09 彼女のために

「ほ、本当に、知らないんだ」

 戦士はまた言ったが、その声は先までのふてぶてしい様子を失っている。

「連絡は、向こうからしてくるんだ。俺は言われたことをして、待つだけ」

「言われたこと」

 シーヴは繰り返した。

「何を言われた」

「だから、その……あの袋をあの女に渡せって、それだけだ」

「隠すな。全て話せ」

「それだけだ、本当だ!」

 男の声は悲鳴の色を帯びた。

「素性を隠した依頼人、か」

「そういうのは珍しい話じゃ、ないだろうがね」

 ゼレットの言葉に、面白くもないようにシーヴは続けた。

「お前が言わないなら、俺から言ってやってもいい」

 青年は刀子に力を入れた。

 戦士がびくりとした。

「何だと?」

 ゼレットが不審そうに聞き返す。

「〈魔術都市〉――彼女を狙う」

「何だと」

 伯爵は繰り返した。

「そんなものに狙われておるなど、一言も」

 シーヴはその言葉に片眉を上げたが――いつの間に、エイラとゼレットが個人的に話をしたと?――男から注意を離すことはない。

「向こうから連絡があるのは、いつだ。どうやって連絡をしてくる」

「し、知らねえんだ、俺は何も」

 シーヴの瞳とその声の色に、ただの脅し以上のものを感じとったのだろう。戦士は泡を食ったように繰り返す。

「あいつと関われば、破滅だと言われた。一度でもに惹かれたなら厄が付いている、こうすればそれを祓うことができるって」

「何だと」

 青年ははっとなった。

「お前は、彼女を知っていたのか」

「俺は」

 男は、恐怖に目を見開いた。

「俺は」

 息苦しそうに、戦士は声を出す。

!」

「何――」

 不意に、男の顔が赤くなっていった。男は渾身の力で暴れ出すとシーヴの手から逃れ、見えない腕を振り払おうと懸命に身をよじった。床に倒れ込むようにすると、ばたんばたんと派手な音を立てて転がり回る。シーヴとゼレットは男を押さえようとしたが適わず、呆然とそれを見ているしかなかった。

 十トーアとかからぬ内だったろう。男の顔は紫になり、赤黒くなり、目は白目をむき、のどから奇妙な音を出し、口から泡を吹いて――その男は、絶命した。

「何て……こった」

 再び静寂を取り戻した部屋のなかで、シーヴは冷たいものを覚えた。

「……魔術、か」

 ゼレットもまた、自身から血の気が引くのを感じながら動かなくなった戦士を見ていた。その太い首には、はっきりと赤く指の跡が残っている。

「――町憲兵レドキア

 伯爵は踵を返すと扉を細く開け、外に声をかけた。

魔術師協会リート・ディルへ行って、緊急事態だと告げてこい。ここで起きたことが説明できる術師を出せと言え。どうせ奴らは何かが起きたと判っているはずだ。とぼけるようならただでは済まさんと言ってやれ」

 町憲兵がどう思ったとしても――「ここで起きたこと」が何なのかとか、魔術師を伴って歩くなど嫌だとか――伯爵閣下直々の命令に否と言える度胸はなかったようで、シーヴには町憲兵がそれを果たしに走り去っていく足音が聞こえた。

「魔術都市と、言ったな」

 再び戸を閉め、ゼレットはシーヴに向かった。

「それは、リ・ガンを狙うものか」

「ああ」

 シーヴは死体を見ながらうなずいた。

「何てこった……奴らはこんなこともできるのか」

「こいつは何かを言おうとしたんだな。その、魔術都市とやらに都合の悪いことを。それを――こんな形でやめさせた」

「そういうことだろうな」

 青年は苦々しく言った。

「何も……殺さなくたって、ほかに方法はあるだろうに」

「ほかの方法を選ばん相手だ、ということは判っていたのではないのか、シーヴ」

 だからお前は彼女の身をあれだけ危ぶんだのだろう、とゼレットは言い、シーヴはまたうなずいた。

「近い手がかりがなくなった」

 青年は短く、言う。

「いま、俺に思い当たる場所は二箇所ある。だから俺は行きます」

「二箇所とは、何処だ」

 ゼレットは当然の問いを発した。シーヴは躊躇なく答える。

「〈魔術都市〉と〈翡翠の宮殿〉」

 青年の返答にゼレットは目を細めた。

「本気か」

「もちろん」

「宮殿とやらはともかく……その都市は危険なのだろう」

「もちろん」

 シーヴは繰り返す。

「でもエイラの方が危険な目に遭っている。間違いなく」

 青年の瞳に迷いはない。彼は、彼の〈翡翠の娘〉を無事に取り返す気でいる。必ず。

「せめて協会の人間がくるまで、待て。何か判るかもしれん」

「そうは思いませんね」

 シーヴは首を振った。

「これが」

 死体を指す。

「魔術で行われたことだと、〈魔術都市〉の仕業だと証明してもらって、何になるんです? エイラの居場所を知る、どんな手がかりが得られるって言うんですか? いまの出来事を説明してもらったところで、俺が求める話は何ひとつ聞けない。俺は行きますよ、閣下」

「シーヴ」

 そのまま歩き出そうとする青年に、伯爵は声をかけて留めた。

「……俺に、できることは」

 ゼレットが呟くように言った。

 そうか、彼は判っているのだ――とシーヴは思った。

 エイラが、そうではないと見せようとした「伯爵のお気に入り」当人であったこと。それを救いたくとも、彼は――シーヴのようには――治めるべき領土を離れる訳にはいかないこと。

「あいつの翡翠ヴィエルを守ってください」

 シーヴは言った。

「あなたは、〈守護者〉なんでしょう」

 エイラはそうは言わず、シーヴはリ・ガンのように何かを感じ取ることはなかったが、ゼレットがそうであることには確信が持てていた。

「そのようだな」

 ゼレットは認めて、嘆息した。

「俺にできるのはそれだけらしい。どこにあるのかも判らぬ、隠されたものを守ると」

「それがいちばん、重要なことです。俺にもその重要性は判らないが、とにかくエイラにとっては」

「そうか」

 青年の言葉に伯爵はうなずいた。

「ならば、俺は彼女のためにそうしよう。――〈鍵〉殿」

 シーヴは片眉をあげたが、エイラが――いつの間にか――話したのだろうと考えた。彼女がゼレットの前でその語を使ったのは一度だけだったが、この〈守護者〉はそれを思い出したのではなく、ただ浮かぶ言葉を口にしただけだった。

「達者で。貴殿が彼女を救うことを信じている」

「……有難う。俺も信じますよ、あなたを」

 差し出されたゼレットの右手を取りながらシーヴはそう言った。

「ところで」

 いささか予想より長めの握手から手を引いて、青年は声を出した。

「バイアーサラってのは、カーディルからどれくらいかかるんですかね」

 この辺の地理には弱くてね――と、不思議な力でこの付近に跳ばされてきた青年は肩をすくめた。

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