09 先代

「まさか」

 クラーナは肩をすくめた。

「砂漠の王子様は話さなかったのかな。僕には制約があると」

「制約?」

 エイラは疑わしい目つきを隠さないままで繰り返した。

「そう。君の目の前にありながら君には見えぬもの。僕にはそれが見えるけれど、それを君たちに告げられないのだから困る」

「俺の目の前に、何があるってんだ」

 目隠し、と彼女自身が表現したものを何故この男が知っている?

「僕が君に会いたくないんじゃないかと、言ったね」

 だがクラーナはそれには答えず、そんなことを続ける。

「ああ」

当たりレグル、というべきかな。僕は確かに、君を見たくなかったんだろう。君は、かつての僕を思い出させるから」

「どういう……」

「判らないのかな。〈幾千の伝聞よりもひとたびの目撃〉と言うね。それじゃ」

 クラーナはまた笑みを浮かべた。

「これで、どう?」

「な……」

 エイラは絶句した。

 目前にいるのは、変わらぬ吟遊詩人フィエテクラーナでありながら、どこからどう見ても――女性、であった。

「な……あんた、それじゃ、まさか」

そうアレイス

 相変わらず美しい、しかし紛う方なき女性が持つ高い声で、クラーナは返答をした。

「僕は君の先輩……って訳。こうしてリ・ガン同士が──まあ、僕はもうリ・ガンじゃないけど、そうであったことがある者と、現在そうである者が出会うなんて、本来ならないことなんだ。それは女神様のお気に召さないし、運命の歯車はその方向にリ・ガンを導きはしないから」

 肩をすくめて言うクラーナ嬢に、しかしエイラは口をあんぐりと開けたままだ。

「大丈夫? 驚かすつもりはなかったんだけど」

「な、何言ってるんだっ、お、驚くに決まってるだろっ」

「そうかな。そうだね」

 クラーナはそう言うと、すっと――男性の姿に戻った。

「もともとがこちらだからね、こっちの方が落ち着くんだ。〈鍵〉を気遣ってエイル少年になれない君の前でそう言うのは悪いけど」

 エイラはただひたすら目をしばたたき、目にした出来事に呆然となる。

「それじゃ……」

 ごくりと唾を飲み込んで、言葉を出す。

「変わっても……その、あんまり、変わらないんだな」

「何だって? ああ」

 クラーナは首をかしげ、エイラの言う意味に気づいて笑った。

「君はもう少し、印象が変わるよ。僕は長いことこれをやってきたから、まるで双子の兄妹でもあるように似通ってしまうけれど」

 

「待てよ……先代だって? それじゃ、あんたはまさか、前の〈変異〉の……」

そうアレイス

 クラーナはまた言って片目を閉じてみせる。

「年の割には若く見えるかな?」

 もちろん、前の〈変異〉の年は六十年前だ。二十代の半ばほどに見えるクラーナは、それ以上の月日を生きていると、気軽にそう言ったのである。エイラは口が渇くのを覚えた。

「リ・ガンが――人じゃないっていうのは、そういう意味、なのか……?」

「まあ、そう先走らないで。僕の運命はリ・ガンのなかでも特殊なんだ。これは君の定めじゃないから、安心していいよ。少なくともいまのところは、だけれど」

「なん……だよ、その言い方。俺を脅かすのか安心させるのか、どっち」

「それは、言えない」

「馬鹿にするのかっ」

 思わず突っかかるようにエイラが言うと、クラーナは降参するように両手を上げる。

「ごめんね。僕は、かなり女神様の意志から外されてるけど、それでも彼女の下僕であることは変わらないんだ。僕が言えないと告げるときは、内緒にしようと思っているじゃなくて、本当に言えないんだ。言うことができない、不可能だ、という意味なんだよ」

