08 思いがけない再会

 ファイ=フー第四王子ロアドがシュアラの花婿候補に上がっていることもあって、アーレイドとファイ=フー間の街道はかなり安全なものになっていた。

 警備隊を持つ街ならばたいていは城壁の半日から一日ほどの距離を巡回するものであり、ましてやそんな事情があればその距離や回数は増える。もし婚礼が定まれば、旅人の増加とともにイネファも増えるだろうが、それはまだ先の話――或いは、立ち消えていく話だ。

 とにかく、警備は増えたが獲物の数と旨みは変わらぬ街道をわざわざ賊が選ぶことはなく、そうなると、その道を選ぶ方が素早く安全に旅を進められるということになる。

 だが、彼らはその道を採らなかった。

 「リャカラーダ」がファイ=フー付近に寄ることを嫌がったせいもあるが、その道は東へ行くよりも〈魔術都市〉の近くを通ることになるのが気になるところだったのだ。

 わざわざ近寄らなければ、大街道から数日はかかる距離だという話だったが、シーヴはそれに難色を示した。エイラはどうってことないと言ったが――実際的な距離など、関係ないのだ――シーヴはがんとして聞き入れず、彼らはやってきた道を再び東方へ向かうことになる。

 極寒の季節は冬祝祭フィロンドとともに終焉を告げ、これからビナレスは少しずつ明るくなっていく。

 彼らは隊商と言うほどでもない小さな商人トラオンの一家に便乗して「リティアエラの目的である」ケミスに寄ると――何も嘘を真にしようとした訳ではなく、自然な道行きとしてそうなっただけだ――、そのあとはふたりだけで馬を駆った。

 そうしてたどり着く、自由都市。

 エイラがアイメアを訪れるのはこの旅の間にもう三度目となる。

 一度目の訪問はまだ旅にも慣れてもいなければ、探すものも判っていなかった。金を稼ぐ手段が必要だという「エイル少年」の思考で薬草師クラトリアと出会い、その技を少し教わった。

 二度目は、リ・ガンとして〈鍵〉とともに通りがかり、行末の判らぬ旅に不安を覚えながらもそれを押し隠したまま旅立った。

 そして、三度目。

 ひとつ目の翡翠を呼び起こして得た自信と開放感。それと同時に迫り来る〈魔術都市〉の闇を感じながら、こうして〈鍵〉と隣り合っている。

 〈鍵〉さえいれば――たとえ隣にいなかったとしても、〈鍵〉が存在しているのならば、何も怖いものなどないと思う。それは信頼だの確信だのを通り越し、エイラにとっては歴然たる事実だった。

 馬を駆って戻ってきた道のりは、隊商に便乗してゆっくり進むよりも早かったが、いつしかエイラは焦っていた。

 〈変異〉の年は、もう十番目の月を迎えるところだ。カーディルよりもアーレイドを優先したことは結果としては正しかったけれど、カーディルまで走るのにどれくらいかかるだろう。魔術師協会を利用して、魔術の〈移動〉を行うべきだろうか、ということも少し考えた。

 そもそも「隠された」ものを見つけることはできるのか? 隠された翡翠は、リ・ガンにならばたやすく姿を現すのだろうか?

 一方でシーヴは、そのようは焦りは覚えていなかった。〈変異〉の年に全てが終わるという感覚は彼の内で変わらない。それが運命ならば、必ずなるようになるのだ――というのは、砂漠の民の間で培われた思考であった。

 小さな宿屋〈鳩と朝露〉亭で軽食を取り、少し身体を休めた旅人は、それぞれの用事を済ませに街へ出る。

 エイラは薬草と――もしかしたら薬草師ヒースリーにもまた会えないか、との考えもあった――食料の補充に、シーヴは剣の研ぎと情報集めに、である。

 大きな街々の間には小さめの町がいくつかあるのが普通である。そこを通れば当然町に入ってきたし、どこでも同じようなことをしてきた。それはいつの間にかできた循環作業のようなもので、そうしてふたりはときどき距離をおいた。そうすれば、隣り合っているときは却って考えることのない相手のことを思うことになった。

