07 気に入らん

 すぐ隣に大河が流れる割には、この街は水に豊かとは言えなかった。

 ファランシア大陸の半分を占める大砂漠ロン・ディバルンは、大山脈 ローウェーウェスから流れる河でファランシア地方とビナレス地方をきっかりと分けるが、聖なる大河を持ってしても砂漠が持つ力――言い様によっては、「呪い」――から完全には遮断されない。

 河には得体の知れぬ生き物――魔物たちが棲んでいると言う。近づく人間が食らわれるというようなことこそないものの、その水を飲めば病の原因になるとされた。

 実際には、沸かしてしまえば病の精霊フォイルの呪いからは逃れることができるが、大河の近くにあるどの街も水を街なかへ引いてくることはせず、必要なだけ汲みに行くという、考えようによっては何とも不便な、しかしそこに住むものたちには安心な形をとり続けていた。

 大河は聖なるものだがその水は穢れているという、それを矛盾だと思うのは河を知らぬものだけだ。

 飲み水の多くは街なかにわずかにある井戸から取られ――その水源もまた河であろうなどとは、民は思わぬ――雑役には河の水が使われる、と言うのがシャムレイを含む川べりの街の常識だった。

 川に浸かることは禁忌ではないから、昼間のうちは水浴びをする子供たちもいる。汲んできた水で体を洗うことももちろんある。だが、汲んできて沸かして冷まして湯浴み、となれば話は別で、そこまでする――できる――のはやはり、王侯貴族と言うことになった。

 西方では、髪や体を洗うための様々な薬液が作られているが、東方ではもっと単純、或いは自然だった。

 乾燥させた草木で香り付けされた油で身体を洗い、香花の花弁が浮かべられた湯に浸かる。

 草木や花には魔除けの意味もあり、必ずしも優雅さを意味しなかったが、そこは王族の湯浴みである。世話につくのは裸同然の美女たちで、王子ともなればその女たちをどうしても構わなかった。リャカラーダ自身、湯女たちにちょっかいを出したことは幾たびもあるが、この日はそのような気分にはなれず、黙って必要な世話だけをさせた。

(さて、どうしたものか)

 慣れた香りに安心感のようなものを覚えながら、リャカラーダは考えた。

(〈翡翠の娘〉を探し、近づいたと確信したのに何故、俺はあの街を離れたのか)

 帰途の間にずっと繰り返してきた疑問であり、出てくる答えはいつも同じだった。

(隠されたからだ。娘自身の意志と、守り手によって。そして俺は動くのではなく、待つべき時間となった)

(だが何故そのようなことを思う。そのように確信していることも奇妙だが、待つのならば――あの城で、あの街で待てばよいではないか)

 何度も考えたことだ。そして何度も返ってくる答え。

(アーレイドで待っていても、娘は見つからぬ)

(何故そう思う? 判らぬ。だがこの考えが〈運命〉のもたらすものならそれでいい)

(だが何故、シャムレイへ戻ってきた? これは神の意志か俺の意志か)

(翡翠の――意志か)

(気に入らんな)

(定めだというのならばそれでもいい。これが俺の道ならば進むだけだ)

(だが)

(翻弄されるのは、気に入らん)

 まとまらぬ思考を抱えて湯から上がれば、湯女が柔らかい布で身体を拭く。旅の疲れに強張った身体は熱でだいぶ和らいだが、台に横になり、慣れた手つきで筋肉をもみほぐされていけば――無論、それをするのは美女だ――如何に自分が疲れていたかが知れた。

 すっかり気持ちよくなったところで用意された衣装を見たリャカラーダは、そう言えば父上への「言い訳」を考えなかったな、と呑気に思い出した。

「帰ったか」

 メルオーダ・ロス・シャムレイ王は、自身の三番目の息子をじろりと見やった。初老の域にさしかかりながらも、その痩身には他者を寄せ付けない力強さがある。髪はだいぶ白くなっていたが、加齢による衰えは感じさせない。

