8【魔界から来ました】




 四月十九日金曜日、リリィと出会い、そして一発ヌかれた翌朝。


 ——僕は時間に追われていた。

 アラームは五分おきに鳴っていた、スムーズ履歴を見れば一目瞭然だ。だというのに僕は目を覚ませなかった。

 昨夜の壮絶なアレが、思った以上の疲労感となり僕にのしかかってくる。


 制服に袖を通し、朝食も取らず家を後にした僕は、急ぎ足で我が学び舎、夢咲高等学園へと向かった。住宅地を歩いていると、いつもすれ違う茶トラ猫と一瞬目が合った。茶トラ猫はプイッと横を向いてしまったけど、今はそれどころではない。


 昔ながらの駄菓子屋さんの前で、のんびり空を仰ぐ黒髪幼女を横目に、この町唯一の大型ショッピングモール、夢咲モールのある方角へ歩く。

 夢咲モールを越えると目的地はすぐそこだ。


 すると僕の視界に二人の男子高校生が映る。

 男子高校生と分かるのは、二人が僕と同じ高校の制服に身を包んでいるから。

 夢咲高等学園の制服はブレザータイプ、紺のズボンに紺のブレザー、中はカッターシャツ、そして首元には校章の刺繍が入った青ネクタイ。至ってシンプルだ。


 しかし女子は純白のブレザーに赤基調のチェック柄が可愛らしいと評判のプリーツスカート、薄い桜色のシャツに、ネクタイは校章の刺繍が入った赤ネクタイ。男子との格差を感じざるを得ない仕様だ。


 因みに前を歩くのは僕と同じクラスの田中と太田だ。二人は後方から迫る僕に気付き「よお!」と手を振った。


「よ、鈴木。アラームのセットをしくじったか?」


 そう言って悪戯に笑うのは小学時代からの親友、田中強彦たなかつよひこ。見た目はロン毛金髪のチャラ男だけど中身はスーパーチキンハートで小さい女の子が大好物。


 ……大好物と言っても、実際のところは鑑賞限定に留まっているけれど。

 ——というか、話しかける度胸が彼にはない。これはある意味不幸中の幸いだ。


「やぁ君かぁ〜鈴木君。おはよう〜」


 隣の太田も、いつものデブ声でブヒッと鳴いた。

 太田細海おおたほそみ

 因みに太田はおデブさんだ。全くもって細身ではないのだが、名前は可愛らしい細海。

 今日も制服のボタンが悲鳴をあげる。

 太田とは中学で知り合い、のほほんとした性格に惹かれて仲良くなった訳だ。


 基本モブキャラな僕は、モブキャラ同士で連みながら、モブキャラなりに学園生活を謳歌している。

 あまり女っ気のない三人組だけどな。


「田中はロリコンだな〜!」

「太田お前こら! 俺はロリコンなんかじゃねー!」

「おい〜やめろよ〜、お腹の肉を引っ張るなって〜!? す、鈴木君も何とか言ってよ〜」

 コイツら、いつもいつも同じ事を。

「勝手にしろ、ほら、遊んでるとマジで遅刻してしまうぞ?」


 ——

 何とか朝のホームルームに間に合った僕は自らの席に腰掛け一息ついた。気候も暖かくなって、少し汗をかいたか。


 すると、後ろの席の人物が僕の背中をスッと撫であげた感覚がした。……僕の後ろの席、まず僕の席だけど、窓際の後ろから二番目の席で中々の好ポジション。その後ろ、つまり窓際の一番後ろの席の人物はと言うと、


「漢路君、良かったぁ生きてたんだね。心配したんだよ? 先生連れて行った時には誰も居なくなってたから……死んだかと」


 そう、間宮さんだ。

 因みに現在の彼女は純白の制服に身を包む美少女委員長の間宮さんで眼鏡をかけている。

 眼鏡をかけている状態の危険度は極めて低い。

 しかし、ひとたび眼鏡を外すと内側の彼女が表に出てくるので注意が必要です。

(※間宮遥香取扱説明書参照)