 主に、エイラはリ・ガンとして〈鍵〉の影響力について、シーヴはリ・ガン、と言うより〈翡翠の娘〉が彼に及ぼす影響について。

 しかしこの日は、頭と心に渦だけを作るその思考が彼らを訪れることはない。思いがけない再会が彼らの上に降ってくることとなるのだから。

「――!」

 人込みの中で、彼ははっとなって立ち止まった。聞き覚えのある声が彼の名を呼んだように思ったのだ。きょろきょろと辺りを見回したシーヴは、そこから現れた顔に驚きと――喜びを覚えた。

 腰の剣を見なくても、がっしりした身体つきは戦いを生業とする者だと判るだろう。髪は日に灼けたのか赤茶色をしているが、肌はどちらかというと白いくらいだ。海辺に暮らす者でも、漁師や船乗りを仕事としなければ、顕著に肌が黒くなることはない。息を弾ませて人波を抜けてくる姿は、彼に見覚えのある「北島の男」だった。

「ランド!」

 それは確かに、あのとき砂漠の町で分かれることになった、数日間の旅仲間だったのだ。

 シーヴが最後に彼を見たのは、クア=ニルドと呼ばれた子供に何かの術をかけられたままの姿。あのとき、ランドを救う間も、方法もないまま、シーヴは大砂漠ロン・ディバルンへと放り投げられた。

 詩人クラーナは彼の無事を確約したし、それを疑っていた訳ではないが、やはりこうして面と向かえば安堵を覚える。

「無事だったか!」

 異口同音に出たのはそんな台詞で、ふたりは互いに笑った。

「シーヴ、お前は大砂漠に行ったのだと聞いた……必ず戻ってくるとも聞いたが、また会えるとは」

「俺もまさか――」

 言いかけてシーヴは眉をひそめた。

「聞いた? 誰にだ。あの……子供か」

「いや」

 戦士ランドは首を振り、嬉しそうに言った。

「あのな、シーヴ。聞いてくれるか。見つかったんだ。俺の探し人……運命の女、が」

 その言いようにシーヴはにやりとした。

「見つけたのか」

「ああ、彼女はやっぱりスラッセンにいたのさ」

「何だって? 聞かせろよ、あのあと、どうしたんだ」

「道端で話すにゃ、ややこしい話だぞ」

 戦士は眉をひそめて見せ――しかし笑みを堪えきれない。

「時間はあるのか。だったらその辺で一杯りながら再会を祝福しようじゃないか」

 そう言われたシーヴにもちろん、異論はなかった。

「――!」

 聞こえた声に反射的に振り返って、彼女は何か間違ったような気がした。その原因については悩む間もなく思い当たる。

 声は――そう聞こえた。

 彼女はエイラのままだ。

 だが声は彼女をエイルと呼んだ。同名の人間が呼ばれたのを聞き取った訳ではない。呼ばれたのが自分自身であることには、彼女がリ・ガンであるのと同様に確かなことだった。

 エイラは声の方向を睨むようにすると――そちらへ歩を進めた。危険なものは覚えなかった。

 長い髪を揺らしてその小道を曲がれば、意外な姿が目に入った。

 いや、当然かもしれない。

 「彼女」をエイルと呼べるものは少ない。

「……俺には会いたくないんじゃないかと思ってた」

 唇を歪めてエイラは言った。

「クラーナ」

「久しぶりだね。あの城以来だ。よ」

「やめろよ」

 エイラはうんざりして言った。エイラの前で「エイル」について語られても、驚きは覚えなかった。クラーナは知っているのだと思っていたからだ。

 あの宴で、わざわざ「エイル」に声をかけてきた。そして雷の子ガラシアの衝撃に、魔術師協会と導師リックへの誘導。何も知らない訳がない。

 もっとも、「クラーナは知っているはずだ」との感覚を彼女に起こさせるのは、そうした判断だけではない。だがそれが何なのかは、彼女はまだ判っていなかった。

「何なんだよ、突然」

「そろそろ、導きが必要なんじゃないかと思ってさ」

 にっこりと言う吟遊詩人フィエテを彼女は胡散臭そうに見る。

「あんたはたくさんのことを知ってる。それは間違いないね。でもそれならどうして小出しにするんだ。俺たちを……俺をからかうのか?」

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