28【開幕】
——! ——! ——!
「ん……?」
アラーム、もう朝、か?
まだ覚醒前の僕の思考は停止状態だ。ぼんやりと視界に映るのはいつもの見慣れた天井。
「……あれ? 掛け布団……」
リリィが降臨してからは床で寝ている訳で、掛け布団なんて与えられてもいないのだけど、どういう事か僕の身体にソレが覆い被さっているみたいだ。
大方、リリィが蹴飛ばしたのだろう……
僕は上体を起こし、アラームを止めた。
徐々に意識もはっきりしてくる。異変に気付いた僕が布団を
「あ、おはよー」
「おはよー、じゃないよリリィ……!?」
「ふふふ、これが俗に言うあさだ——」
「あーー!」
「何? すずきは私に死ねと言ってるのかしら?」
「そうじゃないけどさ……」
リリィは再び布団に潜っては作業を再開する。
『はっはぁ〜! 兄弟朝○ちか! 朝からリリィにシテもらえるなんて幸せな奴だぜ。リリィも鈴木の精○が欲しくてたまんねぇみたいだぜぃ!』
ゼムロスさん、朝からウザいよ。って、
くぅ、今、この布団の中でリリィは……駄目だ、あまり考えるな。考えるな、あー!
するとリリィは布団の中で移動を始めた。布団から小さな足の裏が飛び出してきては僕の顔面を蹴る。堪らず上体を寝かせた僕の顔を跨ぐ太ももと左右に揺れる尻尾。
女の子の香り、
頭がボーッとする。と、そんな思考を停止させるかのような激しい手の動きに、童貞の僕が耐えられる訳もなく、
はい、果てました! 悪いか!
僕は我慢出来ずに果てた。その瞬間、僕のナニをあたたかい何かが包み込み、溢れ出したソレを吸い取るような感覚がした。
なんてこった。あぁ、なんてこったよ。
無心になろう。これは夢だ。
僕はただ、天井を見上げた。放心状態ってやつ。
するとその視界を遮るように柔らかい何かが顔面に押し付けられる。苦しい。
『おいリリィ、ご主人がお前のケツで窒息死しちまうぞ? そこを退いてやりな』
「あ、ごめんごめん。ちょうどいい椅子があると思って」
リリィは柔らかくて良い香りのするおしりを僕の顔面から退けると、指についたソレを舌で舐めとるような仕草を見せる。
まるで猫みたいだ。……猫、そういえばあの影猫、どうしてるのかな。
「ジロジロ見ないで、何? 優越感に浸ってるわけ? キモい、勘違いしないでよ。単なる作業で特別な意味はないわ、急いでただけなんだから」
「わ、わかってるって……うわ、もうこんな時間だぞ! 急いで支度しないと!」
「はっ!? ちょっとどうしてくれんのよ! アンタが生意気にすぐ出さないからメイクの時間がないじゃないの!」
「いつもスッピンだろうが!」
「うるさい! レディには身だしなみってものがあるのよ! アンタみたいなボロ雑巾と違って手入れに時間がかかるの!」
ボロ雑巾は酷いだろ!
僕は制服に着替えながら、鏡の前で身だしなみとやらを気にするお嬢様を横目で見た。
鏡に映るリリィの口元を見て、さっきの快感を思い出してしまう。まだ、あのしっとりした感覚が残っている。
あんな事しておいて何食わぬ顔なんだから、リリィは本当に小悪魔だ。僕は見事に弄ばれている。
——
走った! とにかく全力で走る!
「あーもう! リリィがもたもたしてるからマジで遅刻しそうじゃないか!」
「うるさいわね! アンタの精○が髪に飛んでて大変だったんだからね!?」
「だからってシャワー浴びてる場合じゃないだろうが! と、とにかく全力で走るんだ!」
「い、言われなくても!」
朝の住宅街を全力で走り、茶トラ猫とすれ違い、
——「にゃにゅ?」
駄菓子屋の前を通り抜け、メルちゃんに睨まれ、
——「のじゃ?」
夢咲モール前で、
一人歩くツインテール小学生を追い越し、
——「わっ!? びっくりしたの、です!」
最後の直線で黒猫とすれ違い……って、あの猫!
