32【体育祭、終幕】



 体育祭も大詰め、点差はB組と僅差か。


 つまりは、最後のクラス対抗リレーで全てが決まる。うちのクラスに現役の陸上部員はいないけれど、それでも十分過ぎる戦力だ。


 それに我らが担任、藻部もぶ先生は陸上部の顧問で短距離が得意ときた。


 二年A組が優勝するには何としてもB組より上位でゴールしないといけない。いや、やるからには一等でゴールだな。

 本気で走るのは久しぶりだけど、この緊張感は嫌いじゃないな。


「すずき、私がトップで回してあげるから死ぬ気で帰って来なさいよね?」

「へいへい、リリィの方こそ張り切り過ぎて転ぶんじゃないぞ?」

「アンタ私を馬鹿にしてるわね? いつも転んでばかりいるみたいに言わないで。すずきのくせに生意気なんだから」


 リリィは膨れて尻尾を立てる。そして、


「もし私が転んだら、その時はバトンを奪って行きなさい? とにかく……何としても勝つんだから!」と、尻尾を振る。

「おう、サクッと置いて行ってやる」

「ふん、優勝したら今夜は特別プレイを追加してあげるわ」

「何それこわい」



 こうして緊張の一戦、最後の戦いの火蓋が切って落とされた。

 パァン! とスタートの合図が鳴ると共に、各クラスの第一走者が砂を蹴った。


 グラウンドに歓声が響き渡る。

 第一走者の暁月はスタートこそ出遅れたけれど持ち前の脚力、というか運動神経で次々とライバルをごぼう抜き。トップはB組、そのすぐ後ろに暁月が迫る。流石、速いな。


「たぁ〜な〜か〜く〜んっ、任せたぜぇっ!」

「よっしゃぁ! 良くやった暁月!」


 暁月は二着で田中にバトンを託した。田中は雄叫びを上げながら前を走るB組に迫る、迫る!

 いや、抜いた! 田中ナイス!


 田中は後ろを振り返る事なく爆走して一着で小野にバトンを託す。


「小野ぉっ! 頼むぜ!」

「は、はわわっ、わわ、分かった田中君っ!」


 小野は顔を真っ赤にしながらバトンを受け取ると、小振りだけど形の良い美乳を揺らしながら走り始めた。小野って、普通に可愛いよな。うん。


 小野は息を上げながら必死に一着を守ろうと走る。

 しかし後方のB組も負けていない。見る見るうちにその差は縮まっていく。


「うぅっ……!」


 小野のラストスパートも虚しく再び順位が入れ替わる。二着で藻部先生にバトンを渡した小野は倒れ込むように地面に崩れ落ちた。

 暁月と田中が介抱して何とか立ち上がった小野は申し訳ないといった表情を浮かべている。


「ダイジョブダイジョブグッジョブよ!」

「おう、藻部先生に任せようぜ、良く頑張ったな、小野」


 田中は小野の頭をポンと撫でると、白い歯を見せ笑った。小野は顔を真っ赤に染めている。

 あれ? もしかして小野って……と、僕が思考を巡らせていると、グラウンドがドッと湧いた。


 何事かと見てみると……


「すずき、B組がバトンを落としたわ!」

「おっ! これ、チャンスだろ!」


 B組の担任がバトンを落とし、一気に順位が入れ替わる。勿論、B組は最後尾、そしてA組はトップに立つ。藻部先生は少し気にしながらも前を向き一着でリリィにバトンを託す。

 そのすぐ後ろには他クラスが僅差で迫っている。


「モブせんせっ! 後は……任せて!」


 だからカタカタ表記はやめろリリィ!


 それはそうと、リリィはバトンを受け取ると物凄い勢いで走り始めた。……速い!!


 ちびっこい悪魔がグラウンドをとんでもない速さで走り抜けている。その表情は真剣そのものだ。


 リリィもクラスの為に頑張ってるんだな。B組はもはや立て直し不可能、……勝った!

 後はリリィからバトンを受け取って無難に走ってゴールすれば優勝だ。


 リリィは凄い差をつけて最終コーナーを曲がっては僕のいる方へ近付いてくる。

 僕は左手を後ろに出しリリィからバトンを!





 ——?



 ……リリィ? おい、リリィ……!?


「リリィ! 大丈夫かっ!?」


 砂埃が立ち込める。グラウンドの歓声が一気に止み静寂が流れた。

 僕は走った。走って無防備に激しく転んだリリィの元で屈む。膝と腕を思いっ切り擦りむいている。


「な……に、して、んのよ……バトン……はやく……私は大丈夫だから走りなさいよ」

「……お前なぁ……」

「お、お前って言う……な……」


 こうしている間にも、後方から他クラスの選手が迫って来る。バトンを受け取って走れば、優勝だ。

 でも……


「はや、く……痛っ……」


 リリィの尻尾はフニャッと萎れてしまっている。



 ——歓声が頭に響き渡る。




 ——僕は、彼女の手を取った。






 体育祭は、C組の逆転優勝で幕を閉じた。






 ……その日、誰もリリィを責める奴なんていなかった。あの時僕は、リリィを抱き上げ保健室へ走った。何故か分からないけど、そうしないと気が済まなかった。


 他の誰かじゃなく、僕自身が彼女を見捨てられなくて気付いたらそんな行動に出ていた。


 リリィは馬鹿と悪態をついてくるけれど、その言葉にトゲはなく少し弱々しくも感じた。





 その夜のルーティーンは無言の特別プレイだった。


『何だ何だ? お前らいつの間にそこまでステップアップしてたんだ!?

 ま、悪い事じゃねぇ! このまま最後まで……』

「……うるさい、使い魔のくせに。ふん、ご馳走さま。おやすみ」

『あ、おいリリィ……?』


 ゼムロスさんは直ぐにベッドで眠ってしまったリリィの頭に乗り呼びかけている。


『兄弟、何かあったのか?』

「まぁ色々……ちょっと落ち込んでるのかも」


「黙って、すずきのくせに!」


「……はいはい。おやすみリリィ」



「ふん、………………おやすみ」




 こうして僕とリリィのルーティーンワークのレベルが一段階ステップアップした。


 ……ステップアップ、してしまった……



 こうして体育祭は終わり、鬱陶しい梅雨を越え、時にして七月後半、待ちに待った夏休みが始まろうとしていた。

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