「女神、だって?」

「僕の〈鍵〉は女王様とも表現したね。僕が最初に訪れたときと同じように君もよくは覚えていないんだろうけど、例の宮殿にいる存在のことだよ」

「シーヴもそんな言い方をした。翡翠の女王陛下だって」

 エイラが言うとクラーナはまた笑ったが、その笑みはどこか寂しげだった。

「そうか。〈鍵〉ってのは似たような感覚の持ち主なのかもしれないね。シーヴと旅をしながら彼に覚えた懐かしさは、それにも……ったのかな」

「クラーナ、あんたは、どうして……」

「待ってくれ、エイル」

 吟遊詩人はエイラの言葉を遮った。「エイル」と呼ばれることにエイラは違和感を覚え、だが、その逆転に不安を覚えるはなかった。

「君は疑問が山積みだろうし、僕もそれを可能な範囲で解いてあげたい。でも時間はないんだ。判ってるだろう」

 クラーナの真摯な声に、エイラは力強くうなずいた。

「ひとつの翡翠は目覚めた。でも、もうひとつのところまで行き着くのに時間がかかる」

「――それだけ? もしかしたら、君はまだ動玉のことを知らないね」

「何だって?」

 エイラは目をぱちくりとさせた。聞いたことのない言葉だった。

「動玉。君がその呼び声を感じ取っているのはふたつの不動玉。それらは、その場所に……言うなれば設置されているもの。いまあるところにいつまでもあるとは限らないけれど、〈変異〉の間は自らの意志では決して動かないよ」

「待て、待て、待てったら!」

 エイラは頭に手を当てた。

「不動玉? 設置? だって?」

「ああ、もう」

 クラーナは天を仰いだ。

「君は目覚め、自覚も持ってるのに、まだそんなにも見えていないものがある。弱ったな」

「……俺が悪いってのかよ」

「まさか。全部、僕のせいさ」

 詩人があっさりと言うので、エイラはそれが冗談か、それとも皮肉だろうかと思った。

「僕が歯車を狂わせ、今期の君たちの目覚めを遅くした。その罪は償い続けなければいけない」

「罪だって。どういう……」

 だがエイラの言葉はまたも遮られる。

「エイル、動玉については、いまに君にも見えてくるはずだ。見えない内は気にしなくていい。どうしようもないからね。とにかく今日の日暮れに南門の……そうだな、時計塔のところまできてくれないか。もちろん、シーヴと一緒に。王子様が渋るようだったら、彼の道標を信じろと言ってやってくれ」

「おい、待てよクラーナ! 言いたいことだけ言って逃げるのか!」

 くるりと踵を返したクラーナにエイラは叫んだ。クラーナは顔だけ振り向いて、困ったような表情を浮かべる。

「翡翠の母上はね、エイル。意地が悪いんだ。本当はそれを望んでいるくせに、僕が悪い子だからお仕置きをするのさ」

「何を」

「準備に時間がかかる。日暮れに間に合わせるには急がなくちゃならない。僕のことを信じてくれ」

「それは……」

 エイラはもごもごと言った。

「その、あんたは俺となんだ、それが判ったから……判るから、もう疑いようがない。でも、まだ聞きたいことが」

「いつか」

 吟遊詩人は顔を向こうに向けた。

「この年が終わり……全てが在るべき形で終わったら、何でも答えるよ。そのときに、君と僕がまだ無事でいたらね」

 エイラはぎくりとした。

 この年が終わる頃。

 全てが終わる頃。

 リ・ガンもまた――終わるのか?

「――クラーナ!」

 小走りに小路を駆けだした吟遊詩人を追おうと思った。追いかけて、捕まえて、思い浮かぶ百の疑問を片端から投げかけようと思った。

 だがエイラはそれをしなかった。

 できなかった。

 足が動かなかったのは、翡翠の女神、女王陛下、リ・ガンを翡翠の子と呼んだの意志であるのか――それとも、知りたくない答えを聞きたくないと言う自分自身の怖れのためなのかは、判らなかった。

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