僕は立ち止まり振り返る。しかし、そこにはあの猫の姿はなかった。……気のせい、か?
「ちょっとすずき! 何突っ立ってるのよ! 体育の
「戦極が!? やっべ、リリィ走るぞ!」
この際影猫の事は後だ。
今は自分の命を守る為に全力で走り抜ける!
しかし無情にもチャイムが鳴り、戦極が上腕二頭筋をヒクつかせながら校門を閉めはじめたのが見えた。
……終わった。殺される。
「諦めんじゃないわよ、すずき! こうなったら強行突破よ! ついて来なさい!」
「お、おいリリィ!?」
「こんのぉぉぉっ!」
リリィは跳んだ! 真っ直ぐ、魔王に向かって。
殺気に気付いた魔王は振り返り、目を丸くした。目の前に迫るミニマムデビルを迎え討つべく構えた戦極のオーラは凄まじい。
勝負は一瞬だった。
——玉砕!
「ヌグアァァァァッ!!!!」
魔王の断末魔が響くと、リリィは膝を落とし悶絶する戦極をかわして校門を通り抜けて行った!
よし、今のうちに僕も校門を! ……そう思って戦極の横を通り抜けた時だった。
僕の腕を、瀕死の魔王が掴む。
「すーずーきー……逃がさんぞー?」
な、なんで僕だけ!? そりゃないよ!
この後、僕は二人分のお叱りを受け、朝から身も心もズタボロになった訳だ。
リリィのやつ、おぼえてろよ。
辛うじて残ったHPで教室に入った僕は、一部始終を見ていた窓際のクラスメイトにクスクスと笑われる。
こうしてリリィのミニマムデビル伝説は確固たるものと化した。魔王戦極を玉砕した事で名実共に校内最強となったリリィの人気は更に上昇の一途。
朝のホームルームが終わり、後ろの席の間宮さんが心配そうな表情で僕に言った。
「昨日無理したから遅刻したんじゃ……ごめんね漢路君」
「いや、気にしなくていいよ間宮さん。リリィの馬鹿がもたもたしてただけなんだよ」
「お子ちゃま……ううん、リリィにもちゃんとお礼しないといけないよね。昨日マリアとも話してたんだよ」
「無理しなくてもいいと思うけど? リリィのやつ、お礼なんて言われたい柄じゃないし、どうせ照れてツンツンするだけだ」
そんな話をしていると、クラスの男子数人が間宮さんを取り囲むように集まって来た。そして突然頭を下げた。
「間宮さん、ごめん! 俺達間宮さんに酷い事言っちまって……」
「昨日の夜、間宮さんが特訓してるの見た……そんなに気にしてるなんて思ってなくて……ほんとにごめん!」
「あんなファンキーな間宮さんは初めて見たよ……あの気合いならきっといい線いくぞ!」
大縄跳びの練習で間宮さんに悪態をついてしまった男子達が昨日の猛特訓を見て謝りに来てくれたんだな。良かった、これで何とかクラスの輪は修復されそうだな。
「み、皆んな顔を上げて? わたしが運動音痴なのが悪いんだし、それに、やるからにはやっぱり勝ちたいから。皆んなが勝ちたいって思ってるんだから委員長のわたしが頑張らないわけにはいかないよ」
「間宮さんはやっぱ最高だぜ!」
「失敗してもいい! 全力でやろうぜ!」
僕はリリィを見やる。リリィはプイッと横を向いてしまったけれど、心なしか口元が緩んでいるのが遠目でも分かる。
素直じゃないな、本当に。
盛り上がってきたところで田中が前に出る。そして声を大にして宣言した。
「いよっしゃぁ! 今夜最終調整して明後日の体育祭、俺達が勝つぜぇー!」
クラスメイト達は声を合わせて田中に応えた。こんな青春じみたのは得意じゃないけど、それでも何だか武者震いがする。
そして六月一日、土曜日、
グラウンドにファンファーレが鳴り響く。
第五十六回夢咲高体育祭、開幕だ。
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