20.姉ちゃんは、ブラックキティ
溜め息の金髪王子がカフェテリアのトレイを持って、厨房前の窓口に並ぶ。
天丼定食が出てくる窓口でそれを受け取った。
心優もそれに付き添っていたが、シドはものすごいむくれた顔をしている。
「大尉、お顔……。お母様に気が付かれてしまいますよ」
「うるせえ。おまえにこんなところ見られたくなかったよ」
高須賀准将と細川連隊長の定食も、心優と光太が並んでトレイに準備している。御園准将と美穂夫人は仲良く軽食コーナーへと向かっている。雅臣が付き添っていた。
「ち、いつも突然なんだよ。あの親父さんは」
あれ、心優の前では男っぽく『親父さん』なんだと知る。
お父様と丁寧に呼ぶのは、やはり黒猫の私生児という臣下感覚なのかもしれない。
「すぐ帰られるでしょうから、それまでに……、ちゃんとお父様とお母様とお食事ぐらいしたら……」
「わかってる……。姉さんにまた叱られたくないしな……」
「姉さんって……。大将のお嬢様? フロリダにいる?」
「そうだよ。めっちゃやり手の秘書官だから、俺、まだ若輩扱いなんだよ。口もすごく立つから、口では勝てないな」
これまたすっごい女性がシドのお姉様と心優は面食らう。いや、しかし、あの大将殿のお嬢様で、フロリダで秘書官となればそれはもう只者ではないだろうと心優も思う。
「たまたまだけど、姉さんも俺も、髪も目も同じ色なんで、本気で姉弟だと思ってる隊員も多いほどだよ。姉さん綺麗な顔して、毒舌でえげつないこと平気だから、男が怖がって近づかない『大将のブラックキティ』なんて呼ばれてる」
大将のブラックキティ!! フランク大将の真っ黒いお嬢ちゃまという意味らしい。かわいいようで、でも如何にもやり手そうで、恐ろしそうなネーミング。光太じゃないけれど、心優まで『こわい!』と恐れおののいた。
「俺をいじめると、その姉ちゃんが数倍返ししてくるんで、……なんていうか、誰も寄ってこねえんだよな。俺の同期周り……」
フロリダにいた時のシドの環境を初めて知って、だから、あんなに不器用にぶつかってきたのかもしれない? そう心優は思う。
「一人は慣れていたから、べつに誰ともつるむつもりもなかったんだけど。こっちが気にしなくても、あっちが気にする『大将の息子』というのはフロリダでは思った以上に威光があって、初めて表世界で暮らす俺にはどうコントロールしていいかわからなかった時期だよ。いまはだいぶわかってきたけどよ」
ああ、そうだったんだ……。だから心優と最初にぶつかった時も、あんなに不器用だったのも頷ける。
「でも、お姉さんに大事にしてもらっていたんだね」
「んなんじゃねえよ……」
でもシドの頬が少し赤くなって照れた眼差しが、またサッと心優を避けた。でも耳、赤いよ?
「俺にも容赦ねえよ。からかってばかりでさ……、無駄に正義感強くてさ、時々、危なかっしいの姉さんのほうなんだからな……」
もう。心優はにやにや。『へえ』とそれとなく流しつつも、お姉さんにも弱いんだシド、いいこと知っちゃったと思った。
シドと心優と光太で、天丼定食を揃えると、着物姿の美穂夫人と御園准将もトレイの上にお好きな軽食を揃え終えたご様子。
「うふふ、滅多に基地の中には入れなかったけれど、このカフェでこのクラブハウスサンド食べるのが好きだったの。変わっていなくて懐かしい」
着物姿の美穂夫人、カフェテリアにいる隊員達にすごく注目されていた。
「シド君、行きましょう」
そうして、普段は『事情がよく見えない、大将殿の養子』であるシドと純日本人の夫人が母子として並ぶのも、これまた異様な光景で、隊員達には物珍しいものでしかない。だから皆が注目している。
シドもさすがにこれは恥ずかしいのかと心優は心配したけれど。
「お母さん、そんなに食べられるのですか」
今度は普段二人きりの時の呼び方なのか、シドがさらっとお母さんと言った。その方が美穂夫人は嬉しそう。
「もちろんよ」
「いつもは少食でしょう。余ったら俺が食べますから」
「うん、シド君。頼りにしている」
美穂夫人がふっとシドの隣にくっついて歩き始める。そうすると、本当に母と息子に見えるから不思議だった。
あ、そうか。二人はやっぱりもう、母子なんだと心優は感じることができた。二年、一緒に暮らしただけのこなれた空気が既にあって出来上がっている。ちょっと安心した。
そんな姿をこんな人目がつく場所で見せたのも、よいキッカケだったのではないだろうか。フランク大尉は養子だけれど、あのようにして本当の親子のような絆をちゃんと紡いでいる養子だと理解してもらえるような気がしてきた。
夫人とミセス准将に付き添っていた雅臣が、先にお二人が歩き始めたのを見計らって、心優のそばに寄ってきた。
「俺も来いって葉月さんが言ってくれたんだけれど、いいのかな……」
そう聞いて、心優ははっきりと大佐殿に告げる。