「息災のようだな」

 リャカラーダは黙って頭を下げる。余計な口を挟めば、何倍になって返ってくるか知れたものではない。

 突然の帰還と謁見であるから、居並ぶのは兵や召使いばかりである。兄王子たちが弟帰還の報を受けていないはずもなかったが、この場には間に合わなかった、或いは間に合わせる気がなかったのだろう。リャカラーダとしても有難い話だ。

「西方は、どうだった」

「は」

 求められてようやく、声を出す。

「こちらとは民も暮らしも全く異なりますが、父上はそのようなことをお尋ねではありませんね」

「何を見つけてきた」

 〈翡翠の娘〉を――などという「戯言」はもちろん、胸に秘める。

「たいていの街では東方の国など伝説同然ですが、西端にあるファイ=フーの王はこちらとの交易を求めています」

「ほう?」

 メルオーダは興味のありそうな声を出した。

「王家に嫁いできた東方の姫から何やら話を聞いたようですが、こちらのものを買いたいというのではなく、向こうの商品と文化を売りつけたいと言ったところでしょう。私の見解では、あれは権力があるだけの商人トラオンですな」

「左様か。お前がそう思うのなら、下手な取引はすまい」

 リャカラーダは父の言葉を意外に思ったが、それは顔に見せずにただ頭を下げた。

「では」

 王は言った。

「アーレイドはどうだ」

「特に目を引くものはございませんでした」

 リャカラーダは答える。

「豊かなことは確かですが、そう言う意味では他の都市と大差ありません。目立つ産業も特産もなく、かの街が栄えているのは湾の奥という立地と王の善政のおかげというところでしょう」

「左様か」

 王はまた言った。

「ならば何故、何のためにわざわざその街を訪れた」

「あれは偶々です」

 リャカラーダは、船が嵐に遭って――という例の話をもっともらしく語った。だが王は納得などしない。

「生憎だがリャカラーダ。それでは、わざわざシャムレイの第三王子を名乗って招かれもせぬ城を訪れる理由にはならん」

「何か誤解があるのではありませんか、父上」

 さらりと言った。

「私は正式な王の招待を受けた故、訪問したのです」

 嘘ではない。だが王はやめろとばかりに手を振った。

「そう名乗ったから、招かれたのだろう。そのような誤魔化しをするな」

「誤魔化しなど、滅相もございません」

「アーレイドが物珍しさで東国の王子と名乗る愚か者を招いたというのならば、何故、かの街から使者がくる」

「使者が」

 はじめて聞いたように、リャカラーダは眉を上げた。

「アーレイドはいったい何のために、使者など送ったのでしょう」

「ええい、空々しい」

 王は苛々と言った。

「リャカラーダを名乗るなとは言わぬ。どんな格好で何処へ赴こうと、お前は我が第三王子なのだからな。だが馬鹿な真似をする前には書のひとつも送れ。お前が好む砂漠の輩ならば、城の使者などより早く馬を飛ばせるのだろう」

「肝に銘じておきます」

 リャカラーダが言うと、王は嘆息した。第三王子は、また何処かへ行くと答えたも同然だからだ。

「アーレイドの使者は、シャムレイの王子の訪問の礼など述べおった。その王子の身分を保証することと、それが公式な訪問ではないことを過不足なくしたためるのはずいぶんと面倒だったのだぞ」

「申し訳ありません」

「口先だけだな」

「とんでもございません、私の、身分に相応しからぬ行動がどれだけ父上をはじめ――シャムレイに迷惑を掛けるものか、ようやく理解したのでございます」

「……ふむ」

 メルオーダはじろじろと息子を見つめた。

「では身分相応に行動せよ。まずはそのアーレイドに書だ。余もその街のことを調べさせたぞ。ちょうどいい年齢の王女がいるそうではないか」

「父上、それは」

「〈汚れた河水から宝玉が見つかる〉と言うな。まさしくそれだ。ビナレスの東西を旅すれば、お前の放浪好きな気性も満足するだろう。アーレイドの王女を娶り、西の地で王となれ、リャカラーダ」

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