05 お前のままで

 エイルは生唾を飲み込んだ。

「……お風呂だね」

 少年の倍くらい幅のある中年のご婦人は、両手を腰に当てた姿勢で、まずそう言った。

「確かにまあ、街の子にしては整っているし、男臭さもない。いい線行ってるってところでしょう。それでも」

 迫力たっぷりにヴァリン――そう、それはもちろん、ある意味では城内でいちばんの力を持つと言われる女中頭のヴァリンであった――は続けた。

「何を置いてもいまはお風呂ウォルスに入って、一旬分の垢を洗い落としなさい! それからその汚らしい服はとっとと捨てる! 新しい制服を用意しておくからそれを着るようにね。そのあとでないと、この城の他のどこへも行かせる訳にはいかないよ」

「そっ、そこまで汚かないだろ!」

 ファドックの忠告を忘れて、エイルは思わず言い返した。

「そりゃ、風呂ウォルスなんてしばらく入ってないけどさ、水浴びなら何日か前にしたばっかり――」

「ここにきたからには毎日するの! 水浴びじゃなくてちゃんと湯浴みをね。薬を使って、全部きれいにするのよ。姫様の近くに寄ろうってのに体臭なんかさせてたら許しませんからね」

「お、俺が寄ろうって思ってきた訳じゃ」

「いいから行きなさい!」

 ばしっと扉の向こうを指さされ、エイルは言葉を失った。

「ファドック、案内してあげて」

「だ、そうだ。エイル、こい」

 ファドックは面白そうに笑っている。侯爵の隣では厳しい表情を崩さなかった彼の暖かい反応を見て、エイルは――失礼ながら――意外にも、このご婦人が決して嫌がられている訳ではないことを知った。ただ、エイルはまだヴァリンを嫌がるも嫌がらないもない。言うなれば「迫力のあるちょっと怖いおばちゃん」というあたりだ。

「使用人の浴場は地下にある。半刻もあればいいだろうから――」

「そんなに湯に浸かってたら溶けちまうよ!」

 エイルが悲鳴のような声を上げると、ファドックは笑った。

「湯に浸かるのはせいぜい一カイでいい。ただ、設備と道具の使い方の説明に一カイ、お前がそれをおそるおそる使いはじめるまでに一カイ、ヴァリン殿が満足するまできれいにするのに二カイ、慣れぬ服を着るのに一カイ、はかかるだろうな。それとも」

 男は肩をすくめた。

「私に手伝ってほしいか?」

「……俺、クジナの趣味なんてないよ」

「私もない」

 簡単にそう答えるとファドックは先に立って階段を降りていく。

「セラスっ、ファドック様セラス・ファドックっ、その子ですか?」

 若い娘の声がする。見ると、ひとつ下の踊り場で栗色の髪をした可愛らしい侍女が彼らを見ていた。

 おそらくはエイルと同年くらいだろう。だが、きちんと結わえられた髪や汚れのない制服、それにきっちりした化粧のためだろうか、城下町の娘たちとはどこか違う感じがした。

「レイジュか。耳が早いな」

「これでも、王女様付きですもん。ファドック様が、侯爵閣下と例の少年を捜しに街に行った、って話くらい」

「例の少年?」

 エイルは口を挟んだ。

「俺のこと?」

「そうよ、この前、姫様がおしのびで城下へ行かれたときに目を付けられたのよ、あなた。名前は?」

「エイル」

「私はレイジュ。よろしくね」

「ああ……よろしく」

 差し出された手を取っていいものか、エイルは一リア迷った。何しろ、ヴァリンに酷評されたあとだ。だがレイジュは気にしないのか気づかないのか、躊躇わずにその手を取って挨拶を完了させる。

「どこに行かれるんですか? あ、判った。お風呂だ」

 楽しそうに言う様子を見ると、やはりエイルは小汚く見えるらしい。

正解だアレイス

 剣士も少し笑ってうなずいた。

「ファドック様もたいへんですねー。騎士コーレスの仕事じゃないじゃないですか」

「コーレスなどはただの称号。私の身分は君と同じだ、レイジュ」

 そうファドックが言えば、レイジュは嬉しそうに笑った。

「あは、姫様付き、ですかあ。それじゃ一緒ですね一緒。わあ、嬉しいなあ」

 頬を少し染めたレイジュは、それじゃ仕事に戻ります、と言うと礼をして去った。

 どうやらファドック・ソレスは侍女に人気があるらしい、というのはいまのレイジュの反応を見る前から察しはついていた。彼がここまで来る途中、すれ違う侍女という侍女は侯爵に礼を欠かない程度に、みなファドックに視線を向けていたのだから。

 当の剣士はそれを知るのか知らぬのか、知らぬと言うこともないだろうから慣れているだけなのか、特に反応せずに再びエイルを促す。

「いまのレイジュは殿下ラナンの気に入りのひとりだ。お前もよく会うことになるだろう」

「侍女って顔で選ぶ訳?」

「うん?」

 ファドックは振り返った。

「まあ、それもないとは言えないな。最低限の家柄と容姿がなければ、選ばれることはない。だが何より重要なのは機転の効くことだ。仕える相手に『あれをああしておけ』と言われてぴんとくる頭がないといけない」

「わお」

 エイルは感嘆した。

「俺には無理だなあ、どれをどうしたいんだかはっきりしろ、って言っちまうよ」

「できるならば、やってみろ」

 ファドックが言うのは、しかし皮肉ではないらしい。

「身分は使用人のような扱いになるが、お前は姫にお仕えするために雇われるのではない。お前のままでいることが仕事だ。場合によっては、殿下のお気に召さないかもしれないが」

「へっ、それでいいの?」

 礼を失するな、とでも言われると思ったエイルは驚いて聞き返す。ファドックは振り返ると、但し、と言った。

「ヴァリン殿の前では、きちんとしておけよ」

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