10 忠告
あまり、勘が鋭いとは思っていない。
だから、何となくおかしな感じがしたときも、特に気にしなかった。
彼がアーレイドに足を踏み入れたのは今回が初めてだったが、特にこれと言う特別な印象のある街には思えなかった。エイラがここに向かうと言っていたのは、「魔法の翡翠」に関係のあることなのかもしれないし、そうでないかもしれない。
小さな町であっても、知人に偶然会うことなど稀だ。
この薬草師と彼女はフラスの街並みで偶然の再会をしたが、またそれを期待して街を歩いても仕方がないし、だいたい、まだエイラがここにいるとも思えない。
判っているのに、何故やってきてしまったのか。もちろん、知らぬ街で未知の薬草に出会うことも期待しているが、それだけのために訪れるにはけっこうな距離だ。
ともあれ、できることだけはしよう。
そう考えるとセイゲル・ヒースリーは、ひとつしかない手がかりの場所を街びとに尋ね、そこに向かった。
あまり気持ちのいい場所ではないが、彼はたいていの人間ほどには「魔術」を怖ろしく思っていなかった。魔術師には知り合いもいるし、偏見よりは尊敬を抱いている。
受付の術師は、扉から入ってきた男がどうやら薬師、或いは薬草師なのを見て取ると、魔術薬でも買いにきたのだろうと考えた。だから、彼が瓶の並ぶ棚ではなく、術師の方にまっすぐ歩を進めるのに気づいて少し驚いたが、顔には出さない。
「何でしょうか」
「ある魔術師を探しているんだが」
まずヒースリーはそう言った。
彼がエイラについて知っていることと言えば、魔術師であると言うことくらいだ。
「エイラと言う、金髪の女性だ」
そう告げると、魔術師の眉が驚いたように上がった。
「……いったい彼女は、何をしたんですか」
「何だって?」
ヒースリーは驚いて聞き返した。
「今日だけで、彼女のことを尋ねてきた人間は、あなたで三人目です、セル」
魔術師という人種は、あまり喋り好きではないことが多い。この受付も別に噂好きという訳ではなかった――もちろん、そんなものは魔術師協会の受付には不要どころか、あってはならない資質である――が、魔術師を探す人間など稀である上に、彼が当番をしているこの日だけで三度も同じことを訊かれれば、いくら何でも奇妙に思う。
「何だって?」
ヒースリーはまた言った。
「誰が尋ねてきたんだ?」
疑問は彼の内に大量に浮かんだが、まずはそう尋ねた。
「それを申し上げる訳にはいきませんが」
魔術師は嘆息した。余計な口を利いてしまった、と思っているのだろう。
「……それじゃあ、そいつらに答えたのと同じことを教えてもらいたい」
「何を知りたいのですか」
首を傾げて魔術師は問うた。
「個人的なことはお教えできませんよ。申し上げられるのは、確かに彼女はこの街の登録術師である、ということくらいで」
ヒースリーは、ではここが彼女の故郷なのか、と思ったが、別にそれは知りたいことではなかった。
「エイラは、ここにいるのか」
「魔術師協会内に、との意味でしたら、おりません。アーレイドに、という意味でも同じですけれど」
「……いないのか」
ヒースリーは肩を落とした。そうではないかと思っていたが、はっきり答えられれば落胆もする。
「伝言があるのでしたら、お預かりできますよ」
ここで単純に預かるか、余所の街の協会を彼女が訪れたときに伝わるようにするか、すぐさま――もちろん魔術を使って――伝えるかによって、料金はだいぶ違いますが、などと受付は続ける。
「伝言……は、特にない」
薬草師は首を振った。
「会って話がしたかっただけだ」
「いったい、何の話を」
尋ねかけて、術師も首を振った。
「私が聞いても仕方がありませんね。では、セル。お気の毒ですがエイラ術師は現在、この協会にもアーレイドにもおりません」
受付は、これで用事は済んだだろうとばかりに薬草師を見、彼が考え込むのを見て同じように考え込んだ。
「……余計なこととは思いますが、忠告を」
意外なことを言われてヒースリーは顔を上げる。
「忠告?」
「あなたが魔術師ならば、決してこんなことは言いませんが、そうではないようですし」
「まあ、見りゃ判るんだろう」
「彼女を訪ねてきたふたりについてです」
ヒースリーは驚いた。聞かせてもらえるとは思わなかったのだ。
「ひとり目は、ここの城の騎士殿ですから心配はありませんが、ふたり目は、余所の街の術師でした」
「何だって?」
またも、ヒースリーは言った。エイラが聞けば腰を抜かすのは前者の方だが、ヒースリーが気になり、受付も気にしているのは後者の方であった。
「どんな用事で、魔術師が彼女を探す?」
「用事までは」
受付は首を振った。
「ただ……何と言いますか、魔術師は互いに互いの持つ魔力について詮索しあったり、ケチをつけたりはしないものですが……その術師の力は、あなたがこれまでに触れたことがあるどんなものとも異なりますでしょう」
「意味が、よく判らないが」
ヒースリーは眉をひそめた。受付は嘆息する。
「あなたはおそらく、魔術薬を売る許可証をお持ちと思いますが」
協会と魔術師に慣れているようですから、と受付は言い、その通りだったので薬草師はうなずいた。
「協会がこうして正規に売る品は、どれも人を癒やし、治すものですね」
「そりゃ……そうだろう」
「魔術師は、逆のものも作れますよ」
受付の言葉をヒースリーは数
「誤解のないように言っておきますが、協会ではそのようなことを推奨しませんし、売ってもいません。ですが、たいていの術師は作れるのです。作らない者の方が多いとは思いますが……この辺りで、察していただければ」
「あまり察したくないが……つまり」
「言わないでいただけますか」
受付は薬草師を制した。彼の内に浮かんだ言葉が、黒魔術という言葉でも、闇の技という言葉でも、そして受付が示したのはそういう力にほかならないとしても、それが邪悪なものであるという観念を魔術師は持っていない。質が違う、と考えるだけであり、歓迎しないが禁忌でもないのだ。
「私はそうだとも違うとも言うことができませんから。ただ、あなたのご無事だけは祈っておきますよ」
そう言うと受付は、何でしたら守護符でも買っていかれますか、などと本気だか冗談だか判らないことを言った。
受付の魔術師が商売上手だったのか本当に彼を心配したのかは判らなかったが、彼の懐は決して豊かではなかったから、彼は礼だけを言って魔術師協会をあとにした。
エイラは、彼に関わるなと言った。
彼も別に冒険好きという訳ではないし、いちばん大切なのは妻であるアレシアーナだ。エイラに邪な気持ちは抱いていない。
だから、彼がここで「魔法の翡翠」のことなど忘れ、自らの本分――薬草師であり、アレシアーナの夫であること――に立ち返っても誰も文句は言わないし、その方がいいのだろうと自分でも考える。
だが気になるのは、あの戦士から受け取った翡翠。
そうか、これに魔力があるのか協会で見てもらえばよかったのだな、などとようやく思いつくが、明日でもいいだろうと考え直した。そのような鑑定には
時刻はそろそろ夕刻だ。彼は先に見つけた市場の方に歩を進め、どの街でもやるように露店を開くことにした。
――何となくおかしな感じがしたことは、やはり気にしなかった。
勘の鋭い方ではないのだ。
協会で聞いた話のせいで奇妙な気分になっているのだろう、と思っただけで済ませ、見られているような気がするのは気のせいだと、考えた。
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