20【怒りのリリィ】



 ——手錠!? いつの間にっ!?


「間宮さん! 何故こんな事を? それにリリィはどうしたんだよ?」


 迫る間宮さんに言葉を投げかける。いつもより強い口調で放った言葉を物ともせず、間宮さんはクスクスと笑い、僕の胸を指先でなぞるようにして上目遣いて見上げてきた。


 距離が近付いた事により、間宮さんの胸が僕に押し付けられた。ただひたすらに、柔らかい。


「そんなの、漢路君が好きだからに決まってるじゃない? 好きだから、漢路君の全てを知りたいの。そんなの普通でしょ?」


 真顔でそう話す間宮さんは、正直少しこわい。

 やがて僕の身体に拒否反応が起き始める。

 僕の身体が告げる。今すぐ目の前の女から離れろと、異様なまでの不快感をもって警告する。


 それと同時に僕に襲いかかるのは、女子の柔らかな身体に触れているという、身体的な快感と精神的な高揚感。


「いい事教えてあげる。あのツルペタロリは今頃、同じ悪魔の女の子に襲われているわ。

 あ、でも安心してね? 気持ち良くしてあげるだけだから? あはははっ、わたしの漢路君に手を出した報いなのっ!」

「悪魔に!? まさかあの時の?」

「少し前ね、わたしに声をかけてくれたサキュバスちゃんがいたの。

 あの子はリリィが欲しい、わたしは漢路君が欲しい、利害の一致ということで協力してるの」


 間宮さんと白髪のサキュバスが協力関係?

 そうか、それで僕とリリィが一緒にいない今を狙った訳か。その徹底ぶり、恐るべしだよ。

 恐らくリリィは一人で人目の付かない場所にいたんだな。とにかく今は間宮さんを何とかしないと。


「間宮さんっ! 聞いてくれ! 僕は女の子に触れるとっ!」

「……触れると〜?」


 間宮さんはシャツの中に腕を突っ込んできて、直に僕の身体を弄る。すると、

 強烈な頭痛が襲う! 視界がボヤけて、——ボヤける? 違う、これは……

 頭の中に、ノイズが……なんだ、コレ?


「ま……み、や……さ……たのむ、から……」


 ——声が上手く出せない……息が苦しい


 僕は渾身の力を振り絞って間宮さんを押し退ける。激しく尻もちをついた間宮さんの胸が驚くほどに弾んだのはこの際どうでもいい。


「はぁっ……はぁっ……」

「漢路、君? いたた……」


 間宮さんは目を丸くして、打ち付けたおしりに手を当てた。


「漢路君って、もしかして……」

「あぁ、そうだよ、僕は……」

「漢路君、貧乳好きなんだ」

「いや、そうじゃなくて間宮さん……」

「……え、それじゃ男が好き、とか……?」

「……お願いだから説明させて下さい」


 僕は間宮さんに自らの煩わしい体質について簡単に説明した。


 ——

「女性恐怖症……とは、何か違う感じだよね、それ。そうなんだ、だから漢路君、エッチな事したら逃げるんだ……男の人は皆んな好きだと思った」


 何、そのキョトン顔?


 僕と間宮さんは顔を見合わせて、同時に大きなため息をついた。面白いくらいにシンクロした事で、二人して苦笑い。……何というか、気まずいな。


「とにかく、僕は女の子に触れると拒否反応が出るんだよ。間宮さんに限らずに」

「ん〜、なら荒療治で治しちゃおうよ!」


 間宮さん、全然分かってくれてませんよね!