「あ、あの後あの女の子逃げちゃって。た、助かったよ本当」

「そうなんだ。あの子、何者だったのかな?」

「あ、新手の通り魔じゃない?」

「そっか! 新手の通り魔だったんだね! さすが、漢路君あったま良いね!」


 間宮さん、成績優秀なのにネジ外れ過ぎね。


 話し込んでいると、まもなく担任の先生が教室に入ってきた。騒ついていた教室は次第に静まり、それを確認した、ザ・担任の先生な藻部もぶ先生が口を開く。


「はい、出席取るぞー」


 眼鏡をキラつかせた藻部先生は出席を取り終えると、手をパンパン、と叩き、


「今日は皆んなに紹介する人がいます」


 教室が騒ついた。転校生かな?


「はいはい、静かにしろ〜。さ、入って自己紹介しようか?」


「……あ、はいっ!」


 え……この声。


 教室中が、その人物を見て静まり返った。

 純白の制服を着こなしたピンクブロンドの髪の少女に、見惚れてか、見蕩れてか? 皆、開いた口が塞がらないといった表情で彼女を見ている。


 次第に「外国人?」とか、「綺麗な髪」といった声が飛び交いはじめる。

 そんな中、僕の心拍数は上がる一方。

 だってさ、その転校生……


「ま、魔界から来たリリィ=ホイップ=ラ=ショコラティエです。に、人間界のことは知らない事ばかりなので色々ご迷惑をおかけするかも知れませんが、どうぞ宜しくお願いします」ペコリ、って、


 魔界から来た、って言っちゃう?


 昨日の態度からは考えられないような、しおらしい丁寧な自己紹介を済ませたリリィは、一瞬、僕を見ると、すぐにクラスメイト達に愛想笑いを振りまきながら、尻尾を左右にフリフリした。


 こうして見ると普通に可愛いんだけど……


 いやいやいや! 違う違う! 問題はそんな事ではない! 何故リリィが学校に!?


 藻部先生はリリィに席に座るようにと促した。リリィは僕と反対側、廊下側の一番後ろの席に腰掛け、長いピンクブロンドの髪をフワッと搔き上げた。それと同時に男子達の「おぉ……!」ボイスが鳴り響く。


 クラスの女子達も、その日本人離れしたリリィの魅力に酔いしれてか、天使を見るかのような目で見ている。


 ……その人、悪魔ですよ。


 ただ一人、間宮さんを除いて、皆がリリィに見惚れている。まさか自己紹介の時に魅了でも放ったのか? いや、だとしたら男子達が襲いかかって大事件になる。

 そして、そんな事をしたら死人が出る。


 なんだろう、リリィって意外と可愛いのか?


 すると藻部先生が地味に話し始めた。


「ショコラティエさんは遠い魔界から転校してきて色々と慣れない事もあるでしょうから、皆んな仲良くしてあげて下さいね?

 それじゃ、ホームルームを終わります。あ、ショコラティエさんは後で職員室に来てくださいね?」


「はいっ、モブ先生っ!」


 カタカナ表記は辞めとけ!


 飛び切りの笑顔はいいんだけど、こりゃどういう事だ? まさかゼムロスさんが集団催眠でもかけたのか。というか、それしか考えられない。

 リリィめ、どういうつもりなんだ?


 リリィは前に座る暁月あかつきに話しかけられている。暁月海月あかつきくらげ、うちのクラスの保健委員である。


 その時、僕は背後で何かガラスの割れるような、スッとヒビの入ったような音がしたように感じた。

 感じた、ではなく、後ろで何かが割れた。

 振り返ってみると、


 ——それは間宮さんの眼鏡だった。


 間宮遥香の眼鏡が割れていた。


 ——グラスクラッシュしていた。

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