extra episode1『サキュバスちゃんはクリスマスに夢をみない』①


「ちょっと〜? かんじ? ねぇ、かんじったら!」


 やけに甲高く、そして心なしか、——ほんと、ほんの少し艶っぽさを帯びた声が僕の鼓膜を優しく揺らす。そう、優しく、


「いつまで寝てんのよ! とっとと起きなさいよね!? かんじのくせに!」


 うん、優しく……


 ——


 仕方なく瞼を開いた僕の視界を埋め尽くす、ピンク。僕の目の前には彼女がいる。

 魔界からやって来た、サキュバスの少女リリィだ。


 リリィは僕に跨るような体勢で一瞬、本当に一瞬だけ嬉しそうな表情を見せた。

 その大きな、少しつり目がちな瞳が僕の寝ぼけ眼と合う。このアングルでもしっかり顔が見えるのは、あるはずの丘が主張しないせいだろう。


「お、おはよう、リリィ」

「お、おはよう……かんじ」


 リリィは頬を紅潮させ目を逸らす。柔らかな太ももをキュッと閉じるせいで、僕自身への刺激が強くなる。思春期の朝にこれは駄目だ。緊急回避せねば。


「ぁ……やっぱり朝は元気なのね? 男の子ってよくわからないわ」

「これは生理現象だ」

「どうせエッチな夢でも見てたんでしょ、かんじのことだし」

「……」

「ふふ、黙ってないで何とか言いなさい? 僕はエッチな夢を見てました〜って」


「……君の……リリィの夢を見ただけさ」

「はぅぁ……!?」


 リリィは顔を真っ赤に染め、尻尾をぎこちなくフリフリする。照れてる照れてる。


「リリィ、支度をしようか」

「う、うん、そうね。そんなところで寝てないで、とっとと起き上がりなさいよね? このバカ!」


 ならばまず、そこから退いていただきたい……


 ——


 僕達は並んで顔を洗い、並んで歯を磨き、並んで朝食をとる。部屋に戻り着替えを済ませた僕は、リリィの準備が終わるのを待っている。


 リリィはあたたかそうな白いコートに身を包み、髪は二つに結っている。いつもとは少し印象が違う。

 悪魔と言うか、これじゃ天使じゃないか。


「じろじろ見ないの!」


 天使……じゃないか、


 ——




 白い息、外は寒い。僕とリリィは二人街へ出ることにした。夢咲町の隣町だ。

 ひとまず徒歩でバス停を目指していると、ナンパをされて困っている女の子を見つけた。

 リリィは群がる男共を蹴散らし女の子を助けてあげる。出会った相手が悪かったな、南無。


「ほらかんじ、行くわよ? クリスマスデートなんだから! 時間は有限よ!」

「まだ朝だし、そんなに焦らなくても……」

「べ、別に焦ってなんてないわよ!」


 ——玉砕!!!!


 な、何故僕まで玉砕されなきゃいけないのか……考えても答えには至らないのだけれど、いやしかし、納得は出来ない訳で、


「ほーら、うずくまってないで行くわよ。まずは映画を観に行くんでしょ?」


 楽しそうに笑うリリィ。笑った時に見える小悪魔チックな八重歯が悔しいけれど、とても愛らしい。

 僕は痛む股間から意識を遠ざけ何とか立ち上がり、リリィの手をとる。リリィは少し驚いた表情を見せたけれど、その手をそっと握り返してくれた。


 ——


 程なくして隣町に到着。

 バス停から少し歩き、夢咲モールとは比べ物にならないくらいの大型ショッピングモールへ。

 ここの最上階に映画館がある。僕達はまずそこへ向かった。


 朝だというのに人がかなり集まっている。多分、この客の殆どは今話題沸騰中の人気コンテンツ、『カピバラの八重歯』が目当てだろう。

 原作漫画の発行部数トップ、映画の興行収入も歴代に迫る勢い、もはや知らない者はいない大人気コンテンツだ。恐らくリリィもそれが目当てだろう。


「リリィ、やっぱりカピバラの八重歯を観るの?」

「やえば〜? ねずみに興味はないわ?」


 あれ? 違ったのか。


「じゃぁ、何を観るのさ?」

「それを今から決めるのよ」


 なるほど、現地で決める派だったのか。

 とはいえ、カピバラの八重歯じゃないなら、他に面白そうな映画は、——『きゅうびのキュウちゃん』『新元号オヴァンゲリヲン』『晴れの日はドラゴン日和』『獲物フレンズ』『魔界戦隊デビレンジャー〜失われた眉毛〜』くらいか。


 女の子が見るとなれば、キュウちゃんとかエモフレか、晴れドラも悪くないよな。僕も観てみたいと思っていたし。


「リリィ、晴れドラとかど——」

「デビレンジャーで決まりね!!」


 え?


「さ、行くわよかんじ! 失われた眉毛の行方を追わなくちゃ!」

「まゆげ……」


 結局、失われた眉毛の行方を追うこととなった。無念、晴れドラは今度田中とでも行くか。


 ——



 一言で言おう。


 デビレンジャー、最高!

 思わずグッズまで買ってしまった。

 リリィも満足したようだ。尻尾がそれを物語っている。さて、次は昼食だ。


 僕達は手頃なレストランで食事を済ませ、そのままウィンドウショッピングと洒落込む。

 終始、リリィは楽しそうにしていた。けれど、時折遠い目をするのを僕は見逃さなかった。


 彼女はまだ、完全には吹っ切れてないのだろう。

 後ろめたさがあるのだろう。


 夜のイルミネーションまでは時間がある。

 もう少し店を回ることにしようか。少しならお小遣いもあるし、何か買ってあげよ。

 今の僕に出来ることはそれくらいだしな。


「かんじー! はやく歩きなさいよー!」

「また先々行って……その先は階段だから、ちゃんと前を向いて——」

「きゃっ!?」


 走った。咄嗟に走り足を踏み外したリリィの手を握ろうと手を伸ばす。だけれど、僕の手は届かなかった。リリィは無防備に階段を転げていく。


 辺りは騒然とし、倒れたリリィに人が群がる。

 僕はそれを掻き分け彼女の身体を抱き抱えた。


「意識を失っている……?」




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