 僕は間宮さんに手錠を外すように促した。彼女は渋々だけど、言う通りにしてくれた。


「手錠を外してあげたわたしに〜、漢路君からのご褒美ちょーだい? チューッてして?」


 駄目だ、全くもって駄目だ。

 危険度Aの間宮さんには何を言っても無駄なのか。僕が諦めて目を閉じた、

 その時——


 室内に窓ガラスが割れるような音が響く。

 振り返って見ると、やはりその音はガラスの割れた音だったようで、無数の破片が飛び散ってくるのが見えた。

「……きゃ……?」と、間宮さんは目を閉じる。

「間宮さんっ!」

 僕は咄嗟に間宮さんを抱き寄せ背中で破片を受けた。自分でも驚いたけど、ここ一番で何とか勇気を振り絞る事が出来たみたいだ。


「痛ぇっ……」


 背中に破片が刺さったみたいだ。

 何というか、普通に痛い。めちゃくちゃ痛い。

 痛い上に、間宮さんに密着している事で再び拒否反応まで起き始める。頭、痛い……


 そして、

 そのガラスが割れたと同時に、資料室に飛び込んで来たのは野球部のボールとかではなく……


「おんどりゃぁぁぁぁっ!」

「ひぃぇぇっ!」


 ……ミニマムデビルと白髪のサキュバスだった。


 絡まるように転がって資料室の出入り口に激突した二人は僕と間宮さんを見て、同時に首を傾げ、大きな瞳をパチクリさせた。

 見た所、白髪のサキュバスは全身ズタボロで見るに堪えない姿だけど、大方、ミニマムデビルに蹂躙された、——と、いったところか。


「アンタ、何してんのよ? こんな所で」


 リリィはすっくと立ち上がり大鎌を影に沈めるように収めた。そして更にこう続ける。


「何で淫乱委員長と抱き合ってんのよ?」


 しまった……咄嗟に間宮さんを抱きしめていたのを忘れていた。


 すると白髪のサキュバス、確か……マリア、そのマリアが今にも死にそうな声で、

「……ごめん、逆にやられちゃった……」と、苦笑いでこちらを見た。

 というか、間宮さんに言った。


「アンタは黙りなさい! この変態っ!」


 リリィはマリアの頬をひたすら往復ビンタで打ちのめす。完膚なきまでに打ちのめされたマリアちゃん、もう泣いてるしやめてあげて欲しいと、嵌められたにも関わらず同情した。


「ひゃんっ! だってっ、きゃんっ! リリィがぁっ、はうぅんっ! す、好きでっ、あうっ!」

「うるさい! うるさい! うるさい! 私の中に……さ、先っちょだけでも侵入した罪は重いわ! し、死んで詫びなさいよね! このこのこの!」


 あー……痛そうだなぁ……


「ひぃっ! そ、それはボクじゃ、ぶふっ! なくてっ、クロウだしぃっ! ボ、ボクはリリィの中に侵入したり、真下から真っ白なパンティを拝んだり、そんな夢心地な気分を味わってないよ〜全部、使い魔のクロ……ぴぎゅっ!?」

「使い魔のした事は主人の責任よ! この変態サキュバス!」

「サキュバスが変態で何が悪いんだよ〜!」


 部屋に響き渡るビンタ音とマリアの悲鳴が何とも痛々しい。僕の横でそれを見ていた間宮さんは、マリアが打たれる度にキュッと目を閉じて身体を強張らせている。

 これはそろそろ、止めないといけないな。


「リリィ! もうよせ!」

「嫌よ! すずきは黙ってそこの脂肪女と抱き合ってなさいよ! 馬鹿!」


 仕方ない、

「リリィ、オーダー!」

「はぁ? な、何言っ……」


「オーダー! もうやめろリリィ!」


 リリィの手が止まる。止まったけれど小さく震えていて、今にも目の前のマリアを打ちのめさんとしている。僕はその手を取り、リリィの目を見て首を横に振った。


 リリィは目を見開いて、何か変なものを見るような目で僕を睨み付けた。心なしか、その瞳が潤んでいるようにも見えた。


「すずきぃ……!」

「リリィ、良く見ろよ。この子、えっと……マリアの顔、良く見ろ。もういいだろ?」


 白髪の褐色サキュバス、マリアの頬はパンパンに腫れてしまって、スマートなフェイスラインが見る影もない。ローブは千切れ、細い身体は震えて、翡翠色の瞳からは涙も流れる。