「空海にアグレッサーをしてもらえるよう、フランク大将自ら手を打ってくださっている最中なんです。城戸大佐にとっても大事なことだから准将室に行くべきです」
それを聞き届けた雅臣が一瞬だけ驚いた後は、途端に凛々しい大佐殿の顔になる。
「そうか。空海が来てくれるのか。だったら、徹底的にやれる」
まだ出航前、でも出航前までにやらねばならぬこと。もうそこへ気持ちが向かっている、心優の旦那様は。
これからこうして何度も、この海と空の男になった貴方を見送って行かねばならないのだろう――、そういう妻の気持ち。
―◆・◆・◆・◆・◆―
准将室まで到着すると、やはりドアを開ける時になってシドが天丼定食を持った姿で緊張した様子。
でもそれもなにもかもわかっているとばかりに、美穂夫人が優しく付き添って、彼の背を撫でた。
御園准将からドアを開けて入室する。
「ただいま戻りました」
だが大将を筆頭に、細川連隊長に高須賀准将、そこにいる男達はもう手配に白熱していた。
「心優、シド、光太、そこに定食を並べておいて」
准将のデスクにひとまず定食のトレイを並べた。
「葉月ちゃん、やっぱり私、ここで遠慮しておくわね。大事なお話中みたいだから」
軍事会議の光景を見て、軍人ではない奥様が引こうとしたそこで、妻の意志を汲み取ったのか、ワイシャツ&ネクタイ姿のフランク大将が立ち上がった。
「葉月、ご苦労様。美穂、ありがとう。そこにいてもかまわない。入ってこい」
あっけらかんと砕けたお兄さんではない、本当に威厳ある大将であって、夫である姿だった。
それには美穂夫人も夫を敬うようにして、楚々と無言で、でも頭を下げて入室をした。
そして、ついに。シドとフランク大将の目が合う。
応接テーブルに集まっていた男達もさすがにシンとして、固唾を呑んでいる様子。
「お父様、突然すぎます。いつも、いつも」
シドから言葉を発した。
「突然――と思われないと動けないことがある。誰にも悟られてはいけないからだ」
意外な切り返しだったが……。大将がここにいること、必要だと思って、独断で秘密裏に動くには確かにそれは『人知れず動くこと』が必須、現れた時には『突然』であるべきものになるということ。シドもハッと目を見開き、納得できた顔に。『さすがお父様です』とでも言いたそうな顔。まるで、軍人として父が息子に伝えているよう。
「お父さん、フロリダでも懐かしい懐かしいとよく話してくれた『天丼定食』です」
自分で持ってきたトレイをシドが持とうとした時だった。フランク大将からシドの目の前へと来て、ガバッとシドに抱きついた。
シドがやっぱり『ひ』とした顔をしたのを心優は見た。そういうのがどうも『突然』でシドにはびっくりしてしまうもののよう?
いい大人になった青年に抱きつく金髪の大将殿。さすがに男達がぎょっとした。
「元気だったか」
「……は、はい、」
「艦を頼んだぞ。いいか、絶対に帰ってくるんだ。フロリダの、俺のところにだ。わかったな」
「は、はい、お父さん……」
やっぱりすごいぎくしゃく感。フランク大将の熱血お父さんな触れあいに、シドはまだどうしても慣れないようで。でもそれが彼の子供らしくなれなかった心を癒しているようにも心優には見えた。
「よーし、一回、休憩だ。天丼食おう!」
またあっけらかんとした兄貴顔にもどってしまった。こういう砕けたことを厭わない、みんなの兄貴的な上官だったということが心優にもよくわかる。
「皆様の前にお届けして」
御園准将からの指示に、シドと心優と光太、秘書官の三人で高官三人のところに天丼定食をお届けする。シドはもちろんお父様のところ、心優は細川連隊長に、光太は高須賀准将に。
そしてミセス准将は日向中佐や自分の秘書官に『一緒にどうぞ』と買ってきた軽食サンドをおすすめした。
でも美穂夫人だけは頑なに、会議をしていたテーブルには近づかず一歩下がっていた。
シドがそれに気がつく。
天丼定食を食べようと箸を持った養父を見て、お辞儀をした。
「お父さん、自分はお母さんを連隊長室へお連れします。そこで休憩していただこうと思います」
お母さんへの気遣い。それにもフランク大将も頼もしそうに頷く。
「おう。じゃあ、シドに母さんを頼むな。美穂、二時間ほど時間をくれ。終わったら俺もおじさんのところへいくよ」
「かしこまりました、大将殿。わたくしは、連隊長室でお待ちしております」
また着物姿でしとやかにお辞儀をする美穂夫人。そこにいる男達が奥ゆかしい日本人妻を見てうっとりしていたのは言うまでもない。
「いきましょう、お母さん。俺、ミルクティー淹れますね」
「うれしい、シド君のお紅茶ひさしぶりね」
仲睦まじく准将室を出て行った。
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