『あのまま結婚させると、今度は妻同士で迷惑がかかるかもしれないので、有望な高官と結婚させると今度は官舎の奥様方の悩みの種になりますよ。軍人とは結婚させないように』と言っておいた。家族の地位を武器に生きてきた彼女だから、結婚した男の地位が高いと絶対にまわりにいる部下隊員にその妻をバカにして過ごすだろうからな」


 ほんと目に浮かぶほどあり得そうで、心優も官舎住まいなので絶対嫌と首を振る。自分はまだ幹部で隊員で働いているから日中の奥様ネットワークのことはわからない。夫も大佐だし副艦長を担うほどだし、どちらかというと、官舎の奥様方はけっこう年配の方まで心優には気遣ってくれていると思う。でも奥様達も官舎では夫の立場を思いやりながら過ごしているのは確かだった。そこへ仕事はだめだったからでは結婚させようなんて、手短なところで春日部中佐や総司令の選んだ男と結婚なんてしたら、彼女の迷惑爆弾は今度は夫の部下や同僚の奥様方へとうつるだけ。


「いままでの迷惑、もう父親が責任取れとして送ったわけ。一度、そばにおいて娘がどれだけ痛い成長をしたか思い知ればいい」


 春日部嬢のお父様は偉い人という武器も、この御園家の威光を背後に持つ大佐殿には敵わなかったということになる。


「まあ、俺も……。どうにもしてやれなかったという悔いは残っているよ。もうちょっと時間があればな。春日部中佐が細川連隊長に泣きついてきた時期が悪い。こちらも出航するのが決まっていたあとだから、正義さんも今回は仕方がないと司令部への転属を手配してくれたよ」


「ではもう戻ってこられないのですか」


「わからない。二ヶ月後、どうなっているかだよな。ま、知らないよ。娘が父親を崇拝していたんだから。ある意味、主も意図していないマインドコントロールみたいなもの。親父さんに解いてもらうしかなかったかもな」


「ですが司令室が乱れると……。元は細川連隊長が司令部に恩を売っておけば、艦隊出航後のサポートも有利になるからということだったのでは」


 航海中のサポートは横須賀司令部が担ってくれているというのに。総司令が御園家の二人が搭乗している艦のサポートを快くしてくれるかどうかが心配になる。


「大丈夫。総司令には非公式にお会いして、こちらも希望に添えない結果になったのにそちらに押しつけたとして、いろいろと条件交換してあるから……」


 御園大佐から笑みが消えた。眼鏡の奥の険しい眼差し、それを見ただけでぎりぎりの駆け引きを総司令とかわしてきたのが心優には窺えた。


 非公式に会って条件交換。この駆け引きができるのはきっと御園家だからこそ。彼等がもつ家の力と財力と組織力が総司令をも抱き込んでしまうのか。


 困ったお嬢様を預かるのを条件にいったいなにを総司令から頼まれて呑み込んだのだろう。そしてそれが呑み込めてしまう御園の力。


 その後は御園大佐とひとしきり笑いのある会話をすると『あいつが目覚めた頃にまた来るよ』と指令室へ戻っていった。


 また光太とお留守番の事務をデスクで励む。


「総司令を納得させるだけの条件交換ってなんでしょうね。なんかすごいな御園大佐……」


「おうちの猫をつかってあれこれ情報収集させて提供しているんじゃないかな」


「おうちの猫……。心優さんがこのまえ教えてくれた男達のことですか」


「そう、シドの実母様もそうだからね」


 光太はなにもかも知る立場になったが、黒猫についてはまだピンと来ないようだった。


 きっと今回も艦のどこかに黒猫が忍びこんでいるはず。シドを連絡拠点にして御園大佐とも既にやり取りをしていそうだと心優は思っている。


 ここしばらくミスターエドに会っていない。暗闇に潜む黒猫男だから、なにもなければ現れないかもしれない。でも、光太には会わせておきたい。


 心優はふと天井へと仰ぐ。いま彼はどこにいるのだろう。

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