 そして息も荒々しい。


 リリィは口を尖らせ、もう一度僕を睨み付けた。


「……私にとっては……んだから……すずきの馬鹿」


 リリィは資料室の出入り口の鍵を開けて部屋を出る。そして、

「今夜は覚悟しなさいよね? 簡単には出してやらないんだから! ふんだ!」

 と、力いっぱい引き戸を閉めた。

 間宮さんは大きな瞳を瞬かせ僕を睨む。いや、睨まれても困りますよ、間宮さん。


 ドン! と音が鳴り、その後、資料室に沈黙が走る。とりあえず僕はマリアを立たせてやり制服のブレザーを羽織らせてあげた。


 マリアは翡翠色のつり目がちな瞳で僕を見て、「ありがとう……ケルベロスのフン君」と言った。いや、ま、もういいか。

 リリィと同じように尻尾を左右に振りながら、頬を赤らめたマリアは、床でヘタリ込む間宮さんにペコリと頭を下げた。


「ごめんね、巻き込んじゃってさ……」

「だ、大丈夫だよわたしはね。それよりもマリアの方が重症だし……」


 間宮さんは谷間から委員長眼鏡を取り出し、それをかける。僕は内心、胸を撫で下ろした。


「マリアだっけ? 君もリリィが好きなら友達になればいいんだよ」

「……え、友達?」

「そうそう、友達。多分あいつ、サキュバスの友達少ないだろうし仲良くしてやってくれよ」


 僕の言葉で、マリアはパァッと笑顔になる。


「ま、任せてくれ! ボクがリリィを気持ち良くするよ! 今日は助かった! ケルベロス……じゃ、なくて……えっと……」

「漢路だ。……すずき、かんじ」

「おう、漢路! 命の恩人、また会おう! とうっ!」


 マリアは割れた窓から飛び出して、その場を後にした。……その後、何か重い物が地面に落ちた、そんな鈍い音と地響きが聞こえた気がしたけど、そこは敢えてスルーした。


「え、と……今、落ちたよね。そ、それじゃあ漢路君、また明日」

 と、資料室から一歩出た間宮さんは振り返り、

「わたし、リリィには負けないよ? 漢路君の病気、わたしが治してあげる。荒療治も覚悟してね? 放課後、一人でいると追いかけちゃうから気をつけてね? なーんて、ね」


 間宮さん、あんまり反省してないみたいね。その笑顔は天使だけど、やっぱネジ緩いって! 


 さて、問題はリリィだな。

 と、そんな考えを巡らせているとゼムロスさんが天井から僕に声をかけてきた。

 そんな所に隠れていたのか。


『兄弟、どうやらリリィを怒らせてしまったようだぜ? はっはぁ〜!』

「はっはぁ〜、じゃないよゼムロスさん。それに今のはリリィが悪い。戦意喪失した相手に対して、あそこまでしなくてもいいだろ?」

『そうか? あの女はタブーを犯したんだぜ? それに相手が悪いぜ。リリィのやつは夢魔ランクこそ最下位だが、見ての通りその戦闘力はズバ抜けてやがるんだからよ?』


 ゼムロスさんは僕の肩に降り立つと、更にこう続けた。


『ついでに教えてやるとだな、あのマリアとかいう女、往復ビンタ喰らいながら感じてやがったぜ? はっ、とんだ変態女だせ! 同情するだけ無駄だぜ?

それによ、リリィが怒る理由は他にもあるんだ。地雷なんだよ地雷』


 感じていただとぉっ!? アイツはドMか!? ドMの上に女の子好きとか、……ドSのミニマムデビル、リリィとの相性ピッタリじゃないか!


『今夜は長い夜になりそうだぜ、兄弟、いっそのこと仲直りのセッ○スと洒落込んじまえよ?』


 この際ゼムロスさんは無視しておこう。ちょっとウザいし。僕とリリィはただの同居人だ。

 毎晩のルーティーンはお互いの為にしなくちゃいけないだけ、それだけの関係なんだし。


 ましてや僕は、既にフラれている。カップルの聖地で盛大にフラれているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る