06 どちらかになさい

 リャカラーダの自室は、王城の二階にあった。

 家具装飾の類はあまりないが、これはシャムレイの気質と言うよりはリャカラーダ自身の好みだった。

 どこかの少年と違ってその広さは全く気にならないが、狭かろうと気にならないのは、砂漠の民の天幕や街の薄汚れた宿でも平気で眠れることで証明済みだ。

 部屋の主がいなくても綺麗に調えられていたその部屋の床には、アーレイドなどの絨毯敷きに比べれば貧相と言えそうな薄縁が敷かれている。シャムレイが貧しいのではなくて、これはもちろん、気候の関係だ。

 ヴォイドは、その上に第三王子の持ち帰った荷を拡げると、じろじろと見つめた。

「生憎だが、土産はないぞ」

「馬鹿をお言いなさい。充分な手土産を既にいただいておりますよ」

 ぱさり、と男が開いたのはシャムレイの第三正装衣だった。

「砂漠の民が、正装の畳み方を覚えたとは思えませんね。リャカラーダ様も同様ですが」

「何だ、点検か。何も減っちゃいないぞ、質のいい布を売りとばさなきゃならないほど財政は逼迫しなかったんでな」

「馬鹿をお言いなさい」

 ヴォイドはまた言った。

「点検というのならば、そうですね、正式な畳み方とは異なっています。けれど上出来ですよ。召使いの質もいい、立派な街なのでしょうね。アーレイドというのは」

 思いも寄らず発せられた地名に、リャカラーダはむせた。

「……どうやって知った」

「どうもこうもあるものですか。街を訪れるのならば、王子としての正式な訪問か完全なお忍びか、どちらかになさい。遠く隔たった西方の街でなら、何をやってもばれないと思っているのですか」

「成程」

 リャカラーダはようやく得心がいった。

「使者がきたのだな。リャカラーダってのは本当にここの第三王子かと」

「礼儀をわきまえた使者殿は、そのような直接的なことは言わぬものです」

「言わなかったところで、目的はそれだろう」

「使者殿の目的などどうでもよろしい。問題は貴方の目的です、殿下」

 王子の衣装を畳み直しながら、ヴォイドは言った。リャカラーダは肩をすくめる。

「何でも聞くところによると、シャムレイの第三王子とやらは、見聞を広めるために諸都市を歩き回っているらしいじゃないか」

「王宮の苦し紛れの言い訳を茶化すのはおやめなさい。誰のせいで苦労していると思ってるんです」

「……エムレイデルから戯けた話を聞いていないのか」

「王女殿下から? いえ。何も」

「ふむ」

 腕を組んだ。彼女が相談するのならヴォイドだろうと思っていたリャカラーダは、妹姫がかの衝撃的事実を自らの胸にのみ、しまいこんでいたらしいことを知る。

「責務を面倒臭がって逃げている、とは思わないのか」

 だがそれについては言わず、笑って言った。

「言いたくないのならそう言えばよろしい」

 侍従は返す。

「お前に話す気などないと、ただそう言えばよいのです。侍従に韜晦してみせる必要などございません。もっとも」

 そうやってお遊びになりたいのなら別ですが、と続く。

「話すほどのことじゃないからな、と……いや、よそうか」

 リャカラーダが不意に言葉を切ってそんなふうに言うと、第一侍従の手が止まる。リャカラーダの様子から茶化す調子が消えたことに気づいたのだ。

「殿下?」

「目的か。目的は――あった」

 リャカラーダは呟くように言った。

「言えばお前は怒るだろうが、リャカラーダとしてではなく、シーヴとしてどうしてもやりたいことがあった」

「――まだ、その名を名乗っているのですか」

 ヴォイドの目がぎゅっと細められた。

「いい加減になさい。その名を持ちつづけるから、そうやって王宮の外に引きずられるのです。砂漠の民と付き合うこともおやめなさい。民と接するのは必ずしも悪いことではありませんが、彼らはシャムレイの民ではない」

 ウーレに限らず、砂漠――〈聖なる大河〉の彼岸を故郷として暮らす民族はいくつかあったが、彼らは街の人間と関わりを持ちたがらないことが普通だ。

 かといって互いに敵視すると言うこともなく、近くにいてときどき交易をすることはあっても、異なる世界に生きていると言うだけだった。それはまるで、その大河が、大地のみならず世界の分かれ目を表わす境界線であるかのように。

「それこそ、お前の口出しすることではない、と言おうか?」

「……けっこうです」

 リャカラーダのこの返答にヴォイドは、満足したのか渋々なのか、変わらず読めぬ表情でうなずいた。

「俺はな……ヴォイド。迷っている」

 リャカラーダは、だが迷っているものがよく見せる弱々しい感じのない声できっぱりと言った。

「迷っていて、決断したつもりだったが、やはりまだ迷っているようだ」

「曖昧な言い方はおやめなさい」

「はっきり言えば、お前の心臓に悪いだろうと気を使ってやってるんだが」

「生憎と、私は心臓を患ったことはございません」

「幸いにして、と言えよ」

 リャカラーダは苦笑した。

「気使っていると言っているだろう、お前の心臓発作を期待してる訳じゃない」

 王子は思い出したように戸棚へ近づくと、やはりこれまた主がいなくても磨き上げられていた杯を取り出す。ヴォイドに何か要るかと尋ねれば、遠慮のない否定が帰ってきた。

「それでは、何を決断……迷っているのです。とんぼ返りでいまからまた旅立とうかとでも?」

「まあ、近いな」

「申し上げておきますが、殿下」

 侍従は面白くもなさそうに続ける。

「私の心臓がとまるとしたらそれは、貴方がもう勝手なことはしない、二度とシャムレイを離れはしないと――涙でも流して謝罪するときでしょうね」

「それならお前は永遠に死なんな」

 けろりとリャカラーダは返す。戸の外で、何か声がした。リャカラーダは聞き逃したが、ヴォイドはそれにうなずく。

「湯浴みの支度が整ったようです。お話はのちほどにいたしましょう。湯に浸かって旅の疲れを癒しながら、陛下への口上でも考えておかれると、よろしい」

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